エトワール・フィランテ〜星降りの夜の導かれし出逢い〜


















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第十章 渓谷にある氷の国の現状〜王子と不審な影〜
第六十九話 道端で出会った宿屋の主人〜陽気な性格と変わったなまり〜
 先のザングースの騒動を頭の中から払拭する為にと、アルム達は大通りからは外れた小道を逍遥(しょうよう)していた。さすがに氷の国であるため、冷え切った大気から逃れる場所は無いが、不思議と凍えそうな程な寒さを感じる事は無かった。散歩に支障を来すものではなく、その点に関しては快調に足を進めていく。
「寒いと言えば寒いんだけど、何だかこう、体の芯まで冷え切るって程じゃないよね。どうしてかな?」
「たぶん風がほとんど吹いてない分、体感温度はそこまで低くないんじゃないか」
 初めて訪れた寒い土地という事もあり、ヴァローは推測混じりの答えを返した。当たらずとも遠からずであるが、実際は炎タイプである彼自身が傍にいるのが理由だった。しかし、その真偽は特に二人には関係なかった。
「そういえば、ここの氷が溶ける事は無いのかな? ほら、例えばヴァローの炎技とかでさ」
「家を真っすぐ建てられる程の強固で分厚い氷なら、それは無いだろうな。まあ、俺としては安心出来るんだけどな」
 あくまでも時間を繋ぐに過ぎないたわいないやり取りを繰り返しながら、時折現れる路地に目を通してはいるが、相変わらず目に映るのは、雪に全身を染められた建物のみが立ち並ぶ光景だった。誰にも遭遇しない事にいい加減嫌気が差してきたのか、痺れを切らしたティルが(せわ)しく飛び回っていた。
「あんまりあちこち動かないでよね。この国では何が起こるかわからないんだからさっ」
「だってさ、ただ歩いてばっかですごく退屈なんだもーん」
 些か我が儘ではあるが、それでもティルの主張は正しかった。当てもなく漫然と歩き回るだけでは楽しいはずもなく、一行の面持ちも天候が反映しているかの如く暗くなっていた。知らない内に体毛の上に積もっていた雪が、やけに重くのしかかっているような気にさえなる。
「それにしても、本当にここが繁栄してた国とは思えないくらい、どこもかしこも閉め切ってるわね」
「シオン、この国の事を何か知ってるの?」
「うん、ちょっと噂を聞いた事があってね。ただ、場所とか詳しくは聞いた事が無くて、まさかグラスレイノだとは思わなかったの。やはり何かあったのかしら」
 休憩がてら通りの脇で立ち止まって、シオンは危惧の念を抱いているような口ぶりで呟いた。ただ、それ以上を語る事はなく、悩みの種が尽きるどころか増えていた。遂に不安感が募りに募って耐え兼ねたのか、アルムが大きな溜め息と共に言の葉を送り出す。
「ねぇ、どうなってるのか調べてみようよ」
「またその話か」
 呆れたように溜め息を吐くヴァローに対し、アルムはめげずに調査を提案する。なるべく危険は避けようとしてる事を重々承知していながらも、やはり心のどこかでは譲れなかった。
「この町に寄ったのは、あくまでサンクチュアリへの通り道でしか無いんだぞ。下手したら無駄に時間を食う事になるかもしれないが、それでもいいのか?」
「うん。知っちゃった以上は、避けちゃいけないような気がして……」
 アルムは遠慮がちに俯けていた顔を上げると、その真っ直ぐな澄んだ瞳にヴァローの姿を鮮明に映した。そんなアルムの強い意思の篭った瞳に自分の姿を捉え、ヴァローも相手の思いを全て汲み取っていた。目を逸らさずに思い切って伝えた事が功を奏したのか、ヴァローは念を押すように聞き返したきり、もう止めるような事をしなかった。確認も兼ねてシオン達の方に向き直ると、微笑を浮かべて頷いてくれていた。
「あの、シオンやライズは本当に良いの?」
「ええ、もちろんよ。ここまでの道のりだっていろいろあったんだし、最初から覚悟は出来てるわ。それに、個人的にも引っ掛かる事があるの」
「僕も。アルムくんがやりたいって言うなら、協力するよ」
 これから訪れたばかりの国の中に蔓延(はびこ)る事件に臨むと言うのに、二人ともに快く受け入れてくれた事が嬉しいのか、アルムは思わず表情を輝かせていた。相変わらずわかりやすい感情の表出に、張本人であるアルムを中心にして、笑顔が伝染していった。
「さて、そうと決まれば、まずは情報収集からだな。王室を中心にして起こってる事とザングースについて、出来るだけ知っておいた方が良いし」
 一様に首を縦に振るアルム達に、沈みきっていた面影は既に無かった。各々に決心が付いた上で、心機一転歩き出す。端から見れば、探偵だとか正義の味方気取りだと思われるかもしれないが、本人達は至って本気だった。雲を掴むような話ではあるが、それでもやる気には満ちていた。
「おや、お若い旅人達。こんなところでどうしたんかいな?」
 未だ姿の見えない町のポケモンを捜そうとした矢先、不意に背後から声を掛けられた。頭からは一本の巻き毛が生えており、お腹にはそれと同じ渦巻き模様がある、全身が黄緑色の蛙のポケモン――ニョロトノがその主体だった。
「あ、はい。来たばかりで知らない事が多くて、ちょっとこの国について調べたいなぁと思って歩いてたんです」
「ほう、情勢を知りたいのんな。だったら、おいちゃんが教えちゃるから、ちょっと付いておいで」
 頼りも無かったところに思わぬ朗報が舞い込み、アルム達に一筋の希望(ひかり)が差し込んだ。しかし、何の接点もない通りすがりの見ず知らずの自分達に話し掛けてきて、いきなり核心を突いてきた。その上さらに、求めていた情報を教えてくれる。こう上手く行くと、不審に思わずにはいられなかった。
「なぁに、心配せんでもええのんよ。どうせ暇を潰す相手が欲しかっただけなんよ。さあさ、家に上がりぃや」
 好意を無下にする訳にも行かず、ニョロトノに半ば強引に連れ込まれたのは、すぐ近辺にある一軒家だった。招き入れられるままに扉をくぐると、壁や調度品のほとんどが暖色である薄い橙色で統一された空間だった。家の中に入った途端に、分厚い毛布に一瞬にして包まれたような感覚になる。
「遠慮せんとゆっくりくつろいでな。特に行く宛てもないんであろう?」
 外の肌寒さとは打って変わり、久方忘れていた気さえする暖気を身に纏い、心も穏やかになっていた。ニョロトノは近くの棚から人数分の器を手際よく配って飲み物を注いでくれ、まさに至れり尽くせりだった。板材の床に腰を落ち着けて、アルム達はここまで歩いてきた疲労をようやく癒す事になる。
「旅人なんて久しいなぁ。ゆっくりしててってーな。家は元々宿屋やから、必要な物は揃てるからね」
 やや渋みを帯びた声で(まく)し立てる言葉の端々には、常におちゃらけた顔を覗かせていた。赤の他人にあれこれと親しみの持てる接し方をしてくれるニョロトノに舌を巻きつつ、アルム達は差し出されたスープを飲み干していた。程よく温められていた甘いそれは、徐々に体に溶け込んでいって、冷えきっていたアルム達を内側から暖めていった。
「あの……」
 待遇されている事に気が引けたのか、アルムは怖ず怖ずと切り出そうとした。呼びかけられた事に気づいたニョロトノは、空になった容器を回収して回るのを止めてアルムの方を振り向いた。
「ん、どうかしたんかいの? スープ、熱かったか?」
「あ、いえ、そうじゃなくて。こんなにもてなしてもらって嬉しいんですが、どうしてここまでして貰えるのかなって聞きたくて」
「さっき言うたやないの。おいちゃん暇だから、相手が欲しかっただけなんよ。ささ、何でも自由に話してな」
 がしゃがしゃと音を立て、ニョロトノは粗雑に食器を台所に放り込んだ。真剣に聞いているか定かではないが、振り向き様に見せた表情は変わらずに、アルム達は反応に困ってしまう。しかし、このままペースに乗せられては目的を見失いかねないため、迷わずにアルムが切り出す。
「それじゃ、この国についてちょっとお聞きしても良いですか?」
「ええよ。この国は元々、国王であるリョート様が治められてて、以前はもっと町も活気づいてたんよ。見ての通り氷に囲まれてる国だから、外界からの訪問者は昔から少なかったけど、今ほどポケモンの姿が見えない事は無かったね。氷細工なんてのも盛んで、結構繁盛してたのんよ」
 最初は(もぬけ)の殻ではないかとも疑った寒空の下の町の光景を念頭に置きつつ、アルム達は相槌を交えて頷く。建物の数こそ多いが、寂れた雰囲気は形容し難い独特なものだったため、昔賑わっていた頃の事は半信半疑で表情を曇らせる。
「それで、ある日突然国王が倒れたんよ。密かに報告があって国民も動揺してたけど、特に大きな問題も無く過ごしてた。だけど、最近になってから急に国の様子が乱れだしたんよね。何かにつけて国民を捕らえたり、お金を徴収したりする事が増えたっちゅう具合にな」
「なるほど。それで、あのザングースさんは『苦しんでる民がいる』って言ってたんだね」
 王宮での一騒動の中に紛れていた大事なやり取りを、アルムはしっかりと記憶していた。ヴァロー達も順々に情景を呼び起こされ、納得したような顔を窺わせる。
「ザングース、なぁ……。それはもしや、アカツキいう名前やないんかな。頻繁に王宮の奴らと揉めてる奴なんやけど、お前さん達もその光景を見たんじゃないんかいの?」
 手短に説明を終えたニョロトノは、続いてアルムの持ち出した話に食いつき、予想外の情報を付け加えた。一斉に自分に向いた視線を感じ、さらにニョロトノは続ける。
「すっかりこの辺で有名な奴なんよ。真っ向から抗議をしに行っては門前払いをされとるんやけどな。雄志ある姿に皆も励まされてはいるが」
「それで、何かこの国は変わったんですか?」
「いいや、状況は見ての通り全く好転しないままなんよ。だから、お前さん達も有志があるのは認めるが、下手に関わらん方が良いとおいちゃんは思うんよ。おとなしくこの国を離れぇな」
 一段と深い吐息を漏らすと、ニョロトノは態度を豹変させて深刻そうに諭し始めた。年端も行かない子供達を危険に晒すのに忍びないと思ったが故の言動であるが、アルム達にはいまいち効果が薄かった。現状を把握してしまった今では、むしろ無視せずにはいられないというのが本心であった。
「それじゃあ、せめて国王か王子に謁見する機会は無いんですか? 今の国は誰が動かしてるのかわからないなんて、おかしな話ですもの」
「それがなぁ、一切の面会を謝絶しとるんよ。以前は気さくに皆と話をしてたりしたんやけど、これまた最近はめっきりやね。中に入れてもらえんのなら、仕方ないけどな」
 ニョロトノの答えを聞いたシオンは、俯き加減でどこか浮かない顔をしていた。どうしてもっと抗わなかったのか――などとニョロトノだけを責め立てる訳にも行かず、湧きだした感情を封じるように口を真一文字に結んだ。一同の沈み様で心情を察したのか、用意していたお茶を一度啜った後に大きく息を吐き出した。
「そんなに気になるなら、おいちゃんが掛け合ってみようか?」
 熱心さに根負けしたのか、ニョロトノはアルム達にとって願ってもない申し出を買って出た。目を丸くしている全員の方に、柔和な笑顔を示した。
「お前さん達みたいな子供が相手なら、単なる見学だと思って下手に手を出しゃあせんだろう。おいちゃんはどうせ隠居の身で暇だから、一緒に付いてくるかいの?」
「でも、さっきは面会を断ってるって言いませんでしたか? ちょっと矛盾する気がしますけど」
 今までは口を閉ざして沈黙を続けていたマイナンのライズが、ここですかさず鋭い指摘を入れた。しかし、正論を突き付けられても、ニョロトノは至って涼しい顔をしていた。
「それはあくまで一般の方法で試した場合の話やのんな。おいちゃんには、それとは別の手段がある。この際思い切って乗っかってみるかいの?」
「……あの、こちらからお願いします。アルム達もそれで良いわよね?」
「う、うん。もちろんだよ」
 アルムは戸惑いながらも、流れに乗せられる形で同意した。しかし、シオンが率先して行動を起こそうとしているのに違和感を覚えていた。元より考えていた事に大差は無いが、些かシオンに焦燥の色が窺えたような気がして、アルムは憂いを抱いた瞳で見つめるばかりであった。
「では、善は急げと言う事で、早速行くかいの」
「今からですか? いくら何でも、そんなに急に大丈夫なのですか?」
「問題は無いのんや。どうせ時々はわざわざ“あっちの方”から出向いてくる事もあるんやからな」
 何やら意味深な発言を残すニョロトノは、躊躇いなく外に一歩踏み出した。首を傾げて怪しみはするが、自分達から依頼したからには好意を無駄にする訳にも行かず、後を追って通路へと繰り出した。


コメット ( 2012/10/23(火) 22:11 )