エトワール・フィランテ〜星降りの夜の導かれし出逢い〜


















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第十章 渓谷にある氷の国の現状〜王子と不審な影〜
第六十八話 行き着く先は氷の王国〜冷たい空気と静かな町並み〜
 自然の“フラッシュ”に視界を奪われ、アルム達は面食らった形でその場に座り込んでしまった。先程までのごつごつした岩の堅い感触は無く、その代わりに落ち着いた地点は、堅さや柔らかさよりも先に刺すような冷たさが伝わってきた。しかし、触れたと同時に沈み込む感覚があり、最終的に体が着いたのはむず痒さを催す場所であった。
 洞窟内で身に受けていた風は、外に出てみるとからっきし感じなかった。吹き付ける風と低い気温が相まってより寒さを与えていたのか、片割れの風が無いと、その寒さも軽減していた。耳を澄まして聴覚の情報を得ようと努めるが、聴こえてきたのは銘々が繰り返す呼吸音だけで、それ以外は至って静寂そのものだった。声掛けで全員が静止している事がわかると、一時的に失った視力の回復を待つ事にする。
 網膜に焼き付いた明滅する光が消えた頃になって、ようやくアルム達は景色を眺める事が出来た。思いも寄らなかったものに、息を呑んで呆けたように黙り込む。一行の目の前に広がっていたのは、普通なら緑か茶色であるはずの大地が、一面が白で埋め尽くされている光景だった。脇に広がっている背の高い木々も、純白でさらさらとした衣服を身に纏っている。今までの道程とは完全に別世界であり、洞窟の中と対照的な色でまさしく圧巻だった。目が慣れてきても、物珍しい大地の化粧にただ見惚れるばかりである。
「すごい……レインボービレッジにも雪は降るけど、こんな……」
 鮮明な故郷の景色を頭に蘇らせたところで、改めてそれとはスケールの違う雪原を目の当たりにしたアルムは、感嘆の声を漏らした。蒼穹の下に薄く広がる暗灰色の雲からは、不規則な軌道を描きながら白い氷の結晶が深々と舞い散っている。肌に触れる度に凝集していた冷たさと湿り気を解き放つ雪に、夢見心地で宙に視線を彷徨わせていた。
「確かに見渡す限り真っ白ね。私もこれ程のは見た事がないわ」
 同じく銀世界に魅了されているシオンは、おもむろに足元に積もっている雪を掬い上げた。手に接する部分は見る見る内に体温で溶けて、水となって流れていく。水分が凝固した物だと確認したところで、自らの背丈の半分ほどある積雪にそれを戻す。
「それで、あそこに見えてるのは町か?」
「ええ、そのようです。たぶん名前は“グラスレイノ”って言ったはずです」
「ふわふわひんやりで楽しいね! ボク、こんなの初めてだよ!」
 炎タイプ特有の体内の熱のおかげで、ヴァローの周りだけはすっかり雪が溶けて草原が僅かに顔を覗かせていた。そこからやや離れた位置でライズと遠くを望んでいる傍らで、ティルは雪という未知の物体に直に触れて、ひたすらはしゃいで戯れていた。最初は空中で浮遊して雪を掻く程度だったが、慣れ始めると全身を深い雪の中に埋めて手を広げたり転がったりし始める。しかし、一通り考えうる限り一人で遊びきって飽きが来ると、まだ幻想的な世界に浸っているアルムに勢いよく抱き着いた。
「アルムー、すごく寒いよー」
「もう、雪に潜って遊ぶからでしょ」
 強引に現実に引き戻されて名残惜しく思いながらも、アルムはくすりと笑った。冷え切った体を押し付けられても、満更でもない感じだった。好奇心から元気遊び回ったティルは、そんなアルムの温もりを感じて表情が緩みきっている。充分に暖まったと判断したところで、アルムはヴァローやライズの隣に並んで先の方を見遣る。
「それで、あそこには行ってみるの?」
「ああ。何か良い情報を得られるかもしれないし、何よりあそこを通過していった方が近道になるからな」
「そうね。私もグラスレイノって名前を聞いて思い出した事があって、ちょっと気になる事があるの」
 ヴァローとシオンの同意を得て、アルムも新たな土地に思いを馳せて目を輝かせつつ、大きく頷いた。体毛の隙間に纏わり付く細かい雪を嫌がる事もなく、ひたすら白い壁を掻き分けて、探検をする時のような高揚感を胸に、連なるなだらかな丘を突き進んでいった。







 ヴァローを先頭にして立ちはだかる雪を融解しながら、暫時の間順調に進み続けていくと、疲れの色が見え始める前に町の入口近くまで辿り着いた。遠目ではぼんやりとしか見えなかった全貌が、ここに来てようやく明らかになってきた。
 広大な垣根の内側に全ての建物が収まっており、その雪を被っている壁は、蒼白い光を放っている。軽く触れてみると足の熱を一気に奪われ、大きな氷塊で構成されている事を実感した。一カ所だけ空けられた空間から、町の入口になっている。そこから放射状に広がる町並みの中を目を凝らして良く見ると、中央に高い塔らしき建造物がそびえていた。しかし、単なる細く高い塔ではなく、それを取り囲むようにして横幅の広い建物がいくつも点在している事からも、王宮の一部らしい事が見て取れる。
「ここもステノポロスみたいに、王様が町を治めてたりするのかな」
「ええ、そうよ。同じように王制国家のはずだから」
 知っているかのような事を仄めかすシオンに、アルムは首を傾げながらも正面に向き直る。一直線に王宮へと続く大通りの脇には、屋根の勾配が急で、比較的窓の少ない質素な家が建ち並んでいるのが見えている。足元はと言うと、石畳や土などではなく、一面に氷が張っていた。冷たさに対する抵抗が薄れている為か、アルム達はそれ程気にはならない様子だった。再度広い目で全体を見渡すと、人っ子一人いない閑散とした町並みが窺える。
「それにしても、さすがに静か過ぎない? これじゃあリプカタウンと変わらないよ」
 例示された町とは異なり、こちらは荒野どころか、銀雪を被りながらもそれと上手く調和の取れた風情のある眺めである。雪が降っていて決して快適とは言えない事を考慮しても、吹雪とは程遠い気候にある上でのこの静まり様はあまりに不自然だった。期待に胸を膨らませていた一行は、意気消沈しながら通りを散策し始める。
「おかしいわね。この国には雪に慣れているポケモンばかりだから、こんな天気でも町は賑わっているはずなのに」
 時折見られる看板が立っている店も、完全に扉を閉め切っていた。氷の上に積もっている雪にはアルム達以外の足跡がほとんど見られず、気配が感じられない。足取りも重く移動している内に、静寂に包まれていた街中を離れ、町のシンボルとも言うべき塔に近づいていた。その王宮の手前の広場には、今までは見えなかったポケモン達の姿が複数あった。やっと待ち望んでいた住人に出会え、喜びも一入(ひとしお)に駆け寄っていく。しかし、何やら穏やかな状況ではなく、一人を囲むようにして他のポケモンが立っていた。
「何を今さら隠す事がある。悪政をやってるのは事実だろ。お前らのせいで苦しんでる民がいるってのに、のさばらせておく訳に行くかっての」
 (まく)し立てているポケモンは、体毛はほぼ白く、左耳や胸の稲妻型の模様、腕の先の毛は赤くなっている。二足になって突き出されている腕の先端には、黒光りする鋭い二本の爪を生やしているその正体は、ザングースという種族である。
「おい、お前。現在の国家体制と国王様を侮辱するとは何事だ」
「そうだ。何の証拠も無く反逆しようものなら、即刻牢獄行きだぞ」
 口を揃えてザングースを非難するのは、三つの白い山が連なる帽子のような頭をしており、腕の先は緑色、下半身が茶色で、樹木のような体をしているユキカブリというポケモンであった。威嚇しながらじりじりとザングースに詰め寄っていくが、当のザングースは近寄らせまいと睨みを利かせて身構える。
「何か危なそうな感じだな」
 突如怪しい場面に居合わせる事になり、緊張のあまり全員がごくりと唾を飲み込んだ。物騒な雰囲気を察して、距離を置いて見守る中で、他の全員の目を盗んでアルムが単身忍び足で接近していく。
「証拠なんざいらねぇよ。見りゃあわかるだろ。お前らの目は節穴なのか?」
「今度は配下にある我々を侮辱するのか。どうなるかわかってんだろうな」
 まさに一触即発と言える事態に際し、ヴァロー達はようやくアルムが隣にいない事に気づいた。慌てて呼び戻そうとするが、騒動を起こしている者達に存在を気づかれてはいけないため、声を出さずにそろそろと近づいていく。
「それで。やるのか、やらないのか」
 ザングースの挑発に、ユキカブリ達は腰を低く落とすという形で応じた。無論答えはイエス。四面楚歌の状況にあっても、ザングースは殺気を放って腕を伸ばす。近距離まで迫っていたアルムも、急いで建物の物陰に隠れた。ヴァロー達も殺伐とした雰囲気に飲まれて足を止め、成り行きをじっと見つめる。
「多勢に無勢だ。覚悟してもらうか。全員、かかれ――」
「――ちょっと待たぬか!」
 今や飛び掛からんとしている時に、王宮の方から怒声が轟いた。視線が一斉に注がれる中、二足歩行で歩み寄ってくる、顎の下から氷柱を生やした細身のホッキョクグマのような者の姿があった。それを見るなり、ユキカブリ達は戦闘体勢を解き、背筋を伸ばしてそのポケモンに敬礼した。
「あっ、ルッツ様! 実はですね、こやつが不祥事を働いていまして。我々が捕らえようとしていたのです」
「騒がしいと思ったら、やはりそうだったか……。まあ、別に誰かを襲ったという訳ではないんだ。今回は見逃してやれ」
 高い位置からザングースを一瞥だけすると、ルッツと呼ばれたツンベアーは、それだけ指示を飛ばして全員に背を向けた。返答が予想と違ったのか、これにはユキカブリ達も焦っているようだった。
「いや、しかしですね、仇を為す者を野放しにしておくのはいかがかと――」
「私が良いと言ったんだ。命令が聞けないのか」
「はっ、わかりました。あなた様の命令なら、逆らう訳には行きませんから」
 どうやらツンベアーの方が身分が高いらしく、何か言いかけたところで封殺され、ユキカブリ達は口を噤んで泣き寝入りさせられる事となった。最後に悪あがきとばかりに視線で怒りをぶつけると、すごすごと後に付いて引き下がっていった。
「……おい、てめぇら。見世物じゃねぇんだぞ」
 王宮に撤退したのを見届けるなり、別の存在を感知していたザングースは、持て余していた荒々しい気配を放出した。思わず凄みながらも、ヴァローは気迫に圧されないようにアルムの方に接近していく。一方で、アルムはザングースに敵意を感じさせないように、姿勢を低くしながら足を前に進めていく。さすがに敵意の無い者を襲うつもりはなく、ザングースはそっぽを向いて歩き出した。
「あの、一体何があったんですか? もし良ければ教えて――」
「部外者には関係ねぇよ。今のは見なかった事にして、黙って観光でもしてな」
 ぶっきら棒にアルムの言葉を遮ると、ザングースはそれっきりアルム達の方に関心を持つ事はなく、すぐさま姿を暗ましてしまった。アルムもその後を追おうとするが、ヴァロー達は今度は前に踊り出て阻止する。
「アルムくん。あのザングース何だか危なそうだから、関わらないでおこうよ」
「でも、あのザングースさん、悪いポケモンには見えないけどなぁ。絶対に事情があると思うんだ」
 その姿を見失っても、アルムは未だにザングースの事を気に掛けていた。ライズの忠告に耳を傾けてはいるものの、それを承諾している訳でもない。素直に話を聞ける見込みもないにも係わらず、嫌に執着しようとしている姿勢が他の全員には理解しかねていた。
「来て早々に厄介事に首を突っ込むのもどうかと思うぞ? あいつの言う通り、まずは観光してみよう」
「だけど……うん、わかった。町の様子を見てみるのも良いかもね」
 偉く騒動の裏側に興味を持っていたアルムだったが、ヴァローに説得されて譲歩する形でこの場は収拾が着いた。いつも通り、アルムの顔には明るい色が戻った。しかし、その奥底に押し込められた性質の異なる色は、誰にも気づかれる事なく密かに根を生やして広がっていく。
(この町に漂う雰囲気、何だか重いような――)
 一様に灰色が広がる空から舞い散る粉雪の中を、地面を覆う純白の冷たい綿の上に新たな足跡を刻んで移動を始めた。大気こそ澄んでいるものの、一抹の息苦しさを独りでに感じつつ、アルムはヴァローの背中を見ながら重い足を踏み出していった。そして、目まぐるしく姿を変える雲塊も、何か前触れを告げるように、一層容量を増してグラスレイノの上空に集結していった。


コメット ( 2012/10/23(火) 22:10 )