エトワール・フィランテ〜星降りの夜の導かれし出逢い〜


















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第十章 渓谷にある氷の国の現状〜王子と不審な影〜
第六十七話 目指す地へ、山を越え谷を越え〜途中の談話は笑顔の宝庫〜
 東方から少しずつ顔を覗かせ始める赤い光を放つ太陽は、緑色の大地を照らして闇を振り払いながら、生きとし生けるものに恵みを与えていた。草原は風によってそよぎ、待ち侘びた神々しい光の到来を一心に喜ぶ。そんな植物達が作り上げた、緩やかな勾配のある丘が幾つも連なる道を、六つの小さな影が進んでいた。それぞれが均等な歩幅を保って統一した動きで行進しながらも、時おり顧みては静寂な空間に明るい声色を放っていた。徐々に世界が明るみを取り戻していくのに先だって、一行の雰囲気が暖かくなって解れていった。
「本当にこっちで良いの? 僕は全然わからないけど」
 中でも一番小柄な茶毛のポケモン――イーブイのアルムが、いの一番に進行方向に不安げな声を上げた。足取りが好調な事からも、昨日までの疲労感はすっかり癒えているようだった。加えて、朝明けの頃独特の冷涼な空気に全身を包まれ、気分は幾分か爽やかになっていた。それでも、天候と対照的に表情は晴れやかではない。
「ああ、フリートに言われた方角は間違ってないぞ。ただ、それで本当に辿り着くかは別問題だけどな」
 首を傾げている仲間に笑いかけるのは、その顔つきに凛々しさを秘めている“こいぬポケモン”のガーディだった。こちらもアルムと同様に疲れなく足を踏み出しており、そしてアルム以上に力強かった。
「アルム、ヴァロー、心配は無いわよ。目印の山は見失ってないから」
 球状の尻尾の先が地面に擦れないように掴みながら、青く丸みを帯びた体のマリル――シオンが、気持ち速足で歩いて二人の間に顔を覗かせた。前方に(そび)える山を指差し、自信満々の面持ちで交互に二人と目を合わせた。信頼の置ける心強い言葉に、アルムとヴァローも微笑んだ。
「主、教えてもらった方向から五度ほど南にずれてますが、だいたいは合ってます」
「僕も正しいと思うよ。一応寄った事はあるから、方向はわかってる」
 先を歩く三人の背中に向けて、二つの全く質の異なる声が掛けられた。前者は平淡で情報を伝えただけに過ぎず、その発信者は体の至るところが角張ったポリゴンのレイルである。後者は落ち着いた優しい声であり、それは兎のような長い耳を持つマイナン、ライズによって発せられた。
「むー、皆で楽しそうにしててずるい! ボクも混ぜてー!」
 固まって動いている五つの姿に向かって手と長い衣を目一杯伸ばし、星型の頭部と短冊とを揺らしながら、ジラーチのティルが全員に抱き着いた。思いがけずがんじがらめにされ、ティル以外はそのまま足が(もつ)れて地面に体を投げ出された。既に迫りくる光のカーテンの影響下にあった絨毯はほんのりと暖かく、こそばゆさと自然の温もりを同時に味わう事になった。
「ねーねー、今はどこに向かってるの?」
「もう、出発する時にちゃんと言ったよ。山を越えて“サンクチュアリ”に行くんだって」
「へー、そうだっけ? でも、ボクは忘れちゃったんだも〜ん」
 ティルは特に悪びれる様子もなく、屈託ない笑顔を振り撒きながら飛び上がった。倒れた体を起こしつつ、呆れていたアルムも釣られて自然と笑みが零れた。
 ――昨日の騒動から一夜明けた早朝に、ビクティニのフリートからサンクチュアリの場所を大まかに聞いて、最短ルートを取って向かう事にしたのである。そこでフリートとは別れ、新たにライズも同行者として加わった。
「今さらだけど、ライズは本当に付いてきてくれるの? 森に戻りたいとか思ってないの?」
「ううん、そんな事思ってないよ。今はアルムくん達と一緒に旅をしてみたいんだ。それに、今赴こうとしてる場所には、少し用と縁があるからね」
「ふーん、そうなんだ。それじゃ、よろしくねっ」
 意味深な言い草をするライズだったが、アルムは勘繰るつもりもなく、軽く流して微笑みかけた。嬉しさを互いに噛み締め、移動を再開しようとする。
「あっ、ちょっと待って。何か足りないような感じが――」
 しかし、直後に何か異変に気づいたライズが歩みを止めた。出鼻を挫かれた事で躓(つまづ)きかけて何とか踏み止まり、アルムは不思議がって振り向いた。
「なっ、何? どうしたの?」
「あっ、アルムくん。リボンが無いよ……」
 きょとんとしているアルムを余所に、ライズは見た目に似合わず声を張り上げた。当の本人は最初こそ理解出来ずにいたが、やがて耳の辺りに違和感を覚え、恐る恐る前足で撫でて確認してみる。
「――あーっ! 本当だ! リボンが無いっ!」
 先程まで耳に巻き付いていたはずの物が認知出来ず、焦燥感が一気に吹き出してきた。おろおろと狼狽え始め、助けを求めるかの如く仲間に転々と視線を動かしていく。楽しかったはずの空気が一気に凍りつき、アルムの表情には見る見る内に悲哀の色が濃くなっていく。
「ど、どうしようっ。ちゃんと着いてたはずなのに、どこに行ったの!?」
「もしかすると、さっきティルがぶつかってきた時に、衝撃で外れたんじゃないか?」
 ヴァローから答えが返ってきて、アルムは思わず期待の篭った目を向けた。あまりにも声が震えており、いつもの調子は完全に飛んでいた。目も潤んでおり、ヴァローも戸惑い気味に宥めようとする。
「主、僅かに風が吹いています。もしかしたら飛ばされているかもしれません。急がないと見失いかねませんよ」
 珍しく積極的に、しかし不安を煽るような事を、レイルは平然と言ってのけた。場の空気が淀むのもそっちのけな発言に水を打ったようになる。そんな中で、アルムはレイルの事を厭う様子を見せず、妥当な判断と見なして通ってきた道を振り返った。やや離れた位置で草に引っ掛かっている淡い橙色の帯を認められ、アルムは駆け出した。

 リボンは辛うじて掴まっている程度であり、横から吹く風に揺られていつ飛ばされてもおかしくない状態にあった。ひらひらと危なっかしくはためいているのが見え、余計に焦って速度を上げる事で、草から離れる直前に何とか(くわ)える事に成功する。急なダッシュで乱れた呼吸を整え、アルムはほっと胸を撫で下ろす。
「本当に良かったぁ。大事な物だから、無くしちゃったらどうしようかと思ったもん……」
 “大事な物”――その部分が特に強調されていた。思い入れのある品だと言う事が、経緯を知っている者と知らざる者、どちらにもその声色からひしひしと伝わっていた。その中でも、そのリボンを贈った主は、莞爾(かんじ)として笑ってアルムを出迎えに行った。
「ありがとう、アルム。このリボンの事、そんなに大事に思ってくれていたのね」
 シオンはアルムの口からリボンを抜き取り、両手でそっと引き延ばした。異常が見受けられないのを確認すると、はにかんでいるアルムに体を近づけ、そのふさふさな耳の毛を優しく撫で付ける。その感触にさらに口元が緩んでいるアルムの耳に、シオンはそっとリボンを結んで着け直してあげた。
「シオン、着けてくれてありがとっ」
「いいえ、どう致しまして。今度は簡単には外れないと思うから」
「う、うんっ。無くさないように気をつけるよ」
 体が触れ合っている事に気づくと、アルムの顔はほんのりと赤らんでいた。そんな素直に出た反応に、シオンも表情一杯に笑みを湛える。端からその光景を見ているヴァロー達まで気恥ずかしく感じていた。空気を読んだ上で、咳ばらいを一つ。
「あーあ、アルムは羨ましいよなあ」
 ヴァローには珍しい口ぶりが見られた。そこからも、何を言いたいかは想像に難くなかった。照れ隠しもあって顔を背けかけるが、互いの向きを確認しようと目だけ動かして見つめ合い、思わず吹き出してしまった。最初はごまかそうと考えての行動が、いつの間にか自然の笑顔に転換していった。それは、蚊帳の外にいたティルの嫉妬心を駆り立てる直前まで続く事となった。







「ほら、あれじゃない?」
 太陽が赤から黄色がかった白へと纏う衣を着替えた時分。辺りはすっかり熱気に満ちていて、耳を傾ければ穏やかなそよ風の音が聞こえてくる。休みなく歩き続けたアルム達は、目指していた山の麓まで辿り着いた。目の前に見える山肌には、真っ暗な風穴が空いている。
「そうだな。この洞窟を抜けて、もう一つ先にある洞窟を抜けたところにサンクチュアリがあるんだったよな」
「はい、その通り……です。二つの山を抜けるのが一番の近道になります」
 飄々と風を吸い込む穴の前にライズが立ち、ヴァローの言葉に応じた。アルム以外の相手にはぎこちなさがあるようで、丁寧な言葉遣いになっている。しかし、些細な事は歯牙にもかけず、ヴァローはライズに並んでアルム達に向き直る。
「この先に何があるかはわからないけど、本当に大丈夫か? サンクチュアリの前にもう一つ集落があるみたいだし」
「もちろん。特に急ぐものでもないでしょ? だったら、のんびり行こうよっ」
 先程のシオンとの一件があってから、やけに落ち着いたアルムが真っ先に答えた。同意するシオン達も、揃って頷いて見せる。
「中は結構暗いみたいだから、明かりが必要だな」
 手近にある木の棒を見つけると、ヴァローはその先に弱く火を噴きかけた。松明として使うのだと理解したライズは、掴めないヴァローの代わりに拾い上げて洞穴に一歩踏み入れた。
「ちょっと待ってよ。中が暗いんなら、置いていかないでってばっ」
 洞穴が潜り抜けようとする者を飲み込む巨大な口に見えたアルムは、ライズが闇に引き込まれたような感覚がした。それが不安で仕方なかったため、明かりを見失わないようにとの名目を立て、慌てて中に飛び込んだ。外界とは様相ががらりと一変し、ライズの持つ灯火の周りだけが鮮やかに彩られていた。ぼんやりと映るライズの上半身以外は、ほとんど黒を除く色が存在しないと言っても過言では無かった。
「急がなくても良いって言ったばかりじゃない。暗くて危ないのに、走らなくても」
 後に続いてシオン達がゆっくりとした歩調で入って来た。全員が寄り添って松明の近くに行っても、互いの姿を確認するのが精一杯だった。所詮は炎が放つ明かりによって、ようやく狭い世界を認識出来ているに過ぎなかった。
「迷子にならないように、固まっていこう」
「わーい、わーい。皆で仲良く引っ付いて動くの、何だか楽しいねー!」
「気をつけるべきのはお前達だからな。まあ、言ってる事は正しいんだけど」
 前科があるアルムとティルに、ヴァローはすかさず釘を刺した。自らの提案で嫌な記憶を呼び起こされ、アルムはばつが悪そうに目を逸らしていく。それとは正反対に、ティルは自分の事を言われてるとはこれっぽっちも気づいていない挙げ句、忠告を無視して陽気に飛び回っている。
「まあ、アルムが迷子になったおかげで、シオンやライズと出会えたのは間違いないけどな」
「そうよ。ある意味アルムには人を引き寄せる特別な力があるのかもね」
 あまりにうなだれているのが可哀相に見えたのか、ヴァローは立場を変えてフォローに移った。それにシオンが乗っかった事で、アルムの表情には活気が戻っていた。
「えへへーっ、そうなのかなぁ。偶然かもしれないけど、もしそうだとしたら、すごく嬉しいなっ。だって、シオンやライズに会えて、本当に良かったって思ってるもん」
 暗い洞窟の中でも輝かんばかりの、飛び切りの笑顔が浮かんだ。率直な思いの丈を改めて受け取り、その差出人共々顔を綻ばせていく。
 前にも聞いた――なんて、野暮な事を言うつもりは二人には更々なかった。状況に応じて表れるアルムの純真な心を、零さずに受け止めてあげたいと思っていたからである。
「そんなの、私だって同じよ。あなたは身分を気にしないで付き合えた、初めての友達ですもの」
「僕も、アルムくんは森で寂しく暮らしていたところに来てくれた、思いがけない訪問者だった。久しぶりに同年代の子と話せて、そして旅に同行出来て、嬉しいよ」
 偽りのない想いが飛び交った。アルムはシオンとライズを交互に見つめ、もう一度柔らかい表情を見せた。
「それじゃ、ボクはボクは? ボクと会ったのはどお?」
「うーん、どうかなぁ。ティルはちょっと」
 ティルに見えないように、影に顔を向けて軽く舌を出しながら、アルムは声を落とした。如何にも否定的な言い回しにティルの表情が曇っていく中で、アルムは戯(おど)けたように笑ってみせた。
「冗談だよ、冗談。ティルと会えたおかげでここまで来れたんだから、もちろん嬉しいよ」
「むーっ、アルムのいじわるー! でも、嬉しいなら本当に良かった!」
 闇に消え入ってしまいそうだったティルの笑みが、明かりに照らされながら一気に花開いた。侵入した者を脅かさんとする冷気と闇路も、いつの間にかその毒気を抜かれて穏やかな空間と成り果てていた。
(私は、あの輪の中に入っているのでしょうか。それともやはり――)
 仲睦まじい姿を人工的な瞳で後方から見つめるレイルの脳裏に、ふっと一つの考えが掠めた。すぐにそれは立ち消えとなったが、無であるはずの面持ちにいくらか別の色が滲んでいた。しかし、他の者はそれに気づかず、無言で付いてくるレイルを一瞥する程度だった。
「そういえば、この洞窟って真っ直ぐ進んでるだけだけど、道は合ってるの?」
「大丈夫よ。この洞窟は比較的短くて、だいたい直進するだけで抜けられるの。前から風が通り抜ける音が聞こえてきているしね」
 談笑を交えての移動であったため、時間の経過などすっかり忘れていた。ライズの持つ灯火の映し出す世界から外に目を向けると、奥から粒のように小さい光が見えてきた。
「ほら、言ってる側から近づいてきたみたいね」
「それじゃ、あれが出口なんだね。そういえば、何だか急に寒くなってきた気がするけど、気のせいかな」
 洞窟という空間は、外からの温もりを取り入れる隙間が出入り口以外には無いため、外気温よりもずっと低いのが特徴である。しかし、それを考慮した上でも、アルムの言う通り、異様に肌寒かった。
 中に足を踏み入れた時には僅かに涼しさを感じたくらいであったが、光を視界に捉えた辺りからは格段に体毛を無視して寒さが身に染み始めた。明らかに道の途中から気温が変化していたのである。
「確かにちょっと寒くなり始めたな。この先に何か待ち構えてるのは間違いない」
「待ち構えてるってそんな大袈裟な。でも、何か違うのはわかるよね」
 安定した光を提供してくれていた炎も、真っ向から受ける冷気を帯びた風に揺らめいていた。そのせいで壁に映る影も連動して激しく揺らぎ、寒さを気にする様子もないティルが無邪気にその変化を楽しんでいた。
 最初の内は煽られて勢いを増していた炎も、一時の盛りを越えた辺りで遂に掻き消えてしまった。一瞬にして認知出来る色を失うが、既に別の光は目前にあり、寒さを凌ぐ為にもアルム達は体を寄せ合って前に進んでいく。
「よし、あと一歩だ」
 相変わらず眩い光の差し込む口の手前まで辿り着いたところで、ヴァローが振り返って全員の無事を確認した。誰も迷子や異常が見られない事がわかると、足並みを揃えて一斉に洞窟を抜け出す一歩を踏み出した。その刹那、一行は目も開けられない程の閃光をその身に浴びて、目が眩んでしまった――。



コメット ( 2012/10/22(月) 12:57 )