エトワール・フィランテ〜星降りの夜の導かれし出逢い〜


















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第一章 漆黒の空間に流れる一筋の星〜出会いと困惑と旅立ち〜
第六話 始まりの一歩〜旅立ちを鮮やかに彩る音色〜
 太陽がちょうど真上まで上り、今までよりも一層強い陽射しが照り始めた頃、アルム達は再び自宅に戻ってきた。アルムはそのまま自分の部屋に入り、リュックを取り出して早速旅立ちの準備を始めていた。シュエットから貰った地図を始め、旅に役立つだろうと思われる道具を片っ端から入れていった。その隣では、ジラーチがその様子を満面の笑みを湛えながら見つめている。
「どうしたの? そんなに嬉しそうに」
 理由は分かっていたが、ここは敢えて聞いてみた。改めてジラーチの思いを確かめたいという考えもあるし、何より自分が旅に出る事に未だに実感が持てず、ふわふわした高揚感を抱いていたからであった。
「だってねー、アルムが何か嬉しそうだから!」
「えっ! 僕が?」
 予想と違う事に驚きながら、ジラーチに言われて部屋の鏡を見てはっとした。自分では気付かない内に、頬が緩んでいたのである。指摘されて少し恥ずかしくなりながら、アルムは棚の奥から大事そうに一つの箱を取り出してきた。中身を知らずに不思議そうにしているジラーチの前でそっと箱の蓋を開けると、中に入っていたのは、一つの小さな涙滴状の白い陶器製の物だった。
「それはなーに?」
「これはね、オカリナっていう楽器なんだよ。ここにある穴を押さえながら吹く物なんだけど、僕の足はそこまで器用じゃないから、上手く吹けないんだ。一度吹いてみたいんだけどね」
 前足で器用に箱からオカリナを取り出すと、ジラーチの目の前に持っていって自慢げに見せた。しかし、説明している間は終始誇らしげな色は消え失せ、残念そうに項垂れていた。
「それも持っていくの?」
「うん。これはずっと前にある人に貰った大事な物だから。“困った時にはこれを吹きなさい。必ずあなたの助けになるから”って言われたんだ。……まあ、それが誰だったかは覚えてないんだけどね」
 曖昧な記憶が脳裏を掠めただけだとわかると、アルムは小さく舌を出して、悪戯っぽく笑って見せた。おどけた表情には構う素振りもなく、ジラーチはアルムの持っているオカリナをまじまじと見つめ始めた。
「どう? 吹いてみる?」
「うん!」
 興味津々の表情をしているのを見て、アルムはオカリナを差し出した。ジラーチは受け取るや否やそっと目を閉じて口元に持っていき、小さく息を吸い込んだ後、吹き口にそっと呼気を吹き込み始めた。
 吹き始めは静かな低音から入り、最初はゆったりとした調べ。窓の外でそよ風に靡いている木々のような流れ。それは曲が進むにつれ、高音を中心とした軽やかな調べに変わっていった。素朴で静かな自然の音を奏でるオカリナとしては少し異質かもしれないリズムだが、何処かジラーチらしさが表れていた。
 その綺麗な音色にも驚きだが、何よりアルムが驚いていたのは、まるで以前から演奏した事があるかのように奏でている事だった。しばらくジラーチの演奏に聴き入る内に、ジラーチの体が淡く蒼い光を纏い始めた。その光は徐々に強く輝いて大きくなっていき、遂には部屋全体を包み込んだ。
「ねえ、ジラーチ! 大丈夫!?」
 大声で呼び掛けてみたが、反応は全く無かった。その内にジラーチの姿を目視出来ない程の眩しさまで達して、アルムは目を瞑ってしまう。音も、光も、色も、何も受容出来ない状態が五秒程続いた時、アルムはふと体が暖かい何かに包まれるのを感じた。まだ触覚で感知出来た心地好い暖かさに浸っていると、突然光が消え、それに呼応するかの如く同時に演奏が止んだ。
「ふう、終わり。はい!」
 ジラーチはまるで何事も無かったかのように一息を吐くと、笑顔でオカリナをアルムに返してきた。とりあえずアルムは素直に受け取るが、すぐにジラーチの身を案じて、異常は無いかと体のあちこちを触り出す。
「ひゃはは! アルムくすぐった〜い!」
「何ともない? 大丈夫?」
「何ともないから放して〜!」
 本人が大丈夫と言う事で、一先ずジラーチから離れる事にした。そして今度は吹いていたオカリナの方を良く見てみると、最初は無かった星印がくっきりと付いていた。良く分からずに考え込んでいると、横からジラーチがアルムの顔を覗き込んできた。
「なっ、何?」
「ねえ、アルム。アルムも一回吹いてみてー?」
 吹けるはずもないと分かっているので最初は止めようと思ったが、あまりにも笑顔でジラーチが催促してくるので、結局は「分かった」と言ってアルムが折れる形で吹く事にした。
 どうせ吹いても一つの音しか出せないんだから――そう思いながら、蔓で出来ている輪っかを首に通してオカリナを首から掛け、優しく息を吹き込んでみた。
 何も穴を押さえていない状態で出る優しい音が響く中、せめてもう一つだけでも高い音が出ればなあ――そう思って名ばかりの演奏を止めようと諦めた時、突如今まで奏でていた音とは別の音が出始めた。
 ありえない出来事に耳を疑った。何故なら、その出た音はさっきよりも僅かに高い音だからである。まさかと思いながら一つの仮説を立てたアルムは、今度は頭の中の譜面に一小節分の流れを思い浮かべながら息を軽く吸い込み、それからもう一度吹いてみた。
 すると、アルムの思い浮かべた通りに、優しくなめらかなメロディーが部屋中に流れた。もちろん息を吹き込む強さによって音の強弱も変わり、吹き込むのを止めると音も出なくなった。思い通りに行った事で舞い上がるアルムに同調するかのように、ジラーチも歓喜の声を上げながら飛び回り出した。
 喜びを全身で表現してしばらくはしゃいだ後で、シュエットの家で見た図鑑に載っていた、“どんな願い事でも叶える力を持つ”というジラーチの説明文を思い出し、アルムは感謝の意を込めてジラーチに思い切り抱き着いた。一方のジラーチはと言うと、何も理解していない様子だが、とにかく真似してアルムを抱き返した。そんな微笑ましくも見える抱き着き合いをしている二人の元に、準備を終えたヴァローが窓から颯爽と現れた。
「これから三人で旅するんだから、そんなのはいつでも出来るだろ? それより、準備はもう出来たのか?」
「う、うん。出来たよ。後はみんなに出掛ける挨拶をしていかないとね」
 やや呆れ気味のヴァローの言葉に、急いでジラーチから離れたアルムはリュックを背負い、家の外へと出ていった。



 玄関から出ると、そこではアルムの家族全員が三人の準備が終わるのを待っていた。旅立つ用意の整った姿が見えると、ルーン達は一様に感慨深げにアルムを見つめている。
「アルム、くれぐれも無理はしないようにな」
「あなたが無事に帰ってこれるように祈ってるから」
 まずは父親のサンダース、続いて母親のエーフィが歩み寄っていき、アルムをそっと抱き締めた。もうしばらく会えない事を改めて実感しつつ、記憶に焼き付けておこうと、目を閉じたまま長い間両親の温もりを感じていた。もちろん親である二人にはアルムの気持ちがわかっていたので、敢えてアルムの方から離れるまで待った。ようやく決心が付いて埋めていた顔を離すのを待って、エーフィは木の実がたくさん入った袋を手渡した。
「ありがとう。お父さん、お母さん」
 見送りとその他諸々感謝する事があり、アルムは笑顔で以って両親に向き合った。しかし、それでも名残惜しい思いは拭いきれず、すぐに悄気(しょげ)て表情を暗くしていた。サンダースとエーフィも不安を取り去ってあげたいと思うが、ここは一人で乗り越える事を期待しつつ、静かに頷いた。
「ヴァロー君。アルムは臆病で頼りないやつだけど、宜しく頼むわね!」
「はい、分かりました」
「リアス姉さん、それはないよ……」
 リアスのからかうような言葉に、ヴァローも苦笑いを浮かべながら応じた。端からそのやり取りを聞いていたアルムは、ますます元気を無くして地面を突いて拗ね始めた。
「もう、冗談よ! 頑張って来なさいね! はい、これは私からのプレゼント。“ぼうぎょスカーフ”よ」
「……うん、ありがとう。頑張る!」
 アルムの反応を見て急いで駆け寄り、頭を小突いて励ましながら、リアスは水色のスカーフを手渡した。それで笑顔を取り戻したアルムは、朗らかな気分で快活な返事を送り出した。
「アルム、多分これから辛い事もあるかもしれないが、くじけずに頑張れよ。オレ達はいつでもここで待ってるからな。それじゃ、これはオレからの餞別だ。“なないろマフラー”って言って、これを身に着けてれば、霰とか砂嵐の時でもダメージを受けないんだ」
 前足でアルムの頭を優しく撫でながら言葉を掛け、ルーンは七色の糸で丹念に編み上げられた鮮やかなマフラーを渡した。しかし、もちろんアルムはプレゼントを受けとって嬉しそうにしてはいるものの、それとは別に少し戸惑っているようである。
「そんな凄い物を僕に? それに、これって貴重な物じゃ……」
 アルムはこのマフラーの珍しさを知っている上で、自分なんかが貰っていい物だろうかと思っていたのであった。その反応を見て大体の察しがついたルーンは、マフラーを丁寧に畳んで、アルムのリュックの中へと押し入れた。
「大事な弟であるお前だから、これを受け取って欲しいんだ。それに、あれはもうオレ達じゃ使えないからな」
「……ありがとう、ルーン兄さん。大事に使わせてもらうね」
 全員との別れの挨拶を済ませ、顔を上げて改めて向き合った。これからしばらくここには戻ってこれないかもしれないと思うと、寂しさから思わず泣きそうになってしまう。しかし、せっかく明るく見送ってもらっているのにここで泣く訳にはいかないと思って、ぐっと堪えて口を大きく開いた。
「それじゃあ、行ってきます!」
 出来る限りで声を張り上げて大きく前足を振って別れを惜しみながら、ヴァローとジラーチとともに、顧みる事なくその場を後にするのだった。







 アルムの家からは少し離れた所にある村の境界線まで辿り着いた三人は、その手前で立ち止まっていた。そうなっている発端は、アルムが素朴な疑問を口に出した事にあった。
「今更なんだけど、ジラーチってのはあくまで種族名だよね? それとは別に、僕達みたいな名前は無いの?」
「うーん……覚えてない! アルム達が決めて!」
『うん……えっ!?』
 予想外の回答が飛び出し、アルムとヴァローはシンクロして驚きの声を上げた。最初はどうしようかと悩んでいたが、その質問を皮切りに何故か(しき)りにジラーチが名前を欲しいと言い出し、考え込んで立ち止まっているのである。
「名前付けてくれって言われてもな……。アルム、どうする?」
「えっと、ニックネーム的なのなら問題無いんじゃないかな? 一応考えてはみたけど……」
 アルムのその言葉を聞くと、ヴァローは少し距離を置いた所で待っているジラーチを呼びに行った。ニックネームとは言え、ジラーチにとっては初めて付けられる名前に変わりは無い。ヴァローはそんな大役を引き受けるのが嫌らしい。
 そんなこんなで、相変わらず明るい笑みの絶えないジラーチが目の前に来て、アルムはやや緊張の面持ちを見せた。一回深呼吸して落ち着いてから、恥ずかしそうに震えた声を発する。
「それじゃあね、ニックネームみたいなものなんだけど、“ティル”ってのはどうかな?」
「うん! それいい!」
 嬉しそうに微笑みながら、ジラーチは大声で無邪気に叫んだ。どうやら気に入ってくれたようで、アルムもほっと胸を撫で下ろす。旅立ち直前にして一段落着いたところで、改めて決意を固めた三人は、見かけ倒しの柵で示されている境界線の上に立った。
「ここから俺達の新しい一歩を踏み出すんだな」
「うん。僕達二人にとっても、ジラーチ――ううん、ティルにとっても。例えどんな過去があったとしても、ここからはティルとしての新しい一歩を踏み出すんだよね。さあ、みんなで同時に行こうね」
「じゃあ、ボクが言うね! いっせーの!」
 ティルの掛け声とともに、三人は力強く跳躍した。そのまま同時に着地すると、互いに顔を見合わせて微笑んだ。そしてそこから一歩、また一歩と故郷を遠ざかっていく事を、土を踏み締めながら感じつつ、村を離れていくのであった。
 この時、三人の背後から旅立ちを祝福するかのように、暖かく穏やかな春風が吹き抜けていった。姿こそ見えないものの、村の全員が、そして植物達までもが三人の旅の無事を祈り、後押しするかのように――。



コメット ( 2012/07/07(土) 13:32 )