エトワール・フィランテ〜星降りの夜の導かれし出逢い〜


















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第一章 漆黒の空間に流れる一筋の星〜出会いと困惑と旅立ち〜
第五話 決意とすれ違い〜アルムの抱える不安〜
 談話で打ち解けた事で、ジラーチはすっかり家族の輪の中に入っていた。皆にも受け入れられた事で、一安心で自分の部屋へと向かうアルムの後を追い、ジラーチとヴァローも中に入っていく。まだお昼頃である事に加え、窓を閉め切ったままで出て行った為か、部屋の中は嫌な熱気が篭っていた。幸い木製の家である為にそこまで酷くはないが、それでも暑い事に変わりは無かった。炎タイプであるヴァローはさほど気にならないようだが、他の二人にとっては耐え難いものであるので、急いで窓を開けて空気の循環を図った。
 ジラーチを捜して疲れたせいか、アルムは窓を開け終えると、休もうとして部屋の中央で横になった。しかし、それを邪魔するかのように、ヴァローは上に乗っかって戯れ始める。そんな二人を意に介さないかのように、ジラーチは窓の方へと飛んでいき、遠くを見遣っている。その様子を不思議に思ったアルムは、上に乗ってるヴァローを軽く振り落として、ジラーチの元へと近付いていった。
「ジラーチ、どうしたの?」
「ねー、アルム。この村の外って、一体どんな風になってるのー?」
 ジラーチは興味津々と言った様子で、外へと身を乗り出していた。アルムの接近に気づくと、振り向き様に笑みと質問を投げ掛けてきた。それに対し、アルムは笑顔を萎ませて口を閉ざしてしまった。
 風の噂や、外に行った事があるポケモンの話を聞いた事はあったが、実際にどうなっているか見た事が無いので、答えられなかった。そして何より恐れている事があった。それを表情から悟られないように、アルムは必死に心の中に隠した。
「ねー。どうなの?」
「そ、それは……」
「ここよりは広くて、楽しい事が待ってるぜ」
 再度聞き返されても一向に答えないアルムに業を煮やしたのか、ヴァローが代わりに応じた。それを聞いたジラーチは興味を持ったらしく、さらに外に身を乗り出し、前方に広がる景色を眺め始めた。その黒くつぶらな瞳はきらきらと輝いており、興味を持った無邪気な子供のようである。彗星から来たのに、近くにいる者を明るく照らす太陽のような存在に思えた。表情を強張らせていたアルムも、自然と笑みを浮かべていた。
「なあ、アルム、ジラーチ。一緒にこの村の外に出てみないか?」
 心に繋がれていた鎖が解きかけていたのも束の間の事だった。ヴァローが突然持ち掛けてきた話に、先程までのアルムの笑顔は、突風に曝された落ち葉のように何処かに軽々と吹き飛んでしまった。
「うん! ボク、外の世界見て見たい!」
 ジラーチに限っては違い、振り向き様に元気な声で答えた。ジラーチの興味は、もう既に外の世界へ向けられているようであった。ヴァローも上手く誘いに乗ったのを受けて、牙を見せて笑っていた。
 そんなヴァローの笑顔の持つ意味を、アルムは嫌と言う程わかっていた。大抵は上手く事が運んでいる時の笑いだ、と。予感は見事に的中しており、ヴァローは表情を崩さずにアルムの方に向き直った。
「ジラーチは行きたいそうだが、アルムはどうなんだ?」
 一番なって欲しく無かった展開になり、アルムの心は大きく揺れ動いていた。行きたくない訳ではないが、まだ今すぐ動き出せる程には心の準備が出来ていなかった。しかし、この状況では多数決になって確実に負ける。それに、あんなに無垢な笑顔のジラーチを見てしまったら、逃げるのにも抵抗があった。
 ふと逃げ道を見つける為に窓の外を見つめるが、寧ろ逆効果な気がした。窓を通って吹き抜けてくる風が、未だに生暖かい部屋の空気を押し流し、アルムの方へと流れてきた。それがただでさえ焦って暑く感じているアルムの体を暖める。とても気持ち悪い感覚だった。
「おーい、聞いてるのか?」
「あっ……うん」
 いつまでも反応がなく呆然としているのを見て、ヴァローはアルムの目の前で手を振って、意識があるのか確認する。ぼんやりしていても、急に目の前に現れた物には反射するため、アルムもようやくそこで我に返った。
「でもさ、外の世界って何があるかわからないよ。それに、もし襲われたりしたらどうするの?」
「大丈夫だって。何があるか分からないから行ってみるんだろ? それに、いざとなったら俺が全力で守ってやるからよ」
 ヴァローから少しずつ目を逸らしながら、アルムは抱えている不安を言の葉に乗せて出した。それとは反対に、ヴァローは右前足で胸を軽く叩き、その自信を誇示した。
 しかし、アルムには逆にその言葉が辛かった。終わりの方の言葉が、特に。自分に突き刺さる視線に耐え切れなくなったアルムは、逸らしていた顔をしっかりとヴァローの方に向け、暗くなっていたとは思えない程の眼光を宿して強く睨んだ。
「それが……その“守ってやる”ってのが嫌なんだ! いつも弱くて守られる側の気持ちなんて、考えた事無いでしょ!? 僕は、いつも弱い立場だから……!」
 目に大粒の涙を浮かべながら、アルムは遂に思いの丈をぶちまけた。その気迫には、長い付き合いであるはずのヴァローでさえも、思わずたじろいで目を丸くした。そして、そのまま二人に背を向けると、アルムは部屋の出口の方へと全力で走っていった。
 さながら“たいあたり”を噛まして扉を勢い良く開けると、そこにはルーンが驚いた様子で立っていた。叫び声を聞いて駆け付けたらしく、様々な感情がとめどなく溢れている弟を見て表情が曇った。
「アルム、どうしたんだ?」
 しかし、いつもなら頼りにするルーンの問い掛けも無視して駆け抜けると、アルムはそのまま家を飛び出していってしまった。







 しばらく家には戻れないと思っていたアルムは、ひたすら森の中を走り続けていた。宛てもなく突き進んでいるようでありながら、実は確固たる目的を持っていた。それは、いつも悩んだ時に来る場所であったから。
 爆発してしまった心が少し落ち着いた所で、アルムは立ち止まった。辺りを見渡すと、さっきの蒸し暑かった部屋の中とは違い、ひんやりした心地好い空気に包まれていた。上風に揺られてざわめく木の葉の音を聞いている内に、高ぶっていた心も徐々に落ち着きを取り戻していった。
 それと同時にアルムに大きな後悔の念が襲ってきた。どうしてあんな事を言ってしまったのだろうと。自分が不安そうにしていたから、ヴァローは安心させる為に“守ってやる”と言ってくれたのだと、ちゃんと心の中では分かっていたのに。それが馬鹿にして言っている訳ではないのだとも分かっていたのに。
 それでも、いつも自分は弱い者なのだと思って自分に自信を喪失していたアルムには、誰かに守られなければならないと扱われるのが嫌だった。自分でも何処か矛盾は感じていた。甘えたいけど弱く見られたくない。そんな自分が一つの意思を持っているはずの存在には感じられず、良くわからなくなっていた。
「僕は、どうしたら……。もういつもみたいにヴァローに顔を見せられないよ……」
 消え入りそうな声を絞り出すと、そのまま顔は地面へと一直線に向かってしまった。何も見たくない。何も聞きたくない。そうして完全に塞ぎ込んで俯いている所に、突如として優しい羽音が、断絶しようとしていたはずの耳元に舞い込んできた。
「こんな所でどうしたのかな? 良かったら家においで」
 羽音が止まると同時に聞こえてきた、アルム自身の意志による音を妨げを物ともしない優しい声。その声の主を確認する為にそっと顔を上げると、先程訪れた長老のヨルノズクのシュエットが、柔和な笑顔を浮かべてじっと見つめていたのであった。







 シュエットの言葉に甘え、アルムは再び家に入れてもらった。無我夢中で走っていたからか、シュエットの家の近くまで来ていたとは気付いていなかった。朝来た時に比べれば暖かくなっていたものの、中はアルムの家よりは涼しかった。そんな家の中央の丸太の椅子の所に腰掛けているように言うと、シュエットは奥の方へと消えていってしまった。
 小さく溜め息を吐きながら、アルムは言われた通りに椅子に座った。しかし、すぐに落ち着かない気がして、立ち上がってうろうろし始めた。何か動いて気を紛らしていないと、後悔の念に押し潰されそうな気がしたからだった。

 焦りが表面化していたアルムの元にシュエットが戻ってきた時、その口には運べるようになっている持ち手が付いたお椀が啣(くわ)えられていた。アルムの前にそれを置くと、辺りはとても柔らかくて気分の和らぐ香りに包まれた。中には暖色である黄色のとろみのついたスープが湛えている。いつも自分を優しく包んでくれたようなその香りに、アルムは覚えがあった。
「シュエットさん、これは……」
「そうじゃよ。いつもお主が悩み事があってこの森に来た時に、家に寄って食べてた物と同じ物じゃよ。さ、食べながらで良いから、何があったか話してくれんかの」
 動揺が隠せずにいるアルムに代わって、シュエットはゆっくりと言葉を繋げた。そして、その翼で食べるよう促し、優しく声を掛けてきた。アルムは小さく頷いて、まずはスープを一口飲んでみる。口の中一杯に広がる温かさと仄かな甘さ。喉からお腹にその温もりが伝うと同時に、心の中も暖かさで満たされていった。相談出来る相手に巡り会い、一息を吐いたアルムは、いつものように悩みと何が起こったかを話し始めた。もちろんジラーチの事も含め、ある一つを除いて全てを。
「――ふむ、そんな事がの。じゃが、まだ話してない事があるじゃろ。全てを話してごらん? 何でも聞くからの」
 話を聞き終えた後でもなお、シュエットは全てを見透かしたように問い掛けてきた。心持ち後退りして驚きながら、アルムは堪らず小さく苦笑いを浮かべた。
「シュエットさんには、隠し事は無理ですね。実は、僕は家族の皆のお荷物になってるんじゃないかと思ってたんです。皆も僕がいるのが迷惑で、旅に行かせたいんじゃないかって」
 最初は平静を装って紡ぎ出されていたが、次第に被っていた仮面は剥がれ、口元を震わせ始めた。シュエットは腰の骨を折るような事はせず、引き続き黙ってアルムの話を聴き入っていた。
「皆は慌てなくても良いって言ってくれるんですけど、それがもしかしたら裏返しで……早く……出て行けって、言ってるんじゃ……ないかと……。そう思うと怖くて……」
 話が進んで核心に至ると、遂にアルムの声は涙声になっていった。感情を吐き出す事に伴って次々と零れ落ちる涙を、もはや止める事は出来なかった。アルムはアルムなりに、プレッシャーを感じていた。
 早く進化して家族の一員として色々と役に立ちたいとも、義務としてそうしなければならないとも思っていた。でも、慌てなくても良いと言われると、何処か皆に甘えてしまった。そうやって過ごす内に、一抹の不安を抱き始めていた。
 本当は必要とされていないのかな。出て行くように言わないのは、家族だから遠慮してるからなのかな――と。そう思うと、“慌てなくても良い”という言葉が逆に重く伸し掛かった。いつか見捨てられたりするのではないかと怖かったのである。
「なるほどの。お主はお主なりに、一人で悩みを抱えておったのじゃな。でもの、あの優しいお主の家族がそんな事を思うはずはないじゃろ? それは、お主が一番分かってるはずじゃと思うがの」
 アルムの気持ちを全て汲み取った上で、長老は落ち着いた声で語りかけた。アルムも弱々しい首を縦に振るが、しかし、まだ何か言いたげに口を開いた。
「でも、本当はどうなのか分からないじゃないですか……」
「それはどうかの。本人に聞いてみたらどうじゃ? ちょうど、お客さんが来たようじゃしの」
 言っている意味の理解出来ていないアルムをよそに、シュエットは入り口の方へと徒歩で向かい、静かにその扉を開けた。その開けた空間の先は、ルーンとヴァローが並んで佇んでいた。二人は何もしていないのに、扉が勝手に開いた事に驚いていた。
 シュエットは二人が表で立ち聞きしている事に気づいていた上で、アルムの思いを聞き出し、全てを聞かせて会わせるように取り計らっていた。粋な長老の行動など知るはずもないまま、アルムは二人と対面する事となる。
「ル、ルーン兄さん……」
 気まずい空気を感じていたアルムは、知らず一歩退いていた。思いの全ての聞かれていた事に対する恥ずかしさと、ルーンを信頼していなかったとも取れる内容に対する申し訳なさが混在していたからであった。そんな心中を察してか否か、ルーンは急いで駆け寄っていった。
「ごめんな、アルム。お前が一人でそこまで悩んでると気付いてやれなくて」
「僕の方こそ、ごめんなさい。ルーン兄さんがそんな事をするはずないのに……。でも、僕――」
「――いいんだ、もう」
 ルーンは言葉を遮ると、アルムを優しく抱き締めた。それは、アルムの心の中で渦巻いていた不安の一つを綺麗に消し去っていった。同時に、アルムは再びあのスープのような暖かさが全身を、心を暖めていくのを感じていた。
「これで、問題は一つ解決したの。残るはもう一つ……」
 シュエットが見つめる先にいたのは、もう一人の訪問者のガーディ――ヴァローだった。俯き加減で、ずっとその場に立ち尽くしている。その様子に気付いたルーンは、一旦アルムから離れてその背中をヴァローの方へと押した。
「先程の話に戻るが、お主はどう考えておるのじゃ?」
 シュエットは改めて問い掛けた。アルムはこの状況に戸惑いながらも、少し考えた後でゆっくりと口を開く。嘘で隠す事も、逃げる事もなく。
「僕は……外の世界に行ってみたい。けど、僕が弱いせいでヴァロー達が傷つくのは嫌なんだ。本当はそれも言いたかったんだけど……ごめんね、ヴァロー。怒鳴ったりして」
「まあ……俺こそ悪かった。お前の気持ちを考えもしないで。でもな、俺がお前を守る事があっても、それは弱いからじゃない。お前が大切な親友だからだぞ? それだけは忘れないでくれよ」
「うん、ありがとう、ヴァロー」
 二人は互いに見つめ合うと、前足を合わせて満面の笑みを見せた。二人の関係が元通りに修復された事が自分の事のように嬉しいのか、その傍らではシュエットが同じく微笑んで何度も頷いていた。
「さて、これで全てが上手く行ったようじゃの。それでお主達は早速旅に出るのかいの?」
『はいっ!』
 二人の心はとっくに一つになっていた。息もぴったりに揃え、シュエットの質問に元気良く応えた。明るい返事を待ってましたとばかりに、シュエットは後ろ手に隠していた筒状の紙を、二人に差し出した。
「これは、この世界の地図じゃ。そんじょそこらのとは違って、細部まで書かれておるから、役に立つぞ。餞別だとでも思って受け取っとくれ」
「はい。今日は本当に色々とありがとうございました」
 深々と頭を下げて、アルムは感謝の意を示す。その表情には、もはや一片の曇りも感じられなかった。それに釣られる形でヴァローも深くお辞儀をすると、アルムと共に足並みシュエットの家を後にした。その後を追うように、ルーンはシュエットに小さくお辞儀をして出ていった。
 家の外に出た瞬間に、アルムはここに来た時には感じられなかった清々しさを感じていた。この森に入った時に自分を責めるようにざわめいていた草木も、今ではそよ風に優しく揺れて心地好い音を立てている。まるでアルムの鬱を増幅させるかのように陽射しを全く通さず、暗い雰囲気を醸し出していたこの森全体も、ところどころに木漏れ日が差し込み、今のアルムの胸中のように暖かくなりつつあった。
 明るくかつ暖かくなり始めた森の中を、アルムとヴァローは楽しげなステップを仲良く刻みつつ、家族とジラーチの待つ家へ引き返すのであった。



コメット ( 2012/07/04(水) 22:37 )