プロローグ(1)
ヤマブキシティの夜は、活気とネオンに溢れていた。
ビルの立ち並ぶ街並に、平日の夜の中にごった返す人々。
彼等は夜の淋しさを知ることはない。
いつまでも続く喧噪や眩しい光が、そう物語っていた。
・・・・・ある一部を除いては。
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「ん?」
男は耳を傾ける。人々のざわめきの音しか聞こえない空気の中で、男は立ち止まって耳を傾けた。
「シバさん、どうしましたか?」
側近の男が話し掛ける。
この二人は夜の街を、ボロボロの武道着を着用して歩いていた。場違い、という言葉が似合う事だろう。周りからのチラチラという目線が痛い。
「・・・・・泣き声が聞こえる、こっちか?」
男は歩きだした。歩道から離れ、路地を歩き、開けた場所とは無縁のエリアに足を運んだ。
「ちょっとシバさん!どうしたんですか?こんな路地裏に来て。」
シバという男は、側近の言葉も聞かずに、耳を傾ける。
・・・・・ぎゃあああ・・・。
「そこか?」
右前にたたずむ古い建物との隙間から、閑散とした通りに響くように、何かの泣き声が聞こえてくる。
シバと側近の男は、その建物の隙間へと進み、声の主を見つける。
「「な!!?」」
「・・・ぎゃあああ・・・ぎゃあああ・・・。」
そこには、身体を震わせながら、地面にうずくまる一人の赤ん坊がいた。
客観的な大きさからみて1才くらいだろうか?このような寂れた路地裏に、何故赤ん坊がいるのだろうか?
「す、捨て子だ!シバさん!早く警察に!」
「待て!まずは救急車だ!この子の身体を見てみろ!」
シバは赤ん坊を抱き抱える。
今は冬。凍てつくような寒い夜。雪でも降りそうな感じだ。
そんな気候の中その赤ん坊は、丸裸で捨てられていた。
それだけではない。
シバの腕に抱かれた赤ん坊から伝わるのは、氷のような冷たさだけではない。
あちこちミミズ腫れで、傷の痕が体中の至る所に見受けられる。
「ぎ、虐待でしょうか?」
「・・・ひど過ぎる。・・・・・早く救急車を呼ぶんだ!」
「は、はい!」
側近の男は駆け出していった。
再度シバは赤ん坊を見る。
「(棒で叩かれた痕に、タバコの火の痕。・・・特に酷いのは、この額だな・・・。皮膚ごとえぐるように削られている。)」
たまたま出血はないようだが、溢れてくる血しょう板や分泌液の量が凄まじい。体中の皮膚から滲みでる液体が地面の泥と混じり、あまりにも不衛生だった。
「出てこい!エビワラー!」
シバはエビワラーを繰り出した。
「炎のパンチで、暖をつくるんだ!」
エビワラーは、両手のグローブから火を発火させ、熱を生じさせる。その熱に赤ん坊を翳すように近づけるシバ。
「(・・・絶対に助けてやる!・・・どこの親だ!こんな酷い事を!)」
怒りを噛み締めるように震えるシバだった。
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シバ side
あれから9年か・・・。
アズサを道場に連れてきた時は、目を丸くする奴が多かったが、今では大分馴染んだようだな。
結局、アズサの身元は掴めないまま。迷宮入りという奴だ。
本来ならばあの時、病院で治療が終われば、市内の託児所へ送るべきだったろう。
だが、あんな傷だらけの、しかも女の子をだ。託児所に預けた所で、あの子に明るい未来はない。必ず傷痕を理由に虐めを受ける。
俺は武道家の一人として、弱き者を見送るような無粋な真似はできなかった。
ヤマブキ空手道場。
ここの師範はこの俺こと、シバが受け持っている。
力自慢の男達が、己の筋力と精神を鍛える為、日夜鍛練を積み重ねる。
その武道という環境の中に、俺はアズサを放り込んだのだ。
アズサは体裁上、俺の子供として登録した。そしてアズサが3才になるまで、実の子のように育児を行った。
・・・・・骨が折れる大義だったと明記しておこう。俺には子がいないから解らなかったが、いざ育てるとなると、やれ泣き止まない上に、やれ懐かない上に、やれ寝ようとしない。
・・・アズサが物心をつき始めた3才まで、本当につらかった。
さて、3才になったアズサに俺は、道着を着せて道場へ連れていき、空手のいろはを叩き込んだ。最初はわからないから、俺が適切に教えてやり、ある程度できるようになったら、門下生の奴らと一緒のメニューを一緒やらせ、毎日空手の稽古に混ぜてアズサを鍛えさせた。
厳しい鍛練に泣く日、強すぎる先輩についていけなくて途方にくれる日。
こどもには酷だろう、しかも女の子だ。
しかし、血は繋がってはいないが、格闘界の王者である、この俺の子である。妥協は許されん。
心を鬼にして、アズサを鍛えていった。
・・・見込みはどうかというと、・・・可もなく不可もなく、といった感じだ。教えた事はすんなり吸収するため、最初は問題なかったのだが、アズサは生れつき小柄な体格だ。力の差では、歴然な差がでてしまい組み合いで何度もやられてしまうのだ。
しかし、アズサには立派な武器があった。
この道場で唯一1番のアズサの武器は、負けず嫌いな性格だった。
何度やられても、何度倒れても、起き上がって全力でやり返す。
畜生畜生といいながらも、負けずに怖れずにかじりつく。
アズサは確かに身体能力はそこまで高くない。だが、諦めないという気合いの入った精神が、アズサを強く、逞しく成長させる事だろう。
・・・・・アズサ、強くなれ。
力だけ強くなっても意味がない。心も強くなれ。そしてその強さを何に生かすのか、それを見つけだすんだ。
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アズサ side
・・・・・・シバがいなくなってから、一年がすぎた。
おれはシバの事が大好きだった。
でも、もうこの道場にシバは帰ってきていない。
この道場で住み込んで、つらい鍛練をするようになったのは、シバがいたからだった。
おれはシバを慕っていた。
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朝6時に起きて、朝の掃除をする。番付で一番下のおれは、仕事がたくさんあった。
先輩達のメシの準備、鍛練道具の補修、雑用。
なんでおれだけこんなことを?
シバは、目上の人を敬う事は武道家では当たり前の事だと教えてくれたから、なんとか耐えてきた。
でも、もうシバがいなくなって一年経った。
今は・・・・・。
「オラチビ!こっち来てマッサージしろ!」
「床が抜けてるぞ!修理しとけよ!」
「道着の洗濯まだかぁ!?」
・・・最近でしゃばっている穀潰しのバカ男共。シバの前では何も言わないくせに、いなくなるとすぐにおれをだしに使う。
「オラ!買い出しに行け!」
「けっ、しけた面しやがって。」
「ぎゃはははははは!」
・・・・・なんでおれがこんな奴らの為に・・・!
おれは手に持っていた掃除道具を床に叩きつけた!
「いい加減にしろてめぇら!なんでおればっかり!ふざけんなよ!」
怒りにわなわな震える。
「このチビ!先輩に向かって!」
「お仕置きが必要だな。」
「よし、十人組み手だ。」
周りでダラダラしていたバカどもが、おれを囲んでいく。
「この野郎が〜。」
おれは歯を食いしばる。
「稽古つけてやるぜ、かかってきな。」
「弱い奴が雑用をやる。昔から決まってる事だ。雑用が嫌なら勝てばいいだろ。」
「ま、てめぇみたいな小柄なチビガキ、指一本でもお釣りが来るぜ。」
「ぎゃはははははは!」
蔑むような目で馬鹿にする男共に、おれはもうキレた。
「うがああああぁぁぁぁ!」
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道場の外のまきわり場。
その小さな広場には、いくつもの木の棒が突き刺さっており、それらひとつひとつに藁(わら)が巻かれていた。
そこで技の練習をしているサワムラーやワンリキーやマクノシタ。
おれは、ボロボロになった身体を引きずりながら、その広場にやってきた。道場の壁のへりに座り、押し黙る。
口の中が鉄臭い。目が腫れて痛い。顔中擦れてヒリヒリする。身体中のあちこちが痛い。吐き気もする。
なのに、心は死んでいない。
今でも、やつらとの再戦の為に努力しろと、おれに心が問い掛ける。
「・・・・う・・・・ぐす・・・・うぅう・・・・ち・・畜生・・!」
悔し涙が道着を濡らす。
おれを心配したワンリキーが、おれに寄り添って背中を叩いてくれた。
・・・ここの道場は、人間とポケモンが共同で鍛練する。だから、道場に来るのは武道を習う者だけでなく、トレーナーも多い。ポケモンバトルが目的で来るからだ。その勝負で道場生が全員負けたら、看板を差し出さないといけないから、皆鍛練を欠かさない。
「・・・・・いいよな、ポケモンは。みんなに好かれてよ。」
おれはため息をつく。
ワンリキーは首を傾げている。
「おまえら、おれと同じで小さいけど、力も強いし、バトルも強いから、優遇されるんだよな。・・・・・でもおれは違う。・・・あいつら、体格でかいだけでさ、おれよりいい大人のくせに、何でも押し付けやがって!・・・体格さえ・・・身体さえでかくなれば、あんなやつら・・・・・・。」
おれはまた塞ぎこんだ。
「こら!ワンリキー!鍛練を続けろ!」
・・・馬鹿男の声で、ワンリキーはキビキビと練習を再開した。
ズカズカとおれに歩み寄ってきた。
「雑用!こんなところでサボりやがって!こっちへ来い!」
・・・襟首掴むなよ、痛ってえなぁ。
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おれは道場に担ぎこまれ、床に投げ出される。
「いって!なにしやがる!」
おれは声を張り上げた。
「ふん、雑用。お前にはほとほと愛想尽きたぜ。」
年上の道場生がおれをずらりと囲む。
「聞いてくれ、お前ら。このガキときたら、さっきあれだけ痛い目にあったにもかかわらず、『体格さえあえば勝てる』などと言ってやがったぜ。」
辺りから爆笑の渦が。
「・・・何が可笑しいんだてめぇら!シバがいなくなってから、たいして鍛練もせずに雑用ばっかり押し付けてるてめぇらに!負けるはずねぇんだよ!」
顔を真っ赤にして怒鳴った。
「けっ、笑わすんじゃねぇ!」
「俺達は昔からてめぇの事がきにくわなかった。俺達のシバさんに馴れ馴れしくしやがって、弱いくせによ。」
鼻をならす男ども。
「少なくともてめぇらよりも認めてくれてたよ、バーカ!」
「・・・・・ガキ、未だにそんな事いってんのか?」
「な、なんだよ!?」
「なんでシバさんが出ていって帰ってこねぇと思う?簡単だよ、てめぇが弱すぎて愛想尽きちまったんだよ。」
・・・・・・・なに言ってんだこのバカ。
「今では四天王の座さえも辞して、武者修行に出たとかいってるが、シバさんは今、力に飢えてるんだよ。てめぇみたいな弱い奴、もう眼中にないんだよ。」
「シバはそんな人じゃねぇ!」
シバを馬鹿にしやがって!
おれは、目の前の男に蹴りを放つ。
しかし受け止められ、床に叩きつけられた。
「ぎゃあああああ〜〜〜!!」
痛みのあまり声が出てしまう。さっきのリンチで、蹴りに威力が無くなっていた。
床に疼くまったおれに、嘲笑を浴びせる馬鹿ども。
「おいガキ、てめぇは弱い。」
「そうだ。雑用もロクにできねぇ、先輩に刃向かう、そして弱い。」
「おまけにチビ。」
「なんでこんか傷だらけのガキ拾ってきたんだ、シバさん?」
「さあな、大方、道場の鍛練でケガさせても、虐待の傷があるからごまかせるし、いい練習台だと思ったんじゃね?」
・・・!!!?
「・・・シ・・・シバは・・違う!」
「何が違うんだ、忌み子が。」
!!?
「おい、言い過ぎだぞ。」
「かまうかよ。てめぇみてーなよぉ、虐待するよーな親から生まれたガキが、俺達のシバさんに何しよーってんだ!?」
「・・・・ち・・・違」
「違わねーよ!てめぇは俺達を穀潰しだとか言うがよ、虐待親子よりも百倍マシだぜ。」
「そーだ、ちげぇねぇ!」
「・・・・シ、シバは、おれの親父だ!」
頭が割れるように痛くなる。でも、おれは胸を張って言い放った。
だが・・・。
「・・・てめぇ、傷だらけの汚ぇ忌み子がシバさんの娘だとぉ、シバさんもいい迷惑だ。」
おれは髪を掴まれ、おでこの傷が露わになる。
「おげぇ!改めて見るとひでぇな!グロいぜ!」
「これが9才の女の身体かよ!?」
「どこの難民だこりゃ?」
「ぎゃははははははははは!」
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・・・・・・おれのこころは
・・・・もう、何も言わなくなった。
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たたき出されるように道場を出た。
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おれは、虐待を受けたこども。
だから、愛情は受けない。
例え、シバが帰ってきても。
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ボロボロの道着を着たまま、裸足で道を歩く、目の焦点が合わない、もはやどうでもいい、なにもしたくない、まず、シバから離れなきゃ・・・・・。
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何のために、強くしようとしたの、シバ。
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みんな、おれの事弱いって。
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あのつらい毎日は、なんだったの?
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・・・おれのこころは
・・・・・何も、答えなかった・・・。
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センリ side
「(やれやれ、ポケモンリーグ協会の会議でカントーまでくると、さすがに疲れるな。)」
ジムリーダーに就業して、節目が過ぎると唐突に仕事が忙しくなる。こうも出張の数が増えるとはな。
「(当分、家族と顔を合わせてない。・・・いっその事、皆をホウエンに呼んで引っ越すか。)」
自分の時計を見た。AM.12:30
まずいな、終電に間に合うか?
今俺はヤマブキシティにいる。仕事の関係で、ヤマブキジムのナツメ君との所用を済ませた。リニアモーターで我が家へ帰ろう。
俺は駅のロビーについた。
さすがにこんな夜中に利用客はなく、閑散としていた。
「ええと・・・、なんだ、夜中の二時ぐらいまでやってるんだな。」
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俺は切符を買い、駅のホームで電車をまった。
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普通ならば、電車がくるのを待ち、やってきた電車に乗って帰り、久しぶりの家族の団欒を楽しむ。
そう、普通ならば。
ホームのベンチの下で、寝そべっている人影のようなものが見えた。
「(なんだ、酔っ払いか、まったく。)」
電車がやって来た。
ライトがホームを照らす。
ベンチの下にいた物影のシルエットが明らかになる。
「子ども!?」
俺はすかさず、20m先にあるベンチへ走りだした。
改めて子を見る。
「な、なんてことだ。怪我をしている!」
俺はその子を安否を確かめた。
「大丈夫か!?しっかりしろ!?おい!?」
道着を着た子は床に寝そべり、動く気配がない。俺は頬を叩き続ける。
「(この道着、確か、ヤマブキジムの隣にある道場か!?)」
「・・・う・・ん・・。」
目を覚ましたようだ。
「大丈夫か君、こんなところで 「来るなあああ!!」
ブンッ!!
「ぅわっ!?」
な、なんだ?何が飛んできた?拳か?
たまたま当たらなかった為、空を切る音が響いた。
「近づくんじゃねぇ・・・!」
俺を蛇をも殺すような凄い勢いで睨みつける。
・・・こ、こんな子があんな目をするとは・・・。俺の息子と同い年ぐらいだぞ?しかも、よくみると女の子か?
「・・・はぁ・・・はぁ。」
・・・・・あんなに衰弱しながらも、俺への警戒を微塵も緩めない。
俺は目の前の道着を着た女の子の目をじっとみた。
「(・・・・・・・・なんて・・・・孤独な目なんだ・・。)」
・・・・・・電車は行ってしまったか。
辺りが再び、暗闇に支配される。
俺は、膝をついた。その子と同じ視線に立つように、優しく語りかけた。
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「・・・君の助けになりたい。よければ、話してくれないか。」
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少女の目がピクリと開いた。
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「・・・・・・お、おれは・・・。」
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少女の目に、精気が戻る。
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「・・・・・・い、忌み子なんかじゃ・・・。」
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少女は再び倒れた。
「!?・・・出てこい!マッスグマ!」
俺はマッスグマを繰り出した。
「マッスグマ、その子を連れて、急いで市内の病院へ連れていってくれないか?私はやることがある。」
「マッス!!」
マッスグマは頷くと、少女を背中に背負い、トテトテと走っていった。
俺はポケナビを操作して、耳にあてた。
「・・・・・もしもし?・・・・ああ、私だよ。・・・・・・すまないが、今日は帰れそうにない。・・・・・・・・・ああ、明日には帰るから・・・・・・ありがとう。・・・・それじゃ。」
ポケナビを切り、ポケットに入れながら、駅をでて左に曲がる。
「(確か、ヤマブキジムの隣だったな・・・!!)」
俺から別の感情が逆立ち、身体を熱くさせる。
「(相手は格闘ポケモンの使い手か。・・・・・・・不足なしだ・・・!!)」
怒りでこぶしを固く握る。歩く足が早まる。眉間にシワを寄せる。
「(・・・あんな幼気な子に・・『忌み子』だと・・・!?
・・・・・絶対に許さんぞ!
・・・・そんな道場・・・・この俺が叩き潰してやる!!!)」
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