2日目 その1
街の路地裏の、ダンボールが無数に積まれている場所に、僕たちは隠れていた。
「……」
急にどっと疲れが出た気がする。
僕はクレセリアに自由を奪われているだけだ。
それなのに、それなのに。
こんなにもおおごとになるとは思わなかった。
ダンボールの隙間から、薄く光が差し込んでいる。
この隙間から、いつ誰が目を覗かせるかわからない……
街を逃げている間にも、多くの人々が僕を指さして、
「あ!あいつ指名手配犯じゃないか!?」
「ちょっあれ……!」
「おい!お前!待て!」
僕に対して、明確な敵意を持っている者。
「やべ!逃げろ!俺らも殺される!」
「ちょっ!こっちこないで!」
「ぎやああああ!天国のばあちゃん!助けて〜〜〜!」
僕からひたすら逃げる者。
「お、指名手配犯さんじゃん!ち〜っす!」
「すっげ〜!犯罪者生で見た〜!」
恐れを知らず、茶化す者。
ようやく雑踏から抜け、僕たちは今ここにいる。
「……疲れた?」
「いえ……大丈夫です」
クレセリアの力で生き延びられている……とはいえ、流石に疲労の色は隠せない。
「……」
僕も、疲れていないが、疲れた。
精神的に激しく蝕まれている。
(フン。ポケモンが使えなくなった途端に弱気か。人間とは愚かしいものよ)
「黙れ……元はと言えば、全部お前のせいだろ」
(ふ、果たしてそうか?お前が私が力を分け与えた秋月に気づかなければ、
お前はこのように一度死ぬこともなく、人を殺すこともなかったのだぞ?
私ばかりに責任を押し付けられても、困るというものなのだが?)
「だけど、僕があの二人を殺すよう仕向けたのはお前だし、警察から逃げるよう仕向けたのもお前だろ!」
(さぁ、どうかな?)
あくまでとぼけるクレセリアに、怒りがこみ上げる。
「お前……もういい!僕を殺せ!」
「ちょっ……赤城さん!?」
「こんなふうに犯罪者になってまで、僕は生きたくない!
僕は……僕は普通に暮らしたかっただけなんだ!」
大声を上げる。
周りに聞こえるかもしれない?
構うものか。
もう僕は普通に暮らせる権利を捨てられているんだ。
今更見つかって、警察に捕まったところでどうでもいい。
「やめて!やめてください!」
秋月さんが懸命に僕の衝動を抑える。
ゴトゴト!
「!?」
大きな音がなった。
「あ、赤城さん……!お願いです、抑えて……!」
「……」
なんだ?
なにか不思議な感覚だ。
あれだけ自暴自棄になっていたのに、秋月さんの言葉ですぅっと落ち着いてくる。
僕は念のため、落としてしまったダンボールを積み直す。
……なんでかはわからない。
秋月さんをかばおうとしたんだろうか。
だが、正直ダンボールを積み上げただけで、それで目くらましになる訳もなかった。
……隠れる気はない。
最悪、僕が秋月さんを守れば……それでいいとも思っている。
「……」
その「人物」は、ダンボールの目の前に立ち、
ゴト。
ダンボールをどかした。
「……!」
女の人だった。
「り、里穂……!?」
里穂?
秋月さんの……知り合いだろうか?
「あ……あの……」
女の人は、僕を少し見たあと、まるで一時停止ボタンを押したように動かない。
「ゆ、ゆかりさん」
痺れを切らしたかのように、秋月さんが発言する。
「な、何やってるんだ。里穂」
「実は深い事情が……後に、必ず話します。だからここは、見逃してください!」
頭を下げる秋月さん。
「見逃す……?」
なにか声が聞こえてくる。
「イッシュ地方ヒウンシティ署の発表によりますと、今日午後7時30分頃、
ヒウンシティのモードストリートの路地裏付近で発生した二人組の男性が殺害される事件に対し
先程、二人組の男性を殺害したとみられる容疑者を指名手配しました。
指名手配されたのは、ヒウンシティ在住とみられる、赤城 大和容疑者。17歳です」
僕にはよく聞き取れなかったが、おそらく僕の指名手配のニュースだろう。
「……」
無言で見つめる秋月さん。
「……」
するとその女の人は、
ゴト。
何も聞かずに、ダンボールを元に戻してくれた。
「……ありがとうございます」
秋月さんが小さく言う。
「……」
丁寧にも、ダンボールをさらに高く積んでくれたようだ。
「……今の人は?」
「黒木 ゆかりさんって人なんです。先程私、お話しましたよね。
私の兄は……秋月 竜二は、マーシレスキングラーに殺されたと」
僕があの二人を焼き払う前だ。
「ゆかりさんは、そのチームのヘッド……つまり、リーダーさんなんです」
「え?」
「そうだ。わりぃのは{クロキ}なんだよ。あいつがこのマーシレスキングラーを破綻させたんだ」
「でも、あの男は、黒木って人がマーシレスキングラーを破綻させたって……」
秋月さんは、無言で首を横に振った。
「ゆかりさんは、人殺しなんて絶対にしない人です。それに、ゆかりさんには、本当に可愛がってもらいましたから」
「可愛がって……もらった?」
つまり、不良グループのリーダーが後ろ盾にいるわけだ。
もしかして、秋月さんって……
僕の頭の中に、凶悪な顔をした秋月さんが思い浮かんだ。
「……?赤城さん?」
「え?あ、いや、なんでもない」
だが、それだと疑問が残る。
「ねぇ。じゃあさっき会った{ヘッド}って呼ばれてた人は?」
「あの、青い髪の人ですか?あれは全然知らない人ですよ」
「でも、ヘッドって言われてたし……それに、もう片方の人は桐生って」
そう言うと秋月さんは、くすくすと笑った。
「お世話になっているゆかりさんの顔ですもん。見間違えるはずもありませんよ。
それに、私は桐生と言う人には会ったことがありません」
「そ、そうなんだ」
では、あの女の人は一体?
「……」
「少し、寝るかい?」
僕が秋月さんに言うと、秋月さんはこくりと頷いた。
……冷たい感覚が頬にあたって、僕は……
「……!?」
目を覚ました。
しまった。
僕もつい一緒になって眠ってしまった。
「……」
となりではすーすーと、秋月さんが眠っている。
「……」
雨が降っている。
空はまだ少し暗かった。
時間はどれぐらいだろう。
とりあえず秋月さんだけでも濡れないように、ダンボールを動かす。
キミたちに話しておきたいことがある
明日の午後2時 ヒウンシティの北 4番道路に来て欲しい
ルカと言う人が言う、{話したいこと}とはなんなのだろうか……?
だが、今日の2時まで逃げ切れる自信がない。
指名手配されてしまった以上、僕の身の回りにいる人間……
それはみんな、僕に対する「敵」だ。
「……」
そうだ。母さんだ。
母さんに会って、事情を話せば母さんは僕を守ってくれるはず。
ルカさんに会うのはそれからでもいいはずだ。
「ん……」
目を覚ます秋月さん。
「あ、赤城さん。ごめんなさい。私だけ寝てしまって……」
「い、いや、大丈夫。大丈夫……だよ」
僕も寝ていた。なんて言えない。
(ふん。貴様も寝ておいて、よく言うな)
だがクレセリアは簡単にネタばらしをしてくる。
「う、うるさい!」
とにかく、母さんに会うために、早く移動しないといけない。
だが迂闊に街を歩くと、昨日の仮面に会う可能性もある。
こっちはブースターも使えない状況だ。
秋月さんはトレーナーのようではないようだし、戦う力はないだろう。
だとするならば、今あの仮面に会ってしまうと、もはや打つ手はない。
ポケモンセンターなんて、指名手配中の僕が使えるはずもない。
げんきのかけらさえあれば。
せめてブースターのひんしさえ治すことが出来れば、一応戦うことは出来るだろう。
だが、昨日戦ったキリキザンの仮面には、まるで手も足も出なかった。
ブースターは本来、相性がいいはずなのに。
「……」
どうしよう。もう少しじっとしておくべき……だろうか?
「……?」
その時、秋月さんが身を縮こませた。
「どうしたの?秋月さん」
「何か、声が聞こえませんか?」
声?
「……」
確かに、ボソボソと何か声が聞こえる。
「しかし、アオヤギちゃん引退って、本当系?」
「本当なんじゃないっすか?昨日からずっと噂になってるっすけど」
「まいったなあ。もし今日こなかったら、誰がキサラギ ミコトをやる系?」
「知りませんよ……最悪そこらへんの代役を担ぎ上げるしかないでしょう」
アオヤギ……引退……
「あぁ、アイちゃんが引退するって奴だろ!?見た見た!」
「嘘だろ絶対!今まさにノリにノッてるアイドルなのに!てか、ドラマの撮影も決まってるのにどうすんだろう!?」
昨日学校で聞いた話のこと……だろうか。
「ま、事実ならしょうがない系か……ん?なんだあれ」
男の声は、そこで途切れた。
「……」
学校……か。
こんな姿で行けるわけがないし、行ったところで僕のことをみんな、訝しげに見るだろう。
僕は今「指名手配犯 赤城 大和」なのだから。
ゴトン
「!?」
その時、ダンボールに何かがぶつかった。
「こんの……口だけ番長があああああああ!」
「あぁ、待ってよハチビットさぁん!」
「ま、待てぇ!訂正しろぉ!」
それと同時に、大声が聞こえた。
「あ、赤城さん!」
秋月さんが指を差した先に……
「!?」
げんきのかたまりがあった。
「こ、これ……さっきの人が?」
しかもなぜか、かたまりには「A.A」と言うイニシャルも掘られている。
「……」
だが、せっかくのチャンスだ。
それに、投げ捨てるようにここに落ちてきたということはもう必要もないのだろう。
僕はそのげんきのかたまりを細かく削って、ブースターに振りかける。
(人のものを使ってまで、自分の身を守りたいか。それでこそ人間だ)
「お前は黙ってろ」
ブースターは、すっかり元気を取り戻した。
「……」
これなら、多少は戦えるはず。
仮に倒せないとしても、ブースターの力を使えば足止めにはできるはずだ。
……今なら、いけるかも知れない。
「秋月さん。ちょっと、行きたい場所があるんだ」
「行きたい場所……はい。いいですよ」
「……僕の家に、来てくれないかな。僕の家に行けば、服もあるから変装も出来るだろうし、
それに、母さんに事情を説明すれば、母さんもわかってくれるはずなんだ」
しかし秋月さんは、暗い顔をしていた。
「どうしたの?」
「……なんだか、嫌な予感がするんです。行くのはやめておいたほうが……」
「……」
秋月さんの言葉には、確かに説得力があった。
ここで母さんに会う。事情を説明する。
でも、それで母さんは「うんわかった」と言ってくれるだろうか?
クレセリアの力を借りてしまったとはいえ、人を殺してしまったのは確かだ。
「……でも……それでも。何も説明しないよりマシだと思うんだ。
僕は……母さんにだけは言いたいんだ」
「赤城さん……」
すると秋月さんは、僕の思いを汲んでくれたみたいで、
「わかりました。私もお付き合いします」
「ありがとう」
僕は秋月さんに頭を下げた。
(フン。くだらん馴れ合いだな。人間同士の絆など、簡単に打ち砕かれるものだ。
お前は人間を信じすぎている。親、友、家族、どのような関係であっても、容易に砕かれるのが人の絆だ。
その脆さ、身をもって知りたいのなら、勝手にするがいい)
幸いにも、仮面の人間たちには会うことなく、セントラルエリアのそこへたどり着くことができた。
うどん・そば あかぎ……
どうしてだろう。昨日1日帰らなかっただけなのに、随分久しぶりに帰った気がする。
「……」
僕は覚悟を決めて、引き戸に手をかけた。
ガラガラガラ
店内には出汁の香りが立ち込めている。
「……母さん。ただいま」
僕は思い切って言った。
時計の針は、今11時の鐘の音を鳴らしていた。
「……」
母さんが奥から出てきた。
「……まだ、営業時間前です」
なぜか僕に、敬語を使ってくる。
「か、母さん?」
上半身裸+手には手錠。そして雨でずぶ濡れ。
こんな姿の息子を見た親は、どんな言葉を言うものだろうか。
「……何しに戻ってきたの」
「……か、母さん」
「あのね。大和。私はあなたをこんな子供に育てた覚えはありません」
「……」
母さんはあくまで冷静に、僕に対して語りかけるように言葉を紡いだ。
「ニュースを見たわ。教えて。どうしてあんなことをしたの?」
「そ、それは……」
なんと言えばいい?
相手に襲われそうになったから?クレセリアに操られているから?
「……」
無言でいる僕に、母さんはしびれを切らした。
「……大和。もういいわ」
その時、
ジリリリリリリン!
家の電話が鳴った。
「……もう、誰かしら?こんな時に……」
母さんが電話を取る。
「もしもし?……はい。はい。そうですが……いいえ、すいません。
息子が家出して、今出前ができない状況なんです。はい。……はい。
わかりました。またお願いします。申し訳ございません」
僕が……家出?
「か、母さん……?」
「……」
そして母さんが、僕の方を向き直す。
「……大和」
「……あなたを勘当します」
……
意味がわからなかった。
いや、勘当の意味ぐらいはわかる。いくら頭の悪い高校にいても。
だけど、僕は信じられない気持ちでいっぱいだった。
「……か、母さん」
「話は以上です。早く出て行って」
「ち、違うんだ……母さん」
「出て行って!」
心配そうに見守る秋月さん。
「いいから出て行きなさい!もう帰って来なくていいわ!警察にでも捕まりなさい!」
「……」
わかった。
そう、僕は言葉をだそうとした。
こうなることは正直わかっていたから。ショックはなかった。
しかし、僕の体は勝手に動いて……
「ならば、お前も不要なる者だ。ここでその存在を跡形もなく消してやろう」
「!?」
「僕」の体はモンスターボールに手を伸ばし、ブースターを出していた。
そして僕の口が、勝手に動き出した。
「や、大和……!?あなた、まさか……!」
ブースターの炎が、徐々に勢いを増していく。
や、やめろ……!それだけは……やめろ!
(どの道失うことは必定の絆だ。どのようにして失おうが勝手であろう?)
やめろ、おねがい……!
ゴオオオオオオ……!
おねがい……やめて……!
その技を……やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおお!