傷ついたマンタイン
むかし、私の家の近くの浜に、傷ついたマンタインが流れ着いたことがあった。それを初めに見つけたのは、散歩中偶然通りかかった、若かりし頃の私だった。
そのマンタインは、波から体を半ば突き出すようにしてうずくまっていた。青黒いぬめりとした肌が、日を浴びててらてらと光っていた。
私はぎょっとして一瞬立ち竦んだが、すぐにマンタインに駆け寄った。話で聞いて想像していたのより、ずっと大きかった。衰弱しているのか、ぴくりとも体を動かさないので、私は少々焦った。
誰かを呼ぼうか、とも思ったが、人が来るのを待っているうちに、マンタインが干からびてしまうのではないか、という考えが頭をかすめた。
どうしようどうしよう、と迷っていたら、マンタインがうめき声のようなものをあげた。ひれをゆっくりと動かすと、回れ右をして、体を海の中に浸からせた。
まだ、泳ぐ力は残っているのかもしれない。私はそう思った。幸い、近くの入り江に洞窟がある。そこで休ませてやろう、と思って、私はありったけの力をこめてマンタインの体を手で押しやった。
私は服が濡れるのもかまわず、懸命に、押し続けた。洞窟に着くころには日が暮れていた。
洞窟の暗がりのなかで、マンタインの二対の目が光っている。私は磯のにおいがするマンタインの背を撫でながら、すごく遠くまで来たような気がしていた。
マンタインの傷は小さいが、深かった。右ひれのあたりににあるその傷に触れると、大きなその体がぴくりと揺れた。やっぱり、痛いのかなあ、と私は思った。
お前、どこから来たんだい
そう訊ねると、マンタインはそれに答えるように、体を仰向けにひるがえした。水しぶきが飛んで、私の口にも少しだけ入ってしまった。しょっぱい塩水を飲んでしまって、私はげほげほとむせかえった。
あしたは、薬をもってきてやるから、もう少しだけ、我慢しててな
私はそう告げると、もう一度だけマンタインの体をさわさわと撫でてやってから、浜にあがった。それから裸足で歩いて家に帰ると、こっぴどく叱られた。
その晩はよく眠れなかった。夢のなかには、暗い海の中をひらひらと泳ぐあのマンタインの姿が浮かんでいた。それに触れようと私は手を伸ばすのだが、するりと逃げられてしまうのだ。
私はその朝、誰よりも早起きだった。ベッドのシーツをはねのけると、キズぐすりと食べ物を携えてすぐさま浜に向かった。足の裏にあたる砂の感触が、さらさらしていてなんとも心地良かった。
入り江の洞窟に向かうにつれて、私の心臓はどくどくと波打ってきた。もしかしたら、いじわるなサメハダーにいじめられていやしないだろうか。食べるものがなくて、お腹がすいてはいないだろうか。
そんなことを考えているとますます不安になってきて、私は駆け足で洞窟に走っていった。
膝から下を水に浸からせて、洞窟の中を見回したが、あの大きな影はどこにも見当たらなかった。私は水をあびたようになって、外に出た。
すると、沖の方に、二匹のマンタインが、水しぶきをあげながら連れ添って泳いでいくのが、遠目に見えた。
そのうちの片方の右ひれには、見間違えようもない、あの傷跡が刻まれていた。
私は、胸に大きな穴が開いたような気がした。
それから、しばらくの間、私は美しい二匹の姿を茫然と見つめていたが、やがてそれが水平線の彼方へと消え去り完全に見えなくなってしまうと、敗者の面持ちで、海と反対側に歩き出した。
あれから時は経ったが、私は、あの洞窟のなかでぎらりと光った二対のひとみを、いつでも心のなかに思い浮かべることができる。私を翻弄し、別れの挨拶もなしに去っていったあの妖美なポケモンは、私の心を見透かしていたのではないか、とさえ思えるのだ。