第4話 悪夢
水のせせらぎが聞こえる。
瞼を持ち上げると、日の光が目を刺した。
俺は上体を起こした。
遠く澄んだ空、風に揺れる草木、花が芳しい匂いを放っている。青々とした山が聳え、その景色は雄大だった。
隣で寝ていた筈のカルロスは、影も無かった。だがそんな事はどうでも良い。
俺が望んでいたのは、こういう世界だ。
もう剣を握らなくて良い。
起こしていた上体を倒し、空を仰いだ。
いつまでも、いつまでも、ただ自然の流れに任せ、世界が廻る。
誰のエゴも干渉しない、最高の世界。
瞼を下ろそうとしたその時だった。
無数の火矢が、空を覆った。
慌てて立ち上がると、さっきまでの景色は見る影も無くなっていた。
川は枯れ、草木は焼け、山々は巨大な火だるまと化している。
醜い火の海が広がっていた。
混乱はやがてどす黒い憤怒となり、俺は腰に手を伸ばした。
しかし剣は無かった。
視線を下ろすと、無数の屍が転がっていた。
訳も分からず、俺は走り出した。
踏みつけ、越えていく度に、屍は破裂し、生温い血肉が俺の身体に纏わりついた。
火矢は絶え間無く飛来し、世界を焼いていった。
もうあの美しい世界は無い。
走っている内に、何かに躓いた。世界が反転し、俺は屍の山に突っ込んだ。
身体を起こすと、無数の屍は消失し、それだけが横たわっていた。
「あ…」
それは、思い出したくもないあの日の―――――
悪夢で目が覚めた。テントの天井が広がった。
妙に現実味がある悪夢だった。
肌を撫でる風の感触や、草木の焼け焦げる臭いなどを、鮮明に感じ取れた。
右に視線を向けると、カルロスが寝息を立てている。
(…気味が悪い)
頭が割れるような頭痛がした。
身体を起こし、テントの幕を上げて外へ出た。
山々の間から太陽が顔を覗かせ、光が何本も漏れ世界を照らした。
俺は目を細めながら、昨夜剣を磨いた川に向かった。
冷えた水を手で掬い、喉へ流し込んだ。何度も喉を鳴らして水を飲んだ。
身体の隅々まで染み渡り、ようやくあの悪夢から解放された気がした。頭痛も治まった。
そうして俺はテントへ戻った。
戻ってくるとカルロスが、目を擦りながらテントから出てきた。
「おはよう、オケアノ」
カルロスはひらひらと手を振った。
「…とっととテントを片付けて、ここを離れるぞ」
俺はいつまでもこいつと居る気はない。
早いところ俺は、こいつを仲間とやらと合流させて、また独りになるのだ。
そうして、死ぬまで独りで戦い続け、勝ち続ける。例えそれがカルロスであっても、カルロスの仲間であっても。
「そう言えば、随分うなされてたみたいだね。大丈夫?」
バピデス王国領のベルヒエという町までの道中、カルロスが話し掛けてきた。
俺は無視した。お喋りする機など更々無かった。
「ねえ、僕は心配してるんだよ」
カルロスは食い下がってくる。
「悪い夢でも見たの?」
その一言で、忘れようとしていたあの光景が蘇った。
俺はカルロスを突き飛ばした。
「な、何するんだよ!こっちが心配してるのに―――」
カルロスは血相を変えて俺に詰め寄った。
「黙れ!それ以上口を開くな!」
俺の剣幕に、カルロスは怯んだ。
それ以降、カルロスは口を開かなくなった。
俺は地図を取り出し、ベルヒエまでの距離を確かめた。どうやら半分は過ぎたようだ。
ベルヒエに行く理由は、カルロスの仲間の情報を集め、早急にこいつと別れる為だ。ただのそれだけだが、今の俺にとってそれは最重要事項だった。
空を仰ぐと、日が昇りきっていた。
そう言えば、朝から水しか口にしていない。歩き通しで腹が減っていた。
俺は背嚢からパンを取り出し、それを齧った。なんの事はない、ただのパンだった。
横ではカルロスが、恨めしそうに視線を向けていた。図太い野郎だ。
「食いたきゃベルヒエで食うんだな」
俺はそう言って、最後の一口を胃に収めた。
それからはまた、沈黙が始まった。
「…悪かったよ」
暫く歩いていると、カルロスが沈黙を破った。
何を今更謝っているんだ、と思った。悪くて当然だ。
俺は後悔していた。
あの一騎討ちで殺せば良かった。その後だってそうだ。余計な気を起こさずに、殺せば良かった。そうすれば、こんな面倒な事は無かったのだ。あの悪夢だって、見ずに済んだのだろう。
不甲斐ないものだ。
「僕はただ、君の力になりたいんだよ」
「ぬかせ。今のところお前は、おしゃべりな荷物だ」
俺はせせら笑った。
すると、カルロスの声のトーンが変わった。
「君の理想を叶えられる―――と、言ったら」
風が吹き、足が止まった。
「僕は知ってる。君が、何の為に、何を想って戦うのかを。僕なら、君の苦しみを受け止められる仲間になれる」
俺はカルロスに向き直った。
「僕を信じて、頼ってほしい。オケアノ」