第2話 夜の路
死体の処理を終えた頃、辺りは静寂と暗闇に包まれた。
嫌に冷たい夜風が身に堪える。
「ヴィトル、火を焚いてくれ。なるべく早くな」
シエルが言うと、ヴィトルは黙って頷き、てきぱきと薪、火種を用意し始めた。
「さて」
パン、と手を打ち、俺を振り向いた。
「じきにここを離れて、仲間と現地で合流する予定だ。テントだ何だを回収しなくちゃいけない」
「ここからジロンド城塞にか?冗談じゃねえ。一体どれだけの距離があると思ってんだ」
「まあ、少し落ち着け。あんただって、今までテントとか担いで色々な所を廻ったろ」
言い返す事は出来なかった。
「確かにちょっと厄介かもしれないけどな」
「よう」
テントの幕を上げると、まるで俺が来るのが分かっていたかの様に、リギギ・ラグガが構えていた。それも、何時にもまして神妙な表情だ。
「…どうした?」
「…済まなかったな」
ゆっくりと頭を下げ、土下座の姿勢を取った。いきなりの事で、俺は動揺した。
「ど、どうしたんだ」
「あの時、俺がもっとしっかりしていれば、誰も傷付かなかった」
するといきなり、腕にあらん限りの力を込め、自分の頬を思いっ切り殴った。これにも驚かされ、とうとう俺は絶句……硬直してしまった。
「オケアノ……どうか、俺を殴ってくれ」
涙ながらに俺にすがるリギギ・ラグガを凝視した後、やっと我に返った。
「馬鹿野郎」と俺は返した
「何が殴ってくれだ。俺がてめーを殴った所でどうなるっつーんだ」
「そ、それは」
俺は一つ間を置いて、言葉を継いだ。
「…こんな所で突っ伏したって、あの時に戻れる訳じゃねぇ。状況が変わる訳でもねぇ」
「……」
「だったら俺達は、二度とそんな口が叩けねぇ様に戦うしかねぇだろうが」
「……!オケアノさん」
突然中に入って来た俺に少し驚いた様子を見せたノトス。暫く眠る事が出来なかったのであろう、つぶらな両目の下には真っ黒な隈が出来ている。
「悪いな、こんな夜中に。…大丈夫か」
ノトスの側に腰を下ろした。布団を掛けてはいたが、
「…い、いえ。あの、大丈夫じゃないことはない、んですけど…」
しどろもどろしながら、必死に伝えようとする。
「知らないひとばかりで…怖そうなひとも居るし、優しくしてくれたひとも居るし…」
「…大丈夫みてえだな」
「え?」
首を振って、何でもない、と意志を示した。
「ノトス」
間を置いて、話を改める。
「お前は、強くなりたいと思うか」
「えっ」
目を丸くして、言葉を失った。
「えっと……できれば、強くなりたい、です…」
弱々しい声で答えた。その声には、何か思い出したく無い何かが秘められている気がした。
「そうか。…その言葉、忘れるなよ」
正直、俺はこんな事を言いたくは無かった。戦争の無い時代に生まれて欲しかった。
胸の内で、痛い程に自分に言い聞かせていた。
「…お前が強くなるのはまだ先かも知れねぇが、俺が協力する」
暫く沈黙が流れる。
俺は、外に誰かの気配を感じて、立ち上がった。
「後10分もしたら、ここを離れるそうだ。寝れるようなら、寝ておけ」
「…聞いてたのか」
外に出ると、シエルが腕を組んで突っ立っていた。何を言われるかは、予想がついている。
「あんた、相手が子供なの分かってるのか?」
「分かってる。だが…」
そこまで言って、俺は言うのを止めた。シエルは首を傾げたが、俺は、忘れてくれ、と返した。
風が一つ戦ぎ、肌を舐めていった。
松明の爆ぜる音が、やけに大きく聞こえた。レノラの案内で、俺達はジロンド城塞までの近道を辿っていた。松明が無ければ通れないような暗い林を抜け、古びた橋が架かる渓流を渡る。過酷な道だ。
4分の3程を越えた所で、俺達は小さな灯りを囲んだ。束の間の休息でも、気は抜けなかった。
東の空が、明るく染まり始めていた。
「ふうー、足が痛いのなんのって…」
ヴィトルが足を揉みながら腰を下ろした。
「荷物も重いし、とにかく道って言う道を通らなかったし」
次々と愚痴を吐いていく。
それに対してレノラが
「情け無いわね」と漏らした。
これに気を悪くしたヴィトルは、負けじと反論を始めた。
「なんだよ、なんだよ!そんな事言いながら、ほら、レノラだって足が震えてるじゃないか!」
ちらりと見やると、確かにガクガクだった。今に倒れても可笑しく無い程だった。
「そ、それとこれは別よ!」
睨みと罵り合いを交わすレノラとヴィトルを見て、ノトスの表情が少し明るくなっていた。
そして二人の口論を尻目に、ネオンが口を開いた。
「ジロンド城塞って、まだ落ちてないんですね」
不思議そうに、淡々と言った。
「多分、この傭兵団のお陰だろ」
リギギ・ラグガが答えた。事実、この傭兵団の戦果は著しい。
「それに、土地も関係してるかもな」
と、俺が付け加えた。
ジロンド城塞は、ポッペンシュテイン山の頂に構えている。この山は、東西ルオーナ国にとっても、戦略的に押さえておきたい場所だった。理由は単純で、追い詰められた際に、"籠城に適している"から、だった。現に、ジロンド城塞は攻略されていない−−リギギ・ラグガが言ったように、この傭兵団の援助もあるとは思うが−−。
もう一つ利点がある。それは、"包囲されにくい"と言う事。ポッペンシュテイン山は、東ルオーナの−−西ルオーナの侵攻後の−−国境に沿うように聳えている。長大で、皮肉にも標高がそこそこ高い。そんな山をわざわざ越えて包囲するなんて、無策にも等しい。そう言う利点から、今日までこの前線を維持出来ているのだ。
「俺らのお陰、とは言っても、結構ぎりぎりなんだぜ。こう見えて」
シエルがうんざりした様に溜め息をついた。
「ここで少し寝よう。誰か見張りを頼みたいんだが」
「俺がやろう」
と言うと、全員の視線が俺に刺さった。それも、驚愕の。
「お、おいおい。確かに相当な時間寝てたが…」
「暫くは、寝れそうに無いんでな」
シエルの制止を振り切って、俺は立ち上がって剣を抜いた。
「ゆっくり寝てくれ。何かあれば叩き起こすが」
この夜、特に何も事件は無かった。俺としても、それは良かった。
地平線から日の光が漏れる頃、シエル達を起こした。その時、目的地の方角から朝を知らせる笛が高らかに吹かれた。