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ティータイム 6th time-イチ-
60-4杯目 おまつりへ行こう

 つばさとすばる。
 二人はそれからしばらく、長い間そうしていたのだけれども。
 終わりは突然だった。
 くるっ。と、一つ。
 熱のこもった夜の静寂に、やけに明るく投げ込まれた声。
 二人は同時に顔を上げ、声のした方へ視線を投じた。
 その先には橋の欄干にとまったファイアローが居て。
 なぜかその隣には、小枝や葉で身体を飾り付けたブラッキーが伸びていた。
 それに眉をひそめ、訝しげに見やったのはつばさだったのけれども。

―――いつまでくっついてるの?

 と、不機嫌な色のファイアローの声にびくっと身体を跳ねさせて。
 彼女は半ば、すばるを突き飛ばすようにしてその腕から逃げた。
 反射的に彼に背を向けて、火照る頬に手を添える。
 冷やそうと思って手を添えたのだけれども、同じように火照った手の温度を感じるだけだった。
 一方のすばるは、逃げた体温を名残惜し気に見やる。
 けれども。自分の腕に捕らえた時のその感触。
 彼女のそのやわらかさを思い出して、不意に心臓が跳ねた。

「――――っ」

 頬では熱が弾けて。
 思わず、手の甲で口元を抑える。
 のだが、横から刺さるやけに冷めた視線に。
 そんな気持ちも急激に冴えていった。

「っんだよ」

 半目になって唸るすばるに。

―――べっつにー

 同じく半目のファイアローが、不機嫌増しになった表情で返す。

―――やっぱり僕、すばるのこと嫌い

 ぷいっとそっぽを向く。
 つばさの隣は譲ったけれども、それでもやっぱり、目の前で見せつけられるのは我慢ならない。
 だから、ちょっとくらい邪魔してもいいよね。
 そんな彼の背をぽんぽんと優しく叩いたのは。
 隣で伸びていたブラッキーの尾だった。
 身を起こした彼は、ぶるりと身体を震わせ、身体の小枝や葉をふるい落とすと。
 すとっと下へ降りて、つばさのもとへ駆けて行った。
 それを視線で追っていたファイアローが視界につばさを認めれば。
 恥ずかしそうだけれども、嬉しそうに笑う彼女のその姿に。
 刺々しかった気持ちも丸くなっていく。
 ファイアローの瞳が動く。
 だから。ここは一つ、彼の背を押してあげてもいいかな、なんて思った。

―――つばさちゃん

 彼女の名を呼んでみたら、反応が左右からあった。
 何、と。幾分か、普段の調子を取り戻したらしいつばさは振り返って。
 反対からは、何だか鋭い視線が突き刺さった。
 睨んでいるのだろうな。と、ファイアローは思う。
 だって、そちらには振り向いてないから知りようがない。

「何? イチ」

 首を傾げて振り返ったつばさに。

―――うん、あのね

 ふふっと笑って、彼は言葉を続けた。

―――お祭り、すばると二人で行ってくる?

「え?」

 随分と間抜けな声がもれたな、と。つばさは自分で思った。

「二人でって、私とすばるで?」

―――うん、そうだよ。行きたがってなかった?

「……っ、そ、それはそうだけど……」

 途端にあちらこちらへと彷徨い始める橙の瞳。
 そんな彼女の様子に、ファイアローは自然と笑みがこぼれた。
 ああ、もう。可愛いなあ。と。
 彼女が幸せでいてくれるだけで、自分は十分だ。
 くるるる、と小さく喉を震わせて笑いをもらせば。
 こちらへ視線を投じるブラッキーと目が合った。
 そんな彼の金の瞳。それが不意に穏やかに笑った気がして。
 ファイアローは数度瞳を瞬かせて、それから、えへへと瞳を細めて笑った。
 一方のつばさ。
 あちらこちらに彷徨う橙の瞳。
 思考もぐるぐると回っていた。
 確かに行きたかった。それをブラッキー相手にぼやいたりもした。
 けれども。けれども、だ。
 思い出すのはつい先程のことで。
 瞬時に身体に熱が走って。
 思考がまた、うわあ、と叫び始める気配がした。
 そんな中で。せわしなく動く視界の中で。
 その端にあたたかな夜闇を見つけた。
 その端に水面のように静かな青を見つけた。
 その端に優しく静かに見上げる月を見つけた。

「りん」

 咄嗟に出たのは、その月の瞳を持つ彼の名。
 その声に呼応するように、ブラッキーの輪模様が淡く発光した。

《つばさ》

 ぽすっと、彼の尾がつばさの背を優しく撫でた。
 騒ぎ出そうとした思考が、すうと大人しくなっていくのを感じて。
 その奥に、ずっと在った気持ちをそっと摘まんだ。

「私はお祭り、行きたい」

 ちらっと、橙の瞳がすばるに向けられる。
 それにびくっと肩が跳ねて。
 ふいっとそらされる桔梗色の瞳。
 やっぱり思い出すのは。
 彼女のやわらかさに。
 その体温に。
 髪に埋めた時に広がった彼女の香りに。
 次々に思い起こされるそれは、まだ鮮明だ。
 桔梗色の瞳が動く。つばさを見つけて、その橙と絡まる。
 瞬間。ちりっ、と。熱が灯った。
 ぼっと勢いよく両者の頬が朱に染まって、その色付きを深く落とす。
 ぱっと同時に目をそらす様は、その場にいる者もそわそわとさせた。

「み」

 開いたすばるの口から言葉がこぼれる。

―――み?

 首を傾げて、それを反復したのはファイアロー。

「み、みんなで行こう……」

 こぼれた言葉に、すばるはだらだらと汗を流した。
 動きを止めたファイアローの視線が痛い。
 きごちない動作で振り向けば、半目になった彼がいた。

―――度胸なし

「ほっとけ」

 しばし睨み合う一人と一羽。
 その間にするりと滑り込む言葉。

《イチさん、違うよ》

 彼らが視線を落とせば、優雅に二又の尾を揺らすエーフィがいた。
 彼女は紫の瞳をしっかりとすばるに見据えて。

《臆病者って言うんだよ》

 によっと笑った。

―――ああ、なるほど

 妙に納得した風情のファイアロー。
 そんな彼女と彼を交互に見やってすばるは唸った。

「ええ、ええ。度胸なしと臆病者で結構っ」

 ふんっと、勢いよく彼女らに背を向ける。
 確かに普段通りならば、つばさと二人で行っていただろう。
 けれども、だ。まだ決定的に何かが変わったわけではないけれども。
 それでも、もう、互いの気持ちを“知って”しまったのだ。
 互いに“今まで通り”ではいられない。
 その証拠が先程のあれ。
 互いの視線が絡まっただけで灯る熱など、何より自分の身が持たない。
 だから、今はこれでいいのだ。今は。

「それに、つばさも祭りは行きたいっつったけど、俺と”二人で“行きたいっつったわけじゃねーしな」

 うんうんと一人で頷いた時。

《それは言い訳って言うんじゃ?》
 
 その声に視線を落とせば、によっと笑う紫の瞳が見上げていた。

「何とでも言え」

 渋面になって返せば。

《まあ、でも、すばるんにしては頑張った方だよね》

―――僕はやっぱり気に入らないけどね

 なんて、エーフィとファイアローが顔を見合わせて話を始める始末。
 こいつら、とすばるが小さく唸り始めた時だ。

「すばる、そろそろ行かない?」

 と、背後から声がして。
 びゃっ、と飛び出しそうになった声を慌てて飲み込んで振り返った。
 振り返った先には、いつの間にかカフェラテ子イーブイを腕に抱えたつばさと。
 その足元にブラッキーがいた。

「お、おう。そうすっか」

 視線が彷徨うのは許して欲しい。
 その彷徨う中で不意に白イーブイと目が合った。すると。

―――すばるーんっ!

 と、飛び付いて来るものだから。
 反射的にそれを受け止める。
 腕の中でもしょもしょと動いていた毛玉は。
 居心地の良い体勢を見つけると、ぽすんとおさまって。

―――おまつり、いこっ!

 と、すばるを見上げた。
 くすりと一つ笑うと、そう言えばと思い出す。

「カフェラテは祭り初めてか?」

「そうだね。この子達、すぐどこか行っちゃうから。特にラテが。だから、お祭りに連れてくのは初めてだね」

 答えたのはつばさだ。

―――だからラテね、おまをつりにいくの楽しみなのっ! はやく、こっ!

 そんな無邪気な幼子の言葉に、すばるとつばさは顔を見合わせた。

「おま?」

 そして、同時に呟いた疑問系の言葉。
 それを説明したのはブラッキーだった。

《こいつの中には、“おま”という生き物がいるらしい》

 視線を落としたつばさが、まじまじとブラッキーを見つめて。

「なるほど、おまを釣るのか。それで“おま釣り”」

《そういうことだ》

 ふっと笑ったブラッキーが、先に行ってる、と。
 エーフィ達の方へ駆けて行くのを見送りながら。
 つばさとすばるが互いの顔を見合わせて、ぷっと小さく吹き出して笑い出した。
 それから、早く早くと急かす幼子に背を押されて、二人は歩き出す。
 その道中。つばさの腕に抱かれた茶イーブイに話が向けられた。

「そういや、カフェはどーしたんだ? さっきから黙って」

「うーん……別に、体調が悪いわけじゃないんだよね?」

 二者の問いに、茶イーブイはふるふると首を横に降った。

―――だいじょーぶだよ。ただ、“ずっと”ってことばが、ぐるぐるまわってるだけだから

 と、こぼしたあと。
 彼はくるりと身体の向きを変えて、ひしっとつばさにしがみつく。
 二人は首を傾げてから、歩を止めて彼を見やったけれども。
 それっきり動きのない彼に、再度首を傾げて、顔を見合わせた。
 その間にも、すばるの腕の中の白イーブイが垂れた尾をびしばし叩いて。

―――はやく、おまをつりにいこっ!

 と急かし続けるので。
 苦笑を浮かべたすばるがつばさを促して、二人はまた歩き始めた。
 エーフィやブラッキー、ファイアローらと合流すれば。
 彼らとそろって、祭り会場である街の中心地へ続く坂を下り始めた。
 その道すがら、すばるが腰の気配に気付く。
 がたがたと自己主張するモンスターボールが二つ。
 あ、忘れてた。と呟けば、それはより激しくがたがたと揺れた。
 まるで抗議をするように激しかった。
 すばるの頭上では、また別の急かす声。
 くるるくるる、と鳴きながら頭上を旋回するファイアロー。

「イチ?」

 つばさが頭上を見上げて首を傾げる。

「たぶん、ニアを待ってんだ」

「ニア?」

「こいつだよ。ほいっ」

 かけ声一つ。すばるが一つのモンスターボールを空へ投げた。
 それと同時に、ファイアローが歩く彼らを追い越して飛んで行く。
 独特の破裂音。何かが光をまといながらファイアローを追う。
 落ちてきたモンスターボールを、慣れた動作ですばるが受け止めた頃には。
 光を振り払ったもう一羽のファイアローが、そのファイアローと並行して飛んでいた。

「――ファイアロー……!」

 驚嘆した声に振り向いて、おう、と笑ってみせた。

「イチの妹のニアだ。まあ、ちょっとずれてるけど、仲良くしてやってくれ」

 これには苦笑がもれる。
 まだ短い時間しか過ごしていないが、彼女がどこかずれているのはよく分かる。

「イチに妹とか、どういうこと?」

 何だか疎外感を感じたつばさが、すばるを軽く睨んだ。

「ん、俺もあまり詳しくは知らねーから、あいつから後で訊けよ。――と」

 先程よりも激しく揺れるモンスターボール。
 最早これは、暴れると言っても過言ではないのかもしれない。
 はは、と乾いた笑みをもらしたすばるは。
 分かってるよ、と。開閉スイッチを一つ押す。
 独特の破裂音。ぶるりと身を震わせて光を弾いたのは、炎の鬣を持つ馬――ギャロップ。
 ぶるる、と鳴いたのは。
 存在を忘れるなんてひどい、というすばるへの抗議で。
 仕返しに彼女は、すばるの髪をむしゃむしゃすることにした。

「おいっ、ほたる。やめろっ」

 ぶるぶるっ。いやいやと首を横に降った。

「俺が悪かったって」

 宥めるように、ギャロップの首筋をすばるが軽く叩けば。
 気が済んだらしい彼女は、一つ嘶いて、ブラッキーとエーフィ達の元へと駆けて行った。
 ブラッキーとエーフィの間に割って入ったのは、果たして意図的が偶然か。
 けれども、二匹はそれを気にすることなくギャロップと話を始めた様子。
 仲がいいなあ、なんて眺めていたすばるは。

「あれ、そういえば」

 という、つばさの声に隣を見やった。
 つばさも同じようにすばるを見やって。

「あるばちゃんは?」

「ああ、あいつは――」

 そう言うと、すばるは腰の残りの一つを手に取って。
 彼女に見せつけるように眼前に持っていくと。

「――という感じに、人見知りハクリューはうんともすんとも言いません」

 何度も開閉スイッチを押して見せるけれども。
 ファイアローやギャロップのように、独特の破裂音がすることも、光が飛び出すこともない。

「ああ、そうなっちゃうんだ」

「そーいうことだ」

 そしてまた、つばさとすばるは互いの顔を見合わせて、小さく声を出して笑った。
 すばるの腕の中。
 白イーブイはそんな彼らを見上げて、楽しそうな雰囲気に思わず笑みをもらす。
 けれども、この先に待ち受けているであろう、まだ見ぬ“おま”を釣るため。
 気合いを入れるために、一匹静かにふんすっと鼻息を荒くした。
 そんな彼女をちらりと横目で見やるのは、つばさの腕の中の茶イーブイ。
 “ずっと”。そんな言葉がぐるぐる回ってはいるけれども。
 それでも、この先もずっと一緒に居ることを。
 当たり前のように考えてくれていることは嬉しくて。
 彼は小さく頬をゆるませた。



 笑いを響かせながら坂を下る。
 寄り添うように歩くブラッキーとエーフィ。
 その間を割くように駆け抜けたのは。
 祭りの雰囲気にわくわくが止まらなくなったギャロップ。
 一瞬驚いたブラッキーとエーフィだったけれども。
 互いに顔を見合わせて笑顔をこぼし、彼らも後を追うように駆け出した。
 その様子に気付いたファイアローの兄妹が、くるる、と一鳴きして。
 つばさとすばるの頭上を飛び去っていく。
 気が付けばポケモン達と距離がひらいていて。
 それを慌てて追いかける二人。
 賑やかが深まる街の夜へと吸い込まれて行った。



   ◇   ◆   ◇



 それから、季節は幾度も巡って――。

ばす ( 2019/10/16(水) 19:08 )