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ティータイム 6th time-イチ-
60-2杯目 ごめんね
 がしっとファイアローの脚に掴まれたつばさが降ろされる。
 その彼女が、腕に抱えていたブラッキーを降ろして。
 その彼が、くわえていた白イーブイを降ろした。
 そんなところで、白イーブイがくるりと彼らへ振り返って。

―――たのしかったね

 と、にんまりと笑う。
 だが、それに対して目付きを鋭くしたブラッキーが。

《危ないだろ》

 と。つんっと前足で彼女の額を軽く小突く。
 小突かれた彼女はころりんと後方へ転がって、きゃきゃっと笑い声をたてた。
 同時に、そんな彼女の傍へ屈んだつばさもしかめっ面になって。

「そうだよ、ラテ。ケガするようなことはしちゃ駄目」

 めっ。としたら、きゃきゃっと笑っていた白イーブイが黙りこんだ。
 そして、つばさの顔を見上げて。

―――しんぱい、する……?

 と、小さく首を傾げて問う。

「心配するよ」

―――ラテが、だいすきだから……?

「そうだよ。私はラテが大好きだから、心配もするし、ラテが痛いのは嫌だなって思うの」

 白イーブイの瞳がゆれた。
 つばさはそんな彼女へ手を伸ばして抱き上げる。

―――ごめん、なさい

 つばさの腕の中。白イーブイの耳がしゅんっと垂れた。
 それにがばりと顔を上げて、ブラッキーを見やったのはつばさだ。
 驚きで橙の瞳が数度瞬く。
 りん、ラテが謝った。
 これは、ブラッキーに直接流れ込んできたつばさの心。
 その心が驚きで染まっていて、ブラッキーは小さく苦笑する。
 その驚きの中に、小さな成長の喜びが感じ取れたから。
 まあ、それでも。その気持ちは彼も同じなのだけれども。

―――心配なら、僕もしたんだけどね。つばさちゃん

 その声につばさが視線を上げれば。
 橋の欄干にとまったファイアローを見つけた。
 じっとつばさを見つめる彼の瞳は真剣のそれだ。

―――身を乗り出してどうなるのか。それが分からないつばさちゃんではないよね?

「じゃあ」

 口を開いたつばさ。
 ぴりっと、その場の空気が痺れた気がした。

「何も言わずに帰らなくて、私がどう思うのか分からないイチじゃないよね?」

 ぴりりと張り詰めた空気に。
 つばさの腕の中にいた白イーブイがそろりと脱け出して。
 そろりとブラッキーの懐へ逃げ込んだ。

―――…………

「…………」

 押し黙る二者に。
 ぴりりと張り詰めた空気が、鋭くなるような気さえした。
 そんな中で言葉を発したのはファイアローだった。
 一瞬目を伏せて、つばさを見やる。

―――ごめんね。黙ったままで、帰らなくて、ごめんね

「――なんで、帰ろうとしなかったの……?」

 ぐっと何かを堪えるような表情をするつばさ。
 橙の瞳が、何かでゆらめいた。

「もう――」

 言葉を発しかけて、俯いて、黙る。
 この続きを、言葉にする勇気が足らなかった。
 ブラッキーがくれた言葉を思い出す。
 絶対、とか。唯一、とか。
 自惚れるつもりはないが、と思ったのだけれども。
 本当は自惚れたい。自惚れたかった。
 それども、言葉にするのが怖い。カタチにするのが怖い。
 彼に会ったら、うんと文句を言ってやるために。
 たくさんの言葉を並べて用意していたはずなのに。
 それが何だったのかさえ、忘れてしまった。
 けれども、そんなつばさのぐるぐる回る思考に、気持ちにそれが捻り込んだ。

―――僕、つばさちゃんのことが大好きだよ

 それは突然の告白に感じた。
 幾度も彼からもらったことのある言葉。
 けれども、今のこの瞬間。それを初めてもらった気がした。
 弾かれるようにつばさが顔を上げる。
 少し恥ずかしそうにして、仄かに頬を染めながらも。
 それでも、真っ直ぐにつばさを見やって。
 彼は、えへへ、と笑みをもらしていた。

―――僕はつばさちゃんが大好き

 もう一度、今度は目を細めながら。
 えへへ、と笑った。彼は、笑った。

「――っ」

 言葉に詰まって、声が出せなかった。
 ゆらめく橙。それが映す彼は、歪んでしっかりとは映さない。
 彼が背に背負う、きらきらとした光の飾り。街の灯り。
 それが、橙の瞳にたまったそれの中で乱反射を繰り返して。
 つばさには眩しく感じるくらいで。
 彼の姿をよく見たいのに、素直には見せてくれない。
 堪えられなくなったつばさが目元を拭う。

―――帰るのが遅くなっちゃったのは

 その声に顔を上げたら、今度はきちんと彼の姿が見えた。

―――帰り道に迷っちゃって、ちょっと寄り道しちゃったんだ

「――ん」

―――でも、もう大丈夫だよ。帰りたいと思う方角は分かったから。だから、もう。――僕は迷わないよ

 そして、ファイアローはくしゃりと笑った。

―――僕の向く方には、いつもつばさちゃんが居るから

 刹那。ファイアローはふわりと大好きな香りに包まれた。
 すぐにつばさが抱きついてきたのだと知る。
 羽毛に顔を埋める彼女に、あたたかい何かがせりあげてきて。
 つんっと奥が詰まって痛くなる。
 そして、くぐもった彼女の声が聞こえた。

「おかえり、イチ」

―――うん、ただいま

 返した言葉は、何かのせいでゆれていた気がした。
 ぎゅっ、と。ファイアローへ回している手に力が込められた。

「イチがいるって、知ってたから」

―――え?

「だから、私は動けたの」

―――何の話……?

「さっきの身を乗り出した話」

 腕の中。彼が身動いだのを、つばさは腕越しに感じた。

「だから、ごめんね」

―――なんで謝るの……?

「たぶん。これから先も、さっきみたいなことがあると思うから。だから、先に謝っておく」

―――ええー……

 とても嫌そうな彼の声音。
 けれども、仕方ないな、と。
 彼が笑ってくれていることを、つばさは知っている。
 直接見なくたって、つばさは知っているのだ。

「だって、イチが居てくれるもん。だから、私は動けるの」

 いつだって、彼は傍で支えてくれた。
 あの追憶の中。うずくまっていたつばさを支えていたのは。
 間違いなく、彼だった。だから、つばさは歩き出せるのだ。



   *   *   *



 そんな、一人と一羽を見守りながら。
 ブラッキーは優しく目を細めて、その姿を金の瞳に映していた。
 と、懐の幼子が身動いだ。

―――つばさおねえちゃんとイチおにいちゃん、ごめんなさい、したの?

 ブラッキーの前足の間から顔を出した白イーブイは。
 彼の顔を見上げて、こてんと小さく首を傾げた。

《ああ》

 ブラッキーが視線を彼女へ落として返せば。
 一気に彼女の両耳がしゅんっと垂れ下がる。

《どうした?》

―――ラテ、イチおにいちゃんとやくそくしたの……

《約束……?》

―――いっしょに、ごめんなさいしてあげるよって

 でも、一緒に出来なかった、と。
 白イーブイは俯いてしまった。
 しばらくそんな彼女を見つめていたブラッキーが。

―――?

 不意に身を屈めて、自身の鼻面を彼女の首もとへ埋めて。
 次いで、うりうりとそれを押し付けてやれば。

―――パパ、くすぐったいの

 と、幼子からもれるのは、きゃっきゃっという笑い声。
 それを耳にしながら、ブラッキーはしばらくの間そうしていた。
 ひとしきり笑う声をもらしていた彼女が落ち着く頃。
 ブラッキーの両耳が不意に立ち上がり、屈めていた身を起こす。
 彼がその身を振り返らせたのと同じ時。
 街灯の光が届かない闇から、にゅっと影が飛び出した。
 その影はその勢いのまま、転がった体勢から起き上がろうとしていた彼女へと突っ込む。

―――ぎゅむっ

 と、思わず声をもらした白イーブイは。
 自分に突っ込んで来たその姿を視界に認めて。

―――カフェだっ!

 名を紡ぐと同時に、今度は彼女が突っ込んで茶イーブイを押し倒した。
 そのまま彼の首もとに顔を埋めて。
 ふわふわとした柔らかな感触を楽しみながら。
 鼻面をうりうりと押し付ける。

―――ちょっと、ラテ、やめっ……

 彼女から逃れようと、茶イーブイは前足で彼女を押し退けようとしても。

―――へへ、パパのまねっこ

 彼女はやめようとする気配はない。

―――ねえー、ラテ……

 なおも、抗議の声を発し続けていた彼なのだが。

―――うひゃいっ!?

 突如。妙な声が反射的に飛び出た。
 ぞわっと。背に何かが這ったような感覚。
 瞬時に彼は、涙で滲ませた瞳を白イーブイへ向けた。

―――ラテっ! きゅうにはダメなのっ!

 彼が睨むその先。
 前足で彼のふわっとした尾を捕まえた白イーブイ。
 その彼女が不思議そうにきょとんとして、首を小さく傾げた。

―――なんで? いつもじゃん

 そう、彼女の感覚ではいつものこと。
 寝る時だって、これを抱き締めて眠るし。
 起きた時だって、これを抱き締めて、感触を楽しんで起きるし。
 抱き付きたい時に抱き付く。
 それはいつものことなのに。何を今更――。
 と不思議がる彼女に、茶イーブイは瞳を潤ませて訴える。

―――それはおうちだからで。でもいまはおそとだからで

 安心できる家でならともかく。
 茶イーブイにとって外は、まだどこかで、小さな身構えのような気持ちがある。
 少しずつ慣れてはきているのだと思う。
 それでも、生まれた環境ゆえか、まだそんな燻りはあるのだ。
 だから、急なそれには思わず反応をしてしまっても仕方ないと思うのだ。
 だから、そこはダメなのだ。
 ぞわりとした感覚が背を走って。
 反動で瞳は潤んでしまう。

―――だから、いまはだめなのっ!

 白イーブイに抱えられた自身の尾を引き抜いて抱える。
 対する彼女は、ぱちくりと瞳を瞬かせて。

―――じゃあ、かえったらもふもふするっ!

 と、にぱりと笑った。
 とりあえず、聞き入れてくれた様子に。
 茶イーブイはほっと安堵の息を吐いたところで。
 って、そうじゃなくて。と、言葉を紡ぐ。

―――ボク、しんぱいしたんだからね

―――しんぱい……?

 瞳を瞬かせ、首を傾げる白イーブイ。

―――そうだよ。あんなたかいところから、いきなりとびだすのはやめてよ

 その言葉で、彼女はなんのことか察したようで。
 両耳をぴんっと勢いよく立てた。

―――パパ、みつけたから

 えへっと笑う彼女に、彼はさらに言葉を重ねようとしたのだが。

―――でも、カフェがしんぱいするなら、ラテもうしない

 との言葉に、彼はぴたりと動きを止める。
 そして、そっと彼女の顔を覗き込んで。

―――ほんとう……?

 おそるおそる訊ねる。
 うん。と、元気よく頷いた彼女。
 自分の父やつばさに言われて、彼女もちょっと考えてみたのだ。
 もし、彼らがはらはらするようなことをしていたら、と。
 やっぱり、自分も彼らを心配する。
 彼らが痛いのは嫌だし、それを見るのも嫌だと思ったから。
 だから、ごめんなさい、と謝った。
 そして今度は、目の前の彼が心配をする。
 彼には笑っていて欲しい。だから。
 たぶん、これはあまりやらない方がいいことだと思う。けれども。

―――あ、でも。またやっちゃったら、ごめんね

 彼女は一応知っているつもりだ。
 考えるよりも先に身体が動く方だと。
 だから、またやらかしてしまう前に謝っておこう。そう思った。
 しばし、そんな彼女を見つめていた茶イーブイ。
 やがて、仕方ないな、と。諦めの息をもらした。

―――いいよ、わかってたもん

 苦笑のまざった顔で。

―――あぶないっておもったら、ボクがラテをとめるよ

 彼はふにゃりと笑った。

―――これからもいっしょにいるんだもん

―――それって、ずっと……?

―――へ…………?

 不意に問われた彼女からの言葉。
 思わず間抜けな声で返してしまった。

―――うーん……ずっと……? そ、そういうことに、なる……の、かな……?

 消え入りそうな声で言葉を続ければ。
 わあいっ。という声と共に、白イーブイに押し倒された。
 そして再び、うりうりと鼻面を首もとに押し付けられる。
 そんな嬉しそうな彼女に、今度は押し退ける気力も尽きた彼は。
 しばらくされるがままになっていたのだが。

―――…………っ

 とあることに思い至って、頬に熱が灯ったのを自覚する。
 ずっと。この先、ずっと。
 その言葉がぐわんぐわんと彼の中をまわってまわって。
 ぷしゅう。何かが耐えきれなくなった音がした。
 そのまま彼は、こてん、と倒れてしまう。
 それに気付いた彼女が、慌てて彼の名を連呼しては身体を揺さぶるも。
 彼が起き上がることはしばらくの間なかった。





 そんな幼子達を優しく見守る影が二つ、寄り添っていた。

《ボク達がカフェラテちゃん達と同い年の頃、りっくんは“ずっと”なんて言葉くれたっけ?》

 エーフィがによによと笑みを浮かべながら、隣のブラッキーへ問いかける。

《ないな》

 短く一言。
 あまり興味がなさそうに、彼はくわあと欠伸も一つ。
 その返しを予想していたエーフィは、ふふっと一つ笑うと。
 少しだけもじもじしながら、彼へ問いをもう一つ投げた。

《じゃあさ、今はどう? 今なら“ずっと”って言葉でくれる?》

 ちら。ちら。横目で彼の様子を伺う。
 けれども、彼女はその場でぴしりと固まってしまう。
 だって。彼はまたもや、くわあ、と欠伸をしているのだから。
 興味がないかのように。面倒くさいと思っているかのように。
 そんな彼女の様子に気付いたブラッキー。

《ん……?》

 金の瞳だけを静かに動かした。
 目元に欠伸による涙をためながら。
 そしてそれは、さらに彼女を硬直させる要因となる。

《ふう?》

 さすがの彼も彼女へ意識が向く。
 彼女の様子を伺おうと顔を覗き込もうとしたところで。

《ちょっと、りん。今はボクの方を向かないで》

 エーフィは前足でその彼の顔を背けさせる。

《は?》

 少しだけ不機嫌増しなブラッキーの声。
 それでも、彼女は彼へ背を向けてしまう。
 彼女に対して、訝しげに首を傾げて、眉間にしわを寄せるも。
 彼にはその理由は分からない。

《ふう……?》

 彼の呼び掛けにも応えない。
 だって。彼女、エーフィ自身にも分かってはいないのだから。
 どう返せば、どう反応すればよいのか分からない。
 ただ、どきどきと高鳴る胸を抱えることしか、彼女には出来なかった。
 だって、だって。仕方ないではないか。
 ただでさえ、綺麗な彼の月のような瞳。
 それが潤いを伴って自分の方を向いたわけで。
 それに、胸の鼓動が跳ねたって仕方ないと思うのだ。
 それにそれにだ。よく見れば、夜の闇に彼は似合いすぎる。
 月に呼応してだとは思うが、仄かな明滅に淡い光を発する彼の輪模様。
 それは通常とは異なる、燐とした静かなる青――ああ、好き。
 そして、月のような瞳は綺麗で。
 そこに潤むものを携えられたら。
 まるで、湖畔に浮かぶ月の様ではないか――これも、好き。
 夜闇に包まれた身体。
 決して、夜の色に混ざることのないあたたかみがある。
 そして、触れるとわりといい感じの力強さを感じる――好き。
 だからまあ、つまり。
 そこでエーフィはブラッキーを振り返った。
 こちらを訝るブラッキー。
 その眉間にしわを寄せた表情も、彼女は実は結構好きだったりもする。
 暫く彼のその姿を楽しんで、見惚れていた刹那だった。
 不意にブラッキーが眉間のしわを解いた。

《?》

 どうしたのか、と首を傾げるエーフィに。
 ブラッキーはふっと口の端に笑みを乗せて。

《夜に包まれる薄藤の色もいいな。夜のお前も、結構好きだ》

 エーフィという種族的に、彼女が最も得意とする時間帯は日が昇る時間帯。
 太陽が天に姿を現している時だ。
 だが、日が沈んでもなお、彼女という存在は太陽の如く輝いている――ように、彼は素直に思うのだ。
 無表情に光を落とす街灯。
 それでも、彼女のビロードのような艶やかな体毛には、程よい飾りとなっていた。
 艶やかに光を弾く彼女の体毛は、綺麗、の一言に尽きる。
 それ以外の言葉はいらない。それだけでいい。それだけだからいい。
 光が届かなくとも、ぼんやりと輪郭を溶かして映えるその薄藤は。
 気が付けば視線を奪われてしまう程の何かを放っていて、思わず見惚れてしまう。
 金の瞳を細め、それを存分に眺める。
 と、ふとブラッキーは気付く。
 彼女が俯いて、その身体をぷるぷると震わせていることに。

《どうし――》

 どうした。
 問いかけようとしたところで。
 彼女が――顔を朱よりもさらに、深みある色に染めた――顔を上げた。

《そ、そん、そんな……ボクを、褒めたって――》

 彼女の額を飾る珠が淡く光を放ち始める。
 そこで彼は瞬時に感じとる。
 周囲の空気が鎮まって。代わりに彼女の念がそれを支配するのを。
 不可視な彼女の念の奔流。
 それが彼女の耳下の房をたなびかせる。

《――ふう、落ち着け》

 ぶわっと。全身から冷や汗が吹き出したのを自覚しながら。
 彼は、ブラッキーはエーフィを落ち着かせようと試みるも。
 けれども、それは無駄な徒労に終わる。

《――――っ!!》

 エーフィが声にならない声で叫ぶ。
 ブラッキーは刹那的な速さで悟り、瞬時に身構える。そして――。
 ぶわり。近場の木葉や砂塵。それらが舞い上がって。
 夜闇色に染まった空。そこに別の夜闇が瞬いた。



 彼――ブラッキーは知っている。分かっている。
 これは彼女――エーフィの照れ隠しなのだと。



   *   *   *



 

ばす ( 2019/10/04(金) 18:49 )