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ティータイム 6th time-イチ-
59杯目 “はじめまして”から始めよう

―――いい? あれはそういう意味だからねっ!

 兄ファイアローに説明をされて、ようやく自分が放った言葉の意味を理解した彼女。
 ぼっと勢いよく頬を朱に染める。
 だが。でも、とすぐに首を振る。

―――でも、方向性は間違ってないもんっ!

―――いやいや、方向性も思いっ切り違うからっ!

―――違わないっ!

 ずいっと兄ファイアローへ迫る妹ファイアロー。
 その勢いに気圧されて彼は押し黙る。

―――近付きたいとか、もっと知りたいとか、その気持ちは同じだもん

 揺れる彼女の瞳に、彼ははっとした。

―――初めてなの、この気持ち。だってあたち、ずっと兄ちゃんしか見てなかったから、友達とかいなかったし

 彼女は目を伏せる。
 そう。ずっと兄を見て、追いかけて、探して、また追いかけて。
 だから、初めてなのだ。
 仲良くなりたいとか、知りたいとか、近付きたいとか。
 それから、友達になりたいとか。

―――だったらさ

 降ってきた兄の声に、彼女は顔を上げた。
 そこには、くしゃりと笑う彼の顔があった。

―――その気持ちをそのまま、すばるへ言葉にすればいいんだよ

―――その、まま……?

―――そう。飾らない、素直なままの言葉の方が、たぶん、伝わりやすいんだと、僕は思うんだ

 不意に兄の顔が苦笑に変わった。

―――僕も、間違えちゃったから

 首を傾げる彼女に、兄はそっと片翼で頬を撫でた。

―――ちゃんと相手を見て伝えるのが一番だなって、やっと実感したって話だよ

 兄の瞳が優しく細められた。

―――ニアが頑張ったら、今度は僕が勇気を出して頑張る番だなあ

 兄の言葉の意味が理解できない。
 彼女が今度は反対に首を傾げれば。
 彼は楽しそうに目を細めて。

―――お兄ちゃんの一人言

 と言って、えへへ、と声を立てて笑った。
 そして不意に、ぴい、と高く細く彼は鳴いた。
 これは遠くの誰かを呼ぶ声で。
 同じ種である彼女には、彼が誰を呼んだのか聞きわけが出来る。
 その誰かが瞬時に分かってしまって、彼女は目に見えて慌て始める。

―――え、兄ちゃん、ちょ、まって

 あわあわと瞳が泳ぎ始めて。
 そわそわ、うずうず。と。
 落ち着きのない気持ちが勝手に足を動かし始める。
 自身の周りをくるくると歩き出した妹に、兄ファイアローはくすりと笑う。
 そのまま彼はばさりと羽ばたいて空へと舞い上がれば。
 近場の太枝へととまって。

―――ニア、頑張って

 と、言葉を置いて再び舞い上がる。
 鼓舞するようにその場を一つ旋回し、彼はそのまま遠ざかって行く。
 途中。もう一度、高く細く彼は鳴いた。
 これは急かす声だ。と、彼女は思う。
 その場に一羽残された彼女。
 暫くは兄が飛び去った方角をぼんやりと眺めていたのけれども。
 あちらへこちらへ、その場をうろうろと始めて、考えを整理して行く。
 先ずはあれ。そしたら、次はこれで。そしたら、それで。
 頭の中で順序を決めて、並べて。
 その次は、その場面を想像して練習をする。
 あまりにそれに夢中だったから。
 背後から近付いて立ち止まった存在に気付かなかった。
 だから。

「なあ」

 と、声をかけられて。
 文字通りに飛び上がってしまっても仕方ないと思うのだ。
 だからかもしれない。
 頭の中で組み立てたもの。練習したもの。
 よし、大丈夫。と気合いを入れたもの。自信。
 それが、振り返って彼の姿を認めた瞬間に。

―――あ

 全てが吹き飛んでしまった。
 真っ白になった思考。そこには何も残っていなかった。
 代わりに支配するものは、どきどきと鳴り響く己の鼓動の音。
 それが響く度に、緊張、というものがせりあげて来るのが分かった。
 そうするともう、縫い止められたみたいに動けなくて。
 何も言葉をこぼすことも出来なくて。
 とうすればいいのか分からなくて。分からなくなって。
 彼女と彼の間に、ただ、静寂だけが降り積もる。
 けれども、それを彼がすぐに吹き飛ばした。
 ふはっと吹き出し笑いを始めたすばる。
 くっくっと肩を揺らして笑う彼を見ていたら。
 妹ファイアローも不思議と動くことができた。
 そんな中で、すばるが口を開く。

「初めまして――から始めようか?」

―――え?

「ん、だって」

 すばるが膝を折って座り込んで。
 目線を彼女に合わせて、ふっと笑んだ。

「俺達まだ、お互いを“知らない”じゃん? まあ、イチに先に言われちまったけど」

 あ。と、それを聞いてから、妹ファイアローは気付く。
 そうだ。そうだった。先に名を言われてしまっていた。
 だから、自分で伝える、と兄に迫ったのに。
 それを思い出して膨れる彼女に、すばるは小さく笑った。
 それに気付いた彼女は、何だか恥ずかしくなって視線をそらす。

「俺はすばる。お前は?」

 ぴくりと身体を反応させて。
 妹ファイアローはちらりと視線だけをすばるへ向けた。

―――あ、あたちは

 そこで、彼女はぷるぷると頭を降って。
 よしっ。と、心の中で気合いを入れて。
 改めて、すばるへと向き直る。

―――あたちはニア。その、よろしくっ……!

 ふんすっと鼻息荒く、えへへ、と笑った。

「おう、よろしくな」

 すばるもくしゃりと笑って、そっと腕を伸ばせば。
 彼女の首もとを優しい手付きで撫でた。
 突然のことに、ぴくっと身体を一度跳ねさせた彼女。
 始めは身体を硬くしていた彼女だけれども。
 次第にそれは解かれて、終いには、くるる、と心地良さげに鳴いていた。
 そんな彼女に、すばるは満足そうに目を細めた。
 さわりと吹き抜ける風が、一羽と一人を撫でて行き、穏やかに時が流れる。
 暫くそうしていたのだけれども、その流れを変えたのはすばるだった。
 前触れなくすばるの手が降ろされる。
 それに対して、妹ファイアローが不満気にくるっと鳴く。
 だが、すばるは彼女を真っ直ぐ見据えて動かない。

「…………」

―――…………!

 何かを察した妹ファイアロー。
 じっと彼女もすばるを見つめる。
 その瞳は真剣そのもので。
 その中に、気合いを見つけたすばるが小さく吹き出した。

「あのさ、別ににらめっことかじゃねーから」

 くっくっと肩を揺らすすばるに。

―――えっ、違ったの……?

 と、首を傾げる妹ファイアロー。

「違うよ。ニアは分かってんのかなって思ってさ」

―――にらめっこのルール?

「……は?」

―――大丈夫だよ、それくらいは知ってるもん

 えっへん。胸を張る彼女。
 勝つ自信もあるよ、とついでに教えてくれた。
 けれども、すばるが言いたいのはそれではない。

「先ずはにらめっこから離れろ」

 思わず半目になって唸る。

―――え? じゃあ、じっと見続ける遊び?

「ちげー」

―――顔の間違い探し?

「ちげーよ。てか、何を探すんだよ、何がちげーんだよ」

―――じゃあ……

 と、言葉を紡いだところで。
 妹ファイアローは続きを飲み込んだ。

「――少し黙れ」

 自分を見る桔梗色が、とても不穏な光を宿したから。

―――ひゃい……

 思わず首を竦めてしまった。
 少しだけ、様子を伺うように上目に見やった。
 変わらずに桔梗色は怖い光を宿していたけれども。
 暫くしたら、それがふわりと消えた。
 代わりに宿ったのは、真剣な光で。
 自然と背筋が伸びたのを自覚する。

「ニアは、分かってんのか?」

 先程と同じ問い。

―――それは、にら

「じゃない」

 にらめっこ。
 その言葉に被せてきたということは違うらしい。
 ぱちくりと目を瞬く。
 では、何なのだろうか。
 彼女の思案する瞳の動きに、すばるは言葉を発する。

「人と共に暮らすのと、森での暮らしは違う」

 顔を上げる妹ファイアロー。

「それをニアは、分かってんのか?」

 剣呑なものがすばるの瞳に宿る。

「人と暮らせば、森での暮らしみたいに自由はねーぞ」

―――確かに自由はないかもしれないけど、森の暮らしに兄ちゃんはいないもん

 即座に言葉を返した彼女に、すばるは少しだけ気圧された。
 がらりと纏う雰囲気を変えたのだ。
 緩かったものが、堅固なものになったように。
 しっかりと、確かなそれを纏った。

―――兄ちゃんが在るのは、人の世なんだよ?

 少しだけ寂しそうに、妹ファイアローは目を細めた。

―――なら、あたちもそこに行かないとじゃん

「お前……」

 思わず呼びかけて、すばるは口をつぐんだ。
 気持ちが分かったから、伝わってきてしまったから。
 大切な存在がない場所は。
 いくら自由が在ったって、そこに在るのは虚しさだけ。
 楽しいこと。嬉しいこと。
 それが在ったって、分け合えなければ寂しいだけだ。

―――ここで待ってても、兄ちゃんの帰る場所は、もう、ここじゃないから

 だから、と。
 妹ファイアローが真っ直ぐすばるを見た。

―――あたちの帰る場所になってくれませんか?

「…………一つ、訊いてもいいか?」

 すばるの問いかけに。
 何、と彼女が首を傾げる。

「何で、その場所が俺なんだ? もっと他に人は居るだろ。――それとも」

 少しだけ言いよどむ。
 けれども、覚悟を決めてそれを言葉にした。

「――それとも、俺がつばさの近くに在る存在だからか……?」

 彼女がつばさを選ばないのは分かる。
 それは彼女の兄の場所だから。
 彼女が欲しているのは、彼女が帰れる場所なのだから。
 けれども、その場所がなぜ自分なのか。
 もしかして、つばさの近くに在る存在だからか。
 もし、理由がそれだけだったら。
 桔梗色の瞳が揺蕩うようにゆれた。
 もし、そうだったら。
 こちらが虚しいだけだ。
 熱を帯びた気持ちが、すうと冷えていく感覚さえする。
 だが、そんなすばるの耳朶に羽ばたきの音が突き刺さる。

―――それは違うよっ!!

 ばさばさと幾度も羽ばたく妹ファイアローが訴える。

―――すばるさんがいいって、あたちが思ったからで、すばるさんじゃないとだめなのっ!!

「理由は?」

―――理由! 理由は、え、理由……理由は……

 ばさばさと羽ばたいていたのが、次第に大人しくなってきて。
 もごもごと何かを思案しているようで。
 やがて、きりりとした顔を向けて。

―――あたちがそう思ったからっ!!

 と、言い切った。

「いや、それ答えになってねーから」

 半目で唸るすばるに。
 妹ファイアローはしゅんっと沈んだ面持ちになる。
 だって、理由はそれだけで。それ以外には何もなくて。
 だから。彼に近付きたいとか、知りたいとか、仲良くなりたいとか。
 そう、思ったのだ。
 こんな気持ちは初めてで、初めてだったから。
 その初めてが彼なら、どんなに素敵だろうかと思ったのに。
 それでは駄目なのだろうか。
 すばるを見やる彼女の瞳が、少しずつ涙でゆれていく。

「あ、いや、ちょ」

 それに気付いたすばるが慌てる。
 いや、別に泣かそうとか思ったわけではなくて。
 彼女の気持ち。その根底に在るものを知りたかっただけで。
 彼女がくれた答えで、彼の気持ちはもう決まっていた。
 ただ、彼女があまりにも自信に満ちて答えるから。
 少しだけ警戒していた自分が、恥ずかしくなってしまっただけだ。

「悪かった」

 気まずそうに目をそらす。

―――?

「俺も、お前と仲良くなりたい」

 そうだ。自分だって、彼女に惹かれる部分が始めからあって。
 けれども、相手に何か目的があっての気持ちだったら。そうだったら。
 ただ、自分が虚しいだけではないか。
 だから、少しだけ彼女に対して警戒してしまった。
 なのに、彼女はそのままの気持ちをぶつけてくるものだから。
 毒気を抜かれてしまった気分だ。

「その、な」

 だから、だろうか。
 それを言葉にするのは、それなりの勇気が必要なようで。

「あー、まあ……その……」

 なかなか、“それ”が出てこない。と。

―――友達になりたいです

 急に飛び出してきたその言葉。
 すばるは弾かれたようにして顔を上げた。
 顔を上げたその先には、えへへ、と笑う彼女がいて。

―――友達になりたいですっ!

 もう一度、それをカタチにした。
 すばるは、そんな彼女を暫く呆けたように見つめたあと。

「なんだよ、それ」

 少しだけ、困ったように笑って。

「俺も、友達になりてーです」

 と、人とポケモンの繋がりのカタチを。
 静かに彼女へと差し出す。
 すばるの掌に乗っていたのは、赤と白の球だった。



   *   *   *



 それから、一羽と一人は他愛ない話をした。
 今日は雨が降ったね、とか。
 雨は好きなのか。
 どんなことが好きなのか。
 楽しいと感じることは、とか。
 他愛ない話をたくさんした。
 そして、気が付けば日は傾いていて。
 そして、空が藍色に染まった頃だった。

『すばるの、ぶうわああかああっ!!』

 電話向こうの声。それが森中に響き渡って。
 はにかんでいた顔が瞬時に掻き消える。
 やばい、怒らせた。

「俺、最低じゃね……?」

 確かに言った。彼女に“待ってろ”と。
 なのに、だ。目的の存在は見つけて、無事も分かった。
 それなのに、自分を優先してしまって。
 彼女の存在がいろいろと押しやられていたのは事実で。
 彼女が怒るのも分かる。
 そう思った彼は、駆ける足により力を込めて駆けた。
 そのあとを慌てて追いかける二羽と一匹。
 飛び立つ二羽の背には。
 すっかり元気になってはじゃぐ白と。
 心配そうな顔をしている茶が。
 それぞれに乗っていた。



   ◇   ◆   ◇




■筆者メッセージ
残り2話。本編最終話とエピローグです。
ただし、最終話は文字数の関係で四回更新となります。
ばす ( 2019/09/20(金) 20:31 )