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ティータイム 6th time-イチ-
54杯目 襲来

 あの毛玉達はこの森に向かったらしい。
 なぜ森に向かったのか。それはあとで訊くとして。

「願い星の森、か」

 すばるが思わず呟いた言葉に。

《すばる?》

 彼の前を歩くエーフィが振り返った。
 どうしたの、と。彼女の二又の尾がゆれる。
 けれども、その姿をすばるからは視認できない。

「んー、いやーね。ここに住むポケモン達って、他のとこと比べると人に敏感っていうか、神経質なところがあるっていうか」

 森に足を踏み入れた瞬間。悪寒が走った。
 それだけですばるは察する。
 ああ、俺は歓迎されていないな、と。

「俺、歓迎されてねーみたいだし?」

 腰まで伸びた草を掻き分けながら、すばるはぼやく。
 歩を進める度に、ぞくりとしたものが身体を駆け巡る。
 比例するように、森の木々がざわざわとざわめいている気がする。

「それに、普段からあまり人は近づかねー森だろ? 俺もここには入ったことねーし?」

 一人、言葉を並べていく。

「俺、めんどーごとには首を突っ込まなねー主義だし?」

 それでも、彼の足は歩を進めている。
 そんな彼の前を歩く彼女。
 身の丈よりも高い草に隠され、姿の見えないエーフィが言葉を挟む。

《なら、帰る? その面倒事に巻き込まれる前にさ》

 がさがさ、と。すばるが草を掻き分ける音。
 さわさわ、と。エーフィが草を掻き分ける音。
 そして、歩を進み続ける一人と一匹の足音。
 そこに、ざわざわとざわめく木々の声。それはとてもうるさいほどに。

「なあ?」

 木々のざわめきはうるさい。
 まるで、何かの音や気配を隠そうと叫んでいるみたいに。

「そのセリフ、さ」

 すばるの歩みが止まった。
 瞬間。桔梗色の瞳が瞬いて。
 上体を後方へ反らす。

「もう、遅くね?」

 刹那。ひゅっ、と。
 すばるの眼前で空気を裂く音が響いた。
 そこには先程まで、すばるの首があった場所で。

「やだよ、俺。胴体とさよならっつーのは」

 首があった場所に鋭い何かが裂いた状況。
 なのに、どこか緊張感のない響きの声。
 焦ることはない。すばるの直感が告げていた。
 首のあった場所を裂いたそれ。
 でも、実際に首そのものを狙っていたわけではない。
 実際に裂かれていたとしても、薄皮くらいだろう。
 それくらいならば、赤が飛び散るだけで済む。
 まあ、行動不能にはなるだろうけれども。
 何とも野蛮な奴が住む森だ。
 身体を反らしたことで、上下が反転したすばるの視界。
 緑の蜥蜴が刃を引き戻したところだった。

「ジュカインの“リーフブレード”か」

 自身の刃を見切られていたことに驚き、軽く目を見開くジュカイン。
 けれども、直ぐ様にそれを引っ込めて第二陣を放つために構える。

「と」

 が、その動作をすばるは見逃さなかった。
 後方へ反らした上体。それをそのまま倒して。
 両手を伸ばして地に触れる。
 それを軸に、逆に足は地を勢いよく蹴り上げて。
 反転。背を地に向けていたのが、空へ向けることになる。

「そうは」

 蹴り上げた勢いのまま、すばるの足はジュカインの首を挟み込んで。

「させねーよっ」

 そのまますばるの身体はジュカインの上へと乗っかかり。

「っと」

 ジュカインを地へ押し付けて。
 体重を乗せてその場に組み伏せる。

「反射的に動いちまった」

 息に乱れはなく、汗もない。
 流れるようなこの動作は、旅の過程で会得したもの。
 自分の身を護る術を持っているのは何かと便利だ。
 だが、大人しくその場に組み伏せられるジュカインでもなかった。
 ぐぐっと力を込め、立ち上がろうともがく。
 それでも、全体重を加えたすばるを退けるには至らず。
 立ち上がるのは無理だと察すれば、今度は自身の尾を大きく振り上げる。
 ちらりと肩越しに振り返るすばる。
 振り上げられた尾が大きく彼に影を落とす。
 けれども、彼に焦燥の色はない。
 振り上げたまま、ぴたりと動きを止めたジュカイン。その顔は苦痛で歪む。
 ずしん、と。振り上げられた尾が、勢いよく地に沈んだ。

「さんきゅー、ふう」

 すばるが視線を前方に戻した先。
 草の分け目からするりと姿を現したエーフィ。
 彼女の額を飾る赤の珠が淡く光を放つ。
 それと同じ輝きを、彼女の瞳も発していた。
 すばるがジュカインの上から退く。
 瞬間。ジュカインが抵抗を試みるも、それも空しく、より地に伏すことになる。
 不可視の力で押さえ付けられたように、地に沈むジュカイン。
 その瞳は苦痛に歪みながらも、鋭い眼光をすばるとエーフィへ向けている。
 エーフィが目を細めた。

「――――っ!!」

 刹那。ジュカインの声なき声が響く。
 ジュカインの息がもれて、同時に目を見開く。
 彼は確かに聞いた。みしっ、と自身の身体が軋む音を。

「な、なあ、ふうさん?」

 おそるおそるエーフィへ声をかけるすばる。

《何》

 そんな彼へ視線を向けず、短く声だけで応じる。

「いや、ちょっと“サイコキネシス”の威力がありすぎじゃないかと」

 明らかに身体が軋んでいるような気がする。

「お前の念の力って、普通よりも強力な性質だし」

 これはやり過ぎだ。言外にそう告げた。
 ちらりと一瞬だけ視線を投じたエーフィ。
 すばるの言外の言葉も察しているし、自分の力のことも承知している。
 だが、それでも手加減をする理由にはならない。

《こいつはすばるに危害を加えた》

「でも、俺、よけたし、怪我ないし」

《少しずれてれば、怪我じゃすまなかった》

 瞬間。エーフィの瞳の奥に不穏なものが揺らめいた。
 流石のすばるも言葉が詰まる。
 確かにそれもそうなのだけれども。
 行動不能にさせようとしてきたあたり、何て物騒なと思わないでもなかったけれども。
 それでもこのジュカイン。たぶん、なかなかの手練だと思う。
 だから、ギリギリを狙って攻めてきたのだと思うのだ。
 それに、自分達の目的はこれではない。
 余計な火種はまかないに尽きる。

「ふう」

《…………》

 桔梗色の瞳と紫の瞳が絡まる。

「ふう」

 桔梗色が鋭く細まる。

「放せ」

 短く。それだけ。

《…………っ》

 エーフィから吐息がもれて。嘆息。
 刹那。ジュカインを押さえつけていた不可視の力が霧散した。
 途端に後方へ飛び退き、すばる達から距離を置く。
 両肘の刃を構え、いつでも対応できるようにと体勢は崩さない。
 けれども、その肩は上下をしており、疲れが感じ取れる。大丈夫だろうか。
 だが、そんな懸念は無駄に終わる。
 ジュカインの背にある実が輝きを持ち始める。
 それはまるで、空から降り注ぐ光を集めているようで。
 次第に、上下していたジュカインの肩が落ち着きを取り戻し始めて。

「マジか……“光合成”使えんのね」

 思わずぽつりと呟く。
 ぴりりと張り詰めた中。
 一つ、尾をゆらしたエーフィがすばるの前へ躍り出る。

《面倒事に首を突っ込まない主義のすばるさん?》

「なんだよ」

 くわっとジュカインが口を開口。

《このまま帰ります?》

 瞬間。ジュカインから放たれた弾丸、“タネマシンガン”。
 接近戦は厳しいと思ったのか、遠距離に切り替えたようだ。
 だが、同時にエーフィの防御も展開される。
 涼しい顔で不可視の壁を形成。
 否、目を凝らせば淡い緑の障壁を築いていた。
 すばるを振り返って、問いの答えを待つ余裕まであるようで。

「“まもる”に集中しろよ」

 すばるが苦言をもらしても、尾をひょんひょんとゆらすだけ。

「ああ、もう……」

 そんな彼女に諦めの息を吐いた――刹那。

《しまっ――》

 焦燥の混じった声音。
 彼女が素早く振り返って、発せられた言葉も途中で掻き消える。
 ごおっと唸って放たれたのは――業火。
 ぴしっ、と。エーフィの築いた障壁に亀裂が走る。
 次いで。ぱりん、と耳心地なくらいの高い音がした。
 障壁が砕かれたのだ。すばるは咄嗟に。

「ふ――」

 ふう。と名を呼ぼうとして、喉にちりりとした焼けた痛みで咳き込む。
 その反動でさらりに焼けた痛みが走る。
 障壁が砕かれた瞬間。空気がすばる達の周囲に一気に雪崩れ込んだ。
 それは業火によって熱せられた空気に、飛び散る火の粉。
 すばるを襲った熱を持った風圧。それを腕をかざしてやり過ごす。
 けれども、その腕を火の粉が容赦なく焼く。
 熱せられた空気は熱としてすばるの喉を焼き、飛び散った火の粉は肌を焼いた。
 そしてそれは、エーフィも同じで。
 すばるの足元でけほけほと咳き込んでいた。
 彼女自慢のビロードのような毛並みも焼け焦げ、所々が縮れてしまった。
 何が起こったのか。
 それを判断しようと目をすがめても、すばるの瞳には砂塵しか映らない。
 だが、そんな彼の心に声が響く。

《ジュカインの他にいる》

 エーフィのシンクロを用いた声。
 自分達は“思念の声”と呼ぶそれは、喉を震わせて発する声ではない。
 この状況でも彼女のその声はしっかりと届く。

「――っ」

 何が、と問おうとして、喉を考慮して口を閉ざした。
 代わりに胸中で訊ねる。何が、と。
 すると、それはすぐに返ってきた。

《そこまでは分からないけど、ジュカインを庇うようにボク達と対峙してる》

 エーフィは空気の震えを感じ取れる種。
 視認できない状況下でも、周囲の様子を把握することは容易だ。
 の、はずだったのだが。
 何だよ、わかんねーのかよ。
 と毒づけば、不機嫌なそれが返ってきた。

《感知がなぜか邪魔されるの。ボクだって万能じゃないやいっ》

 その返答に、すばるは眉根を寄せる。
 邪魔されるとは、一体――。
 瞬間。一陣の風が吹き込む。
 まるで、意思を持っているかのようなそれ。
 舞い上がっていた砂塵が吹き飛ばされ、視界が鮮明になっていく。
 おそるおそる、かざしていた腕の隙間から様子見て、驚きで小さく目を見張る。
 まっさらな光景がそこにあった。
 いや、まっさら、とは語弊がある。
 晴れた視界。目の前に広がる風景は、先程と何も変わりがない。
 確かに直前まで業火が唸っていたはずなのに。
 それならば、近場の草木は燃えているはずで。
 なのに、焦げの一つもなかった。
 ただ、先程と変わったことが一つだけある。
 たらり。汗が頬を伝う。

「今度はキュウコンのお出ましかよ」

 それを手の甲で乱暴に拭って、はっと気付く。
 無意識に喉に手を当てて。

「声が、出る――」

 焼けつくような喉の痛みが消えていた。
 肌を焼いた痛みも、焦げあとも。
 きれいになくなっていた。まっさらと。
 視線を落とす。
 エーフィの様子も同じだった。
 前足を喉に当てて、状態を確認していた。
 するりと喉から飛び出る声は、彼女が本来持つ声。
 彼女自慢のビロードのような毛並みも、艶やかな光を弾いている。
 エーフィがすばるを見上げた。
 桔梗色と紫の瞳。両者の視線が絡まって。
 同時に目の前のそれへと向けられた。
 一人と一匹を睥睨する赤の瞳。それが、妖しく光を宿していて。
 その持ち主であるキュウコンの輪郭は陽炎のようにゆらめく。
 傍に控えるはジュカイン。
 彼女に忠誠を誓うかの如く、片膝を折り曲げて後方で頭を垂れる。
 キュウコンは、そんなジュカインへ肩越しに視線を投じる。
 そんな彼にうっすらと残る痕を瞳に映して。
 キュウコンはさらに、その赤の瞳を鋭く細める。
 緊張帯びる空気の中。

《で、帰ります?》

「は?」

 エーフィのおどけた声が通った。
 すばるは思わず問い返して、彼女を凝視する。
 けれども、すばるよりも前に出た立ち位置。
 彼女が振り返らなければ、すばるからはその表情は伺えない。

《だから、さっきの続き》

 さっきとは、業火が襲う前のあのやり取りか。
 それを悟った瞬間。すばるの口の端が持ち上がった。

「はっ。冗談」

 彼の顔に浮かぶのは不敵なそれ。

「帰らねーよ。俺達まだ、あいつら見つけてねーだろ?」

 そう言うと、彼に背を向けた彼女が笑う気配がした。

《だよね。あの子達探さなきゃいけないし、ボクだって、ラテちゃん――ラテに“ママ”してないし》

 エーフィの周囲の空気が渦を巻き始める。彼女の持つ力、念の奔流。
 彼女の房になった毛が優雅にたなびく。

「そゆこと。これは必要のあることっつーわけで、首を突っ込まねーと」

 桔梗色の瞳が前を真っ直ぐ向く。
 たらりと幾度も頬を伝う汗。
 それを乱暴に手の甲で拭う。

「あのキュウコン、やっかいそーだなあ、おい」

 睥睨する赤。それは見下ろすようで。
 なびく金色の九つの尾。纏う空気は神秘をはらむ。
 それはまるで――神のようで。
 一歩。それが足を踏み出した。
 刹那。エーフィの力が迸る。
 彼女の周りを渦巻いていた力の奔流。
 それが唸り声を上げながらキュウコンへと迫る。
 だが、キュウコンの前に影が割り込む。
 ジュカインが腕の葉に光を纏わせ、一太刀。
 それを相殺する。エーフィの力の余波が広がり、草木をゆらした。
 ちっ、と舌打ちをしたのはエーフィ。
 すばるは歯噛みする。
 あまりいい状況とは言えない現状。
 エーフィだけではきついだろうか。
 すばるはそっと腰へ手を伸ばす。
 指がモンスターボールへ触れた瞬間。
 それは、するりと滑り込むように流れ込んできた。

“人間。なぜ、この森に足を踏み入れた? 目的はなんだ?”

 眉をひそめて、すばるはキュウコンを見やる。
 赤の瞳が仄かな妖しい光を放ち、鋭く細めれた。

「幻、か……」

《?》

 すばるの小さな呟きを拾ったエーフィが肩越しに振り返る。
 それにちらりと視線を向けつつ、彼は言葉を続ける。

「キュウコンは相手の心を操る力があると言われてるらしい」

《もしかして、さっきの炎も……?》

「たぶん、な」

“答えろ、人間”

 威圧ある声が響く。
 これもまた、その力の一端なのだろう。
 桔梗色と紫の瞳がキュウコンを見上げる。
 キュウコンの傍に控えるジュカインが身構えた。
 ぴりりと張り詰めた空気。触れれば裂かれてしまいそうな程に痛い。
 その中を、すばるはゆっくりと口を開く。
 たらり、と汗が頬を伝う。

「探しに来ただけだ」

 瞬間。キュウコンの瞳が一層、鋭く細められた。

“我が護る存在をか?”

「護る、存在……?」

 訝しげにすばるは眉をひそめる。
 記憶を手繰って、この森の呼び名の所以を思い出す。
 地図にその名が刻まれているわけではない。
 だが、人々は遥か昔からこの森をこう呼ぶ。
 願い星の森――と。
 それは、この森は願い星が育てた森だと伝えられているから。
 願い星。その異名で呼ばれる存在。
 そして、その眠りを護る一族の存在。
 ああ、なるほど。すばるは一つ、頷く。

「ジラーチの眠りを護る一族があんたなのか」

 その言葉に、キュウコンの神通力が迸った。
 ざわざわと木々は鳴き、余波が風となってすばる達を襲う。
 鋭く研ぎ澄まされた風は刃と化して。

「――っ!」

 すばるの。
 庇うように前に交差させた腕を。
 その隙間から覗く頬を。

《――っ!》

 エーフィの。
 艶やかな光を弾く毛並みを。四肢を。
 それぞれの肌を裂く。
 風の刃。一閃。軌跡として赤が走った。

“彼の方の眠りを妨げようとする者は”

 キュウコンの言葉に呼応しように。

“我が許さんっ!!”

 ジュカインが地を蹴り上げた。
 腕の葉が光を帯びて、二刀の“リーフブレード”となる。
 それを交差させ、真っ直ぐと突っ込んでくる。
 エーフィが体勢を低くして防御を展開。
 彼女の気の昂りが、額の珠を激しく明滅させる。
 鋭く睨む紫の瞳。ジュカインをしっかりととらえて。
 同時に“まもる”が発動。淡い緑の障壁が築かれる。
 だが、そんな彼女の背後。すばるの桔梗色の瞳が見開かれる。
 ジュカインが、笑った。微かな笑みを、確かに浮かべたのだ。
 その理由を彼は瞬時に理解する。
 ジュカインの後方。キュウコンの開かれた口腔に集約される熱。
 本能が警鐘を鳴らしている。
 あれは――炎。あれは本物だ。先程の幻なんかではない。
 エーフィの“まもる”で防げるのか。
 答えは――否。“まもる”で防げるのは一度の攻撃のみで。

「ふう」

 すばるが名を紡ぐ。
 前方に注意を向けながら、エーフィの耳がすばるの方を向いた。

「キュウコンが次の準備に入った」

 すばるが自虐的な笑みを口の端にのせる。

「吹き飛ばせるか?」

 エーフィの耳がぴくりと動いた。

《それは》

 エーフィが展開していた“まもる”を解く。
 まるで、次に続いた質問の答えを。

《全部?》

 予めに知っていたかのように。

「――もちろん」

 すばるがにいと笑った。

《ふーん。分かった》

 エーフィもにいと笑う。
 瞬間。周囲の音が鎮まる。
 音とという音が消え、己の鼓動、息づかいさえ掻き消えて。
 文字通りの静寂が降り立ち、その場を支配する。
 エーフィが“まもる”を解いた時点で内心驚いていたジュカインだが。
 すでに攻撃の姿勢に入っていたわけで。
 周囲の空気が色を変えたのを肌で感じながらも。
 ある種の覚悟も持って、より加速する。

《へえ、やめないんだ》

 エーフィの額の珠。明滅を繰り返すそれが、より一層輝きを増して。
 彼女の瞳も同じ色の光を宿す。
 次いで。きーん、という高い音が、辺りに響き始めた。
 頭に走る微かな痛み。それは予兆。
 その痛みに顔をしかめながら、すばるは衝撃に備えて身構える。
 身構えてたって、きっと、気休めにもならない。
 なのに、口の端にのせた笑みは深さを増す。
 抑制を知らない、彼女の純粋な念の力は、今までに一度も見たことはない。
 全てを吹き飛ばせ。ということは、その力に自分も呑まれるということ。
 少しばかり、好奇心が表に顔を出す。
 だが、まあ、実際に。
 たぶん、たぶん、だけれども。
 全力を出さなければ、キュウコンの炎に呑まれて終わりな気はする。
 キュウコンが何かを勘違いしている気はするが。
 弁解の余裕はなさそうだ。
 ほらだって。もう、ジュカインは目の前だ。
 その後方で、キュウコンが炎を放った。
 まるでそれは、くわっとあぎとを開いた獣のようで。
 瞬間。エーフィの瞳が光り、力が迸る――刹那。
 すばるの後方から風が駆けた。
 その余波が頬を叩き、唸りが耳朶を叩く。
 すばるが息を呑んだ時には。
 駆け抜けたそれはエーフィの上を通過。

《――――》

 エーフィが吐息をこぼした。
 かきんっ、と。ジュカインの“リーフブレード”と風がぶつかった。
 否、それは風ではなくて。
 その正体にジュカインが目を小さく見開く。

「――――い、ち?」

 すばるが小さくその正体の名を紡ぐけば。
 彼の声に応える代わりに。
 ファイアローが“ブレイブバード”で、“リーフブレード”ごとジュカインを押し切った。
 押し切られたジュカインは、空中で体勢を立て直して着地。
 だが、すぐにはっとして振り返る。
 振り返った先には迫るキュウコンの炎。

“ライちゃんっ!”

 焦燥の滲んだキュウコンの声が響き渡る。
 その距離はもうあまりない。
 誰にも、どうすることも出来ない。間に合わない。
 そう思ったとき。ジュカインと炎の間に割り込む炎が一つ。
 炎と炎が交わり、一度大きく膨らみ、熱気が破裂。
 それぞれへ熱風が襲うが、その場に吹き込んだ風がそれらを吹き払う。
 相殺された炎が、火の粉となって飛び散る。
 ばさり。二つの羽ばたきを耳にして。
 その場の皆が顔を上げる。
 皆の視線が集まり、火の粉が舞う中。
 静かに舞い降りる二羽のファイアロー。
 ファイアロー達が背後に庇うのは、すばるとエーフィで。
 ジュカインとキュウコンに対峙する形となる。

“我に歯向かう気か?”

 キュウコンの鋭い声音が響く。
 キュウコンの傍まで下がったジュカインが、ファイアロー達に非難の眼差しを向ける。
 だが、臆する様子のない片方のファイアローが一歩踏み出す。

―――すばるは、僕の大好き人の大好きな人だから

 ファイアローが唸る。

―――傷つけるなら、いくら長老おねえさんとライくんでも許さないよ?

 その言葉に、キュウコンの眉間にしわが刻まれる。

―――それに、この人達が探しに来たのは、願い星様じゃなくて

 ファイアローの言葉を引き継いだ、もう一羽のファイアロー。
 その彼女が、ちらりと近くの茂みに視線を投じる。

―――この子達じゃないのかな?

 おいで。と彼女が一言発すれば。
 がさごそと茂みが動き始めて、中から勢いよく飛び出したのは。

―――ママ、おケガしてるっ!!

 慌てるようにエーフィへ駆け寄った白の毛玉。

《ラテちゃん!?》

 傍まで駆け寄ると、エーフィの身体から垂れる赤を舐めて。
 涙でゆらした瞳で、白イーブイが心配そうに見上げる。
 改めて自分の身体を見回したエーフィ。
 確かに浅く裂かれたところが、裂傷となって赤が滴っているけれども。
 深いわけじゃない。こんなのはすぐに治せる。

《平気だよ》

 にこりと白イーブイへ笑いかけて、彼女の額の珠が光る。
 同時に彼女の身体も光が包み始めて。
 光を伴って、裂傷が癒えていく。
 エーフィの技、“朝の日差し”。傷痕もなく癒えていく。
 残るのは滴った赤だけだ。これはあとで洗い流せばいい。
 心配そうに見上げる瞳に、エーフィはにこりと微笑む。

《ね?》

 そんな母親の笑みに、そっと安堵した白イーブイは。
 きゅうっと彼女に額を押し付けて、うりうりと擦りつける。
 安心した気持ちが甘えに変わった。
 その幼子を背を前足で抱き寄せて、尾でよしよしと宥める。

「自力で治癒なんて、ずりーよなあ」

 それをじと目で眺めていたすばる。

「お前もそー思うだろ? カフェ」

 足下ですばるを見上げていた茶イーブイ。
 彼を抱き上げたすばるが、自分の目線まで持ち上げて問いかける。
 が、すぽっとその手から抜け出した茶イーブイは。
 そのまますばるの腕を伝って、肩に辿り着くと。
 ぺろり。すばるの頬を垂れる赤を舐めとる。
 口内に広がる慣れない鉄の味に顔をしかめた。
 けれども、再度それを舐めとろうとして。

「いいよ、カフェ」

 すばるに制止の声をかけられる。

―――でも、すばるおにいちゃん……

「気持ちだけでじゅーぶんだ。サンキューな」

 腕を伸ばして、茶イーブイの頬を撫でる。
 彼はくすぐったそうに目を閉じた。
 そんな彼等のやり取りを背後にして。
 ファイアロー達が構える。
 同時に、すばるとエーフィの視線もそちらに向けられていて。
 すばるは腰に手を伸ばして、二つのモンスターボールを手にする。

―――今度は僕とニアが相手になるよ?

 ファイアローが、ぴいっと鋭く高く鳴く。
 警戒音。対峙するキュウコンとジュカインを敵と認めた証拠でもあった。
 が。そこで、キュウコンが静かに視線を横に投じる。
 眉間に刻まれたしわは、深かった。

“――ライちゃん?”

 ジュカインの身体がびくりと跳ね上がった。
 にこり。笑みを貼り付けたキュウコン。

“あなた、私に侵入者がいるって言ったわよね?”

 一歩、一歩。確実にキュウコンはジュカインとの距離を詰める。
 キュウコンはにこりと笑んだままで、それを絶やすことはない。
 だらだら、と。ジュカインは背に汗を流して、震え上がる。

“まさか、勘違いなの?”

 ずんずんと距離を詰めるキュウコン。
 絶えず背に汗を流すジュカイン。

“ねえ、ライちゃん?”

 名を呼ばれ、ぴしっと反射的に背筋を正すジュカイン。
 ぴたり、と。ジュカインの前で歩みを止めたキュウコン。

“私はあなたに、もっと気楽にって言ったと思うわ”

 ずいっとジュカインの眼前に迫るキュウコン。

“それに、人には気をつけて、とも幼いあなたに教えたわ”

 覚えている。と、こくこくと頷くジュカイン。
 そう、よかったわ。と、嬉しそうにキュウコンは笑んだ。

“人は良きパートナーにもなれば、その反面、憎しみを抱かせれば、とても恐ろしい生き物にもなるのよ”

 二百年以上の時を生きる彼女だからなのか。
 その言葉はとても重い響きとなる。

“だから、気をつけて――なのよ? その教えを覚えているライちゃんだから、私もあなたの言葉を信用したの”

 そこで、キュウコンの笑みが深くなった。
 にこり、と深くなった。
 瞬間。ジュカインが震え上がる。目に見えて、震え上がった。
 ついでに、静かに清聴していたファイアロー達に、すばるとエーフィも。
 そのキュウコンの様子に、静かに震え上がっていた。

“それが”

 瞬間。キュウコンから笑みが消えた。
 一切の感情が抜け落ちたように。

“勘違いだったって? 思い込みだったって?”

 キュウコンの顔がジュカインにさらに迫る。
 それはもう、互いの息を感じる程に。
 ジュカインの鼓動が跳ねた。
 どくん、と重く響く。
 普段ならば、神々しさを持つキュウコンに近寄られると。
 胸のときめきを覚える類いの鼓動だけれども。
 この時、この瞬間ばかりは、生命の危険を覚える鼓動だった。

“傷を負わせてしまったわ。これで人の恨みを買ってしまったら、どうすればいいのかしら?”

 低いキュウコンの声音。
 その時、ジュカインを不憫に感じたすばるが、おそるおそる言葉を発した。

「あの、まあ、その。俺達も、無断で足を踏み入れちまったのは、悪かった、かな、と……」

 そっとキュウコンが、すばるに視線を投じた。
 視線を向けられたすばるは無意識に身構えて。
 ぴくっと反応した茶イーブイは、すばるの肩にしがみついて顔を伏せた。
 幼子の彼は隠れたつもりだったのだけれども。
 両耳は無意識に音を拾おうと立ち上がっていた。

「この森が大事な場所ってのは、知ってたし、な……」

 刹那。感情が消えたキュウコンの顔に、花がほころぶように笑みが浮かんだ。
 ぱあっと輝いた笑みだった。
 ぴんっと彼女の両耳が立ち上がって、九つの尾がふぁさふぁさとゆれる。
 たたっと駆け出した彼女に。
 ファイアロー達もエーフィも、咄嗟のことで反応が遅れた。
 もたもたするうちに、キュウコンがすばるの前まで辿り着いてしまっていた。
 ごくりと息を呑むすばるに、キュウコンは子供みたいに笑って。

“アイムソーリーヒゲソーリー”

 てへっ、と。舌を出した。
 そして、改めて。

“私達の勘違いみたいで、怪我を負わせてしまったわ。本当にごめんなさい”

 と、丁寧に頭を下げた。
 けれども、いつまで待っても反応がない。
 不思議に思って顔を上げたとき。
 その場に漂う妙な空気にようやく気付いて。
 小首を傾げるキュウコン。

“あら? どうしたの?”

「……あ、いや、その。……あいむ、そー、りー……」

―――すばる、言わなくていいよ

 やれやれと首を降るのは、イチと呼ばれるファイアロー。

―――長老おねえさん、ちょっと変だから

 その声音はもう、諦めているような響きを持っていた。

“アイムソーリーヒゲソーリーって変だったかしら?”

 きょろきょろと周りを見回すキュウコン。

“少し前に人の世に降りた時、流行っているお詫びの言葉だと教えてもらったものよ?”

 きょとん、と小首を傾げた。
 本当に不思議でたまらないっといった様子で。

「少し前って、何十年前だ……?」

 半ば本気で頭を抱えるすばる。
 少なくとも、自分が産まれる前の年代な気がする。
 キュウコンは千年の時を生きると伝えられている種だ。
 この場にいる誰よりも年長だろうとは思うけれども。

《ボクも人の流行りには興味ないから疎いけど、アイムソーリーヒゲソーリーって、今はもう死語じゃない?》

 エーフィがずばりを切り込む。

“えっ!?”

 キュウコンの素っ頓狂な声が響き渡った。
 そろって嘆息するその場の皆。
 けれども、すばるの肩の茶イーブイと母にくっついている白イーブイは。
 その場のやり取りの意味が分からず、互いの顔を見合うと首を傾げた。
 ジュカインだけが別の空気感の中。
 安堵に包まれた心境で、改めて森の若長としての任に勤めようと、新たな決意を固めていた。

ばす ( 2019/07/15(月) 19:52 )