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ティータイム 6th time-イチ-
48杯目 僕の帰る場所

 彼の朝は早い。
 彼の目覚めを促すのは、まだ眠っているみんなの寝息。
 穏やかな寝息に包まれて、ゆっくりとまぶたを持ち上げる。
 くわあとあくびを一つしたあと、次いで筋を解してから立ち上がる。
 喫茶シルベの二階。つばさの部屋の机横。そこが彼の定位置だ。
 とてとて、と。朝一番に足を向けるのはベッド。

―――おはよう、つばさちゃん

 眠る顔が可愛くて、えへへと静かに笑う。
 次いでは、ベッド横の大きなクッションで眠る二色毛玉に視線を落とす。
 その前につばさの枕横で眠る夜闇を見たが、それはきっと空見か何かだ。無視。
 毎夜つばさの隣で寝ていてずるい。
 視線を落とした先では、重なり合うように二匹の子イーブイが眠る。
 白イーブイの下になっているのは茶イーブイで。
 その彼の眉間にしわが寄っている。
 うう、と少しだけ苦しそうな声がもれていたから。
 ちょいっと嘴で白イーブイを退けてやると、すぐに眉間のしわが解れた。
 ころんと転がった白イーブイは、よだれを垂らしてむにゃむにゃ。
 そんな二匹の愛らしさに頬がゆるんだ。
 彼は少しだけ目を閉じた。
 聴こえる寝息。それを感じて。

―――よしっ!

 小声で気合いを一つ。
 とてとて、と。歩いて。いそいそ、と。身支度を整えて。
 昨夜、つばさが用意してくれていた荷物。
 空きのミルク瓶が入った革製鞄。
 それを、自身の首からさげている革製首輪の金具に器用に引っ掛けて。
 そっと足音を忍ばせて。そっと窓を開けて。そっと窓枠に足をかけて。
 そっと。起こさないように静かに。
 最後にそっと。みんなの寝息に耳を傾けて。飛び立つ。
 飛び立つ先は懇意にしている牧場。
 そこで朝の絞りたてミルタンクのミルクをいただく。
 ミルク運搬。それが彼の毎朝の仕事だった。
 そして、彼が飛び立ったあと。
 枕横で眠っていた夜闇が、ちらりと横目で窓を見やった。
 金の瞳が淡く光を放てば。開け放たれたままの窓は、ひとりでにそっと閉まった。
 “サイコキネシス”で窓を閉めたブラッキーは、ふすうと息を一つ吐き出して。
 再びまどろみに身を委ねた。



   *   *   *



 あと何回、この日常を繰り返せるのだろうか――――。



   *   *   *



 浮上した意識。
 ファイアローはまぶたを持ち上げて初めて気付く。
 ぽとりと落ちた、数粒のしずく。
 瞳からあふれたそれは、込み上げた気持ちが押し上げたもの。
 自覚する。不安なのだ。
 夢でみたあの風景。今まで繰り返してきた日常。それが、終わる。
 繋がりの名が変わることは、そういうこと。
 今まで繰り返してきたものを壊すこと。
 あの日常が自分の帰りたいと思う場所。
 では、その先は。
 壊れた先に、自分の場所は。
 帰りたいと願う場所は、あるのだろうか。



    *   *   *



 それが、帰りたいけれども。
 帰りたくない理由なのだろうな、と。
 朧気だったけれども、確かにそう思った。



    ◇   ◆   ◇



 夢をみて、目を覚まして、再び眠ってしまった。
 二度寝は本当に久々のことだった。

―――ミルク運搬さぼっちゃったもんね。困ってるよね

 うろから顔を出して、高く昇り始めた空を見上げる。
 困ってるだろなあ、と思う。
 帰ったら謝らないとなあ、とも思う。
 けれども、だ。

―――じゃあ、質問だよ

 こほん、と一つ咳払い。

―――シルベに帰りたい?

 うん、帰りたい。
 だって、あそこが自分の帰る場所だから。

―――じゃあ、今すぐにでも帰る?

 いや、それは。少しだけ言いよどむ。
 帰りたいのは確かだ。けれども、それは今ではない気がする。

―――今は、帰りたくない

 無意識に呟いた。
 それに気付いて、慌てて口をつぐむ。
 帰りたくない。そう、思っているのだろうか。
 帰りたいけれども、帰りたくない。
 でも、結局はそこに辿り着く。それが今の気持ち。

―――僕、どうすればいいのかなあ……

 このまま帰らなければいいのか。
 けれども、帰りたい。
 気持ちはぐちゃぐちゃだ。
 嘆息一つ。視線も自然と落ちたとき。

おはよう、イチちゃん

 にこりとこちらを見上げるキュウコンがいた。



    *



 幹にとまりながら、ファイアローが視線を落とせば。
 その眼下にいるキュウコンは彼を見上げた。

ほら、今までも日中には来てること多かったけど、こんなに長く居ることはなかったじゃない?

 だから、気になって。
 と、キュウコンは微笑をうかべながら首を傾げた。

何かあったの?

 赤の瞳が瞬いて、黄金の毛並みが風になびく。
 波打つ様は、秋の草原を連想させるなと思いながら。
 ファイアローは言葉を落とす。

―――あのさ

 なあに、と。彼女は瞳で応じる。

―――繋がりのカタチが変わるってことは、今まで築いてきたものを壊すってことでしょ

 赤の瞳が瞬く。
 続きを促してるのだろう、とファイアローは言葉を続ける。

―――その壊れた先に、僕の居場所ってあると思う?

 ばさりと羽ばたいて、ファイアローは地に降り立つ。
 地に降り立っても、キュウコンの方が目線が低いから、見下ろす形になるのは変わらない。
 きょとんとしたキュウコンは、数度、瞳を瞬かせて。

それは私には分からないわ

 と、呟く。
 まあ、そうだよね、と。
 答えが返って来ないことは分かっていたので。
 別段、ファイアローに落胆の気持ちはない。
 これはきっと、誰に問いかけても答えは同じだと思う。
 ただ。言葉にして、誰かに聞いてもらいたかっただけなのかもしれない。

―――そうだね、誰にも分からないよね

 キュウコンへ苦笑いを浮かべて。
 くるりと身体の向きを変える。

―――僕、ニアを探してくるね。起きたらもう、姿がないんだもん

 どこへ行ったのかな。
 と、言いかけたところで。

ねえ、イチちゃんはこの森が好き?

―――え?

 キュウコンの言葉で振り返った。

好き?

―――あ、うん

ふふ、そうよね

 キュウコンはふわりと笑んだ。

私は、人の世に降りたことがないから分からないけど

 ファイアローを真っ直ぐ見つめて。

人の世に場所を定めても、あなたはこの森によく訪れる。それは、この森が好きだからよね

 ファイアローは、キュウコンが何を言いたいのかが掴めない。
 困惑気な色を顔に広げる彼に、キュウコンは目を細めて笑う。

イチちゃんのそういうところ、私は好きよ

 首を傾げるファイアローに、キュウコンは笑みを深くする。

―――よく分からないけど、この森は僕の生まれた森ってこともあるし

 ファイアローの言葉に、キュウコンの瞳が動いた。

―――それに、この森はみんな優しいから、ついつい来ちゃうんだと思う

 さわりと風が吹いた。

―――人のにおいが染み込んでる筈なのに、拒むどころか迎えてくれるから

 自然に住むポケモン達は、人の存在に敏感で。
 同じポケモンだとしても、人のにおいを感じれば。
 その存在を拒むことも、決して珍しくはない。
 なのに、この森は拒むことはなく。むしろ、逆に迎えてくれる。
 それがとても嬉しくて、喫茶シルベが開店中の日中はここに訪れることが多い。

そうね、願い星が優しいから

 ゆっくりと口を開いたキュウコン。
 吹き抜ける風に身を委ねて。
 そっと、瞳を閉じた。

この森は優しいの

 ざわっと木々が鳴く。
 ゆっくりと開かれたキュウコンの瞳。
 まぶたから覗く赤の瞳。
 それが、煌々と妖しげな光を宿しているように、ファイアローは感じた。
 それが意識的なのか、無意識下なのか。
 ファイアローには判断が出来ない。
 けれども、それはキュウコンの瞬き一つで霧散する。

そんな森で育ったから、みんなも優しいのね

 ふわりと笑む。

それでも、ここはイチちゃんの帰る場所にはならなかった

―――え?

あなたはいつも、とても嬉しそうに空へ飛び立っていたわ

 キュウコンが空を見上げる。
 それにつられて、ファイアローも空を見上げた。
 吹き抜けた風にさらわれた葉が、空へと誘われて行く。

その飛び立った先にあるのが、あなたの居場所じゃないの?

 はっ、と。ファイアローの瞳が見開かれた。

繋がりが名を変えることは、確かに、今在るものを壊すことかもしれない

 けれども、と。
 キュウコンの視線がファイアローへ向けられた。

それは、まっさらになってしまうこと?

 こてん、と首を傾げた。

―――えっと……それは……

 ファイアローは咄嗟に言葉が出てこなかった。
 霧が晴れていくような感覚も覚える。

イチちゃんの言うそれって、季節みたいなものだと、私は思うわ

 キュウコンが視線を持ち上げて。
 その先が一つの枝葉に向けられた。
 そこから、ぷつっと小さな音がして。
 ひらり、と。葉が一枚、草地に落ちた。
 ファイアローの視線も、自然とそこに向けられる。

春が訪れれば、木々は青々とした葉を付けるわ

 二対の視線が向けられる葉。
 それが、静かにゆっくりと色付く。

秋になれば、装いを変える。色付いて、実をつけることもあるわね

 赤へと色付いた葉が、茶に染まっていく。枯れだ。

 冬になれば、それを越すために木々は葉を落とす

 気が付けば、そこに葉はなくなっていて。

でも、春になれば、木々はもう一度葉を付ける

 ほらね、と。
 キュウコンが再度そこを示せば、そこに確かに青々とした葉が一枚在った。
 ふわりと吹き抜ける風にさらわれて。
 楽しく躍りながら、何処かへと旅立って行く。

季節が巡っても、そこに在る木々はそこに在り続けるでしょう?

 キュウコンの言葉に、ファイアローは周りを見渡す。

春、夏、秋、冬。その時その時を表す言葉は変わるけれども、そこに在る変わらないものも、確かにあるわ

 ざわざわ、と揺れる木々。
 まるで彼女の言葉に、そうだよ、と同意を示しているようだった。

あなたの飛び立った先には、何が在るのかしら?

 キュウコンの改めての問いかけに。
 ファイアローは数度瞬いて、答える。
 それはもう、分かっている。

―――それは、あの時から変わらないよ

 くしゃりと笑った。
 あの焼けた森から救ってくれた時から。
 自分の帰る場所はあそこだ。
 それは、この先も変わらない。変えられない。変えたくない。
 彼女を取り巻く環境は、この先も変わっていくのだと思う。
 それこそ、季節のように移り行くのだろう。
 繋がりが名を変えるということは。
 時と共に、そのカタチも変えて行くことでもある。
 それでも、どれだけ時が経っても。変わらないものは確かにある。

―――僕、行かなきゃ

帰るの?

 キュウコンが目を細めて、穏やかに笑った。

―――ううん、まだ帰らない。帰りたい場所が分かったから、帰れない

 ファイアローは首をふる。

―――ニアの場所を見つけるお手伝いをしてあげないと。ニアにとってのその場所を

 何かを察したキュウコンが、くつくつと喉の奥で笑った。

―――僕、ニアのお兄ちゃんだもん

 えへへ、と。声をもらして、ファイアローは笑った。
 その顔が、少しだけ照れくさそうだった。

初めて出来るかもしれない“お兄ちゃん”だものね

 くつくつと笑い続けるキュウコンに、ファイアローは少しだけむっとする。

―――は、初めてじゃないもんっ……たぶん

 最後の言葉尻がしぼむ。
 それが楽しくて、キュウコンの笑いは深くなる。
 居心地の悪くなったファイアローは、ぷいっとそっぽを向くけれども。
 何だか自分の行動がおかしくなってきて、気が付いたら共に笑っていた。
 その笑いの中で、彼はぽつりと言葉を落とした。

―――心当たりは一つだけあるんだ

 キュウコンが顔を上げる。

―――僕の居る場所に行くって言うんだもん。それなら、出来るだけ僕の近い場所に居てって思うでしょ?

 ふふんっと、彼は得意気に笑う。

―――心当たりのそこはたぶん、そう遠くないうちに一つのカタチになると思うんだ。もしそこにニアが居てくれれば、もっと近くに居られる

 そこで、はたと気付いた。
 そうか、そうだったんだ。なんだ、自分はとっくに分かってたんだ。
 彼女と自分を繋ぐ、そのカタチを。
 その周りで起こるだろう、変化も。
 分かってた。受け入れてた。
 なんだ、思えば簡単なことだった。
 それがおかしくて、ふふっと小さく笑った。

―――ありがとう、長老

 そう言って、キュウコンを見やれば。
 何のことかしら、と。首を傾げる彼女。

イチちゃんが導いた答えじゃない。自信を持って

―――うん。でも、ありがとう、長老

 刹那。キュウコンの片眉がぴくりと跳ねる。
 表情は笑顔のまま。

長老は連呼しなくてもいいの

 ファイアローは数度瞬いて、慌てて言い直す。

―――ありがとう、おねえさん

 にこり。

私は何もしていないわ

 キュウコンはふわりと笑んだ。
 ファイアローは内心で苦笑をこぼす。
 まだ女の子。それが彼女の主張だ。
 こちらから見れば、もう十分なお年寄りだと思うのだけれども。
 まあ、この辺りはそういうことにしておこう。
 あはは、と。いつの間にか、乾いた笑みがもれていたらしくて。
 笑みを深くしたキュウコンが、何だかとても恐ろしく見えて。
 背から汗が、滝のように流れた気がした。
 ああ、これ以上触れれば。
 自分はいつか祟られてしまう。そんな気がする。

―――長老おねえさんっていうのは、どう?

 と、咄嗟に言葉を紡いでいた。
 何を言っているんだ、自分は。思考が急く。
 きょとんとした顔のキュウコン。
 その動きが停止していた。
 ああ、祟られてしまう。ごめんね、もう帰れないかもしれない。
 脳裏に過る少女の姿に謝った。
 次々に思い出す幾つもの姿。
 あんな思い出や、こんな思い出。
 そろそろ、彼の中でエンドロールが流れ始めた頃に。

その呼び方、素敵ね

 キュウコンの声がして、現実に引き戻された。
 花がほころびるような顔をする彼女は続ける。

気に入ったわ。これからはそう呼んで

 本当に嬉しかったのだろう。
 九つの尾がふぁさふぁさとなびいていた。

―――あ、うん……わかった、長老おねえさん……

 え、それでいいのか。それがファイアローが思ったこと。
 けれども、それを言葉にすることは出来なかった。
 それから、彼が再びこの森に訪れた時には。
 その呼び方は森中に浸透していた。



   *



 彼女と自分を繋ぐ、そのカタチを。
 きっと、みんなこう呼ぶんだ――――家族、と。
 時と共にカタチは変化するのだろう。
 けれども、そこに在るものは変わらない。
 と、自分は思うんだ。

ばす ( 2019/05/25(土) 17:04 )