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ティータイム 5th time-親と子-
46杯目 いつかの未来で

 ベッドに転がって、泣いて、いつの間にか疲れて眠ってしまったらしい。
 ふわりと柔らかなものに触れて目が覚めた。
 まぶたを持ち上げれば、そこに見えたのは黒で。
 まぶたを閉じてみた。それでも見えるのは黒。
 もう一度持ち上げてみる。やっぱり見えるのは黒。
 でも、この黒はあたたかい色をしていた。

「りんのすけ」

 ぽつり。吐息のように名を紡ぐ。
 途端。同じくベッドで転がっていた黒から。
 ひょこりと大きな耳が動いて、金の瞳が嬉しそうに光を宿した。
 へっへっと弾む息づかい。それが直に頬に当たる。
 生暖かいそれに、思わず小さな笑みがもれた。
 力ない笑顔だったけれども。
 ようやく、笑える気力が戻ってきた気がしたるいだった。



   *



 じゃれつくように、頭を何度も小突いてくるレントラーを伴いながら。
 るいは一日振りに寝室から出てくる。
 宿代りのポケモンセンターの一室。
 寝室と直続きの隣室に入れば、オンバーンがそわそわと、落ち着きのない様子でるいを迎えた。
 けれども、るいに気付いても近寄る素振りは見せない。
 じっと彼女を見詰めているだけで。
 それにまた、るいは小さくくすりと笑う。
 このオンバーンは、言ったことを必ず守る子なのだ。
 喫茶シルベから勢いのまま出てきて、ここに戻って、そのまま寝室に閉じこもった。
 入って来ようとしたオンバーンとレントラーに。入ってくるな。と、感情のままに言葉をぶつけてしまって。
 心配をしてくれたのに、悪いことをしてしまったなとは思う。
 そしてオンバーンは、律儀にその言葉を今も守っている。だから。

「もふすけ、おいで」

 と、一言だけ発すれば。彼は。
 ととと、と。遠慮がちに、けれども、確かな足取りで近寄ってくる。
 近寄ってきて、そのまま閉じ込めるように両翼で包み込んでくれた。
 その中は、とてもあたたかくて。同時に背にも熱を感じて。
 すぐにレントラーが身を寄せてきたのだと気付く。
 一人だと、独りだと感じて。心細さにうずくまらなくても。泣かなくても。
 顔を上げるだけで、傍にいてくれる存在はいて。
 抱えきれない気持ちを、一緒に受け止めてくれる。
 自分は、一人でも、独りでも、なかった。
 そんな当たり前なことに、やっと気付いたように感じた。
 じんわりとあたたかくて、それは痛みを伴うあたたかさで。
 けれども、その痛みはとても柔らかな痛みで。
 たまらずにるいは、その場にぺたんと座り込む。
 それが突然だったから、オンバーンは心配するようにるいの顔を覗き込んで。
 レントラーはるいの頬をぺろりと舐めた。何度も舐めた。るいの顔がよだれだらけになっても構わずに。
 それをオンバーンが制する。いくら元気付けるためとは言っても。
 さすがに主の顔をよだれだらけにするのは嫌だった。
 不服そうに、一気に不機嫌増しな顔になったレントラーは。
 せめてもの反抗にと、がうっと小さく唸ってみせた。
 そんな彼らの雰囲気が、よりるいの気持ちを解して、解していって。
 解れて剥がれた気持ちが、雫という形になって、るいの瞳から溢れ始める。
 そのことに気付いて、驚いたオンバーンとレントラーだったけれども。
 一番驚いたのはるいだった。だって、もう枯れ果てたと思っていたから。
 それからるいは、オンバーンとレントラーに身を寄せられながら。くしゃりと笑って泣いた。
 やり場のなかった気持ちが、押し流されていくようで。
 たぶん、もう大丈夫。そう、思えた。



   ◇   ◆   ◇



 本当ならば、タマゴを受け取って旅に出ているはずだった。
 育て屋の家業。それを継ぐのは兄だけれども、育て屋の仕事は好きだったから。
 だから、兄と一緒に仕事が出来ればいいな、と。たくさんの勉強をした。
 この旅だって、その一環になるはずだった。
 旅を通して、成長を見せて欲しいと。兄からの試しの意もあった。
 タマゴから孵ったその子を育てて、その成長具合で技量を見極めようとしたのだと思う。
 だから、頑張ろうと思った。何よりも、まだ見ぬパートナーとなる子に出会えるのを、とても楽しみにしていた。
 それなのに、その子に出会う前に。その子は、目の前からいなくなってしまった。
 ぶいのすけ。
 それがその子の名前だった。
 だから、その子の居場所が分かって、その子に会えるとなったとき。
 とても嬉しかった。やっと会えると。
 けれども、そこにいたその子は。
 ぶいのすけ、じゃなくて、カフェだった。
 自分の知っているその子ではなかった。
 いや、知っているという言い方も正しくない。
 だって自分は、その子を知らないはずなのだから。
 会ったことなどないのに、知っているのはおかしな話だ。
 そこにいたその子には、最初から“私”という存在はなかった。
 タマゴの頃。共に過ごした時間は短かったけれども。
 元気に孵ってね。早く会いたいよ。楽しみだよ。
 たくさん声をかけた。磨いてきれいにした。寄り添って眠った。
 たくさんお世話をした。たくさんの“時間”を、過ごしたはずだった。
 それなのに、その子の中には。共に過ごした“時間”は存在していなかった。
 そこに在ったのは“つばさ”という存在で。
 本当はそこに“私”がいたはずで。なぜ、そこにいるのが“つばさ”なのか。
 それが納得出来なかった。悔しかった。悲しかった――寂しかった。
 色んな黒い感情が混ざって、感情のままにあの人に言葉をぶつけてしまった。
 だからあの時、彼女が止めてくれてよかったと思う。
 あれ以上、嫌な感情をぶちまけたくはなかったから。
 それでも、今までの“目的”を失ったのは確かだったから。
 あの子を見つけて、それからやり直そうと思っていた。
 でも、それは出来なくなってしまった。
 だって、あの子の中に“私”との“時間”はなかったから。
 “時間”があれば、やり直せると思った。けれども、なかった。なかったのだ。
 じゃあ、一体自分はどうすればいいのだろうか。



   ◇   ◆   ◇



 ポケモンセンターのロビー。
 うーん、と。伸びを一つして、筋を解して。
 お気に入りの猫耳付き白帽子を目深にかぶりなおす。

「いよおっしっ!」

 気合いの声を発すれば、腰かけている長椅子に飛び乗って来たグレイシア。

「ヴィヴィも準備はオッケー?」

 そちらに視線を向けると、さらりと紺の髪が流れた。
 るいの赤紫の瞳も楽しそうに瞬いて。
 それを見て、普段はあまり表情筋の緩まないグレイシアも、ほんのりと笑った。
 準備はもう出来ている。応えの声をグレイシアが発すれば。
 るいの背後で大人しく待っていたオンバーンも。
 その彼の隣で待ちくたびれて、ごろりとだらしなく寝転がっていたレントラーも。
 それぞれに応えの声を上げる。
 彼らを順に見回して、嬉しそうに笑うるい。
 もう、たぶん大丈夫。この子達となら、たぶん大丈夫。
 そう改めて、自分の気持ちを確認したとき。
 ういーん、と。機械独特の唸りを伴い、ポケモンセンターの出入口である自動ドアが開いた。
 自然とそちらに視線が向いて、わらわらと人が入ってくる。
 そろそろ人々も活発に動き始める時間帯なのだな、と。静かに思った刹那。

「これからどうすんのか、訊いてもいいか?」

 突然の声。るいの隣、グレイシアとは反対側の隣。
 驚いて、反射的にそちらへ向きそうになったとき。

「おっと、俺様の方を向くなよ?」

 にやりと笑う気配と。視界の端に、蒼の珠で一つに結った鬣がちらつく。
 聞き覚えのある声。けれども、その声の主と、視界の端にちらつく存在とは異なる存在のはず。
 ならば、それが意味することは。

「見送りですか? アメリさん」

 振り向きたいのをぐっと堪えて、るいは“彼女”の名をそっと紡いだ。
 グレイシアもオンバーンもレントラーも。
 るいにならって、そちらへ顔を向けまいと明後日の方向を向いた。
 けれども、耳はそちらへ傾けて、一人と一匹のやり取りを聞いていた。

「忙しなく気配が動く時間帯に、それに紛れて発つつもりだろ?」

 会話を続ける合間にも、人の出入りは行われている。
 ここを発つ旅するポケモントレーナーや。
 ここを暫しの活動拠点にし、外へ飛び出していく者や。
 逆にまた。ここへ情報交換と交流のために訪れる者。
 不調を訴えるポケモンの診察に来た者。
 その理由は様々だけれども、気配の動きは忙しない。
 それに紛れてこの街を発つ方が、何だか心が軽い気がして。るいは今、ここにいる。
 そんな忙しない気配を追いながら、彼女、ゾロアークのアメリは言葉を続けた。

「“スマートなお姉さん”は現在、優雅にぶれっくふぁーすとたいむだ」

 るいがちらりと受付カウンターの方へ視線を向けた。
 そこに居たのはハピナス。スマートなお姉さんの助手ポケモンだ。

「ちなみに“サラ”は勤務前の日課の散歩」

 サラ。それは“個”を示す名。

「“アメリ”は勤務明けで、これから帰ってぐーすかだ」

 アメリ。それもまた“個”を示す名で。
 スマートなお姉さん。それはそれを示す名。誰もが知っている存在。
 だから本来は“サラ”も“アメリ”も、その存在を知る者は、お互い以外はいないはずだった。
 けれども。意図していなかったとはいえ、それを知ってしまったるい。

「で、優しい俺様は、帰る前にお前達の見送りに来てやったわけだ」

 隣で、ふふんと得意気に鼻をならす気配がした。
 そして、一転。真面目な声で。

「誰にも知らせるつもりがなかったんだろ?」


 その言葉に。うっ、と。息が詰まった。
 瞬間。目の前ににやりと笑うゾロアークの顔があった。

「図星だな」

 にやりと笑う彼女から目をそらすように、ぷいっとそっぽを向いた。

「私には振り向くなって言っておいて、結局は姿見せてんじゃんっ」

 ちらりと目だけを向けて。

「面白くない」

 と、不機嫌に唸る。

「俺様は優しいからな。顔が見てえだろと思って」

 にししと笑う彼女の顔。それを手で押しやって。

「みんなに迷惑かけたんだもん。そっと行こうと思った」

 ぽつりと言葉をこぼす。
 いろんな人に感情のままぶつけてしまった。
 だから、そっと行こうと思った。なのに。

「なのに、さ。見送りなんてされたら、悪いことかなあって思っちゃうじゃんっ」

 再び口を尖らせた。
 けれども、るいの顔は何だか嬉しそうだった。
 グレイシアがるいの膝上に乗る。
 それでレントラーが起き上がって、グレイシアが居たるいの隣を陣取ったものだから。
 行き先を失ったオンバーンが、大人しくるいの後ろで落ち込む。
 彼らの様子にくすりと笑いながら、るいは言葉を続けた。

「旅を続けようと思ってる」

 ちらっとゾロアークを見やれば、彼女は首を傾げていて。

「さっきの答え」

 と答えれば、ああ、と彼女は一つ頷く。

「ここに来た理由、目的は、あの子ともう一度やり直すことだったの」

 膝上のグレイシアを撫でながら、言葉をこぼしていく。

「でも、あの子の中に私はいなかった。それが、とてもショックだった」

 ゾロアークは、それを丁寧に大切に、言葉を拾うように耳を傾ける。

「だって、タマゴの世話をしていたのは私だったし、会えるのを楽しみにしていたのも私だったし」

 なのに、さ。

「でも、あの子の中に居たのは全部、つばささんだった。それが嫌だったし、悲しかったし――寂しかった」

 それなのに、と。言葉を一旦切って。
 恨めしそうに視線を落とす。

「ヴィヴィは勝手に会いに行って、きちんとお別れしてきて」

 こちらを見上げたグレイシアと目が合った。

「私より全然大人で、めっちゃムカついた」

 暫し互いに見詰めて、グレイシアがふさりと尾を揺らした。
 彼女の本心を探ろうと、瞳を覗き込んでみたけれども、結局何も掴めない。
 そっと奥にしまいこんだのか。
 または、まだ心を通わせられていないからか。
 うむ。心を通わせられている自信はあったのだけれどもな。
 元々は兄のパートナーだ。互いにまだ時間が必要なのかもしれない。

「旅を続けて、どうすんだ?」

 ゾロアークの言葉に顔を上げた。
 ちょうど彼女が、くわあと大きなあくびをしたところで。
 勤務明けということは、夜勤明けだろうから、眠いのだなと思った。
 すぐに寝たいのだろうに。
 それなのに。見送りに来て、さらに付き合ってくれていることが、少しだけ嬉しかった。

「何がしたいのかは分かんないけど、今は時間が必要だと思うから」

「時間?」

「うん。自分と向き合う時間」

 そう。“ぶいのすけ”じゃなくて“カフェ”として、もう一度、彼と向き合うために。
 望んだカタチじゃないけれども、それでも、それぞれが持つカタチで。
 それぞれのカタチで、新たに結べる繋がりもあるのだと思う。

「それから、ヴィヴィと向き合う時間。りんのすけと向き合う時間。もふすけと向き合う時間」

 もふすけ、と自身の名を呼ばれたことで、るいの後ろで落ち込んでいたオンバーンも顔を上げた。
 だが、先に呼ばれたレントラーがるいの頬を舐めて。
 オンバーンへ振り向いて満足気な笑みを向けるので。
 さらにオンバーンはがくりと落ち込むことになる。

「とりあえず今は、みんなで楽しく旅してみたいの。この子達とは、たくさんの“時間”を過ごしてきたから」

 傍に居てくれるこの子達の中には、共にした“時間”がきちんと積もっている。
 顔を上げれば、そこに居てくれて。

「もふすけ、おいでよ」

 名を呼べば、こうして身を寄せてくれる。
 落ち込んだ様子から、一気に嬉しそうにぐるると喉をならすオンバーン。
 彼の首もとのふさふさに触れながら、悔しそうに口をへの字にするレントラーに苦笑をもらす。

「そうか」

 唐突に閃いた。
 るいの呟きに、周りの視線がるいへ向けられて。

「いつかの未来で会うために、今は旅をするんだ」

 るいは仄かに笑った。



   *



 ポケモンセンターのロビー。
 忙しなく人々やポケモン達が行き交う賑やかな時間帯。
 長椅子にぽつりとゾロアークが居た。
 別段、彼女の存在を気にする者もいない。
 誰かの手持ちだろうか。野生のポケモンが遊びにくることも珍しくはない。
 風景として溶け込むのも、彼女の得意なこと。
 やがて、くわあと大きなあくびを一つした。目尻に涙をためたまま。
 そして、忙しなく動く気配に紛れて外へと歩き出す。
 そのまま外へ。そのまま雑多な気配から離れて。
 一つ、空を仰いだ。青に浮かぶ白。優雅に流れて。

「うむ。本日も晴天だな」

 降り注ぐ光に目を細めて。

「優しい俺様は、サラにもるいの話をしてやろう」

 でも、とりあえず。

「だが、許せ。俺様はこれからぐーすかたいむだ」

 瞬き一つで、ゾロアークの姿は掻き消える。
 代わりに、青に一転の黒。
 一羽のスバメが吸い込まれるように高く飛翔した。



   ◇   ◆   ◇



 何も告げずに旅立つのは。
 もしかしたら、ずるいのかもしれない。
 いや、たぶん。ずるい。
 けれども。いつかの自分への餞別。
 として、残しておいてもいいかな、と。
 また“あの子”と、それから、“あの人”に会いに行く“理由”があれば。
 きっと、その“理由”が背中を押してくれると思うのだ。
 だから、今は何も言葉にしない。
 いつかの未来で――ごめんなさい。



   ◇   ◆   ◇



 感情のままに、言葉をぶつけてしまってごめんなさい。
 それから、はじめまして。



 始まりから始めるために――。

■筆者メッセージ
第5章、完。
長かったですね〜(^-^;第6章はイチくんのターン!予定です。
ばす ( 2019/05/11(土) 11:39 )