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ティータイム 5th time-親と子-
45杯目 隣に居るべきは

 たったったっ。
 石畳の道を駆ける音。
 その弾みで、ふわりと規則的に栗色の髪は跳ね上がる。
 つうと頬にたれる汗を腕で拭い、すばるは空を見上げた。
 眩しいくらいの青。ふわふわと優雅に流れる白。
 その中にぽつりと浮かぶ橙を見つけて。空を見上げる桔梗色の瞳に映して。
 時々道を行き交う人にぶつかりそうになりながらも、確かにその橙を追う。
 目を背けないと決めたから。向き合うと決めたから。
 今回のことで痛感した。自分の中で育っていた気持ちを。彼女から感じた熱を。
 頬にたれる汗を再度拭って、汗で貼り付く前髪をかきあげて。
 くいっと突然曲がった橙に気付いて、すばるは同じように道を曲がった。
 曲がった先は狭い路地だった。
 思わず歩幅が狭くなる。直後、歩みがぴたりと止まった。
 威圧を感じた。威圧がその場に足を縫いとめる。
 お構いなしに汗が頬をつたう。それを拭うことも忘れて、すばるは見上げた。
 ばさり。羽ばたきが舞い降りる。
 店の行き先を示す案内看板。
 本屋さんはこの先右折、の文字に。
 可愛らしいパチリスと少し強面なヘルガーのイラスト。
 そういえば、この二匹を主役にした絵本が巷で話題だったなと思い出す。
 一瞬、そんなことを思い出さないと。気持ちを別の方向に持っていかないと。
 案内看板に舞い降りた橙の隼を直視出来なかった。
 彼からこんな威圧を感じたのは初めてだ。
 きっとこんな表情は、彼女には決して見せないのだろうなと。静かに胸中でぼやく。
 そんな彼、ファイアローが言葉を落とした。

―――ねえ、追いかけてきてなに?

 その言葉にとげを感じた。

「なにって、話がある」

 怯まず言葉を返せば。

―――僕にはないよ

 一言、冷たい声音。
 距離を感じるねえ。遠いねえ。他人事みたいな感情が浮き上がる。

―――僕、君のこと嫌いだから

 そう言葉を落とせば、彼は両翼を広げて、再び空へと舞い上がった。
 離れていく彼を見上げて、思わず遠い目をした。
 好かれていないのは知っていたし、嫌われているだろうなとも思っていた。
 けれども、改めて言葉にされれば、それが突き刺さらないわけがない。
 心にちくりと突き刺さる。否、ずぶりと突き刺さった。

「でも」

 すばるの口元に不敵な笑みがうかぶ。

「俺はわりと、お前のこと好きだけどな」

 腰に手を伸ばして、掴む。放る。飛び出す。ギャロップ。飛び乗る。
 そして、彼女の手綱を握って。

「ほたる、イチを追え」

 すばるの言葉を受けたギャロップは、顔を上げて見据える。
 小さくなって行く橙の隼。目を細めて映しこむ。
 背に乗る主の気持ちを感じ取って、自身の気持ちが浮き足たつのを感じた。
 ぶるると一つ嘶いて、たっかたっかと一歩、また一歩と踏み出して。
 数歩目になる脚を踏み出したとき、力強く石畳を蹴りあげた。
 脚に自信はあって、速さも自負している。
 モンスターボールの中に居たって、周りの状況はそれなりに把握できる。
 主が気持ちを彼に伝えようとしている。
 その手伝いが少しでもできるのならば、嬉しい。その気持ちが彼女を駆り立てる。
 一層上がった速度に、すばるは静かに桔梗色の瞳を細めた。



   *



 僕、君のこと嫌いだから。
 これは先ほど落とした彼への言葉。
 ちらり。飛びながら眼下へ視線を落とす。追ってきている。
 ぶわり。苛立ちの気持ちが膨れ上がる。
 視線を前に戻して、羽ばたき一つで加速する。目元に険が宿る。
 どうして彼が嫌いなのだろうか。改めて自分に問いかける。
 答えは簡単だった。気に入らないから。
 彼女に気持ちを向けられているのに、それに応える素振りがない。
 彼女と同じ気持ちを持っているのに、それに応える素振りがない。
 自分はこんなに想っているのに。彼女は彼じゃないと駄目で。
 やはり自分は、どんなカタチでも彼女の一番にはなれない。
 それが、とても気に入らなくて。悔しくて。

―――だから僕は、あいつが嫌いだ

 けれどもそこで、少しだけいいよどむ。
 加速した速度に、それに追従するように並走している気配が在る。
 否。一定の距離は保っている。それだけ余力を持って並走している。
 ふっと、少しだけ笑みがもれた。
 さすが、あのギャロップだ。いつかの頃、脚力には自信があるんだよ、と話していた彼女の姿を思い出す。
 並走する脚は彼女のものだ。それでも。それを鍛えたのは、その彼女の背に乗る彼で。
 ギャロップ自慢の脚は。そのまま、彼の技量となるわけで。
 それがエーフィで。それがハクリューで。それがギャロップで。
 彼女達は皆、彼を慕っていて。そして彼は、それに応えられるだけの技量を持っている。
 自分はもう気付いている。どこかでは彼のことを認めている。彼の力を認めている。
 なのに嫌いな理由。なのに気に入らない理由。
 それは、彼が彼自身と向き合おうとしていないから。
 けれども、きっと。それももう、おわりだ。
 彼は決めた。それを今、示そうとしている。
 考えていたことが、ずっとある。ずっと、考えていたことが。
 ファイアローから笑みが消えた。

―――つばさちゃんは、僕のすべてなんだ。あの時、つばさちゃんが僕に翼をくれたんだ

 もう一度、飛び立つための翼を。同じ名を持つ、彼女がくれた。
 彼女が見つけてくれなければ、自分はあのときに朽ちていただろう。
 あのときの自分にとって彼女は、とても大きな存在に感じて。
 大げさなのかもしれない。それでも。まるで神のように思えた。
 彼女という存在に、生かされたも同然だから。彼女のおかげで、今の自分は在る。
 だから、自分は彼女に尽くそうと決めた。
 彼女が必要としてくれるのならば。そのときまで、ずっと。
 必要とされなくなるまで、ずっと。そこまで思って、ちりりと胸が焦げた。

―――だって、僕。今回、僕は、何ができた?

 脳裏に過ぎるのは、二匹の幼子の姿。
 そして、闇に包まれて膝を抱える少女の姿。
 自分はそのとき。果たして何か出来たのか。
 簡単だ。何も出来なかった。支えたのは、その周りに在った存在で。自分は。

―――へへっ、あの頃から僕は、何も成長していない

 自虐的な笑みがうかぶ。
 あの頃――ライラが拐われたあの頃。
 まだ幼かった少女。泣いて。立ち止まって。己の弱さを嘆いて。
 自分が寄り添って、ようやく歩きだした幼かった少女。
 それでは、今はどうだろうか。幼かった少女も成長した。
 まだ、あの日の弱さは胸に抱いているのだろう。けれども。
 あの幼かった少女と、ずっと共に並んで、隣で歩いてきた彼。
 その彼も成長した。そして得た強さで、あの日の、あの幼かった少女の弱さを軽くしている。
 そして、今の少女を支えている存在は。
 たぶん。きっと。おそらく。いや、間違いなく、すばるだ。
 あの幼かった少女に寄り添って、支えて、共に歩き出す存在は。もう、自分じゃない。彼だ。

―――知ってたよ。分かってたよ。僕がずっと居た場所も、いつかは譲らなきゃ駄目な場所だって

 羽ばたく度に唸る風。身体を撫でる風。
 それを全身で感じながら、心が震えた。

―――譲るのは、きっと今なんだよね。それって、つばさちゃんが成長したってことだもん

 もう、自分が寄り添わなくても大丈夫。
 もう、自分が支えなくても大丈夫。
 だって。だって彼女は。自分で見つけたから。
 気持ちを向けて、気持ちを返してくれる。寄り添って、支えて、隣を歩いてくれる。
 そんな存在を自分で見つけたのだから。
 嬉しいはずなのに、なんでかな。なんでなのかな。

―――えへへ。今は少しだけ、胸が、少しだけ痛いよ……?



   ◇   ◆   ◇



 君に焦がれる気持ち。
 親愛なのか、恋慕なのか。
 この気持ちが何なのかは。もう、僕にも分からない。
 でも、僕は知っているよ。どんなカタチでも、僕は君の一番にはなれないこと。
 君の隣には、心を交わせるパートナーが居て。
 君の隣には、心に寄り添って、支えてくれる彼が居て。
 もう君は、僕が居なくても歩いていけるよね。
 あの頃の君はもう、幼かった君はもう。
 弱さを嘆いて、泣いていたあの頃の君はもう、居ないもの。大丈夫だよ。
 僕が居なくとも、君は大丈夫――。



   ◇   ◆   ◇



「――チっ! イチっ!」

 自分の名を呼ぶ声で目覚めた。
 はっと見開いた瞳に映る景色。

―――あ、れ? 空が下で、地が上?

 映る景色は、まさに天地がひっくり返っていて。
 がさこそ。視界の端で青が動いた。
 それがこちらの様子に気付き、覗きこんできた。

―――あるばちゃん?

 名を発すれば、彼女、ハクリューはこくりと一つ頷く。
 頷いて、彼女は再び動き始めた。
 自分に絡んだ枝葉を、丁寧に外してくれていた。
 ああ、そうか。そこで思い出す。
 考え事が深みに達した頃。
 前を向きながらも、前を気にしていなかった自分は。
 そのまま、葉が青々と茂る木々に突っ込んで。
 頭を下にした情けない姿で、枝葉に絡まったのだった。
 ハクリューに手伝ってもらい、絡んだ枝葉から抜け出して下を見下ろした時。
 呆れに心配が絡まったような表情で、すばるがこちらを見上げていた。



   *



 ばさりと舞い降りたファイアローに。
 続いて、ハクリューがふわりと舞い降りた。

「何をぼおーとしてたんだよ、イチ」

 呆れの表情でファイアロー達に駆け寄るすばる。
 彼が、お疲れ、とハクリューに一言かければ、きゅいっと嬉しそうに彼女は鳴いた。

「木に突っ込むなんてらしくねえ」

 再度言葉を投げかけられたファイアローは、面白くなさそうにそっぽを向く。

―――うるさいな

 目をすがめ、すばるを見やる。
 そんな様子の彼に、すばるは思わず苦笑がもれて肩をすくめた。
 嫌われているのは知っている。うん、知っている。

「まあ、別にいいんだけどよ」

 瞬間。すばるの雰囲気が真剣のそれに変わる。

「イチ、話がある」

 声音の変化。ファイアローの身体が小さく跳ねた。
 彼の瞳が真っ直ぐすばるに向けられて。
 拒絶の色はないと判断したすばるが口を開く。

「俺、好きなんだ」

―――え

 ファイアローが半目になる。
 眉間にしわが寄って、それが深くなって。
 表情が険悪の色で染まる。そして。

―――僕は君のこと嫌いだよ

 だから、君の気持ちには――。
 と、ファイアローが全ての言葉を終える前に。
 ばっと手を、ファイアローの前に突き出して。

「……ちょっと、待てっ」

 と、慌ててすばるが遮った。

「違う、そうじゃない」

 すばるの顔から表情が抜け落ちる。
 ふるふると首を横に振って、違うの意を訴え続ける。必死だ。
 それをしばらく眺めて、ファイアローが不意に笑った。

―――冗談だよ、知ってる

 渋面を作ったのはすばるで。
 くつくつと声を抑えながら笑うのは、ずっとやり取りを隣で聞いていたハクリュー。
 そんな彼女を半目で睨みながら、すばるは無言でモンスターボールを向けた。
 光と共に吸い込まれていったあと。
 その場に少しだけの沈黙が降り積もって。

「つばさが」

 再びすばるが口を開いたけれども。
 ばさばさ、と両翼をばたつかせて、ファイアローがそれを遮った。
 そして、ぽつりと言葉を落とす。

―――知ってる、分かってる

 瞑目。

―――向き合うって、決めたんだよね?

 まぶたを持ち上げ、すばるを真っ直ぐ見上げる。
 刹那。さわりと風が吹いて、木々が、枝葉が、触合いながら音をたてる。

「ああ、そうだ」

 吹く風に溶かすように、すばるは言葉を紡ぐ。

「つばさへの気持ちの中に」

 途端。風が凪いだ。

「膨れ上がる気持ちが在るのを見つけた」

 それは、彼女との関係を変えたいとか。前に進みたいとか。
 彼女の隣に在りたいと願う気持ちで。
 それはきっと、繋がりの名が変化することなのだと思う。

―――そう

 すばるのは言葉は、凪いだ空気の中に落とされて。
 すばるの桔梗色の瞳。そこに宿る確かなそれを見つけて。
 ファイアローは静かに笑んだ。
 その笑みが、あまりにも優しかったから。すばるは思わず息を詰めてしまった。

―――僕は君が嫌いだ

 幾度目のファイアローの言葉。

―――それは、この先もずっと変わらないけど

 くるりとすばるへ背を向ける。

―――つばさちゃんの隣に居ていいのは

 肩越しに振り返って、えへへと笑う。

―――君だけだよ、すばる

 桔梗色の瞳が見開かれた。
 だって、初めてだったから。
 彼が、ファイアローが、名を呼んだのは。
 すばるを、名で呼んだのは。

「イチ」

 反射的に名を呼び返した。けれども。
 ばさりと両翼を広げる彼の姿に。

「何処に行くんだ?」

 と、問いかけずにはいられなかった。

―――うん、ちょっとね

「…………?」

―――ちょっと、出かけてくるだけだよ

 くしゃりと笑うと。
 彼は、空へと舞い上がった。
 すばるはそれへ手を伸ばしてみたけれども。
 結局掴めることはなくて。空しく虚空を掴んだだけだった。

「出かけるって、何処にだよ」

 それに応える声は、なかった。



   ◇   ◆   ◇



 ずっと、考えていたことがあったんだ。



   ◇   ◆   ◇



 ちちち。愛らしい小鳥のさえずり。
 まどろみの中。つばさの意識は静かに浮上する。

《起きたか》

 傍らの夜闇が首をもたげた。
 つばさはそっとそちらへ目を向けて。
 不思議そうに橙の瞳を瞬かせて。

「りん?」

 と、呟く。

「ん、あれ?」

 ようやく、はっきりとし始めた意識。
 自分が窓辺に寄りかかって眠っていたことに気が付く。

「何で、こんなところで……」

 きょろきょろと辺りを見渡して、その反動でかけられていた掛布が落ちた。
 それを拾い上げていくうちに、少しずつ思い出していく。
 ああ、そうだった。ずっと、彼の帰りを待っていたのだ。
 待っているうちに、太陽は傾きを増して。沈んで。月が浮かんで。
 気が付いたら夜になっていて。
 そして次第に、まぶたが重くなってきて。眠ってしまったらしい。そして。

「…………朝」

 見上げた朝日の眩しさに、目を細めた。

「ねえ、りん?」

 吐息のようなつばさの呼びかけに。

《なんだ》

 ブラッキーは短く応えた。
 その声音は、少しだけ硬い気がする。
 それはきっと、彼は分かっているからだ。つばさの言葉の続きを。

「イチって、帰ってきた?」

 ほら。予想通り。彼は静かに、窓の外へ視線を投じた。

《いや、まだだ》

 ブラッキーの言葉に。

「そう」

 と、一言だけ呟いて。静かに目を伏せた。
 耳には、子イーブイ達の穏やかな寝息だけが残る。




 ちょっと、出かけてくるだけだよ。
 そう、すばるに言葉を残して。
 ファイアロー、彼は飛び立った。
 それを聞いたつばさは、夜までには帰ってくるだろうと思っていた。
 だって、今までもずっとそうだったから。
 それでも彼は。
 朝を迎えても帰っては来なかった。


 次の日も、その次の日も。
 それから彼は、帰ってくることはなかったんだ。

■筆者メッセージ
令和初投稿。今後もシルベをよろしくお願い致します!
ばす ( 2019/05/05(日) 12:43 )