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ティータイム 5th time-親と子-
38杯目 みんなが笑っていられる道

 すぴすぴと穏やかな幼子の寝息。
 喫茶シルベ、住居となる二階。
 つばさの部屋にて、寝息は静かに響いていた。
 すっかり夜の帳も下りてしまい、幼子の眠りを妨げないようにと、部屋の明かりは最小限。
 ぼおっと仄かに、幼子を見下ろす橙の隼を照らす。
 隼、ファイアローが顔を上げた。

―――カフェくんは僕が見てるから、りんくんはつばさちゃんのところへ行ってあげて

 くるりと振り返り、すがるような視線を向ける。

―――帰ってきてから、ずっとあんな様子だよ?ふうさんとそのトレーナーも追い出しちゃって

 帰ってきた途端。彼らを追い出した。
 もともとは臨時休業と決めてあったとはいえ。
 様子を訊ねるすばるを、そのパートナー共々追い出してしまった。
 伏せられた彼の視線の先。それをブラッキーも追う。
 実際に見えるのは床の木目。
 けれども、それを突き抜けたさらに先に。彼女はいる。

《傍に寄り添うのは、お前の方が得意分野だろ》

 ぽつりと言葉を落として、隻眼の瞳が細くなる。
 そうしたら、頬がふくれる気配がした。
 そっと顔をあげれば、同じ一点をずっと見つめたままの横顔がそこに在って。

―――そりゃ。僕でいいならさ、僕が行くよ。でも、今回はダメだよ

 ファイアローの瞳が瞬く。

―――僕じゃダメなんだよ

 すばる達を追い出したあと、傍に寄ろうとした彼を。
 彼女は、放っておいてよ、の一言で寄せ付けなかった。
 そう言われては、彼としてはもう近付けない。
 彼の瞳に見え隠れする痛みの色。
 それをブラッキーは確かに見た気がした。

―――寄り添うことしかできない

 ファイアローが瞬き一つで視線を上げた。
 今度は一点にブラッキーの方を向いて。

―――つばさちゃんの心に触れられるのは、君の特権だよ

 くしゃりと笑った。

―――りんくんのね



    *



 と、くしゃりと笑ったファイアローに階段から突き落とされた。
 転がり落ちた先で、ブラッキーはぺしゃりとつぶれていた。
 眉間にしわがよる。
 不覚だ。不意をつかれたとは言え、受け身を失敗するとは。
 顔をもたげて見上げるが、すでにファイアローの姿はなかった。
 つばさちゃんの心に触れられるのは、君の特権だよ。
 先程の彼の言葉が内面の深いところで反響した。
 そんなことはないと思うのだけれども。
 彼の言葉だって、彼女の心に触れられる。届く。
 実際にそれで、自分は助けられた。
 不用意な言葉で彼女を傷つけた。
 過去のことと向き合いたくなくて、そこから飛び出した。
 自分が夜の街を歩いていた間に、彼女の心に寄り添っていたのは。他でもない、彼。
 彼にだって、彼女の心に触れられる。
 だが、確かに。“これ”は自分の特権かもしれない。
 ちらりと視線を向ける。
 暗闇に包まれたその先、きらりと金糸がゆらめく。
 夜に染まったこの身。闇も苦になることはない。
 しっかりと金の瞳に映る金糸。
 明かりも付けていない喫茶シルベの一階。
 その片隅で。膝を抱えて、顔を埋めて。
 そこに、彼女はいた。落ち込むと暗闇にうずくまる。
 それは昔から変わらない彼女の行動。
 暗い湖の水底。暗い水底。そこに沈んでゆく。
 特権。それは、自分の持つ特性。シンクロ。
 それも、確かな繋がりがなければ深くは触れられない。
 特権を駆使すれば、自ら湖に飛び込める。
 特権がなければ、湖畔で声を発することしかできない。
 光も届かない暗い水底。光も届かなければ、声も届かない。
 金の瞳が瞬いた。すっくと立ちあがり、ブラッキーは暗闇へと足を踏み入れる。
 彼は“特権”を羨ましがった。
 けれども。ブラッキーにそれは。皮肉にも聴こえた。



   ◇   ◆   ◇



 つばさは暗闇にうずくまっている。
 膝を抱えて、そこに顔を埋めて。
 視界の端にかろうじて金が入るくらい。
 暗闇にぼおっと浮かぶ金糸。自分の髪だ。

《何かあると、昔からよくそうしているな》

 心に語りかける声。
 低いけれど、あたたかい響き。安心を覚える。
 埋めていた顔を少しあげる。
 さらりと髪がこぼれた。
 彼の金の瞳が暗闇に浮かぶ。

「放っておいてよ」

 それだけ絞り出すと、再び顔を埋めた。

《…………》

 ブラッキーが一つ、息をもらした。
 青の輪模様が弾けるように光をもらす。
 弾かれた。こちらの干渉を察知して弾いたのだ。
 だが、これで引き下がるブラッキーではない。
 普段よりも深いところを目指せばいいのだ。
 前回の一件以来、つばさとの繋がりは強くなったと思っている。ならば。
 瞑目して、意識を集中させる。
 彼の輪模様が発光を始め、激しく明滅を繰り返す。
 同調。シンクロ。つばさの膝を抱える指がぴくりと動いた。
 すぐに拒絶の意が迫ってきたが、それを彼はするりと抜ける。

「…………」

 つばさの息づかいを感じる。
 鼓動、波長。金の瞳が開かれる。
 激しく明滅を繰り返していた彼の輪模様。それがぽおっと淡く光る。
 心に触れる。シンクロ。

《お前、カフェを手放す気なのか?》

 つばさの肩がびくりと跳ねた。

《つばさ》

 名を呼ぶ。その声音には確かな拘束力があって。
 つばさが僅かに顔をあげた。

「シンクロで覗かないでよ」

 内面を見透かすような金の瞳を睨む。
 否。見透かされているのだ。肌が粟立つような感覚を覚える。
 シンクロによって干渉されている。
 一度弾いたそれ。けれども、二度目の干渉は弾けなかった。
 干渉は久方ぶり。記憶の中にあるそれよりも、随分と強くなっている気がした。
 全てを見られている、落ち着かない。

《つばさ》

 再度、名を呼ばれた。
 膝を抱える腕に力がはいる。
 言葉にしなくたって、分かっているくせに。
 反抗的な気持ちが強まる。

「読めばいいじゃんっ」

 それは反発となって。干渉を弾こうとはたらく。
 金の瞳が僅かに歪んだ。

「言葉にしなくたって、心を読めばいいじゃんっ」

 干渉しているのだ。こちらが抗えない程、深くに入り込んで。
 こちらの想いなど知っているくせに。
 金の瞳が歪む。くっ、と。苦し気な声が彼から聴こえた。

「あの子は、カフェは親を求めてる。私じゃ、親にはなれない」

 顔をあげて、言い募る。

「母親が見つかったのなら、そこがカフェの在るべき姿だよっ!」

 しんっと、静まり返る。

《それで手放すのか?カフェを?》

 細められた金の瞳が向けられる。

《在るべき姿?それは、お前が決めることなのか?》

 つばさがはっとした。
 身を固くしたのが、気配で分かった。
 ブラッキーは嗤う。嘲笑う。
 彼女に流し込んだ。自分の心を流し込んだ。
 シンクロの主導権は既に握っている。彼女はもう、抗えない。

《人は本当に勝手な生き物だな》

 嘲笑。

《昔、言ったらしいな。俺達に》

 瞑目。
 りんとイチは。もう、手を放せないの。その方がきっと、あの子達のためなのに。もう、無理なの。あの子達と一緒に居たい。
 これは、つばさの心に触れて垣間見た記憶の断片。

《一緒に居たいから手放せない。だから、“モンスターボール”で縛り付ける。俺達の意思と関係なく》

 違う、と。つばさの口が動く。

《繋がりのカタチを示したい。だから、カフェを縛り付けた》

 閉じられた瞳が開かれる。

《そして今度は》

 ついっと細める。

《いらないから手放す》

 ふるふると首をふるつばさが見えた。

《これが、在るべき姿だからと理由をつけて》

「違うっ!」

 飛び出した言葉。荒くなる呼吸。

「私、そんなつも

 つばさが言葉を言いきる前に言葉を被せる。

《お前にそんなつもりがなくとも、カフェはどう思う?どう感じる?》

 つばさが息をのむ音がした。

《手を放すというのは、あいつが何よりも恐れることだ》

 ブラッキーはつばさを真っ直ぐに見据える。

《共に在ると決めたのなら、最後まで足掻け》

「…………っ」

 橙の瞳が揺れた。目頭が熱い気がするのは、気のせいではないと思う。
 けれども、つばさは瞬きをしない。
 ここでこぼしてしまうのは、ずるいと思った。

《あいつ抜きで、あいつのことを考えるな》

 ブラッキーが静かに歩み寄る。

《やれることをやって、それであいつが母親を選ぶならば》

 ふっと、金の瞳が和らいだ。

《そのときに考えればいいだろ》

 つばさの抱える膝。そこに前足をかけて。
 ぺろり。目尻にたまったそれを舐めた。

「りん……」

 つばさはそのままブラッキーを引き寄せると、太ももの上に彼を抱えて。
 その頭の上へ、ぽすんと顎を乗せた。
 淡く光を発していた彼の輪模様。それが明滅した。

「ありがと」

 発した声が、思ったよりもか細くて驚いた。

「私、また間違えるところだった。ライラの繰り返しは勘弁だ」

 抱えた夜闇の体毛に顔を埋める。
 あの時。好きだから手放すなんて言った。けど、けど。本当は。
 ブラッキーとファイアロー。彼らのことで手一杯で、すっかりと自分の中から抜け落ちていた。“彼女”の存在。
 その事実と向き合うのが怖くて、逃げ出した。逃げ出して、たくさんのものを傷つけてた。
 今回も同じだ。お姉さんからあの子の母親の存在を聞いて。
 まだ、確かな情報でもないらしいそれ。それでも。
 自分の中で生まれた“もしかしたら”の想いは消えなくて。膨れ上がって。
 それなら、もう自分から手を放した方が楽なのではないかと思った。
 あの子に言われるのが怖くて。母と共に居たいと言われるのが怖くて。
 それなら、自分から手を放した方が傷つかなくていいと。傷は浅いと。
 けれども。自分から放棄するのは最低な行為だ。
 彼が自分と共に在りたいと望んでくれて、自分も共に在りたいと思ったから。
 だから、彼との繋がりをカタチとして示した。なのに。それなのに。
 勝手に彼の気持ちを決めつけて、その手を放すのは。最低だ。
 彼が何に対して恐れを抱くのかは知っているのに。
 自分に出来ることをやって、話し合って。
 それでも彼が別の道を選ぶというのならば。
 自分はそれを最後まで見届けなければ。最後まで向き合うのだ。
 それが、彼との繋がりをカタチで示した自分の責任だ。

《手荒だったのは認める》

 思考の間に、遠慮がちな声が滑り込んできた。

《すまない》

 垂れたブラッキーの尾が、ふさりと揺れた。
 同時に両耳も垂れて、輪模様が明滅を繰り返す。
 手荒だったと思う。それについては申し訳なかったと思う。
 今回は無理矢理に相手の心を抉じ開けたようなものだ。
 あの件以来、彼女との結び付きが強くなっていた。
 そして、傍に太陽が戻ってきたことも一因している。
 それらをふまえ、今回は力による強行手段をとった。
 相手のことを傷つけると分かってはいたけれども。それでも。
 それでも。もう。何も出来ないのは嫌だったから。
 あの時。ライラの時。自分は何をしていただろうか。何もしていない。何も出来なかった。
 でも。今はあの時なかった力を持っている。
 自分の想いを思念として伝えられる。心を伝えられる。
 今はその術を持っているのだ。何も出来ずにうずくまるのはやめたのだ。
 それでも、彼女の心を抉じ開けて。過去の古傷を抉るようなことをして。
 無理矢理にこちらの心を流し込んで、黙らせる真似もした。
 彼女を傷つける行為だと自覚はしている。
 特権。と言ったファイアローの言葉を思い出す。
 彼の言葉は羨む響きを持っていた。
 けれども。実際にはこういうものだ。
 特権は時に相手を傷つけ、己も傷つくこともある。
 あまり、羨みの気持ちは向けないで欲しい。だって。

「それで、あんたことを嫌いになったりしないよ」

 突如聞こえた言葉に、がばっと振り返った。
 瞬く金の瞳につばさの顔が映る。

「私に嫌われるのが怖いってことでしょ」

《なん、で》

 思考から無理矢理引き上げられた気分だった。
 なぜ、そう都合よく言葉が飛び出してきたのか。

「そんなの簡単」

 つばさがブラッキーの額を弾く。

「シンクロ」

 その一言で、ブラッキーの垂れ下がった両耳が持ち上がった。
 そしてようやく自覚する。無意識下で心を流し込んでいた。
 明滅を繰り返していた輪模様。それが大人しくなる。

「りん」

 名を呼ぶつばさの顔を見ることなく、ブラッキーは彼女から退いた。
 気持ちがちりりと熱かった。
 背を向けて座る。尾が揺れるのは、たぶん照れかくし。
 背後。くすりと笑う彼女の気配がした。

「何があったって」

 ちらりと肩越しに振り返る。

「私、りんのことは嫌いになれないよ」

 くしゃりと笑ったつばさ。
 それがとてもまぶしくて、目を細めた。



   ◇   ◆   ◇



 夜が明けた早朝。
 つばさは眠たそうな夜闇を抱えて石畳を駆けていた。
 すんと澄んだ朝特有の空気が頬をたたく。

《なぜ俺まで》

 つばさの腕の中。くわあと呑気にブラッキーは欠伸をする。

「私を焚き付けた責任。付き合ってもらうよ」

 最後まで向き合え。足掻け。
 そう言ってきたのは彼だ。
 ならば、最後まで付き合ってもらおう。それが彼の責任だ。

「着いた」

 彼と話している間に目的の場所へとたどり着く。
 一軒の家の前。そこで立ち止まる。

《すばるに用か?》

 問う声に静かに首肯。
 喫茶シルベの数件隣。すばるが住まう一軒の小さな家。
 ここまで来た理由。それは。

「ラテを迎えに行こうと思って」

 ラテ。その単語を聞いただけで、腕の中のブラッキーが渋面をつくった。
 あいつをか。あの、元気毛玉をか。
 もう少し、すばるに預けておいてもいいのではないか。
 少しだけ不機嫌そうに揺れる彼の尾。
 腕の中に視線を落としたつばさ。

「ラテにだって、ふうちゃんとの時間が必要なのも分かってるけど」

 腕の中のブラッキーが見上げた。
 金と橙の視線が絡む。

「やっぱり、カフェにはラテも必要だよ」

 たぶん。カフェにとって、ラテは大きな存在なのだと思う。
 カフェにさびしい思いはさせられない。
 けれども、ラテにもさびしい思いはさせられない。
 思いっきり母親に甘えている状態から、無理矢理引き剥がすことは出来ないし、したくはない。
 だから。それならば。みんなが一緒に居られる道を選んでみたって、いいじゃないか。
 刹那。がちゃりと音がした。顔を上げれば。

「朝っぱらから何だよ……。騒がしいと思ったらよ……」

 扉を開けて顔を覗かせるすばるがいた。
 桔梗色の瞳が眠たげに瞬いて、栗色の髪は好き勝手に跳ねていて。
 ああ、寝起き何だなと思った。
 すばるの足元には、ふわあと小さく欠伸をしながら顔をだすエーフィ。
 彼女がつばさの腕に抱えられたブラッキーを見つけて、少しだけ嬉しそうに笑んだ。
 その両者の姿を見てつばさは。真剣な瞳を向けて一言。

「一緒に暮らそう」

 眠たげに瞬いていた桔梗色の瞳がかちりと止まって。すばるの思考は全て吹き飛んだ。
 そんな彼の足元で。え、何その楽しそうな展開。と、紫の瞳がきらりと光った。
 腕の中の夜闇は。何を口走った。と、呆気にとられて思わず見上げる。
 つばさの気持ちは。
 カフェにさびしい思いはさせられない。
 ならば、みんな一緒に居ればいいのではないだろうか。
 ただ、それだけだった。
 何かいろんなものを、順序だとかを取っ払った、彼女なりにたどり着いた結論。
 彼女は夢中になると、一つのことにしか目に入らないところがあるな、と思ったのは後のブラッキーで。
 つばさ自身がすばる相手に、とんでもないことを口走ったと気付くまであと数秒。

ばす ( 2019/01/26(土) 13:27 )