ようこそ、喫茶シルベへ











小説トップ
ティータイム 5th time-親と子-
35杯目 始まりのカタチ

「ありがとうございました!」

 と、からんころんと音を響かせて、ぱたんと閉まる扉。
 頭を下げていたつばさが顔を上げた。

「これで一段落かな」

 ふう、と無意識に息をつく。

「んじゃ、あとは片付けか?」

 カウンターの奥。
 キッチンから顔をのぞかせたすばるが問いかける。

「うん、そう。運ぶからお願い」

 それに返して、ぱたぱたと動き始める。
 と、視界の端ですれ違おうとした夜闇をとらえる。
 がしっと。手が伸びてその尾を捕まえたのは、最早反射だ。
 不機嫌に煌めく金の瞳が振り返った。
 それを真っ直ぐ受けとめ、つばさは黙って店内の奥側を指し示す。

「りんは奥テーブルのお皿を持ってきて」

 ブラッキーの眉間にしわが刻まれた。

《俺は持てない》

 見ろと言わんばかりに、片前足をぶらぶらさせる。
 自分は人と違って、物を持てる手は持っていない。
 自分の足は大地を踏み締める専門だ。
 そう語ってみせる。
 だが、今度はつばさの眉間にしわが刻まれる。

「あんた、単に面倒なだけでしょ」

 ほら。
 と、今度はびしっと奥を指差す。

《俺が運ぼうとして、食器を落としたらどうするんだ?》

 尚も食い下がろうとするブラッキーに。
 つばさの片眉がぴくりと跳ねた。

「ふーん……、そういうこと言っちゃう?」

 ずいっと顔を近づけて、彼の額をぱちんと指で弾いた。

「さっきまで“サイコキネシス”でコーヒーを運んでたのは誰!?」

 ブラッキーが半目になる。

《俺》

「そうだよね、そう。だったら、片付けも出来るよね」

 つばさがちらりと後方に目を向けた。
 ブラッキーもその先の存在を知っているが、つばさの動きにつられて向けてしまう。

《…………》

 その先にいるのは。
 今は母親にべったりな娘。
 母の尾にじゃれついている最中だ。
 その娘がこちらに視線を向けた。

「ラテは言われれば、お片付けが出来る子になってきたんだけど」

 言葉がして、つばさの方へ再び向き直る。
 彼女の橙の瞳が、小馬鹿にするように嗤った。

「パパのりんくんは、もしかしてお片付けが出来ないのかなぁ?」

 語尾の調子が上がるあたり、完全に小馬鹿にしている。
 ブラッキーの眉間のしわが増えた。

《…………》

 すっと彼の足が奥テーブルへと向かう。
 その手前で立ち止まると、金の瞳が淡い光を放ち始めて。
 食器が中空を舞う。
 そして、キッチンへと向かう途中。
 つばさとすれ違うとき。

「えらいね、りんくん。お片付け出来るじゃんっ」

 橙の瞳が嗤った。小馬鹿にした笑みだ。
 ぎろりと鋭い視線がつばさに突き刺さる。
 それを受け、つばさは自分の仕事に戻る。
 布巾を手にして、テーブルを拭き始めた。
 背後から、ふんっと鼻を鳴らす音がして。
 そのまま視界の端で、夜闇がキッチン奥へと消えて行くのが見えた。
 あれ以上遊んでいたら、危うく念の力で吹き飛ばされるところだった。
 そのあたりの引き際は心得ているつもりだ。
 というかだ。そもそも、彼が始めから運んでいればよかったのだ。

「なのに、なんで私がっ!」

 と、ぶつぶつと文句を並べていたら。

「ふふっ、朝から元気ね」

 カウンター席から朗らかな声がした。
 がばっと勢いよく振り向く。
 振り向いた先に、肩を少し震わせて笑む、初老の女性の姿があった。
 笑む目元のしわが、とても優しく深くなる。

「とわさん、すみません。朝から騒がしくて……」

 あはは、と乾いた笑みをもらすつばさに。
 とわは、いいえ、と首を静かに振った。

「私は賑やかなのが好きだからいいのよ」

 それに、と。
 言葉を置いてから、とわは視線を足元へ落とした。

「私たちはここで元気をいただいているのよね、つむぎ」

 とわの伸ばした手が、彼女の足元で身を丸くする彼の首筋を撫でる。
 ふすう、と気持ち良さそうな息をこぼす彼は。
 とわに、つむぎ、と呼ばれたリーフィアで。
 とわと長らく時を共にしている彼の葉のような身体は、少しだけ色が褪せてきていた。
 リーフィアの身体の色が褪せるのは、その分の歳を重ねているから。
 彼はおじいさんなのだ。
 それでも、まだまだ元気なおじいさん。
 とわに撫でられ、満足したリーフィアが再び身を丸くする。
 とわはカウンターに置かれたカップに視線をもどして。
 それを手して口元まで運ぶ。
 こくりと音がした。
 ことりとカップを置けば、そこから立ち昇る湯気が揺らめく。

「シルベのカフェラテは、いつ飲んでも美味しいわ」

 にこりと笑むとわに。

「ありがとうございます!」

 つばさもにこりと笑みを返して。
 そして、はたと気付く。
 あ、とだけ声をもらしたつばさに、とわは首を傾げて、つばさの視線の先を追う。
 そこにあった時計が刻む時刻を見て合点がいく。

「そろそろ行かないと、時間に遅れてしまうわね」

 と、視線を戻して。
 ふふっと、とわは朗らかに笑う。

「そうなんですよ、急がないとっ」

 ぱたぱたと忙しない足音を響かせて、つばさはとわの後ろを通りすぎる。
 その足音に、とわの足元のリーフィアが片目を開けた。
 眠りを妨げられたのだ。
 少しだけ不機嫌そうに片耳をぱたぱたと動かした。

「許してあげて、つむぎ」

 とわが声をかけると、仕方がないかと、彼はまた寝息をたて始めた。
 そんな彼に、とわは一層笑みを深めた。
 そんな頃合いだった。

「あれ、つばさは?」

 キッチンから出てきたすばるがとわに問いかけた。
 “Shirube”の文字が入ったカフェラテ色のエプロンを外しながら、彼はつばさの姿を探す。

「つばさちゃんなら、階上へ行ったわよ」

 と、とわは時計を指し示した。

「カフェちゃんのお迎えに遅れちゃうって、慌てているわ」

 ふふっと小さく笑った。
 すると、どたばたと賑やかな足音が階上から響く。

「みたいですね……」

 すばるは苦笑する。
 外したエプロンを壁にかけてあったハンガーにかけ、さて、と呟く。
 さあ、来るぞ。
 そして、すばるの予測通りにどたばたと騒がしい足音が駆け下りてくる。

「急げ急げ」

 そんな声と共に姿を見せたつばさ。
 無造作に手に掴んだボール腰ホルダーとショルダーバッグが、その慌ただしさを表していた。
 と、次いで。

「ああっ!」

 と、大きな声を発する。
 今度はなんだとすばるの桔梗色の瞳が向けられる。

「りん忘れたっ!」

 がくりと肩を落とす姿は、面倒そうな、億劫そうな雰囲気がただよう。

「また上に行かなきゃ……」

 気がついたら、自室のベッドの上で寝そべっていた彼。
 ばたばたとする足音は聞こえているはずで、この後の予定も知っているのに、呑気に欠伸をしていた。
 それに多少腹を立てながら、下へ行く途中であれも持っていかないとと思っていた。
 思っていたのに、急ぐあまりに忘れてきた忘れ物だ。
 はあ、と再度ため息をつきそうになったとき。

―――りんくんなら持ってきたよっ!

 そんな明るい声が聴こえた。
 ん、とつばさが顔を向ければ、満面の笑みでこちらを見るファイアローの姿があって。
 その彼の嘴には、だらりと垂れる忘れ物の姿があって。

「イチ、ナイスっ!」

 一気に元気を取り戻したつばさが、嬉しさのあまりに彼へ親指を突き立てて。
 グッジョブっ。
 何て動作をしてしまう。

《おい、俺は物か……!》

 だらりと垂れる忘れ物が唸る。

「ホルダーとバッグ持って、りんも持った。持ち物はこれでよしっ、と」

 つばさが確認に入る。

《無視かっ!》

 どこかで聴こえる唸り声は黙殺。
 つばさが視線を落として。

「ふうちゃん、ラテのことよろしくね」

 自身の尾で白イーブイと遊んでいるエーフィに声をかけた。

《まかせてっ》

 つばさを見上げたエーフィが笑顔で応えて。

―――ラテ、いいこにしてるもんっ

 その傍らで白イーブイが胸を張った。
 そんな彼女の様子にくすりと笑うと、つばさはすばるを一瞥して互いに頷く。
 あとはお願い。まかせておけ。
 二人はそれだけで十分伝わる。
 最後につばさはとわへと向き直って。

「とわさんはゆっくりしていってくださいねっ!」

 それでは、と軽く挨拶を済ませて。
 ぱたぱたと騒がしく扉を押しやって出て行った。
 あとに続いたのはファイアローで。彼と共に。

《俺は無視なのかっ!》

 という声も、扉が閉じたのを最後にぴたりと聴こえなくなった。
 一気に静寂が降り積もる。
 その中で、きゃっきゃと楽しそうな幼子の声だけが鮮明になって響く。
 ちらり、と。
 楽しげに母親の尾を追いかける幼子を。
 それを愛しげに笑む母親を。
 和かな瞳を向けて一瞥したすばるは、次いでとわに向き直る。

「ホント、騒がしくてすみませんね」

 あはは、と声をもらす。
 それに対して、いいえ、とゆっくり首を横に振ったとわは穏やかに笑む。

「私は騒がしいの好きよ?」

 ふふふ、と声をもらし、足元へ視線を落とす。

「つむぎもそうよね?」

 というとわの言葉に。
 リーフィアはふわあと欠伸を一つするだけだった。
 ふふっととわは再び笑い、今度はすばるへ視線を向ける。

「ところで、すばるちゃん?」

 カウンター席を布巾で拭こうとしていたすばるの手が止まった。
 とわのまとう雰囲気が弾んだ気がしたのだ。

「何ですか?」

 カウンター席を拭きながら言葉を返す。

「つばさちゃんとはどうなのかしら?」

「ん、仲はいいと思いますよ?」

「ふふっ」

 肩を震わせて笑う彼女の視線がくすぐったい。
 と、何だか下から別の視線を感じた。
 ちらりと視線を落とせば、いつの間に足元へ来ていたのか。

《にへらあ》

―――にへらあ

 母娘が効果音付きで笑っていた。
 にへらと、からかうような笑みで。
 おそらく娘の方は、母の真似をしているだけなのだろうけれども。

「うっせ、お前らはあっち行ってろっ」

 半目になると、足でエーフィと白イーブイを追い払う。
 彼女らは、はいはい、とそそくさとその場を離れるけれども。
 終始その顔はにへらと笑っていた。特にエーフィの方が。
 あんにゃろ、あとで覚えてろ。
 密かに心で誓った。
 すると、くすくすと笑う声が聞こえて。

「仲がいいのね」

 とわの笑みが深くなっていた。

「まあ、付き合い長いですから」

 すばるも、そんなとわにつられたのか頬が緩んだ。

「つばさちゃんとも?」

 とわの瞳が優しく笑む。

「ま、そっすね」

 桔梗色の瞳も笑んで、やわらかな光を宿す。
 とわに対しての砕けた物言いは、何だか少しだけ気が緩んでしまったから。

「次の旅は未定だって、つばさちゃんが嬉しそうに話してくれたわ」

 とわがカップに手を伸ばした。

「それは、つばさちゃんの気持ちを知っているから、でしょ?」

 手にしたカップに口をつけて、舌の上でカフェラテを転がす。

「あいつの気持ちは知りませんよ」

 すばるはカウンター席を拭き終わると、布巾を畳んで片隅に置く。
 気持ちは知らないけれども、互いに知っている気持ちは確かに在る。

「でも、今はあいつの近くにいるべきだとは思ってます」

 桔梗色の瞳が細められ、歪む。

「狂わせちまったのは、俺にも原因があるから」

 かたん、と音が響いた。
 とわがカップを置いた音だ。

「ラテちゃんとカフェちゃんね」

「…………」

「カフェちゃん、この頃様子がへんだって聞いたわ」

 二対の瞳が店内の奥へ向けられる。
 その先には、なぜか壁にへばり着いた白イーブイの姿があって。
 それなりの高さがありそうで。
 その下でエーフィが慌てている。
 早く降りてきなさい、と言っているのかもしれない。
 その様子を瞳に映して。

「ラテは元気なんです。ただ、ふうから離れようとしないだけで」

 それでも、それは一時的なものだろう。
 気がすめば落ち着くものだと思う。
 問題なのは。

「カフェがつばさから離れなくなったんです」

 すばるが目を伏せる。

「俺にはすがってるように見えて」

「ラテちゃんを見て、親というものを求めているのかもしれないわね」

「親……?」

 すばるの瞳がとわの方を向く。

「例えば、私とつむぎ。つむぎはタマゴの時から私と一緒なの」

 何かを感じ取ったのだろうか。
 とわの足元で眠っていたリーフィアが身体を起こして。
 とすっと前足をとわの膝へ乗せた。
 撫でろと訴えるように小さく鳴く。

「始めはこの子の親代りで、今では大切な隣人よ」

 とわの手がリーフィアの顎下を撫でる。

「でも、つばさちゃんとカフェちゃんの始まりはそうじゃないでしょ」

 ここまで来れば、すばるにも何となく伝わった。
 とわとつむぎ。すばるとふう。つばさとりん。
 始まりはみんな同じで。
 つばさとラテもそれは同じ。
 けれども、つばさとカフェはそうじゃなくて。
 そもそも、ラテにはりんがいた。親がいた。

「カフェは親を知らない、か」

 悔しい生い立ちは知らない。
 それはつばさも同じで。
 けれども、きっとあまりいい環境ではなかったのだろうと。それは分かった。

「つばさちゃんはもう」

 とわは変わらず、優しい手付きでリーフィアの顎下を撫でる。

「カフェちゃんの親は、出来ない頃合いだから」

 彼はもう、つばさを親に出来る年頃ではないということ。
 それでも彼は、無意識下で求めてしまうのだろう。
 自分の中にある親という残像を。

「俺、何が出来るんすかね」

 すばるが吐息のように言葉をこぼす。
 目を伏せて、細くなる。
 こうなってしまった要因の一つは自分にあるから。

「つばさちゃんの傍に居てあげて」

 伏せられていたすばるの瞳が上がった。

「それだけで、つばさちゃんは嬉しいから」

 とわの瞳が笑った。
 林檎色の彼女の瞳は、とてもあたたかい色だなとすばるは思う。
 だって、赤は。生命に流れる色。命の色。

「その、つもりっすよ」

 砕けた物言いは、柔和な彼女の雰囲気がそうさせるから。
 すばるの頬が少しだけ緩んだ。
 すると、とわの瞳がいたずらっぽく笑む。

「つばさちゃんが大好きだものね」

 とわでもこんな表情をするのかと驚きながら。

「みんなそっすからね」

 と、少しだけ口の端を持ち上げながら答えた。

「ふふっ。否定はしないのね」

 とわがティースプーンでカップの中をかきまぜれば。
 からんからんと音が響いて、細くなった湯気が立ち昇る。
 その足元で、くわあとリーフィアが欠伸を一つした。

■筆者メッセージ
※今話のゲストキャラ、とわとつむぎは作者の他作品「赤い果実」「紡いで作る糸」の登場キャラです。
ばす ( 2018/11/28(水) 22:49 )