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ティータイム 3rd time-追憶-
18杯目 追憶 炎はゆらめく



「“ニトロチャージ”っ!!」

 滑りでた声に驚いた。
 それを受け、ファイアローは炎を纏い始めて。
 そのまま地を蹴り上げた。
 彼を見つめるつばさの橙の瞳は。
 未だに感情で揺れ動く。
 尽きることの知らない雫が、つばさの感情によって押し出されて。
 けれども、そこに宿る意思は強い。

「りん。もう少しだけ……待ってて……」

 白銀の身体を抱き上げ、上着で懐に包み込んだ。
 鮮やかだった赤は。
 もうすっかり黒くなり始めていて。
 白銀の身体を抱き上げたとき。
 ぞくりとした。
 あまりの冷たさに。
 流しすぎたのだ。
 時間が経つにつれ、比例するように。
 彼から熱を奪っていくそれ。
 これ以上はだめだ。早くしないと。
 そう思って、少しでもあたたかくなるようにと。
 白銀の身体を懐で抱える。

「私に、できること」

 ぽつりと呟き、立ち上がる。
 先程、ファイアローが瞳を向けた。
 そのとき、自分の中で。
 何かが弾けたのが分かった。
 奥底で燻っていた、暗い感情が弾けた。
 気が付いたら、白銀の世界に横たわる白銀の身体を抱き上げていて。
 あれほどまでに動かなかった。
 その足が動いたのだ。
 そのことにも驚いたのに。
 先程滑りでた声に、さらに驚いた。
 そして、その声を受けた彼は。
 それだけで、全てを理解してくれた。
 自分でも驚いている。
 どこに、こんな原動力が残っていたのか。
 ファイアローが炎を纏い、人間へ迫る。
 風圧でニューラが弾けたとき。
 つばさも地を蹴り上げた。
 そして。

「熱っ」

 そんな人間の声と。
 ぽとり。
 落ちる赤と白の丸いもの。
 それを目敏く見つけて。
 精一杯手を伸ばした。
 今度こそ、今度こそ。
 視界の端で、ファイアローが糸で縫い止められたのを認める。
 けれども、つばさは振り返らない。
 彼が作ってくれた突破口。
 これを、逃してはならない。

「…………っ」

 お願い、届いて。
 伸ばした手が、今度こそ。
 指先に冷たい無機質な感触。
 次いで、確かに握りしめた。
 それは丸い形。
 よく馴染んだその感触に。
 安堵の息をつく。
 これで、もう大丈夫。

「ごめんね……」

 ぽつりと呟いた言葉は。
 何の謝罪か。
 それは分からなかった。
 たくさんあったと思う。
 過信はだめだと言ってくれた。
 それを分かっているつもりだった。
 けれども、彼に傷を負わせてしまった。
 懐で感じる小さな温度に。
 心が寒さに震えた。
 早くしないと。早くしないと。
 だから、お願い。
 力を貸して。

「ライラっ!」

 彼女の名を紡いで。
 手に在る、確かな感触を確かめるように。
 その丸を帯びた形の、突起を。
 それを押せば、彼女は外へ。
 過信はだめだと言った。
 それは言外に、自分に頼りすぎてはだめだと。
 彼女なりに伝えてくれていたのだと、今は分かる。
 それでも今は。
 力を貸して欲しい。
 早くしないと。
 この懐のぬくもりが消えてしまう。
 なのに。

「…………っ!どうしてっ!」

 何度その突起を押しても。
 反応がない。
 黙ったままのボールを見つめて。
 つばさの顔が歪む。

「なんっ、で……っ」

 思い出す言葉が在った。

―――つばさ、いいですか。この先ずっと、私が傍に居られるとも限らないのですよ?

 これは、彼女の言葉。
 そのあと自分は。
 もしかして、父の元に戻りたいのか。
 そう問うた。
 そのあと彼女は、どう答えただろうか。
 私は。
 そう答えたあと、事は起きた。
 だから、その答えを最後まで聴くことは出来なかった。
 けれども。
 彼女が答えようとしていたことは。
 今のこの状況に繋がるのではないか。
 何度押しても、何も答えないボール。
 それが。

「…………答えって、ことなの。ねえ、ライラ?」

 視界が歪んで。
 目尻に再びたまり始めるそれに。
 熱いそれに。
 もう、うんざりだった。
 結局自分は、泣くことしか出来ない。
 ただの子供。
 瞬けば、頬を伝うそれが。
 懐に抱く白銀に吸い込まれた。
 それを瞳に映して。
 映して、それだけだった。

「何も、出来ない……。出来ることなんて……」

 何も、ない。
 そう紡ごうとしたとき。
 何かに押し倒されて。

「――――っ!」

 耳をつんざくような声がした。



   *



 気が付けば。
 考えるよりも先に、身体が動いていた。



   *



 幹に糸で縫い止められ、もがけばもがくほどに絡み付くそれは。
 体力を、少しずつ奪って行く。
 いくら気力が潰えないとしても。
 それが奪われれば。
 もう、動くことも出来なくなる。
 おまけに。
 それほどの休息を得なかった身体は。
 まだ、発達をしきれていない自分の筋肉は。
 みしみしと、嫌な音を響かせ始めていた。
 負荷をかけすぎたようだ。
 無理をするな、とつばさに言われていたのに。
 早々に言い付けを破る自分が、少しだけ腹立たしかった。
 けれども。
 つばさが泣くことは嫌だ。
 その想いは確かに在って。
 いつも笑っていて欲しい。
 そう想うのも確かに在って。
 それでも。
 つばさが自分のために泣いてくれるのならば。
 それは少しだけ。本当に少しだけ。
 嬉しいと思ってしまう自分も、確かに在って。
 矛盾している、と改めて感じる。
 泣いてほしくないから、出来る限りは無理をしないでいようと決めた。
 けれども。
 この自分のために泣いてくれるのならば。
 無理をしたいな、と少しだけ思う。
 だから、なのかもしれない。
 気が付けば。
 考えるよりも先に、身体が動いていた。
 きっかけはそう。
 つばさが手にしたボールが、何も答えなかったこと。
 違和感があった。
 あの彼女が。ラプラスが。
 今の状況で何も反応をしないというのは、有り得ないと。
 だって、自分は知っている。
 彼女がつばさのことを、大切にしていることを。
 彼女が想う相手は別にいても。
 その相手のために、つばさを大切にしていて。
 彼女自身も、そんなつばさを想っていて。
 彼女が戻ってくれば、この状況も打破出来る。
 そう、思っていたのに。
 何かあったに違いない。
 それを行うとすれば、あの人間しか。
 素早く視線を走らせれば、つばさを見下ろす人間がいた。

「万が一に備えて、ボールのプログラムを書きかえて正解だったわけだ」

 ふっと、言葉と共に吐き出した息は、安堵のものなのか。

「これでも私、そっち方面も明るいの」

 にたりと笑うその顔が、何だかとても腹立たしい。
 目元に険が宿る。
 気が付けば、警戒音がもれていたようで。
 人間がちらりと、こちらへ視線を向けた。
 その瞳に、苛立ちの色を見つけたとき。

「アリちゃん」

 名を紡ぐ声音に、色は感じなかった。
 けれども、確かにその声を受け取ったアリアドスが。
 口を開いたと思ったとき。
 すでに縫い止められているその上から。
 さらに幾重にも糸で縫い止められて。
 それは身体の上から。
 さらには顔にまで及び。
 最早動かせるのは。

「その瞳が気に入らない」

 人間が言うように。
 最早動かせるのは。
 未だに輝きが衰えない。
 ぎらぎらと光る瞳だけ。

「でも、それよりも」

 こちらを向いていた人間が、背後へと振り返る。
 その振り返る途中。
 その人間の横顔が。
 その口の端が。
 少しだけ持ち上がったのを見た。
 目を見開いた。
 先程から座り込み、微動だにしないつばさ。
 その後ろ。後ろから迫る影。
 あれは、何か。
 それが、口を開いて。
 きらりと何かが光を弾いた。
 その刹那。
 自分の中で、何かがぷつりと切れた。
 荒れ狂う感情が、熱となってあふれでる。
 自分はどうやら、外部へと熱を伝えやすい体質らしくて。
 寒い冬の日など。
 つばさが暖をとるために、自分へとその身をくっ付けてくることがある。
 それが何よりも嬉しくて、愛しい時間で。
 つばさはその体質を、焔のからだ、と呼んだ。
 感情が昂るとそれは、熱となって外部へともれだす。
 時にそれは、触れてきた他者を火傷させるほどで。
 おそらくその要領で。
 この身を縫い止めていた糸が、焼ききれたのだろう。
 と、あとから思った。
 そこから脱したら。
 もう、あとは一直線に飛ぶだけで。
 それから覚えているのは。
 広げた両翼。
 それをつばさに覆い被せて。
 押し倒した。
 そして、片翼の根本に突き刺さったそれ。
 あまりの痛みに、声がもれでた。
 焼けるような痛みに。
 脈打つ度に広がる痛み。
 直感する。
 これは、猛毒だ。
 脈打つ度に、それは身体を蝕む。
 しまったな。
 それに抗うほどの体力はないようで。
 もう、息が浅く、早くなってきた。
 押し倒したつばさが、もぞもぞと動いた。
 ごめんね、驚かせて。
 押し倒したから、少し痛かったかな。
 ごめんね。
 そう思って、ちらりとつばさを見た。

「……い、ち?」

 声と共に、つばさの橙の瞳が揺れた。
 ああ、よかった。無事だ。
 そっと安堵する。
 荒くなる呼吸に、重くなるまぶた。
 最期につばさの顔を見たとき。
 自分のとても好きな橙の瞳が瞬いて。
 そこから、大粒の何かが。
 光を弾いてこぼれ落ちた。
 つばさの泣く姿は見たくないけど。
 自分のために泣いてくれる姿は。
 とても好きだと思った。
 でも、あまり長くは泣かないでね。
 そう思って。
 自分は意識を手放した。
 最後に、つばさが名を呼んでくれた気がした。




ばす ( 2018/07/08(日) 16:17 )