ようこそ、喫茶シルベへ











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ティータイム 1st time-苦味-
2杯目 朝はほろ苦いコーヒーで
 
 こんこん、と。
 窓を何かが小突く。
 それがここ、喫茶シルベの朝の訪れを知らせる音だ。
 その音で目覚めたのは、喫茶シルベの店主であるつばさ。
 まだ眠たげな橙の瞳が瞬く。
 が、すぐにはっと見開かれると、慌てて布団をはねのけ、ベッドから飛び出す。
 彼女がベッドから飛び出した際に、その上で寝ていた何かが落ちた。
 ごとりと盛大な音をたてて落ちたそれが、一緒に落ちてきた布団の中から怨めしそうに顔を出す。

《おい……つばさ……》

 金の瞳が不機嫌に煌めく。
 まるで地を這うような声音は、心に直接語りかける声なき声。
 それを彼らは“思念の声”と呼ぶ。
 これは彼が、悪の力を司る者にも関わらず、少々強い念の力も備えているために行える芸当。
 そして、太陽の光で輝く月であるため。これはその恩恵だ。
 その月たる彼は、艶やかな黒の体毛に身を包み、その身に浮かぶ輪は凛と静かなる青。瞳は夜闇に瞬く金。
 種族はブラッキー、名をりんという。
 だが、その左の瞳は固く閉ざされている。縦に刻まれた一文字は、古い傷痕だ。

《つばさ……!》

 一向に反応がないため、もう一度抗議の声を上げる。
 だが、それが届いていないのか、つばさは軽く身支度を整え始める。
 手櫛で淡い金の髪を整えると、胸元にまで届く髪をさっと後方に一つ結い上げる。
 次いで椅子の背もたれにかけてあったカーディガンを羽織ると、そのまま窓辺へと急ぐ。
 そのとき、視界の端で転がるブラッキーを見つけたが、気付かないことにした。
 見上げる瞳が、さらに不機嫌に煌めく。
 閉まっていたカーテンを開けると、器用に窓の桟へとまった一羽の橙の鳥がいた。
 種族をファイアローという。
 窓を開けてやると、ひょこっと顔を部屋に入れ、そのまま慣れた動作で部屋の中へと舞い降りる。
 首からは何やら、造りがしっかりとした鞄が提げられており、彼が動く度、中からかつんこつんと小高い音が聞こえる。

「イチ、毎朝ありがとう」

 そう言ってつばさが、ファイアローの首へ腕を回すと、自信の頬と彼のそれを重ね合わせた。
 それを受けた彼が、くるると鳴いたのは嬉しさの現れ。

―――えへへ、褒められた…!

 無邪気な少年のような声が聴こえた。
 これもまた、思念の声。
 ファイアローの心の声。
 それがつばさの心に届くのは、特性、シンクロを持つブラッキーと、彼女の結び付きが強固だからなのか。
 シンクロとは、特性の持ち主とそのパートナーの互いの感情の起伏を敏感に感じとるができる。
 両者の結び付きが強固なほど、それは鮮明なものになる。
 のだが。
 もしくは、強すぎる太陽の光が、月を介してその周りにも影響を及ぼした結果なのかもしれない。
 どちらにしても、理由は分からない。
 けれども、彼女らがシンクロの影響下にあるために、念の力を持たない彼女らまでもが、言葉を介さない意志疎通を可能にしているのは、きっと確かだろう。
 一頻り撫でて満足したのか、つばさが回していた腕をそっと離した。
 それを名残惜しそうにするファイアローだった。

「さて…」

 そう言って振り向いたつばさは、はねのけて落としてしまった布団を拾い上げる。
 そして、未だに転がるそれを一瞥する。

「ねえ、いつまで転がってるわけ?」

《煩い。落としたものは拾えと教えただろ》

 布団をたたみながら答える。

「え?いつ?」

《昔だ》

「昔って、何年何月何日の何時何分何秒で、地球が何周した頃?」

 たたんだ布団をベッドへ戻す。
 よし、きれいにたためた。
 小さな満足感に浸った。
 けれども、いつまで待ってもブラッキーからの反応がない。
 億劫そうに下を見る。

「……」

 見てから、やっぱりやめておけばよかったと後悔した。
 今まで見たことがないような、物騒な光を携えた金の瞳があった。

「さあて、朝食の準備しなくちゃ」

 自棄に明るい声で部屋を出ていく。
 そのまま下の階へ続く階段へと向かう。
 喫茶シルベは、上の階が彼女達の住居スペース。下の階がカフェスペースになっている。
 つばさの姿が見えなくなったとき、ブラッキーが尾でばしんっと床を大きく叩いた。
 それに慌てたのはファイアローだ。

―――りんくんっ!静かにしないと、ラテちゃんとカフェくん起きちゃうでしょっ!

 少々焦った声音に、ブラッキーはベッドの隣で眠る二匹を一瞥した。
 大きなふかふかクッションに身を沈める二匹は、互いの尾を抱き締めて眠っている。
 これを、まるで高級毛皮の抱き枕状態、と評していたのはつばさだ。
 正直、意味はよく分からない。
 冬の半ばを過ぎたとは言え、まだまだ冷え込む時期。
 寒ければ寒いほど、ぬくもりを求めてなのか、二匹は互いの尾を自身の身体に巻き付けて眠る。
 その姿を見たつばさが、可愛いを連呼しながら、一心不乱にスマートフォンで写真を撮る姿を思い出す。
 妙に鼻息が荒く、ちょっと引いたのを覚えている。
 と、階下から声が聞こえた。

「イチー、ご飯にするから、それ拾って降りてきてー」

 ちょっとまて。
 それ。拾って。だと。
 聞こえてきた意味を考えていたとき、ふわりと重力に反してブラッキーが浮く。
 否、持ち上げられた。

《おい、イチ。降ろせ》

 尾を咥えられ、文字通りに宙吊りのブラッキーが声を上げる。
 それは少々、怒気が含まれた声音で。
 しかし、ファイアローは特に気にすることなく、そのまま階下へ向かう。
 おい、聞いてるのか、降ろせ。
 そう言われても降ろさない。
 ちゃっちゃっと、床に爪が鳴る音が響く。

―――ごめんね、りんくん。つばさちゃんの頼みだから

 言葉と裏腹に、その声音に悪びれた様子はなかった。







 ファイアローが拾われたそれと共に階上から降りた頃、ちょうどつばさはカウンター奥のキッチンから姿を現したところだった。

「イチ、ありがとう。それはその辺に置いといていいから」

 先程からそれ扱いのそれが、おい、とか、おい、とか訴えているが、気にする者は残念ながらここにはいない。
 ファイアローが言われた通り、咥えていたそれの尾を離す。
 ぼとりと落ちるかと思えば、音もなく華麗に着地を決める。
 それに思わず。

「おお!りん、さすが」

 感嘆の声がつばさから上がる。
 が、それに喜ぶ彼ではない。
 代わりにやるのは、何も語らぬ冷たい金の瞳。
 それもつばさは確かに見た。
 そこに宿る、ちろりと灯った小さな炎を。
 その炎の冷々とした輝きを。
 ふいっと顔を背けると、ブラッキーはすたすたと窓辺に向かう。
 ひらりと一つ跳躍すれば、重ねた前足に顔を乗せ、こちらに背を向け寝そべる。
 壁に垂れ下がった尾だけが、機嫌が悪そうにひょんひょんと揺れるだけ。
 そんな様子に、つばさとファイアローは顔を見合わせる。
 どうやら御立腹らしい。
 だが、両者に悪びれた気持ちはない。
 いつものことだ。
 そう片付け、共にキッチンの奥へと向かった。



 キッチンに配されたテーブルの上に、ファイアローが首から提げていた鞄を降ろす。
 中にあるのは割れ物のため、それは慎重に行った。

「今日も朝早くからお疲れ様」

―――えへへ、つばさちゃんの頼みだから

 だらけた笑みを浮かべるファイアローに、つばさも頬が緩んだのを自覚する。
 ファイアローはとにかく、つばさの役に立てるのが何よりの喜びだった。
 鞄の口を開けたつばさは、中から瓶を数本取り出す。
 瓶のラベルには、ミルタンク印モーモーミルク、の文字がある。
 縁あって懇意にしている牧場から、毎朝ミルクを仕入れている。
 ここの牧場のミルクはとても美味しく、喫茶シルベのメニューで使用するミルクは全てここの牧場のものだ。
 毎朝早くにここを飛び立ち、ファイアローはミルク運搬を引き受けてくれているのだ。
 つばさは取り出した瓶をテーブルへ置き、本数を確認する。
 よし、注文分の本数はある。
 だが、鞄の中には、まだ二本の大口瓶が残っている。
 ラベルは貼られていないが、色合からしてジャム瓶のような気がする。
 けれども、ジャムなど注文した覚えはない。
 暫し唸っていると、何かを思い出した風情のファイアローが言葉を紡ぐ。

―――あ。ハキさんが、試作品のジャムも付けとくよって言ってた!

 忘れてた。
 と彼が紡いだ言葉で、つばさは思い出す。
 少し前にハキと電話で話したとき、新商品としてジャムも扱おうと考えていると話していた。
 ハキとは、つばさが懇意にしている牧場主だ。
 今は開発段階だと言っていたので、今度遊びに行ったときに、是非食べてみたいとつばさは言ったのだ。
 それを彼女は覚えてくれていたのだ。
 試作品が出来たから、おまけとして付けてくれたのかもしれない。
 今度遊びに行くときで良かったのに。
 ふふっと小さく笑う。

「美味しかったら、このジャムもうちで扱おうか」

 ファイアローに語りかけると、彼は当たり前のように返した。

―――ハキさんの牧場で作ったものだよ。美味しくないわけないよ!

「そうだね」

 愚問だった。
 美味しくないはずないのだから、ジャムの取り扱いは最早決定事項だ。

「さて、ご飯にしようか」

 そう言ってつばさは準備を始める。







 彼らの食卓は、開店前のカフェスペースのカウンター席だ。
 ご飯と言っても、本日店頭に並べるカップケーキの余り分。
 いや、余るように多目に焼いたのだから、やはりご飯の分だ。
 つばさのカップケーキはそれなりに評判で、喫茶シルベの人気メニューの一つだ。
 本日はそれに、ハキからのジャムを付けて口へ運ぶ。

「やっぱり美味しい。正規品出来たら仕入れよう」

 口に広がる仄かな甘味。
 何の果物だろうか。いや、木の実か。
 香りも良く、発色も良い。
 見た目でも楽しめるジャムに、新メニューのアイデアも浮かぶ。
 今度、うちでも試作品を作らなければ。
 湯気が立ち込めるコーヒーを口に運ぶ。

「にがっ」

 苦さに言葉がもれた。

《お前、それブラックか?》

「うん」

 ブラッキーの言葉に頷く。

―――あれ?つばさちゃん、いつもお砂糖入れてなかった?

 横から言葉を挟むのは、小首を傾げたファイアロー。

「今日は砂糖なしでも飲める気がしたんだけど」

―――つばさちゃんも、背伸びしたいお年頃だもんね

 うんうんと頷くファイアローに、つばさの眉がぴくりと跳ねた。

「ちょっと待って。お年頃って、私はこれでも20は過ぎてるよ」

 心外な、とでも言う表情のつばさに、ファイアローは慌てる。
 彼女は少々童顔な顔立ちを気にしているのだ。

―――僕、そんなつもりで…

《いいんだ、イチ。こいつはまだまだガキだから》

 弁明しようとするファイアローに、ブラッキーが口を挟む。

「なんっ…!?」

 ここで両者の視線が交差し、火花が散る。
 ありゃりゃ。
 と、ファイアローはその場をそっと離れる。
 童顔のためか、年相応に見られないのが、つばさの密かな悩みなのを自分は知っている。
 そしてそれは、ブラッキーも同じく知っているはず。
 いや、彼女に関しては、自分よりも彼の方が、より深く知っているのだろう。
 共にした時間が違う。
 心の結び付きの強さが違う。
 他にも色々ある。
 けれども、そのどれもが、他者と比べることの出来ないことなのは分かっている。
 それでも彼に対して、悔しさに似た嫉妬心を持っているのも自覚している。
 だからまだ、彼女があの事を抱えているのに気付かなかった。
 窓から外を眺めて。
 彼らの他愛ない言い争いに、終止符が打てればいいなと思って、軽く投げ掛けた言葉だった。

―――二人とも見てっ!雪が舞ってるよ

 そう紡いで振り返った。
 雪に浮き立つ心が隠しきれずに、きらきらとした瞳があると思った。
 なのに。
 そこに在ったのは。
 少し凍りついた瞳だった。
 からんと音がした。
 つばさが手にしたティースプーンを落としたのだ。
 砂糖を入れようとしたのだろう。
 カウンターに白く降り積もる様は、まるで雪のようで。
 つばさの脳裏に、駆け抜ける後景があった。
 一面を染める白銀に、咲き誇る赤。
 そしてそこに。
 横たわる白銀の身体は。
 名を叫んだのに、それは声にならず。

《……さっ!つばさっ!》

 その声ではっとする。
 彷徨う瞳が一つのものを見つける。
 金の瞳が真っ直ぐ見返し、ほっと息をついた。
 そうだ。彼はこうして、今この瞬間、目の前に在る。

「ああ、ごめん。大丈夫」

 何とかそう紡ぐと、つばさは席を立った。
 砂糖を片付けなきゃ。
 そう言ってキッチンへと姿を消す。
 その姿を見送ったあと、ブラッキーはそこで初めて、自身が狼狽しているのに気付いた。
 シンクロによって、つばさの気持ちに同調してしまったのか。
 否、自分もまだ、あの事を抱えたままなのだ。
 左目の古傷が嫌に疼いた。
 そこで視線に気付き、金の瞳を向ける。

―――ごめん

 しゅんと沈んだ面持ちで、申し訳なさそうに紡ぐファイアローに、気にするなと返す。
 彼だって、その奥底に抱えている想いがあることを知っている。

「もう、暗いぞ暗いぞ!」

 キッチンから布巾を手にして戻ってきたつばさが、努めて明るく振る舞っているのに二匹は気付いている。
 けれども、二匹は気付かない振りをする。

―――つばさちゃん、おかわりある?

 空の皿を咥えたファイアローが訊ねる。

「まだたくさんあるよ。りんはいる?」

 そうブラッキーに問いかけると、静かにすっと空の皿を差し出す。
 俺もいる、という意思表示だ。
 はいはいと、二匹分の皿を手にして再びキッチンへ向かう。
 その途中、棚に飾ったあれが視界にはいった。
 鈍く煌めくそれは。
 かつて追いかけた夢のかけら。
 とある地方で、彼らと頑張って手に入れた。
 ジムバッジ。
 夢まであと少しで半分というところで、あれは起きた。
 また思い出しかけて、慌てて頭を振る。
 追いかけてくるそれを振り払うようにしてキッチンへと駆け込んだ。
 昔の話だ。けれども。
 過去として流すには。
 まだ時間が足りないくらいには、最近の話だ。
 その日は、そんな苦味のある朝だった。



ばす ( 2018/06/18(月) 22:34 )