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Afternoon Tea -カフェラテ-
05.鎖

 足音がする。誰かが階段を上がっているらしい。
 音が軽いこれは、彼女だろうか。
 あ、扉を開ける音。気配が近くに。屈んだみたい。
 うつろではっきりとしない意識の中。薄く目を開ける。
 さわりとこぼれ落ちたのは、時折眩しく感じる金の色を持った髪。
 心配そうな橙の瞳が自分を見下ろしていて。

「調子はどう?」

 彼女が伸ばした手が、優しく自分の額に触れた。
 程よくひんやりと冷えたその手は、とても心地よかった。

「汗、かいてないな……。まだこれから上がる……?」

 ああ、そんな痛そうな顔をしないでよ。自分は大丈夫だから。
 元気に笑ったつもりだった。けれども。

「……そんな、へにゃりって無理に笑わなくて大丈夫だよ」

 彼女から帰ってきたのは苦い笑みだった。
 上手に笑えなかったみたい。
 先程から身体がかたかたと震える。寒い。

「寒いの? ……まだ熱は上がりそうだな」

 ぽつりと呟いて、彼女はふわりと厚手の掛布をかけてくれた。

「これで少しは暖かい……?」

 問いにこくりと小さく頷くと、彼女は安心したのか、小さく笑ってくれた。

「私、ポケモンセンターに行って、お薬もらってくるね」

 そう言って、彼女は立ち上がって。
 離れるその気配を追っていたら、ふと立ち止まる。
 そしたら、別の気配が身動いだ。

「ラテ、そんな端で小さくなってないで」

 彼女の声が紡いだ名に、垂れた両耳がぴくりと跳ねた。

「カフェは大丈夫だから、ね?」

 ぴやあ。元気のない、覇気のないその声は。
 その彼女が生来持つ声で。
 そういえば、その声も巡る季節の中で変わったことの一つだったな、と。
 うつろう意識の中で静かに思った。

「カフェの傍に居てあげて……?」

 その言葉を言い置いて、彼女は部屋を出ていった。
 階段を下りる音が遠くなる。
 足音も聞こえなくなってしまえば、しんっと静かな音が代わりに響く。
 彼女は傍に来てくれないのだろうか。
 そう思ったのだけれども、かたかたと震える身体と襲う寒気。
 そして何より、自分に囁く睡魔に逆らうことは出来なくて。
 自分がゆっくりと底に沈んで行くのを自覚しながらも。
 彼女にあの言葉の意味を問いたくて仕方なかった。
 それでも、囁く睡魔に抗うことは出来なかった。



   ◇   ◆   ◇



「カフェの様子、どうだ?」

 つばさが階上からおりてきた姿を認めて。
 カウンター席を布巾で拭いていたすばるが声をかけた。

「うん、これからまだ熱が上がるかもしれない」

「ラテの風邪をもらっちまったか……」

「それは仕方ないよ。ラテがカフェを放さなくて、抱き枕にされてたらねー」

 つばさが苦笑をもらす。

「責任感じてるみたいで、部屋の隅から動こうとしないの」

「ああ……なるほど、な」

 すばるもつられて苦笑する。
 彼女が体調を崩したとき。
 他のポケモン達にうつってしまわないよう、早々につばさのポケモン達は部屋の出入りを禁じた。
 寝起きはすばるの部屋。
 いつもよりも賑やかな夜の部屋の気配に、直ぐには慣れなかったものだ。
 それから数日。彼女の体調は回復した。
 けれども、入れ替わるように本日の朝。彼が体調を崩した。

「つばさの部屋の出入り禁止令は継続だな」

 分かりやすいくらいに嘆息をこぼし、肩を竦めるすばるに。
 つばさが申し訳なさそうに小さく笑った。

「ごめん、もう少しだけみんなのことお願い」

「別にいいけどさ。あとでイチの様子だけみてやってくれよ」

「え、もしかして、イチも体調悪い?」

 心配そうに橙の瞳がゆれる。

「ま、ある意味体調がわりーのかも」

「?」

「あれは深刻だな」

 一人頷く彼に、つばさは眉をひそめて困惑気だ。

「病名はつばさ不足」

「は?」

「あいつ、俺の顔を見る度にため息ばかりつきやがる。いい加減、鬱陶しい」

 桔梗色の瞳が半目になり、すばるが不機嫌そうに唸った。
 自分の顔を目にする度、分かりやすいくらいに落胆のようなため息をつく。
 確かにつばさが一番の彼にとっては、これほどにもない苦痛だろう。
 理由が理由なだけに反発も出来ない。
 それらの鬱憤を晴らすように、彼は自分の顔を目にする度にため息をつく。
 無意識のうちに握り締める拳。
 それをどこかに振り下ろす前に何とかして欲しい。
 ある意味切実なすばるの訴えに、つばさは乾いた笑みしか返せなかった。

「ごめん。イチのことはあとで慰めとく」

「そーしてくれ」

 彼のなげやりな返事に、つばさはやっぱり乾いた笑みしか出来なかった。



   *



「じゃあ、ポケモンセンターにもう一度行ってくるね」

「なんで?」

「薬」

「ああ、そうだったな。りょーかい」

 少しでも早く帰って、茶イーブイを寝かせてあげたい。
 そう思ったつばさは、薬の処方を待たずに帰宅した。

「二階にはラテがカフェと一緒にいるし、イチは……そういえば、帰ってから姿を見てない……?」

 つばさが辺りを見回す。
 けれども、懐っこい笑みを浮かべる彼の姿はなくて。
 代わりに、窓辺で丸くなるブラッキーの姿を見つけた。
 ちょうど彼があくびをしたところで、呑気だなあ、なんて思った。

「イチなら、ニアと森へ行っちまったぜ」

「森?」

 すばるの言葉につばさは首を傾げた。

「なんで森?」

「知らねーけど、オレンの実がどうとかって言ってたけどな」

「オレンの実、オレンの実……」

 つばさが記憶を手繰るように、何度もその単語を繰り返す。
 やがて、あ、と小さく声をもらして、すばるの瞳が不思議そうに瞬いた。

「どーした?」

「あ、ううん。そういえば昨日、オレンの実があれば、食欲なくても少しは食べられるのかなって……」

「ああ、カフェの奴、食欲ないんだっけ?」

「そう。一人言のつもりだったんだけど、もしかして、それで森に……?」

「オレンの実は滋養作用もあるし、食べやすい木の実だしな。それなら、カフェも食べれるかもしれねーな」

 よかったじゃん。
 すばるがそう言って、にっと笑った。
 しばらく橙の瞳を瞬かせていたつばさだったけれども。
 彼の笑顔につられたのか、うん、と一つ頷いてふわりと笑った。

「あとでお礼言わないとね」

「おう。これでしばらくは、あいつの機嫌もよくなるしな」

 やれやれと肩を竦める彼が可笑しくて、つばさはふふっと笑った。



   ◇   ◆   ◇



 ばたん、と。
 階下から扉の閉まる音がした。
 跳躍一つ。音もなく窓枠に飛び乗って、窓から外を見下ろせば。
 ブラッキーを伴って歩いて行くつばさの後ろ姿があった。
 薬を受け取りに行ってくると言っていた。おそらくそれだろうな。
 視線を外から中へ。窓枠から室内を見下ろす。
 その先にはふかふかクッションで眠る彼の姿。
 掛布をかぶり、丸くなって、自身の尾に顔を埋めて眠っている。
 けれども、かたかたと小刻みに震える彼の身体。
 まだ寒さが彼を襲っているのかもしれない。
 すとん。軽いものが落ちたように下りる。
 足音はたてないように。静かに彼へ近寄って。
 そっと覗き込んで彼の様子を伺う。
 すんっと鼻を小さく鳴らして、彼の隣で身を倒した。
 彼のその身を寄せるように、手繰り寄せるように。前足で彼の身体を引き寄せた。
 掛布越しに伝わる彼の震え。
 それを感じて、きゅっと前足に力を込めた。
 まだまだ寒いのだろうか。
 掛布越しに伝わる彼の体温は、昔からよく知るそれと比べて高かった。
 熱がある。それは当たり前だけれども、感じるその熱は高くて。
 その原因をつくってしまったのは間違いなく自分だ。
 だから、せめて彼が寒さで震えなくていいように。寒さを感じなくていいように。
 自分の体温が彼に伝わってくれればいいと思う。
 今の自分ならば、小さな身体の彼を包み込むことができるから。
 それは姿が変わったからできることで。それが嬉しい。
 けれども、と。胸中に波紋を落とす、反する気持ちが一つ。
 姿が変わらなければ、やわらかな自身の毛で彼を包むことができたのに。
 かつての自分の白銀の毛並みを思い出す。
 彼のやわらかな毛に顔を埋めれば、彼は仕返しとばかりに自分の毛に顔を埋めてきた。
 そして、互いに絡むように丸くなってじゃれあったのは。
 もう今は、あんなに遠くに感じてしまう。
 自分勝手だな、と。口の端に自虐的な何かがのった。
 自分で今の姿を選んだのに、今はそれを寂しく思って。
 さらには戻りたいな、と思ってしまうなんて。
 だって、あの頃に戻ることができたならば。と。
 そこまで考えて、考えることをやめた。
 抱き寄せた彼の身体。その頭に鼻先を押し付けて。
 彼の匂いを肺一杯に吸い込んだ。
 昔から変わらない彼の匂い。安心する匂い。大好きな匂い。
 あの頃に戻りたい。そうは思っても、やっぱり気付いてしまったから。
 もう、戻れない。ここまで来てしまったのだ。
 あの頃から育ってしまった気持ちに気付いてしまったから。
 だから、もう、引き返すなんて。
 なかったことにするなんて無理だ。嫌なのだ。

―――ラテはもう……子供じゃないもん……

 ぽつりとこぼした言葉。

―――家族になるって意味

 幼かったあの頃は。
 ただ、彼の隣に居ていい理由が欲しかった。
 そうしないと、彼が遠くに行ってしまう気がしたから。

―――ラテはもう、知ってるもん

 でも、今は。
 大好きな自分のトレーナーと、そのトレーナーが想っている彼とが一つのカタチになった。
 それをずっと近くで見てきたから、もう、分かっている。
 幼かった自分があの時、彼に言葉にしたその意味を。
 今の自分はもう、知っているのだ。
 そして自分は、それを欲している。
 あ、そうか。自分はそこが欲しいのか。

―――…………っ

 瞬間。かっと自分の中で熱が弾けた。
 弾けた熱が頬に集まって、顔が熱かった。
 あれ、そういえば。と。
 今の自分の体勢を思い出して、かっかっとさらに熱が走った気がした。
 熱い。熱い。暑い。暑い気がする。
 おかしいな。もしかして、彼の風邪がうつったのだろうか。
 否、風邪がぶり返してしまったのだろうか。
 ああ、そうかもしれない。
 思考が先程からぐるぐる回っている気がしている。
 風邪だ。きっと風邪のせいだ。
 寝よう。寝てしまおう。そうしよう。
 と、刹那。聞こえてきた音に、閉じかけていたまぶたを持ち上げた。
 すーすーという彼の穏やかな寝息。
 呼吸が落ち着いてきたのだろう。
 少しは楽になれたのかな。
 そう思ったら嬉しくなって、えへっと小さく声をもらした。
 しばらくその寝息に耳を傾けていれば。
 何だかまぶたが重くなってきて。
 次第に意識は沈んでいった。



 けれども。
 やはり同時に浮上してしまうのは。
 あの頃と同じ気持ちじゃなくてごめんね。
 という気持ちで。あの頃とはすっかり変わってしまったカタチ。
 あの頃はただ、彼の隣に居られる”理由“が欲しかった。
 でも今は。彼の隣が、その場所が”欲しい“のだ。
 ごめんね。変わってしまって、ごめんね。
 ごめんね。約束を守れなくて、ごめんね。

――ラテが、ラテがね、カフェのかぞくになるっ!

 幼かった頃の自分の言葉。
 それが今は、自分を縛る鎖となる――。

■筆者メッセージ
年明け初更新。
今年もよろしくお願いします!
ばす ( 2020/01/10(金) 18:36 )