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Afternoon Tea -カフェラテ-
03.夢を、みた

 夢を、みた。



   ◇   ◆   ◇



 辺りは闇に包まれていて、でも、その闇は不思議と怖くはない。
 その中で、ぼんやりと浮かび上がるのは自分で。
 黒に白は目立つから、まあ、当たり前だよなって思うのだけれども。
 その瞬間には自分は違う色をしていたんだ。
 ちゃぷん。音がする。
 気が付くと、自分が立つところから波紋が広がって。
 そこに映る自分の姿が見知った白の毛玉じゃなくて、ひらひらとしたリボンを持つ青の妖精だった。
 驚いて瞬く瞳も桃色で。そこで。ああ、そうか。と、思い出す。
 自分は進化というものを経て、今の姿を得たんだ、と。
 水面に映る自分の姿をまじまじと見つめて、触覚であるリボンをひらめかせてみたりして。
 なかなか楽しいなと感じる。そんな姿の自分がおかして、くすりと一つ笑った。
 今の自分の、この姿。
 彼は可愛いと思ってくれるだろうか。気に入ってくれるだろうか。
 そう思ったら、水面に映る自分の頬にぽっと熱が弾けた。
 そうだ。次に彼と会ったら訊いてみよう。ねえ、似合うかな、可愛いかなって。
 じゃあ、今の場所は夢だろうから、彼に会いたいなら早く目覚めなければ。
 そう思って気合いを入れた。
 目覚めよって念じながら、ふんって気合いを込めてみた。
 けれども。ぴちょん、ぴちゃんって波紋が生じるだけでだめだった。
 あれ。間抜けな声がもれた。
 そういえば、夢ってどうやって覚めるんだっけ。
 首を傾げてみても、波紋が広がって水の音が響くだけ。
 まあ、いいか。いつか覚めるよね。夢だもん。
 そう結論に至って、うんうん頷いていると。
 別の波紋が視界の端に映って、自然とそちらへ目を向けていた。
 桃色の瞳が見開かれて、笑う。
 気が付けば自分の足は駆けていて、喉からは彼を呼ぶ声が滑り出る。

―――カフェっ!

 彼の背に向かって。
 すると、突然彼が駆け出した。
 咄嗟に息がこぼれた。

―――待って……!

 足を早めて、慌てて追いかける。
 走って、走って、走った。
 それなのに、なぜが縮まらない彼との距離。否。広がる一方で。
 なんで、と。掠れた声がもれた。

―――カフェっ!!

 彼を呼ぶ声だけが鮮明になる。
 それでも、彼は止まってくれない。振り向いてくれない。
 いつもなら、声がすれば振り向いてくれる。笑ってくれる。なのに。
 どうして。瞬けば何かがこぼれ落ちた。
 縮まらない彼との距離。それでも、走って、走って、走った。
 そして、幾度目の。

―――カフェっ!!

 彼の名を叫ぶ。
 喉が痛かった。ここは夢のはずなのに。
 でも、喉は痛かった。咳き込んで足が止まる。
 徐に顔を上げる。広がったままの、縮まらない彼との距離。
 ここは夢のはず。夢のはずなのだ。
 だから、彼に追い付けないとか。振り向いてくれないとか。
 そんなのは全て夢がみせる幻のようなもので。
 だから。だから。と。必死に言い募る。
 ここは夢だから。夢のはずだから。と。言葉を重ねる。
 なんだ、そうか。ここは夢か。
 自分で言葉を重ねて、勝手に安堵する。
 けれども、瞬間に喉の痛みが主張する。
 ここは夢ではない。現だ。と。
 夢ならば痛みを感じるはずはない。と。
 そして、肯定するように咳き込む。
 分からない。分からない。ここは夢なのか、現なのか。
 ぽたぽたと落ちるこれは。瞳からこぼれ落ちるこれは何。
 どうして彼は振り向いてくれないの。

―――…………!!

 彼の名を叫ぼうとしたのに。
 掠れたそれしか出せなかった。
 吐息しかこぼれない。
 それでも叫んだ。全霊で叫んだ。
 そしたら、それが伝わったのだろうか。
 彼がぴたりと止まってくれた。
 ぱちっと瞬いた瞳から、最後のそれがこぼれた。
 彼がゆっくりと振り返り始める。
 その姿にひどく安堵した。
 よかった。振り向いてくれる。
 それで、あのあたたかくて優しい、大好きな笑みで自分の名を呼んでくれるのだ。
 なのに。そう思っていたのに。
 振り向いてくれた彼の顔が、嫌悪するようなもので染まっていた。
 ひゅっと喉が鳴る。狭まった器官支。息が詰まって咳き込む。
 なんで彼はそんな顔をするの。しているの。
 なんで。口だけがその言葉を紡ぐ。

―――なんでって。君が変わってしまったからだよ

 彼の声が響いた。
 変わってしまったとは何が。

―――自分の姿をよく見てみてよ

 そう言って、彼は水面を示す。
 動きにつられて視線を落とせば、そこには見知った慣れ親しんだ白の毛玉の姿。
 それに安堵の息をつく。けれども。
 波紋が一つ。瞬く間もない程に、その姿はすぐに塗り替えられた。
 水面に映る、たゆたうその姿は――青い妖精。

―――ほら、君は変わってしまった

 顔を上げる。彼が口の端を持ち上げて、歪んだ笑みをそこにのせていた。
 ふるふると首を横に振る。違う、と首を振る。
 だって、彼はそんな笑いをしない。
 彼の笑みはもっとあたたかくて、優しくて。
 ぽたぽた。瞳から何かが落ちた。
 水面に小さな波紋が幾つも生じる。

―――いまよりもおおきくなって、そのときもおなじきもちでいてくれたら、また、いってくれる?

 その言葉に、はっと目を見開く。
 それは、お互いに幼かったあの日に交わした約束。幼かった約束。拙い約束。
 幼かった自分は“よやく”なんて言った約束。

―――君は覚えてる?

 覚えてる。覚えてるよ。
 忘れるわけがない。忘れられない。忘れたくない。大切な約束。
 家族になる。そう約束した――よやくした。
 幼かったあの頃の自分は、深くは考えてなかった。
 ただ、あの頃は彼を失いたくなくて。寂しそうで。遠くにいる気がして。
 繋ぎとめていたくて。傍にいたくて。傍にいて欲しくて。
 ならば、ならばと。いっそのこと、自分が彼の家族になればいいと思った。
 そして。いまよりもおおきくなったら。彼のあの時の言葉。
 今はその“おおきくなったら”のところにいるのだと思う。
 自分の姿は変わってしまったけれども。
 この気持ちは変わっていないよ。
 彼と家族になりたいという気持ちは変わっていないよ。
 家族になるってことは、つばさとすばるを近くで見てきたから知ってる。
 自分も彼と、あんなふうにして家族になりたい。
 ひとつとひとつが重なって、ふたつじゃなくてひとつになった。
 つばさとすばるはひとつのカタチになったんだ。
 だから、だから――。

―――でも君は、本当にあの頃と同じ気持ちなの?

 するりと滑り込む彼の言葉。
 同じ、同じだよ。そう言葉を紡ぎたいのに、声が縺れて咳き込む。喉が痛い。

―――本当に同じと言えるの?

 同じだよ。だって、自分は彼と。

―――僕、言ったよね?

 彼が歪んだ笑みを浮かべる。

―――あの頃と同じ気持ちだったら、また、言ってくれる? ってさ

 瞳を細めた彼。その中に侮蔑の色を見つけて。
 自分の頬に熱い何かが伝った。
 ふるふると、意味もなく首を振る。
 彼はそんなふうに笑わない。
 彼はそんなふうに自分を見ない。
 ここは夢なのか。現なのか。もう、分からない。

―――君の抱くその気持ちは、あの頃とちっとも同じじゃないよね?

 くすり、と彼は笑う。歪んだ笑顔で笑う。
 違う、と叫んだ。でも、喉が痛くて、咳き込んで。
 不意に自分の身を浮遊感が包んだ。
 え。と、思った頃には、水面から自分を見下ろす彼の姿が見えた。
 ああ、自分は沈んでいるのか。
 どこかで冷めた自分が静かに思う。
 彼の名を紡ごうと口を開けば、ごぼっと気泡がもれるだけ。
 もがく四肢にまといつくのは水のように感じた。ひどく重い。
 沈んで、沈んで、沈んで行く。
 どんどんと落ちて、堕ちて。彼の姿が小さくなって行く。
 瞳からあふれたそれが、自分を置いて上へと上っていく。
 木霊する声。

 君の抱くその気持ちは、あの頃とちっとも同じじゃないよね?

 ああ、そうか。そうだね。全然違う。違ったね。
 初めて気付く。
 深く色付いた気持ちは、こんなにもあたたかくて。
 それから、少しだけの痛みを孕む。
 すっかりとこの気持ちは、あの頃からカタチを変えてしまった。
 そう、きっかけはあの時なのだと思う。
 彼との幼い約束。それが、そこに在った種に水を与えた。
 そこから芽吹き、彼を追いながら育った気持ち。
 芽吹いた小さな気持ちは、いつの間にかこんなに大きく成長していて、花開いてしまった。
 好き。なんて、簡単には一言で表せないくらいに育ってしまっていた気持ち。
 これをなんて呼ぶのかなんて知らない。
 だけれども。だけれども、ね。
 いくらカタチを変えてしまっても、言えることが一つだけあるよ。
 根底にあるこの気持ちだけは変わらないよ。
 彼が――カフェが、とても大好き。
 でも、でも。カタチは変わってしまった。
 あの頃とは、もう同じでいられない。
 だって、もう自分は子供ではいられないから。
 白かったあの姿ではなくなったように。
 もう、自分は子供ではなくなってしまったから。
 ごめんね、ごめんね。
 もう、彼とのあの約束は果たせない。
 家族になりたい。それは変わらないのに。
 あの頃と同じ気持ちではなくなってしまったから。
 ごめんね。ごめんね。でも、大好きだよ――カフェ。
 ごぼり。最後に大きな気泡がもれた。
 それを最後に、意識は深く深く堕ちて行った。



   ◇   ◆   ◇



ばす ( 2019/12/06(金) 19:52 )