2.evening
夕食を終えるころには、外はすっかりひどい吹雪になっていた。窓ガラスがガタガタと音を立てている。
寝室の石油ストーブに灯油を足し、スイッチを入れた。寝るときに寝室が冷え切っているのはつらいのだ。
ボッ、と小気味よい音を立てて橙の炎が燃え上がるのが好きだ。煌々ときらめく光は、実は停電のときも照明として役に立つのだ。
リビングに戻ると、ポケモンたちが思い思いに時間を過ごしていた。
ラグラージはすでにリビングの床でぐっすり眠っているし、フライゴンも薪ストーブの傍でうとうとしている。
ハッサムは部屋の隅でトレーニングに勤しみ、ランターンは窓の外を眺めて楽しそうに飛び跳ねていた。
サーナイトとロズレイドは薪ストーブの近くに腰掛け、何か話し込んでいるようだ。
レイもカウチに腰掛け、テレビをつけた。チャンネルをザッピングしながらニュースをチェックする。
全国各地のニュースが飛び込んでくるが、やはり多くはシンオウのものだ。
『男は昨夜、ノモセ大湿原の特別保護区でポケモンの無断捕獲をしたとして―――』
『―――ボンコーポレーションとポケッチカンパニーが事業提携を発表しました。……』
『キッサキシティでは、すでに積雪が2メートルを越えています!今夜は強い吹雪に注意が―――』
『―――で、自然保護団体による講演会が行われ、700人を超える人々が参加しました。……』
『これまで謎とされてきたロトムの生態について、コトブキ大学を中心とする研究チームが一部を明らかにしました。今回は……』
無難なドキュメンタリーでチャンネルを止めた。
ロトムの生態がテーマらしく、リーダーらしき初老の男性が、スタジオの中央で女性アナウンサーと対面していた。
そういえば、ここに越してきたときも、箱入りのロトムがいたなあと思い出した。
文字通り段ボール箱に詰められっぱなしで、開けた瞬間驚いて飛び出してきた。あんまりにも長い間閉じ込められていたせいで、暗闇が苦手らしかった。
「あの時、トムくん半泣きだったよな……」
ひょっとしなくても、彼(便宜上そう呼んでいる)の生態も調査したらよかったんじゃないだろうか。
番組は1時間で終わった。ストーブの火が少し小さくなっていたので、薪を足そうと立ち上がる。
すると窓際にいたランターンがぴょこぴょこと寄ってきて、服の裾を引いてどこかへ連れて行こうとした。
「どうしたの、チィちゃん」
なんだか楽しそうにぐいぐいと引っ張っていく方向は、浴室。
―――ああ、お風呂か。
納得して、そのまるい頭を撫でた。彼女は大の風呂好きなのだ。
浴槽は木製で、レイが両手両足を伸ばしてもなお余る大きなものである。深さも通常のものより幾分かある。
ここに住むとき半ば無理を言って設置したものだが、厳しすぎる冬を乗り切るには欠かせない。
身体を洗い、少し熱めのお湯に肩までゆっくりと浸かる。両足を伸ばすと、冷えた身体がじんわりほぐれていった。
「ああー……いいお湯だわ……」
深く嘆息しながらつぶやく。向かい側ではランターンがうっとりと目を閉じて浮かんでいた。
ここで過ごす冬も気づけば3度目になる。
―――元ホウエンチャンピオンがこんな生活をしているなど、いったい誰が想像するだろう。
ホウエンを出て最初の2年は、各地を転々とする毎日だった。
カントー、ジョウトをはじめ、遠くはイッシュまで。名を変え、姿を変え。ポケモンたちは文句も言わずについてきた。
それでも気づく人がいる。噂が広まる前に、遠くへ、もっと遠くへ―――。
そして辿り着いたのは、シンオウ地方だった。
来るものを拒む険しい地形と、全てを閉ざす過酷な環境。
―――ここでなら、自由になれると思った。
エイチ湖は地元の人間ですらめったに足を踏み入れないと聞き、ここに住むことを選んだ。
ログハウスは以前からあった古い保養施設を買い取り、改築したものだ。改築と言うより建て替えと言ったほうが正しいかもしれない。
そのあまりの大改築っぷりたるや、工事でやってきた年配の大工に「アンタ、若いのに隠居でもすんのかい」と尋ねられたほどだ。
曖昧な笑みを浮かべる少女がホウエンの元チャンピオンだと、そのとき誰が気づいただろう。
工事は予定通り滞りなく進み、引き渡しもあっさりと終わった。代金はチャンピオン時代の賞金から一括で払った。
そして、レイはひとり、ポケモンたちとの生活を始めることになったのである。
レイはふと、リビングでそれぞれの時間を過ごしているだろうパートナーたちを思い浮かべた。
彼らは皆、チャンピオンになる前からの長い付き合いのポケモンばかりだ。
ラグラージは昔からあの腕白っぷりは変わらない。けれど背は追い抜かれ、力勝負なんてどうやったって勝てなくなった。
容赦ない戦いぶりでエースの座を張るサーナイトも、かつては控えめすぎる性格のせいで、ここ一番というところで決めきれずにいた。
ハッサムは無茶ばかりしていたけれど、あるとき生死の境を彷徨う大怪我をして、それ以来、僅かだが自分を労れるようになった。
捨てられた経験のあるフライゴンは「超」問題児だった。愛情を伝え続けてようやく心を開いてくれたとき、柄にもなく大泣きしたものだ。
昔は手が付けられないほど甘ったれで泣き虫だったランターンも、今では何が相手でも臆せず立ち向かっていける。
ロゼリアはロズレイドに進化した。控えめなのにわがままだった彼女も、すっかりお姉さんキャラが板についてきた。
彼らとの自由気ままな暮らしを捨てる気はさらさらない。
ただ、それでも日々の生活の中に、微かにノイズが入りつつあることは気づいていた。
外部からではなく、自分の内側から発信される「何か」。その正体はわかっている。
だけど、認めたくない。
認めたくなくて、知りたくなくて、ずっと目を瞑っている。