1.afternoon
ここは、シンオウ地方の北端に位置するエイチ湖。
一年を通して寒さの厳しいこの地で、ひっそりと暮らす一人の少女がいた。
「―――さっむ」
彼女の名前は、レイ。
扉を開けるなり彼女は顔をしかめ、ネックウォーマーを口元まで引き上げた。
見上げた空は灰色の雲が厚く垂れ込めていて、空気は痛いほど冷たい。
今すぐ家の中に駆け戻りたくなったが、吹雪が来る前にどうしてもやらなければならないことがあった。
湖畔に建つ高床式のこぢんまりとしたログハウスが、彼女の小さな城だった。
極寒の地に適した頑健な造りと、シンオウの厳しい冬を乗り切るための最新鋭の設備を併せ持っている。
テラスから下へ続く階段を降りると、ラグラージとハッサムがぎゃあぎゃあ騒ぎながら薪割りをしていた。
「何してんの、ふたりとも……」
呆れながら尋ねたところ、どちらがたくさん薪を割れるか勝負していたらしい。2匹の周りには山のように薪が積みあがっていた。
わんぱくで負けず嫌いのラグラージと、いじっぱりで厳格なハッサム。レイには不得手な力仕事を買って出てくれる2匹の存在はとてもありがたい。
確かに、これから数日は吹雪が続くから、少し多めに欲しいかもと言ったのは自分だが、さすがにこの量は家の中に入りきらない。
限度ってものがあるだろう、と知らず知らずのうちにため息が漏れる。
(……競い合ってもらうのも悪くはないんだけど)
「ミィくん、サムくん、そのくらいでいいよ。もう入ろう」
まだ薪割りを続けている2匹に声をかけた。薪を運ぶように言うと、すぐに手を止めて作業を始めたが、気づくとまた何やら競っているようだ。
騒ぐ姿も兄弟のようでほほえましい。賑やかではあるが、作業効率は上がっているようだからよしとしよう。
「喧嘩するほど何とやら、かしら」
レイは苦笑いしながらログハウスの裏手に回った。
発電機や温水器のメーターをチェックしたり、ポリタンクに灯油を足したりしているうちにますます空気は冷たくなってきた。
用事は済ませたから家の中に戻っても構わないが、一つだけ気がかりがあった。
今朝、トバリまで使いにやったフライゴンがまだ帰ってきていなかった。彼の足ならもう戻ってきているはずなのだ。
まとめ買いを頼んでいたので、荷物が多くて難儀しているのだろうか。
それとも、道中で何かあったのか―――。よからぬ想像が頭を過り、ぞわりと悪寒が走った。考えれば考えるほど不安になってしまう。
縋るように戻ってくる方向を眺めていると、突然頭上から大きな羽音が聞こえた。
慌てて見上げると、そこでは荷物を器用に抱えた緑色の龍が羽ばたいていた。
「ふうくん!」
名を呼ぶと、彼はひと鳴きして、すっと舞い降りてきた。レイは駆け寄ってその身体を抱きしめる。
「よかった!何かあったんじゃないかって心配してたの」
そんなことないよ、といいたげにフライゴンは顔をすり寄せる。彼の身体には傷一つないし、荷物も無事だ。
ただひとつ、首から赤いマフラーが消えている。出発するときに寒いだろうと巻いてやった、レイのマフラーだ。
「あら、マフラーは?取られちゃった?」
フライゴンに尋ねると、ぶんぶんと首を横に振った。そして身振り手振りで何かを伝えようと必死だ。
よくよく聞くと、道中で人が寒そうにしていたのでマフラーをあげたそうだ。
相手にはわからなかったようで最初は怯えられてしまったらしく、そうこうしているうちに帰りが遅くなったという。
レイはなんだあ、と笑った。
なんてこの子らしい理由だろう。彼は心優しくて、困っている人やポケモンを見たら放っておけない性分なのだ。
マフラーはもう戻ってはこないだろうが、困っている人のためになるなら構わない。
「いいことしたね」と頭を撫でたら、ちょっぴり得意そうな顔をした。
ラグラージとハッサムがちょうど薪運びを終え、家の中に戻ろうとしている。
レイもフライゴンを連れて温かい家の中に足を踏み入れた。
すると、中にいたポケモンたちが迎え入れてくれる。ずっと外にいた自分を気遣ってか、サーナイトとロズレイドが温かい飲み物を手渡してくれた。
「ありがと、サナちゃん、ロゼちゃん」
マグカップを口元に近づけると、甘い香りがする。ロズレイドが調合してくれたハーブティーだろうか。
一口飲むとハーブのやさしい味がしみわたり、身体の芯からじわりと温まっていく。
おいしい、とつぶやいたら、横のロズレイドがほっとした様子で微笑んだ。レイも微笑み返し、ハーブティーをゆっくりと飲み干す。
「さあ、晩ごはんにしよっか。今日はシチューね」
ポケモンたちから歓声が上がる。ふと見た窓の向こうで、ひらりと白いものが舞い始めていた。