最終話
ポケモンリーグ本部の一室で、頼れる部下からの報告書を読むのは私の楽しみの一つだった。
髭とコーヒーカップを交互にいじりながら、仕事を忘れ、旅の情景を脳裏に浮かべるひと時は何事にも代えがたい。
舞台は雪国、任務は地方神の再配置、遂行したのは……Qタロウ。
「どうぞ……入りたまえ」
ノックの仕方でわかる。ちょうどいいタイミングで件のQタロウが帰ってきた。
直接話を聞くのもいい。部下を労うのは上司の務めであり、何より仕事を忘れる追加の理由ができた。
「座りなさい……紅茶とコーヒーどちらだったかな」
「あ、じゃあ紅茶でお願いします」
遠慮のない気持ちのいい答えだ。
「……それで、どうだったのかね……Qタロウ君?」
ティーカップを唇につける直前で、Qタロウはクスリと笑い、こちらに顔を向けた。
切り揃えられた前髪が少し揺れる。
「報告書の通りですが、分りづらかったですか」
この子は文を書くということに拘りを持っている。
その効用か、語ることに関してもその能力はいかんなく発揮される。
だからこそ直接話を聞きたいのだ、という旨を伝えると少し照れくさい素振りをみせて、言葉を紡ぎ始めた。
「……なるほど、全ては君の筋書き通りか、本当に君は優秀なストーリーテラーだ」
本来褒めると照れる性質なのに、意外にもその表情には陰がさした。
「いえ……そんなことはありません……私はユキメノコの愛を、量りきれませんでした。
ポケモントレーナー失格です」
何を持って失格というのか、優秀なトレーナーというのは時に完璧を求めすぎる。
「任務は果たした。ユキメノコは健在。これ以上ない結果だと思うがね」
「……ユキメノコは村を守ろうとしていただけです。
その彼女を、神話ごと消し去る任務自体が本当に正しかったのか、私には分らないのです」
「……ポケモンは神ではない。妖怪でもない。ポケモンはポケモンでなくてはならない。
ましてやポケモンとの婚約など、これからの私たち人間とポケモンの関係には害にしかならない。
古き信仰は発展を妨げる。あそこにはポケモンという言葉すらなかっただろう。
だがこれで件の村にも直にポケモンセンターができ、ポケモンとの付き合い方も変わる」
「それではまるで……」
「侵略者かもしれないな。だが信仰を捨てることと発展に伴う破壊と再生は、そういうものだ。
君の報告書にもあるだろう。件の地の神話にも、かつてそのような少年がいたようだが」
「トバリ神話の彼の晩年は、後悔に溢れ、涙で濡れています」
「だからこそ我らは地方神を、神からポケモンへと配置し直さなければならない。
いつの時代、いかなる場所にも、父親に英雄に仕立てられ、神の力を借り、そして悲劇を迎える少年が現れる。
民が救世の英雄を求めるのは世の常だからだ。
新たな時代に犠牲者を出さない為にも、我らがやらなければならない。
犠牲になるのは、民の上に立つ、我らポケモンリーグでなくてはならない。
君にその責を負わせているのは、それに耐え得る人材と評価しているからだ。
今回のユキメノコ、君は遭遇する前に拘束するという離れ業で戦闘すら省略し、見事捕獲してきた。
これが君じゃなかったら、ユキメノコはどうなっていたことか」
「それは……」
「私は君を高く評価している。
一番の理由が、君の理想が『ポケモンと共に歩む』ことだからだ。
君のような人間が、人間とポケモンの未来を創らなければならないのだ。
いずれポケモンを神の旗印に、革命を狙う輩が現れる、必ず現れる。
その時のために、君にはそれ相応の席を与えたいと思っている」
「……私の夢は、ご存知ですよね……」
「もちろんだとも。
だが君なら二足のわらじを履くことも、可能だと思っている。
君の歩く道は、常にポケモンと共にあるのだから」
私の思いの丈は、全て伝えた。
この未来ある若者が、どうするかは自由だが、私には確信があった。
「……次の取材に、行かなくちゃ……」
答えは最初から出ていたのだ。ただ若い時分は、迷いなく突き進むということが難しい。
自分の行く道は、本当に正しいかどうかの保証などないのだから。
……いや、この歳になっても不安なのは変わらないが。
「勇気付けられていたのは私の方だよ。
『ポケモンと共に歩む道』、見届けさせてくれ」
ドアノブを握る後ろ姿から、Qタロウの機微が伺える。
少なくとも、もう迷いはない。
「ところで、何でQタロウなんて名乗ったのかね」
半身が部屋から乗り出したところで止まり、いつものささやかな笑みを浮かべてこう答えた。
「山の女神は、嫉妬深いといいますから……」
Qタロウ――彼女の名前を、シキミといった。