五話目
その透明感は まるでこの場にいない、別次元の影を見ているように幽かなものだった。
そして雪の巫女の実態は、石の棺から伸びる影の腕によって縛られているが故、そこに確かに居るのだと認識させられるのだった。
儚さに無情にも食い込む黒腕は、解き放たれんとする抵抗を完全に抑え付け、無言の悲鳴も、衣擦れすらもその手の内にあった。
これ以上の束縛を私は見たことがない。
「……では」
Qタロウの小指、薬指、中指が順に折り畳まれていき、残った人差し指が雪の巫女に向けられる。
私は、銃口を向けられている緊張感を、寒気とともに感じていた。
親指が拳銃の撃鉄のように作用した後、放たれるは宙に展開していた、青い炎。
そして着弾。彼女の代わりに、私が呻いた。
「……ご心配なく……殺したりはしませんよ……いや、ある意味では……」
こちらをほんの少しも見ることなく、しかし私の心を見透かした答えを投げかけて、またその途中で思い直し、言葉を濁した。
彼の声、言葉に陰りを感じたのはここまでで初めてのことだった。
並みの人間を超越した語り口に、人並みの感情が入り混じった瞬間だった。
本意と不本意を抱えた矛盾は人特有のそれで、矛盾を持ったまま行動に移した歪さが、彼の口を滑らせたのだ。
彼はためらいながら、それでも覚悟を決めて、弾丸を放っている。
「望む答えを出すには式が必要です。
攻撃は、弱らせ、捕えるための、儀式……
これが私の嫁取りです」
説明ではない。
Qタロウは自分に言い聞かせている。今の私にはそう感じる。
もしかして彼の言葉は、私が気付かなかっただけで……初めからこうだったのではないか。
「……これが最後です」
『おにび』を撃ち尽くした今、雪の巫女がその身を形にしている限界を感じた。
不思議にも直接的な負傷があるようには見えず、ただその存在感を削り取られている痛ましさを感じさせる。
緊縛の棺が、消えゆくことすら認可せず、逆に彼女をこの世に繋ぎ止めているのだ。
そしてQタロウの最後の一投が白い影に終わりを告げる――それは紅白の弾丸だった――雪の巫女を光の中に消し去ってしまった。
次におそらく彼の相棒であろう石作りの棺に手を向けると、彼の袂の中へ、黒い影は収束していった。
「神話『雪の巫女』、これにて終了」
笛の音ような、繊細なため息の後、かしわ手が打たれる。
「……私は雪の巫女の気持ちを読み違えていました」
怪談の終わりを告げた彼は、憑き物が落ちたというか、化けの皮が剥がれたようだった。
まだ出会って数時間の間柄でこうに感じるのは変かもしれないが、彼がこんな表情をするなんて、私は知らなかった。
「彼女はこの村を……そしてあなたを守ろうとしてたんです……吹雪も、身代わりも……全部その為のものでした……」
眼鏡を持ち上げて、白い指で目の際を拭う様が今までの彼よりも随分幼く見えて、何故かそれが、とても可愛く見えてしまった。
それとも、死に体の心で、まして恐怖の色眼鏡をかけていた私のほうが、今まで彼を正しく見ていなかったのか。
あなたは一体、という問いに彼はこう答えた。
「直接関係あるわけではないですが……強いて言えば神話時代の贖罪ですかね……同じ立場の者として……」
少しずれた返答も、本来の彼らしいという結論に収まってしまう。
それほどまでに、今の彼は柔和で、穏やかな雰囲気を纏っていた。
彼は戸に手をかけ、この封印された空間に肌をなでる夜風を解き放った。
吹雪はもう止んでいた。
「そろそろ私は発ちましょう……あなたきれいになりましたね。まるで生まれ変わったみたいです」
……憑き物が落ちたのは、一人ではなかったらしい。
夜が明けて迎えに来た村人達にQタロウの事を聞いても、そんな男は知らない、という返事ばかりだった。
無邪気な笑顔が、彼の最後の姿だった。