三話目
『雪の巫女』が嫁いでから、心なしかその村の寒波は穏やかなものとなった。
四季の中で死の位置付けにある冬から冷害が消えたのだ。
故に浅くなった雪道を踏みしだき、その男が死の使いとして現れるのは自然の摂理だった。
剣を携える若者は剛力と知性を併せ持つ、他国の戦士だった。
貴い出自であるが生まれ持った蛮勇により肉親から恐れられ、追放に近い形で諸国平定の流浪を命じられている。
彼は自分の未成熟な美を理解していた。
年端もいかない中性的なその姿を利用し、女に化けることで難敵を打ち滅ぼしたこともある。
善悪の区別ない純粋な怪物は手段を選ぶということを知らなかった。
彼が剣を振るえば民草は薙ぎ倒され、そこには戦火が生まれた。
人並み外れた身のこなしと武芸は天狗より授かったと恐れられた。
老獪な軍略は第六天魔王のものとも伝えられている。
そして彼の剣は『雪の巫女』にも向けられる。
若者は人々に言い放った。
――古き神を捨てろ。なぜ自然と共に生きようとする。
俺達は人間だ。自然の食らい方を、俺が捕らえ方を教えてやる。
お前達の神はただの供物だ。神は俺達のものだけで充分だ。
俺達の神が、お前達の新たな神だ――
彼の諸国平定とはつまり、破壊と再生を伴う侵略であった。
「それからこの村の神無月は『雪の巫女』の怒りと涙か、吹雪に見舞われるようになりました。
神無月は私達の知るような神が出払います。
かつて信仰を集めた土着神とその奇祭が期間限定で名残を見せるのはそういうことでしょうね。
……実際に吹雪くこの天候の説明にはなりませんが……」
――この奇祭の結末がどうなろうと、これ以上耳を傾ける理由にはならない。
私は死にに来たのだから、自分のことと同じくらい、自分じゃないこともどうでもいい。
凍りついた心はヒビだらけの脆い白さを持っていてもう何に染まることもない。
そうだ私はとっくに死んでいたんだ。
思い返せばこの村に来てからされるがままだった。
いや違う。私の人生全部、全部、されるがままだったんだ。
生きてるなんて感じたことない。生きたいなんて思ったこともない。
私なんて生まれてこなきゃよかった。生まれなければ死ななかったのに。
それならいっそ――
「……『かなしばり』」
話術に長けた者の言葉には力が宿るのだろうか。
Qタロウの一声によって、開いた口からは声が出なかった。
まるで影が質量を持った手を伸ばし私を押さえつけているような錯覚を覚えた。
「恐がらせてしまってごめんなさい。
当事者であるあなたには『雪の巫女』のこと、ちゃんと知って欲しかったのです」
彼の黒い腕は言い返すことを許してくれない。
身動きが取れないままでいると、体の震えを自覚させられる。
寒さが原因ではないことはわかっている。
「百物語って知ってますか。
怪談の末に鬼が出るのは、恐怖によって二つの世界の波長が合うからなんです。
だからあなたにも手伝っていただきました」
そもそもQタロウはなぜここにいる。
私が『雪の巫女』ならこの男は何だ。
男性すら感じさせない妖しげな雰囲気は人間のものかどうかさえ疑わしい。
こいつの眼差しはそういう力を持っている。
その眼でいったい何を見ていた。
「人ならざるものには一定の条件を満たすことで出現する、そういう特徴のものがいます。
さて、鬼が出るか蛇が出るか――私は鬼か巫女だと予想してましたが――どうやら波長があったみたいです」
冷や汗とともに頬を伝うものがある。
熱を持った視界が陽炎のように揺らめく一瞬、彼の笑みが見てとれた。
底冷えする恐怖の正体は、Qタロウだったんだ。