魔弾の射手
二つのマフィアの抗争は、北と南を繋ぐ橋の上で決着を着けることになった。
「奴らはボスの広い心を理解できなかったようです。こちらが要求したシマの譲渡、十億の示談金を出し渋り、徹底的に我らに反発するつもりです。
その癖、お互いこれ以上の犠牲を出したくないだろうと、組の代表者同士の決闘で話をつけることを提案してきました。身の程知らずな連中です。
ここまでの展開はボスの予想通り、このまま話を進めて構いませんね?」
自分の右腕の話を聞きながら、ボスは黙々と最高級の料理を口に運んでいた。
抗争中だからといって、マフィアのボスが家に篭っていたら周囲の人間はその組が弱っているものと判断する。そうなればビジネス関係にあるカタギの社長達も離れていってしまう。
高級ホテルのレストランを貸し切り、一流企業の社長、人気演歌歌手を招いて盛大な食事会を開くのは、パフォーマンスであり、現代マフィアの新しい戦い方だ。
「……つきましては、我が組の代表者の選出ですが」
こぶしのきいた力強く美しい歌声が会場に響いていた。
初老の紳士は、ボスの無言の肯定を感じ取り、演歌が終わるのを待ってから話を続けた。
まばらな拍手が辺りに散らばる。
「私は○を推薦いたします」
○――その名前が出た途端、フォークを握る丸い手が止まった。
恰幅の良い体が震えたが、すぐにそれを隠すような、大きく体を仰け反らせる動きを見せた。
老紳士はボスの動揺に気付かない振りをしていた。
「○? 誰だそいつは」
「……彼は我らが抱える殺し屋の一人です。たかがヒットマンなど捨て置く物でしたね。失礼いたしました」
使う側と使われる側。
自分の中でその線引きを確かなものにするために、マフィアのボスは回りくどい話かたをする。
それというのも、○という男が殺し屋として特殊な経歴を持っていたからだ。
ボスは○に対して慎重だった。
「我らと○との出会いは、もう七年も前になりましょうか、彼は鉄砲玉として我らの組に入りました」
マフィアになろうという人間は屑しかいない。
その屑に成り下がろうという向こう見ずな若者には、腕試しか、忠誠心を量るのか、鉄砲玉という役が与えられる。
命令という引き金が動けば、言われるがまま標的の命を奪う、帰ってくることのない使い捨ての弾丸。
命を省みない特攻を強要されるのが、鉄砲玉だ。
鉄砲玉に成りえなかった若者は、無能と思われたくないのか、失敗を取り返そうと扱いやすい従順な駒となる。
役目を果たし命を散らすか、逃げ帰り駒となるか、その二種類の人間をふるいにかけるのが鉄砲玉の試練だ。
「しかし、○は役者が違いました。彼は与えられた無理難題をこなすどころか、他の鉄砲玉の標的まで、揚々と始末してきたのです。
長くこの世界に身を置いている私ですが、己の命を試すような、この愚者と狂人の間を抜ける凶行は見たことがありません。
手元に戻ってくる鉄砲玉など、前代未聞です」
「もういい。思い出した。あの小僧か」
疎ましく思っているものを売り込む部下の語気をボスは苦々しく遮った。
老紳士は「失礼」と詫びたが、瞳には満足げな笑みを浮かべていた。
「そうだ。お前の言うとおり、奴は有能だった。前例の無い、鉄砲玉から殺し屋への昇格を決めたのもその為だ」
どうでもいい話をするかのように、ボスは再び料理に食指を伸ばし始めた。
「しかし、奴は有能過ぎた」
分厚い肉切れに、フォークが突き刺さる。
「七人の暗殺に成功した殺し屋は――悪魔となる。
これは組織を知り過ぎた、手垢のついた殺し屋は始末しろ、という警告を意味した暗黙の了解だ。もっとも、七人を殺めるまで長生きした殺し屋など見たことないが……
○はあの若さですでに六人を始末している……わしは奴が六人目の殺しを完遂した際――マフィアの掟に従い、新任の殺し屋に奴の始末を任せたが、結果は返り討ちだった。
奴には凶運を跳ね除ける何かがある。そういう人間は必ず頂点を狙ってくる。
思い返せば一目見たときから感じていたことだ――やつはわしの首を取りにくるぞ」
ナイフが切れ目を作り、肉を裂いた。
「お前の言う通り、橋上の決闘は奴が適任だ。○に任せよう。しかし――」
ステーキを噛み千切り、赤い肉汁が白いテーブルクロスに点々と飛ぶ。
「勝負の終了と同時に、奴には死んでもらう。
奴は暗殺の達人だが乱戦の経験は浅いはず――これもわしが奴を殺し屋として育てた理由の一つだ――若いのを集め、戦闘の準備をしておけ。
喧嘩で奴の命を取るぞ」
「畏まりました。ではそのように」
老紳士は変わりない笑顔で穏やかに答えた。
「……○はお前のお気に入りだと思っていたが?」
「私は、真に強い者の味方でございます」
「そうか……ならばそれでいい」
ボスは赤い絨毯が敷き詰められた豪華な会場に視線を移した。
「この会場を見てみろ。これからのマフィアは経済力と老獪な手練手管が物を言う。
暴力で無理を通す時代は、とうの昔に終わったのだ」
「奴は生まれてくる時代を間違えたな」
吐き捨てるようなセリフを老紳士は静かに聞いていた。
食事会の喧騒が嘘のような、二人の周りには世界が違う暗さがあった。
*
橋の本質は二つの世界を繋ぐところにある。
今夜、南北を繋ぐ橋は、対立する二つの組織がぶつかり合う。生と死の両方がそこにはある。
多くの死を生きる糧に変えてきたこの男が試されるのも、必然だったのかもしれない。
「この橋は普段暴走族の走り場となっていますが、関所への根回しは済んでいます。邪魔が入ることはありません。
決闘を行う橋の中央は海の上、派手に物音を立てても問題は無いでしょう。
万が一警察に知られることがあっても、二つの署の管轄の間にあるため、介入には時間がかかります。
存分に力を奮いなさい、○」
「………」
戦場に差し掛かる手前、多くの部下を引き連れた老紳士は、先頭を歩く若者にそう言った。
○からの返事はなく、空を見上げ、闇の中の風の流れや星の光を見ているようだった。
眼に見えない何かを見ているような雰囲気が、この男にはあった。
○は黒服に身を包んでいた。周りと同様、ネクタイはしていない。
潮風に吹かれ乱れたザンバラ髪は烏の濡れ羽のようで、表情のない、頬のこけた顔は血色悪く、一見すると細身の頼りない男に思える。
だが、黒い光を持った眼光の鋭さは裏世界の迫力を持っていた。
全てを見透かしたようなこの眼が、ボスには気に食わなかった。
「○よ、この戦いが終わればお前に望むだけの金と幹部の地位をやろう。今までよく頑張ってくれたな」
好々爺を気取った笑いが、肥えた顔に張り付いた。
殺しを依頼するリスクを無視し、旨みだけを得ようとしていることを考えると、ボスの微笑みは偽りではなく、自然なものだったといえる。
褒美を与えるというのも、あの世への餞としてまんざら嘘でもなかっただろう。
一寸の間を置いて、○は空を見上げたまま、橋下の波の音に掻き消えるような声で答えた。
「……金も幹部の座もいりません。しかし、一つだけ欲しい物があります」
「なんだ? 言ってみたまえ」
「――です」
無表情が歪みきった邪悪な笑顔に変わったが、ボスがそれを見ることはなかった。
一瞬にして○の暴力に喉笛を突かれ、冷たいコンクリートの地に体を押さえつけられたからだ。
鮮血の花が灰色の橋上に咲いた。ボスはかつての自分の言葉を思い出し、聞き取れなかった○の返事を理解した。
――奴はわしの首を取りにくるぞ。
「……裏切り者め!」
振り絞った言葉は血霧と共に口から発せられた。
恨めしい目で見られた老紳士は穏やかな調子で答えた。
「裏切り? 私は、真に強い者の味方でございます」
突然の凶事に我を忘れていた彼の取り巻きも、老紳士の言葉を聞き、状況を飲み込んだ。
彼らも老紳士と同意見のようで、自分達のボスが命の危機にあるにも関わらず、傍観を決めていた。
ボスの青い顔が更に凍りついた。
「あなたはボスとしてとても有能でした。
しかし、部下の命を道具のように使い己の保守しか考えないあなたと、苦難を乗り越え下克上を果たそうとする若者、二人とも有能な人間なら、マフィアの魅力があるほうについていきます。
それに、若い衆は皆○に借りがあります。彼の七年の下積みは大きな成果を上げたようです」
場合によっては一人でこの団体を相手にすることも考えていた○に、この展開は追い風となった。
老紳士の言うとおり、邪魔が入ることはなかった。
「○……なぜだ……お前を育てたのはわしだ……」
「……あなたが俺を都合の良い道具と思っていたのと同じことだ」
虫の息のボスに○が近づき、顔を寄せる。
「価値が無くなれば切り離して捨てる――高く気高い場所に行くための――あなたはロケットに過ぎなかった」
その瞬間、彼の暴力――ニドリーノが鋭利な角をもってボスを貫き、息の根を止めた。
無言の断末魔は虚空に流れた。
暗闇の音が聞こえるような長い沈黙の末、○がニドリーノを労い、モンスターボールに収めると、一人分の拍手が聞こえてきた。
横目をやると、そこには老紳士がいた。手袋で叩く拍手は変わった音がした。
「お見事でした○……いえ、コ−ドネームはもう止めましょう。
サカキ様、これよりタマムシ会はあなたの物となります。
さあ、そろそろ決闘の時間、ボスとしての初陣です。新タマムシ会の旗揚げとしましょう。
身の程知らずなヤマブキ会を潰せば、奴らに上手い汁を吸われていたシルフカンパニーと良いビジネス関係を作ることができます。
ヤマブキシティに在する企業はシルフの取引先、子会社、下請けで、あの街の住人のほとんどはシルフの恩恵を受けています。
シルフを手に入れるは、ヤマブキシティを手に入れるも同然です」
背を向けたサカキは振り向こうとしなかった。
完全に自分を信用したわけじゃないこの若頭の慎重さに、老紳士は愉快さと頼もしさを覚えた。
「……マフィアになろうという者は、特別な才能も無い、真面目に働きたくもない、その癖、いい生活はしたい、かっこはつけたい、そういうゴミ屑しかいません。
――私のようなね」
くっと吹き出した音が聞こえ、サカキの背中が揺れた。
それに続くように、若い構成員達の乾いた笑いが、闇の空に弾けた。
この男には華がある――老紳士はそう感じた。
「サカキ様、まずは太ることから始めましょう。痩せたマフィアのボスなど、かっこがつきません」
湧き上がる士気を背中に受け、新たなボスは決戦の場へと歩み出す。
それに続く部下達の足音は高らかに鳴る。右腕となる老人は満足そうに隣についた。
サカキは「今までで一番難しい指令だな」と小さくつぶやいた。