前夜
命とは儚いものだ。
自分の場合は、尾の先に灯った炎が消える時が、命の尽きる時だ。
例えばタマゴから孵った時、その場所が雨だったらおそらく周りを見渡す余裕もなくそのまま無に帰る。そんな事もありえる。
炎ポケモンにとって水や雨というものは忌避すべきものだが、自分たちヒトカゲ属ほどそれを厭う者も他にいないだろう。
だからだろうか、研究者は自分を細心の注意を払って扱っていた。
フシギダネとゼニガメ。
これからトレーナーになる子供たちのために共に用意された存在である彼らとは、ほとんどの時間を共に過ごしてきた。
彼は太陽が暖かく背中を暖める陽気が好きだ。三匹で共に庭を駆けまわる事ができるから。
逆に雨の時は、一匹だけ室内に取り残された。
水タイプのゼニガメは勿論、背に植物を背負ったフシギダネにとっても雨は恵みそのものと言える。
はしゃぐ彼らの意識からは、ガラス戸の向こうに佇むもう一匹の仲間の存在は抜け落ちていた。
既に暗くなり始めていても、彼らのエネルギーは未だ尽きないようだった。
水たまりの上で小躍りする二匹の姿に、ガラス戸に映った自分の顔が重なって見えた。
息を吐けば、視界が白く曇った。鏡像は細部がぼやけ、橙色の塊と化した。その上部に二つ、緑色の塊が行き場のない人魂のようにゆらめいているのが見える。
外で声が上がる。
顔を上げれば、フシギダネが転んだらしく、泥の中に頭を突っ込んでいる。ゼニガメが腹を抱えて笑い転げる。
フシギダネは憮然としていたが、暫くして立ち上がると口に入った泥を飛ばした。一発、二発。不意打ちは成功した。甲羅に頭を引っ込める隙を与えず、泥礫は全て顔に命中した。
彼はガラスに額を押し付けた。
たとえ遊びでも、あの中には加われない。地面タイプの攻撃は自分には効果抜群だ。今の時点では。
頭を振り、外を見上げる。
灰色の雲は分厚く、その向こうにあるはずの天体を思い浮かべる事はできそうにない。
楽しい事を考えようとしても、うまくいかない。
これだから雨は嫌いだ。
喉に塊を詰め込まれるような感覚を覚え、首を伸ばす。
雨は嫌いだ。
自分を疎外し、切り離していくから。
叫びたかった。
理不尽を訴えたかった。
雨は嫌いだ。
それとも、リザードンになれば、雲の帳を突き抜ける事ができるだろうか。
尾を揺らすと、先端に灯った炎の描いた軌跡が、外でじゃれあう二匹を囲い込む。
鬼ごっこが始まれば、炎もそれに加わる。右へ左へ。
やがて、隣に別の気配が加わった。
「そろそろ入らんかの?」
ガラス戸が開き、寒気が流れ込む。とっさに尾を庇える位置へと体の向きを変えれば、フシギダネたちが転がるように戻ってきた。
タイルに泥が点々とつくのを、若い男が慌ててタオルで拭っている。すると悪戯好きのゼニガメは故意にそこらを駆けまわり始め、男は悲鳴を上げた。
「これ、やめんか」
窓を開けた、年嵩の男が苦笑しながらゼニガメを抱き上げる。
「元気なのは何よりじゃがの、明日は大事な日じゃよ?」
大事な日?
心臓が一つ大きく脈打つ。尾の先端で炎が勢いを増すのを感じた。
「明日、レッドとグリーンが来る。お前さんたちのうちの誰かと共に旅をするパートナーとなる子供たちじゃ」
旅。
手足、そして尾に流れる血が熱を帯びるのを感じた。
その日が来るのをどれほど待ち続けていたことか。
他の二匹の比ではないだろう。
旅に出て、色々な物に触れたい。
経験を積んで、強くなりたい。
進化したい。
翼を広げ、黒く分厚い雲の層を突き破り、広い空へと舞いあがりたい。
炎が大きくなる。
約束する。
自分を選んでくれたなら、貴方を高みへと連れて行こう。
貴方は「来い」と一言言えば良い。
それが、自分には「生きる意味」になる。
そこから自分は始まる。
貴方に、この自分の「生」をあげる。
貴方と共にどこへでも、どこまでも行こう。