龍の涙
01
 これは、海から遠く離れた、そう大陸のちょうど真ん中に存在する高原の物語です。山頂を雲や雪に覆われた高い山々に囲まれたその場所は、決して生き物にとって優しい場所ではありませんが、それでも人もポケモンも懸命に生きていたのです。
 ある日、山を越えて、一匹の龍がやってきました。雪や氷を操る力を持った龍は、自分のまとう冷気で野に雪を降らせ、木々や湖を凍らせ、夏の風景を一瞬にして変えてしまったのです。そして、生き物たちもまた、冷気に耐えられずに死に、凍りつき、そのほとんどが龍に食い尽くされてしまいました。
 人々は恐れおののき、幕舎(ゲル)に閉じこもる者、まだ冷気に侵食されていない土地を目指そうとする者、その反応は様々でした。ですが、何をしたところで強大な龍の前には何の意味もなしませんでした。
 幕舎は吹き飛ばされましたし、逃げようとした者も待ち伏せされ、連れていたポケモン達と共に、龍に食い尽くされてしまったのです。
 武器を持って立ち向かおうとした勇敢な人間もいました。しかし、龍の固い表皮は剣も弓矢も通さず、逆に彼らは龍の新たな餌食となるのみでした。
 天から地上を見下ろしていた神様は、この現状に心を痛めました。このままでは、生き物という生き物がいなくなってしまう。あの龍がいる限り、高原が死の土地となってしまう事は避けられないでしょう。神様は、自分の息子を遣わす事にしました。
 命令を受けた男は、早速近くの雲で梯子を編み、山の一つに降り立ちました。しばらく歩くと、布や骨の残骸らしきものが散らばっているのが目に入りました。よく見ると、表面には氷の粒らしきものが付着しています。おそらく龍に襲われた者がいたようです。
 早くなんとかしなければなりません。ですが、どうしたら良いのでしょう。
 男はしばし考えました。天から降りてくる際に、父が餞別にくれた品は二つ、剣と笛でした。剣はあらゆる物を断ち切り、笛はあらゆる生物の心を惹きつけ、和ませます。
 男が手にとったのは笛でした。
 岩に腰掛けて笛を奏でていると、しばらくして皮膚を切るような冷たい風が吹き付けてきました。そう、龍がやってきたのです。龍はここ2、3日餌にありつけていませんでした。人も家畜も無限に存在するわけではないのですから、当然のことでしょう。
 龍は歯を鳴らし、漸く見つけた獲物に迫ります。一歩一歩を踏み出すたびに、地表には薄く氷の層が広がっていきます。冷やされた前髪や眉毛も凍りつき、氷柱となります。ですが、彼は笛を奏する事はやめませんでした。
 男が動いたのは、龍がその大きな口を開き、食らいつこうとした瞬間でした。彼は素早く飛び退くと、龍の顎の下を嫌というほど、強く打ちました。男の腕っ節の強さに加え、龍自身の油断、そして気道を圧迫されたせいもあったでしょう。龍は真横に吹き飛び、叩きつけられました。
『おのれ・・・』
 龍は驚き、そして怒りました。このような屈辱は初めてです。それまでの龍にとって、人間とは無力で簡単に引き裂いてしまえる存在でしかなかったのです。一声吠えると、再び男に襲いかかりましたが、相手はいつも牙が届く寸前のところで飛んだり、跳ねたりと、避けてしまい、時には反撃すらしてきます。
 なぜ、捕まらない。なぜ。なぜ、こちらの攻撃が届かない。
 龍は苛立ち、荒れ狂い、対する男はまるで舞っているかのようです。
 
 両者の戦いは三日三晩続き、ついに四日目の夜明け、龍がついに体力を使い果たし、地に崩折れました。
『お前の勝ちだ。好きにするが良い』
 龍は頭を低く垂れて、瞑目しました。男が、これまで出会った者たちとは異なると龍は気づいていました。彼が腰の剣を抜けば、今度ばかりは龍も傷を受けるでしょう。
 死ぬ。
 全てが終わる。
 龍はその時を待ちました。体表を覆う冷気が皮膚の中にまで侵入してきたようにも思えました。
 しかし、いくら待っても男が動く気配はありませんでした。
「聞きたいことがある」
『何だ?』
「以前空からお前を見かけた時、恐ろしいというよりも悲しそうだと思った」
『かなしい?』
 それは、初めて聞く言葉でした。
「お前は何故、他の生き物を襲う?」
『それは・・・腹が空くからに決まっているだろう?』
「それだけか?」
『・・・奴らが攻撃してくるから、身を守るためだ」
 男はゆるゆると首を振りました。
「今のままでは、お前は永久にこの世を彷徨う事になるよ」
 龍は息を呑みました。永久。その言葉が、槍の穂先となって、氷の殻で守られているはずの心臓に直接突き刺さったかのようでした。
 彷徨う。
 永久に。
 あらゆる場所を巡ったけれど、何一つ、誰一人として、龍と同じ存在、共にいられる存在はいませんでした。皆、龍から発せられる冷気に凍りつき、あるいは逃げ、あるいは武器を持って迫害を加えてきました。勿論龍もみすみす殺されるつもりはありませんでしたから、立ち向かっていきました。死骸は、空腹を誤魔化すのにはいくらか役に立ってくれましたが、満たされたと思ったことはありません。
 いつもいつも、その繰り返しでした。毎日。どこに行っても、何も変わる事がありませんでした。
 そういった事を、龍は訥訥と語りました。男は黙って聞いてくれました。
『どうすれば良いというのだ・・・』
 龍は低く呻き、翼を動かしました。半ば凍りついたそれは、ぎしぎしと軋んだ音を立てました。
「・・・お前の飢餓を、癒す方法があるかもしれない」
『何だと?』
「もしも、私の言うとおりにやってみて、それでも駄目なら私を食うが良い」
 男は龍を山頂の洞窟に誘いました。そして、袋一杯のきのみと薬草を渡して言いました。
「これから30日の間、ここに篭ってきのみと薬草だけを食べて生活しなさい。ただし、外に出たり、ほかの生き物を襲ったりしては全てが無駄になる。それを忘れないように」
 龍は承諾しました。

透(変更の可能性あり) ( 2014/04/04(金) 22:32 )