プロローグ
――――これは、一人の少女の旅物語である――――
ライアト地方のジェムタウン。自然が豊かで、穢れもほとんどない街。いわゆる小さな‘田舎町’ではあるのだが、住んでいる人たちは皆、穢れのないこの街に住んでいることを心の底から喜んでいる。
そして、この街は色々と特別な街でもある。ライアト地方を代表する、ポケモン博士が住んでいるし、ライアト地方ポケモンリーグのチャンピオンが住んでいるのである。……言うならば、この二人は夫婦である。
神樂家。この夫婦が住んでいる家は、ジェムタウンにある他の家より少し大きめの家で、家の隣には小さな研究所があり、博士……夫はその研究所に籠っては、チャンピオンの妻によく叱られてばかりだった。
‘神樂彩華’は、その夫婦の娘の一人。長い黒髪を靡かせ、血のように染まった赤い目をしているその少女は、決して笑うことがなかった。そんな彼女をどうにかしたいと、父の華名と母の美彩が相談をして、彩華にひとつの提案を出してみた。
「旅に……ですか?」
父の研究所に呼び出され、彩華は、両親の唐突な言葉に驚きを隠せなかった。というのも、二人は「彩華をカントー地方へ旅立たせよう」と考えたのだ。
カントー地方は、ライアト地方からはかなり遠く、大海原を渡らなければ到着しない。それに、そんな簡単に着く距離ではなく、数日ほど時間もかかるのだ。
それだけではない、彩華の年齢はまだ10歳。流石に旅立たせるのは早いんじゃないかと父も思ったらしいが、母曰く「彩華はやろうと思えば何でもできる子だ」といい、父も観念したらしい。
「ああ。彩華ももうそろそろ旅に出てもいいんじゃないかと思ってね」
「……でも、どうしてカントー地方に……? この地方から、かなり離れていますよね?」
それもそうだ。わざわざカントー地方を選ばなくとも、ライアト地方でも良かったんじゃないかと、彩華は思ったらしい。だが、母が彩華にこう言った。
「カントー地方に、オーキド博士がいるでしょう? その人がポケモン図鑑というものを持ってて、それを彩華に託すようにお願いしてあるの。どうせなら、カントー地方に旅をして、博士のお手伝いをしたほうがいいでしょ?」
「いつの間にお手伝いの話になったんですか……。まぁ、わかりました。結局のところ、カントー地方のオーキド博士にあって、そのついでにカントー地方を旅すればいいんですよね?」
「そうそう」
ついでじゃないけどね、と母はつけたしつつ、話が理解できた彩華は、すぐに自分の部屋へと戻って旅の準備を始めた。
自分の部屋に入ると、クローゼットから旅が出来そうな服を探す。そこで、彩華は動き易そうな服を選んで、それに着替える。薄いピンクのシンプルなTシャツの上に白い半そでの上着を重ね着をし、ちょっと短めのピンクのチェックのスカートを穿いた。
それに着替え、ドレッサーの鏡で自分を見る。しかし、なんか違和感が現れた。
「……髪、結んだほうがいいでしょうね」
鏡に呟くと、椅子に座って自分の髪を鏡で見ながら、髪を二つに縛り、リボンをつけた。所謂、ツインテールの髪型だ。少し子供っぽい感じが出ていたが、彩華にとってそれはどうでもよかった。
旅が出来そうな大きな肩掛けのバッグに旅に最低限必要なものを入れている時、とても大きな、誰かが走る音が聞こえた。内心、彩華は嫌な予感をしていたが、それは的中してしまった。
「おねええぇぇええぇぇえぇぇえぇぇぇええぇえぇちゃぁああぁあぁぁあぁぁあああぁぁああぁあぁぁぁああん!!!!!!!」
部屋の扉を思い切り開け、部屋に入ってきたのは、彩華の一つ年下の妹‘神樂陽彩’だ。彼女も、ちょっと長い黒髪に、左目だけ紅色<あかいろ>の目をしている。
陽彩は、どうやら両親から彩華の旅のことを聞いたらしく、真っ先に彩華の所へやってきた。彩華に抱きつこうとするが、彩華は綺麗にかわして、奥のドレッサーに突っ込んでいく。案の定、ドレッサーの上に合ったものは次々と落ちて行った。
「拾っておいてくださいね。……そんなに私にいじめられたいのですか?」
「ちょ、違う! 私も旅に連れて」
「駄目です」
即答で彩華が答えると陽彩は床に滑り込む。ちなみにいうと、彩華の趣味は陽彩をいじめること。暴力的ではなく、精神的ダメージをじわじわと与えることだ。なぜそれが趣味なのかは、両親にも分からない。
「なんで!? なんで私は駄目なの!?」
「だって、貴方はお父さんに頼まれてないでしょう? それに貴方を連れて行くと私が貴方をいじめたくてしょうがなくなります」
「んーまぁそうだけ……ってなんで私をいじめることがまるで日課のようになってんの!?」
ツッコミを続ける陽彩を軽く無視して、彩華はバッグを肩にかけると、部屋から出て行った。陽彩は、その部屋に一人取り残された。
「…………なんなんだよー……」
頬を膨らませて口をとがらせると、しぶしぶ陽彩も彩華の部屋から出て行った。