第13話「ダルマのきっかけ」
「一体どうしたのでしょうか、トウサ選手がまだ入場して来ません」
審判の声がマイク越しに響く。観客達は数万人抱えたスタジアムでどよめいている。スタジアムの中央にはバトル用のフィールドがあり、片方には1人の男がいる。手にはモンスターボールを持ち、向こう側を見ている。だが、そこには雲が流れる青空しかなく、本来いるはずの人はいない。お天道様はいくらか西に傾いて、男を後ろから照らす。
「んー、遅いですね彼も。トイレにでも行ってるのですかねー?」
「仕方ないですね、では5分待ちます。それで来なければ……」
「待った!」
突然、審判の話を遮り1人の男が選手の入場ゲートから現れた。男は息を切らしながら審判の方を向いた。額には大粒の汗が垂れている。
「遅れてすみません……」
「トウサ選手ですね。一体どうした遅くなったんですか?」
審判は男をトウサと呼び、尋ねた。しかし、彼から返ってきたのは沈黙だけである。
「……トイレではないんですかー?」
「え、ああそうだそうだ、トイレで遅くなってしまった。申し訳ない」
トウサは軽くお辞儀をした。ただ、目線は空にある雲を追っている。
「そうですか。では遅くなりましたが、ポケモンリーグ決勝戦、ジョバンニ対トウサの試合を始めます!」
審判が試合開始を宣言した。トウサともう1人の男、ジョバンニはボールを投げた。ジョバンニの1番手はヤドラン、トウサの先頭はスターミーである。
「スターミー、重力だ!」
「ヤドラン、トリックルームでーす!」
しばらくして、スタジアムから物音が消えた。観客は息をするのを忘れるほどにフィールドを見入っている。そのフィールドでは、1匹のポケモンが倒れ、1匹がそのポケモンを見つめている。西日はトウサを真正面から照らしている。
「……そこまで!ただいまの勝負、残りポケモン0対1で、トウサ選手の勝利!」
審判がジャッジを下した途端、観客から一斉に声が放たれた。ある者は勝者を称え、ある者は敗者をねぎらう。またある者は、涙を頬に流した。
「勝ったぞ……すまねえな、みんな。連戦で疲れていたのに無理させて」
大歓声の中、トウサはボールにポケモンを戻した。その表情は、なぜかはかばかしいものではない。腰についたボールを、頭をなでるようにさすっている。
「素晴らしいでーす!まさかあの状態から勝つとは思いませんでしたー」
そんなトウサのもとに、ジョバンニが近づき、右手を差し出した。トウサは静かに右手を出し、固く握手をした。
「ありがとう。だが今回はかなり無理をさせてしまった。喜ばしい勝利とは言えねえ」
「そうですかー、でも今だけは勝負の余韻に浸りましょー」
「……で?それからどうなったんだ?」
ダルマが一通り話し一息つくと、サトウキビが尋ねた。その声に力はなく、やや投げやりである。
「この勝負を見て、当時のトウサ選手の凄さに熱中したんですよ。おかげで対戦相手のジョバンニさんのことはよく知らないですけど。この間会った時も、誰だかわからなかったくらいに」
「なるほどな。ところで、その試合は何で見たんだ?確か20年前のはずだが、お前はそんなに年とっているようには見えない」
「俺が子供の頃『ポケモンリーグ名勝負集』という番組を見たんです」
「そうか。しかし、他にも勝負は見たんだろう?なぜその試合に感動したんだ?」
サトウキビは執拗に問い詰めた。ダルマはだんだん声が元気になってきている。
「当日のトウサ選手は、万全な状態じゃなかったんです」
「どうして?」
「スタジアムに行く途中、強盗に襲われている人を見つけたんです。その人を助けるために戦ったのですが、多勢に無勢。何とか撃退はしたものの、ポケモンにかなりダメージが蓄積されたそうです」
「……」
「その状態で勝った。その力に憧れたわけです。まあ、憧れた割に決心したのは遅いですけどね」
ダルマは笑いながら立つと、空のコップを片手に給水場まで向かって行った。
「おいおっさん!次は俺の番だぜ!」
「……ああ。話してみな、聞いてやるぜ」
サトウキビが上の空になっているので、ゴロウが話し始めた。夜はまだ始まったばかりである。