あんまり変わってない事
ぬいぐるみが車に轢かれたり焼かれたりした事がアニメの放送開始頃によくあったのだが、これをイマドキに見ると、これは過激なファンも多少やる事だが、趣味の悪い画像加工等がそうだろう。
つまり、パッシングや過剰アピールはポケモンの古い友人というワケだが、最近はインターネットの普及に伴って、ポケモンに限った話ではないが、これが統一化されてきたように思える。
まずポケモンのアニメを何の脈略もなく見るゲームやりこみ人間は、それがアニメであるという事を、頭では理解しても、ゲームを再現してくれなきゃイヤイヤという本能がそれをさせないのだ。
どうしても、あれはズルイ、これは卑怯、これはない、等口々にしてしまうのだが、最近はどうかは知らないが、批判というのは、ある意味エールで飛ばすものなので、というかポケモンのアニメには元々そういう、色々な事への問いかけや批判のメッセージがアニメそのものにあったのだが、ぷっつり消えたのだ。俗に言う、アナーキーアニメってやつだ。
どうしてそうなったかと言うと、よくある事だと言おう。
子供向け番組だと自分で言ってるアニメは、作る人間やシリーズが少し変わる瞬間を見計らって、いい意味で変わってしまうのだ。
いい意味で変わったのに悪くなる事はよくある。これはゲームにおけるシリーズ変更で新しい要素を入れる度に、たびたび文句を言われ続けたポケモンが特に当てはまるだろう。
このへんのファン同士の葛藤やフラストレーションも、ポケモンを二次小説にするという事に通じているものが、おそらく、あるのではないかと思われる。
サブタイに変わってない事と書いたが、変わってないというのは、変わった事がなければ成立しないのだ。
ポケモンはこれを最初に、進化させなくてもいい、キャンセルできる、とゲームで表した事によって、かなり引きずりファンを生み出したと思う。
進化させずにそのまま育ててもいい、ということは要するに、いくらシリーズが変わろうとも、進化前のポケモンを大事にし続けてもいいという事なのだ。
とてもいい事を言っているようにも聞こえるし、おそるべき戦術であるようにも聞こえる。
懐古廚というような言葉があるが、ポケモンは「懐古廚で進化キャンセルしてもいいよ」と最初から言っているのである。
かつシリーズが変われば、新たな時代を最大限に利用したキャラクターの色やデザインを打ち出すのだ。
きれいごとを言ったが、これが奴らの手である。気をつける事だ