雷焔一閃
08.会者定離

「やっぱり、思ったんだけどさ」

 それから一日経って再び夕方、しとしとと音を奏でる薄霧模様を隣に、エースバーンはどこからか拾ってきた赤い糸片を摘んで揺らしながら言った。

「外出するときにひとりは留守番しといた方がいいんじゃねえかなって。ほら、そうすればここに置いとく用のきのみとか食い物見張れるし。バリケードとか対策考えるよりずっといい気がする」

 適当に弄り回す手癖からぽろりと糸が零れ落ちる。糸のみならず、巣の入り口の周囲には枝や小石など外から拾い集めてきたものたちが散乱していた。

「お前の餌を、俺がわざわざ持ってこいと」
「い、いや。そこは流石に自分の分だけだよ」

 ふん、と鼻を鳴らして何もない壁へと目を逸らすライボルト。生乾きの体毛は固まって束なり、放電ポケモンらしい刺々しさに磨きがかかっている。
 本日、ワイルドエリアは朝から大規模な雨に見舞われた。一部の土地が雨雲に蓋をされることは珍しくないが、今回はそれがほぼ全域に渡ったらしい。炎タイプには歩けたもんじゃない、けれども冷血スパルタな同居人のことだしどうせ   なんてことを思いながら今後の予定を尋ねると、あっさりと雨天中止が言い渡された。とりあえず小降りのうちに必要最低限の食料をすぐそこの湖畔の木から採り、それからは住処の洞窟にずっと籠もっている。場所が場所なので雨宿りのような気分だった。
    防盗用のバリケードについて模索していた。というのは、巣にいる時間が退屈なだけならまだしも、堅物の家主との間に生まれる静寂があまりに気まずく長かったため、何かをしていないと気が気でなかったのである。
 半日をかけ、しかしまあ成果は見ての通り。

「そもそも家空けとく時点で安全な状況なんかありえないだろ。……ンやっぱ誰かの目があった方がいいって。その方が簡単で確実だし」
「自分から勝手にやり出しといてその結論か」
「いやその……タダで寝床借りてるのもアレだから、なんか、役に立てないかなって」
「ハッ、馬鹿馬鹿しい。ガキがオモチャを散らかしてるようにしか見えん」
「む」

 冷淡な口調の、ちょっとした綻びに率直な嫌味が垣間見えた気がした。目を細めて子供のように頬を膨らませる。するとどうだろう、諦めかけていた闘志に不思議と熱が宿ってきた。主人の元で培ってきた人智はまだこんなもんじゃないぞ。見返してやりたいと思う反面、トレーナー付きポケモンの性だろうか、どこか認めてもらえるかもしれないという期待もあった。

「……もうちょっと考えてみる」口先を尖らせて言った。

 とはいえ、アイデアの引き出しこそあれど、手に取れるものは限られているのが現状。自然にあるものの多くは、自然に在る者によって干渉できる。つまり、仮に最も耐久を確保できる形で壁を築けようが、素材には限界があるのだ。ましてやそこに自分たちだけが都合よく出入りできるカラクリを作ろうなど……。鼻から声のない唸りが漏れる。地面に散らばったガラクタが己の無力を映し出しているように見えた。
 ならいっそ食料に毒でも仕込んでみるか? そんなことをすれば諸刃の剣どころかただの自滅である。土に埋めるか天井に隠すか、パチリスさながら電気の罠を仕掛けてみるのは我ながら名案かと思ったが、つい数日前に特性“蓄電”の持ち主が殴り込みに来たのは記憶に新しい出来事だ。
 焦点を変えたはいいものの、一片だけ噛み合わないような歯痒さを覚えるアイデアばかりがゴミみたいに積もってゆくのみ。縋り付くように過去の旅路を思い浮かべる。何か、他者のみを引きつけない都合の良いモノ……技……道具……ふと、はらはらと捲れるレポートの像の、あるワンシーンだけが等速で瞼に再生された。
 霧立ち込めるまどろみの森で、主人が面倒臭そうにバッグから取り出したアレは   

「わかった!!」

 蹴り上げられたのかというくらいに真っ直ぐ立ち上がると、「ゴッッ!!」狭い入り口の天井縁に後頭部を思い切りぶつけ、エースバーンはビタン!と収集物共々うつ伏せに倒れた。ライボルトは薄目で間抜けを見遣ったが、悪いものでも見たかのようにすぐ顔を逸らした。




 幾日か経ったある朝方。

「旦那」
「おう狼。すまんがちょっと肩を貸せ」

 原野と原っぱの境界線上に架かった大橋のその下、いつもの食料調達先である果樹の根元に、しばらく見なかった重鎮がよろよろと向かってくる姿を認めた。
 自身の頭ほどのホシガリスにライボルトは迷わず伏せ、首を足場に定位置だった太枝に登らせる。ふう、と前より少しやつれた顔で息をつく旦那を見上げて、怪訝そうに問うた。

「何処へ行ってたんだ。てっきり食われたのかと」
「ああ。……ちょっと遠出だ。面倒だが、流石にそろそろ下見をせねばとな」
「下見?」
「終の住処だ」

 「終の……」静かに復唱して口を噤む。気まずさとは違ういたたまれなさを覚えて無意識に首が下がった。

「俺は近々このワイルドエリアを出る。わかるのさ、これ以上はここでやってられないってな」

 彼方を向いて緩ませた目元は自嘲にも思えた。
 長寿のポケモンは自分の死期を悟ることができるという。出会った頃から古株としてやっていたくらいだから、恐らくポケモン全体として見てもかなりの高齢なのだろう。常に身の丈に合わぬ尊大を崩さなかったもので、冗談半分死なないんじゃないかとすら思っていたが。……いざ直面すると、寂寥と可笑しさが混じったような不思議な気分だった。
 沈黙の間を瑞々しい晴れ風が通り抜ける。寝覚めのような空の白が取り払われてゆく。波打つ草むらのせせらぎに低めの嘆息を被せて、ホシガリスは口を開いた。

「お前はどうする。あの若造は?」
「……ん、ああ。ここ数日は宝探しにお熱らしい。防犯がどうこう、命じたわけでもないのに勝手に始めやがった、家の主人気取りで」
「ハッ、そいつは随分と欲張りだ」

 ネジが外れたみたいに堂々と胸を張る白兎の姿が思い浮かぶ。曰く、その『宝』とやらをかつての仲間が“ものひろい”で見つけた記憶があるというので、自分も頑張って見つけ出すとのことだった。いよいよ特性と特技の違いもわからなくなったか、そう皮肉を投げても「とりあえず探してみる!」と長耳は聞き流していった。

「しかしお前も変わったな」自身の尻尾を背もたれにして言う。「もうちょっと前なら追い出してただろうに」
「……、着いてくるんだ。無駄に粘り強く」
「ふん、そうか」

 ホシガリスは頬杖をついて眠るように瞼を下ろした。そのまま二度と起きなくなるような静けさだった。赤眼がつい鼓動の行方を追ってしまう。が、間も無くしておもむろに小動物のパッチリお目目が開き、前歯を覗かせ深く息をついた。

「それも、ありなんじゃねえか」
「俺の力では、最後まで面倒を見切れない」

 律儀な奴だ、旦那は天を仰いで笑った。
 二者を再び静寂が包む。死別という、どこか遠く現実味のない事象は、たった一言、ここで挨拶を交わしてしまえば簡単に成り立ってしまうような気がした。二の句が継げなかったのは、多分、互いにそれを気付いていたからなのだろう。
 ライボルトも倣って同じ空を見上げた。旭日に眩む淡い蒼穹が、一日の始まりを知らせにじんわりと色濃く滲んでゆく。
    旅立ちにぴったりの、優しい朝だった。

「……さて、そろそろ他の奴らも巣から出てくる頃だろう。恨み買ったのと鉢合わせする前にとっとと帰りな」
「ああ……そうだな。それじゃあ、」
「ああ、さよならだ」

 逃げるような足早は、きっとそれを避けたいがための微々たる抵抗だった。しかと宣言した別れの言葉は、聞き入れてしまったが最後、心のどこかで捨て切れなかった再会の希望的観測を両断した。ポーカーフェイスの内に奥歯を強く噛み、丁寧に回れ右で恩師と向き合う。そして、深々と一礼した。

「旦那、今まで、本当にお世話になりました」

 僅かに差した木漏れ日が不器用な微笑みを映し出す。変わらぬ調子で鼻をひとつ鳴らすと、「生きろよ」肩を叩くような力強さで言った。
 躊躇いつつも吹っ切るようにして木から背を向ける。視界一杯の広大より、見えない後ろがずっと惜しかった。
 だからこそ。「狼!」期待を具現化したような呼び止める声には、真っ先に足を止めて振り返ることができた。

   欲しいときは、素直に欲しがってみろ」

 含みもあるような、しかしそれでいて真意だけの一纏め。言わんとしていることが隠した内心を突くものであると理解しても、不思議と動揺はなかった。長い間仮面の下に秘めていた、いたずらっ子みたいな笑みを送った。

 荒地を無心で駆ける。地面を蹴りつける感覚、合いの手を打つ呼気も、自分のものではないような遠さに思えて、それが今は心地よい。住処の玄関も同然であるげきりんの湖を前にして一度足を止めた。
 堪え切れず、大切な場所へと振り向く。
 作り物のような静謐の木に、ホシガリスの姿はなかった。




アマヨシ ( 2022/07/30(土) 22:04 )