07.弱肉強食(2)
初めての狩りを終えて巣へ向かう。狩った獲物をその場で食すのには様々なリスクが付き纏うからだそうだった。その通りだと思う。ふと、いつか感じた生臭さについて尋ねると、悪狐を狩っていた、と遠慮がちに言った。
横槍等なく帰れたはよかったものの、道中周囲からの視線が辛かった。チョロネコがサシカマスを、異邦のクリーム色のニャースはコラッタを咥え、街中を駆ける絵はどこかで見たことがある。しかし液体を垂れ流したキャタピーの死骸を抱えて走るエースバーンというのはどうだ、恐らく世界中探しても自分しかいないだろう。野生では珍しい種族ゆえに奇異の目も仕方はないのかもしれないが、風物詩と同列される猫ポケモンたちも似たような心境だったとしたらちょっと申し訳ない。
洞窟の地面に芋虫を横たえらせる。薄暗さからか、死に顔は手に掛けたときよりも幾分か歪に見えた。脱力するように座り込むと、「さて」ライボルトがキャタピーの首元(?)に前足を置き、くしゅ、と小気味良い音を出す。
ころりと視界に入ってきた球体が、じいっとこちらを覗いた。……黒目、で?
「ぉあ!」
「頭は臭くて食えたもんじゃないからな。まずはもいでやれ」
地獄の一歩手前のような光景だった。フィクションかホラーの類よろしく緑色の頭部と胴体が分離している。元から死んでいたのがせめてもの救いか、いやそもそも殺したのは自分であって……。短く呻いてエースバーンは頭を抱えた。
「体液も本当は抜いてやりたいところだが、寝床が青臭くなるのは勘弁だからな、このまま炙る」
淡々とした説明を挟むと、今度は口元に火を灯らせ、洞窟の壁を明るく照らした。虫タイプの身体がパチパチとゆっくり焼かれてゆく。
その隣でキャタピーの生首は瞳に火の粉を映していた。本体から切り離された際に付着したのか、目の表面には砂粒が塗られていて、それが生命活動を完全に停止していることを酷く強調しているように思うと、急に恐ろしくなってしまった。
「代われ。火くらい吹けるだろ」赤眼が面倒そうに言った。一瞬戸惑ってから返事をして、すっかり皺だらけになってしまったそれに燃える吐息を吹きかける。チラと横目をやると、ライボルトはキャタピーだったものの頭を咥えて走り、大きく首を振って青空へと放り投げた。無言で歩いて戻ってくるライボルトに何か一言声をかけてやりたかったが、正直なところどこかホッとした部分もあったので、エースバーンは加熱作業を再開した。
火花の弾ける音がしばらく続き、ふた回りほど縮んでしまった虫の身体から緑でない液体が滲み出してきたところでライボルトが制止をかける。頃合いか、なんて職人みたいにシェフを退かすと
それはもう、まるで最初から割って食べるタイプのお菓子であったかのように、芋虫胴の蛇腹部分を踏みつけて、やはり先の生首同様に一つ一つ切り離していった。
「食ってみろ」その内の、一番大きなものを前足で転がして催促する。首と繋がっていた部分だった。回想のような琥珀に色付けられた焼き芋虫をそっと指先で持ち上げる。押さえつけた時の弾力は掴むだけで砕けてしまいそうなほどのカリカリに、暴れ抵抗していたときの重量感はカレーの配膳よりも軽く。かつて生命だったものは、きのみと見紛うくらいちんけなものへと変わり果てていた。鼻を近づけると、緑の嫌な香りがした。
助けを求めるように絶望の視線を飛ばすと、その反応は予想済みだったのだろう、ノータイムで一番端の臀部らしき小玉を齧って咀嚼し始めた。飲み込んでから睨みをひとつ。違う、欲しかったのは手本じゃないんだ……。期待はずれは口に出せず、そもそもここまで来て今更引き下がれる道理はない。心境とは裏腹に多少の勇気をもらいつつ、焦げた表面に思い切り噛み付いた!
「ヴッ……!?」
「思ってたよりはイケるだろう」
「……。いや、ぅうン……」
モゴモゴと不規則に顎を動かしながらエースバーンは顔をしかめる。フーズのような食感の外皮に、言い訳のしようもない生物由来の半熟タンパク質と繊維。鼻腔を抜けるすり潰した雑草に似た不快な香り。しかし滲み出た液体はミスマッチに甘味と旨味を舌の上で滑らせていて。……、とりあえず、『イケる』という評価からはだいぶ離れてるな、というのが正直な感想だった。
手元の食物(仮)を見る。咀嚼ばかりで喉を通りそうにない現状、既に二口目へ乗り出す気にはなれなかった。が、
「…………」
「……わ、わかってっから……。そんな、こう、監視しないでくれ……」
当然ながら拒絶を許してくれるような相手ではない。『食わなければ死ぬ』を教えた張本人なのだ、一欠片でも残そうものなら痺れさせてでも胃に詰め込んでくるだろう。
ひたすらに不味くて無駄に歯ごたえが残ってる肉を噛み締め、堪えようのない吐き気には目に涙を浮かべ、半ばやけくそで勢いよく頬張れば今度は生前の姿が脳裏を過ぎる。終わりの見えない地獄だった。やがて最後の一口に手を付ける頃、洞窟から見える空は薄暗い炎の色を湛えていた。