雷焔一閃
04.率先垂範(2)

 「ここだ」足を止めたのは、日陰に隠れたやや大きめの横穴。

「……ここがオレの新しい住処?」
「か、どうかはわからん」
「わからない? まだ見てないのか」

 ライボルトは問いかけになんとも言えない表情を浮かべて、「見ればわかる」エースバーンに洞穴内へ入るよう促した。
 発見者に先導される形で辺りを見渡しながら進んでゆく。随分と広い入り口だった。天井もリザードンくらいならぶつからずに通れそうな高さがあり、ライボルトの所に比べるとある種の豪勢さすら感じた。……が、大きければ良いという話ではない。問題は、そのだだっ広さが奥まで続いていたということだ。後ろを見れば容赦なく目一杯に入ってくる色とりどりの景色たち。解放的というよりかは不用心だった。何より本能的に落ち着かない。
 そして極めつけは、

「……この匂い」
「直近まで居た、そんな感じか」

 仄かに、しかし確かな甘ったるさの香りがすっと鼻を流れた。独特な匂いだから覚えてる、恐らくはあまいミツだ。家主の候補にリングマのイメージが浮かんでゾッとする。なんにせよ希少なミツを手に入れられる猛者だ、凶暴な女王に遣えるミツハニーから戦利品を奪えるくらいなのだから、相当に肝が据わっていて且つ実力者なのだろう。今すぐにでも逃げた方が   。一気に顔色を悪くした新米とは正反対に、手練れの無愛想は釈然としなさそうな表情を向けた。

「妙だな」
「いやヤベエってことくらいはオレにもわかるよ……。住んでるってことだろ。飛びっきりおっかないのが」
「だとしたら何故、これほどまでにポケモンの痕跡が残っていない?」

 痕跡? この匂いだけじゃ不十分だって言うのか   動じず冷淡を崩さないライボルトにいきり立とうとして、ハッとする。匂い……。への字の上の小さな逆三角をすんすんと鳴らす。微かな甘美が残っていて、しかしそれ以上でも以下でもなかった。鼻はそれなりに効く方だと自負しているが、それでもひたすらに籠もった土の空気が続いているのみ。

「よく見てみろ。足跡どころか毛の一本すら見当たらん」
「それじゃあ、……。なんだろうな? 誰かがちょっと休憩で寄って、その後すぐ出たとか?」
「ふむ」

 青いマズルが天井を仰ぐ。光の届かない空洞は、果てのない底なしの大穴に見えた。
 それから間を置かず、「これはあくまで可能性の一つだが」壁を向いたまま言い出した。

「もし、ここに誰かが住んでいると仮定するならば。ミツの匂いを残せるくらいの奴だ、だいぶ絞り込める」
「あまいミツっつったら、ミツハニーくらいしかいなくないか」
「アブリボンなんかもそうだが、あれは湿気のあるところは好まん。その辺りが妥当なところか   

    鼓膜に虫が這ったような感覚がした。
 パタパタと震える長耳を咄嗟に押さえつけた。顔をしかめて振り返る。決して虫ポケモンの名前から連想して寒気を起こしたわけではない。よく晴れた、絵本のような彩色の奥から、何か蠢くような音は確かに近づいてきている。

「ただ、あの蜜蜂だったとしてもおかしな点は多い。洞窟が不相応に広すぎるし、住んでいるとは思えないほどに生活の跡がまるで見当たらない。立ち寄っただけにしては匂いもはっきり残っている」

 重低音の正体は、この話の流れなら察するまでもなく理解した。薄羽の唸り声。不規則に鳴る振動が、一匹によるものでないことは間違いなかった。本能が逃げ出したいと訴えた、しかし威嚇するような低周波に、「戻る」というより「突撃」が似合う速度で大きくなってゆく羽音を前にして、今更頭を下げながら逃走したところで何かが解決するだろうか。
 日明かりに白んだ外景に、エースバーンはその影たちを見た。

   だがもし、『巣』が動くとしたら」

 ヴヴヴ、ヴヴヴヴヴゥン!
 六角形とも逆三角形ともつかぬ物体が速度と轟音を伴って次々に洞窟内へと侵入してくる! 「うわっ!」最奥部の入り口にいたエースバーンはその勢いに思わず声を出して屈む。背を向けていたライボルトも流石に翻った。
 物体、もといミツハニーの群れは瞬く間に巣穴の中心を取り囲み、二匹は虫台風の目となった。その早さたるや、一糸乱れぬタイレーツの如し統率か、あるいは知恵持たぬ蛮族の単純な数攻めにも思えた。
 正面の弾幕が不自然に薄らぐ。差し込む光が無意識に希望を彷彿とさせた。が、逆光に黒く映し出されたシルエットがそう都合のいいものでないことはわかっている。

「なるほど、ミツハニーの巣の巣(・・・)というわけか」
「どうりで入り口の幅が広かったのか……!」

    蜂の巣ポケモン、ビークイン。
 忙しなく飛び続ける子とは正反対に悠々と近づく様はまさに女王の貫禄と言ったところか。ゆっくりと毛先を逆撫でるような圧は特性の“プレッシャー”による影響だろう。ライボルトの仮面のような顔つきが、目に見えて険しくなった。

「ここは、お前たちの住処か」それでも声色に動揺は乗せず。

 警告色が飛び交う中でその一言は届いたのかは不明だが、ただ一つ、ビークインの赤い水晶のような双眸がふたりの侵入者を一層強く睨んだことは確かだった。
 思案とも取れる無言ののち、女王は煮えるような低い声で返す。

「我が根城に足を踏み入れた、その度胸だけは褒めてやろう」
「すまない、誰かが住んでいるとは気付けなかった。あんまり綺麗に使われてたもので」

 なるべく刺激せぬよう、言葉から冷淡さが消えたのがわかった。荒事以外も手馴れているのか、思わぬところで感心する。当のビークインはというと、ライボルトの回答に内包された真意を探っているのか、ヤンヤンマのように首を何度か傾げて、再び黙した。
 窮地を確信していたが、交渉の余地があるのなら事なきを得られるかもしれない。ふと相方が鼻先を近づけて耳打ちする。善後策か、やれることならなんでも協力しよう! しかし持ちかけられた作戦は期待とは程遠いものだった。

(俺が合図したら伏せろ)
(え、な、なんで)

 明らかに物騒な予感しかしない指示である。話で解決する流れじゃなかったのか? そもそも向こうからの返事も聞いていない。疑念の視線を複数回に分けて注ぐも、臨戦に燃える眼光に揺らぎはなかった。
 ところが、否、案の定と言うべきか。長考の末に出した解は打ち合わせていたかのようにビークインも同様だった。

「そのような常套句に騙されるほど我は阿呆ではないぞ。我らが縄張りを侵した罪だ、ここで始末してくれる」
「ハッ、疑わしきは罰するか」

 聞く人が聞けば絶望しかない宣言であっただろう。現に片割れは炎タイプの背筋が凍りついた。しかしライボルトはそれを笑った。最初からこうなるとわかっていたかのような、不敵な笑みだった。
 いかつい昆虫の大顎がわなわなと震える。

「状況を理解していないようだな。まさか生きて帰れるなどとは思うまい!」
「理解できてないのはお前だ、お山の大将。俺がどういう相手かも知らずに」

 「ちょっ……」やる気満々じゃねーか! 心からの叫びは、緊張感やら恐怖やら、何か間違った筋書きで事が進んでゆく困惑やらが混じったパニックで声にならなかった。
 受け答えに時間をかけた悩める女王も、今回は迷わず怒号を放った。無数の六角形の顔たちが一斉にこちらを向く。
 喧嘩を売った張本人も当然無抵抗ではない。金色に輝く電撃が、バチバチと火花を散らしながら空色の毛を塗りつぶすよう纏わり付いていく!
    ああ。

「伏せろ!」

 ライボルトの叫びに続いて、ミツハニーが壁の如し密度で肉薄する。相性不利であろうが、主の命の元ではその一匹一匹が恐れ知らずの勇者だった。
 右前足が、強く一歩を踏み出す。
 瞬間、仄暗い洞窟を閃光が照らした。今までの暗さがハリボテであったかのように、空間は雷球とプラズマに染め上がった。星空にも似た幻想的とは裏腹に光はミツハニーたちを容赦なく焼き焦がす。胴を、羽を貫く乱線の全てが稲妻と見紛う鋭利さだった。
 バラバラと、蜂兵たちがきのみのように落ちゆく中で、新参者は師と出会って最初に教わった生存戦略を思い出していた。「腕に自信のある奴ほど、無闇に力を振るって敵を作ってしまう」。今まさに目の前で繰り広げられたそれは、真っ先に死ぬヤツの典型なのでは。絵に描いたような一網打尽っぷりに感動の一つでも覚えられれば良かったものの、どうやらエースバーンの頭は半端な馬鹿として創られてしまっていたらしい。ああ、ああ、オレもう、なんかわかんねえよ……。
 属性の粒子が霧散すると同時に、「逃げるぞ!」一瞬にして出来上がった屍たちを越えて二匹は走り出す。眩い陽光と乾燥した空気が出迎えたが、エースバーンは生きた心地がしなかった。




アマヨシ ( 2022/07/30(土) 21:17 )