雷焔一閃
03.率先垂範(1)

 覚悟なんて最初からなかった、そんな弱音を吐きたくなるような寝覚めだった。
 まず、固い土の表面を掘り起こしただけの仮寝床は、心地よさがどうこうという次元じゃなかった。痛い。初めての夜はちょっとだけマシな体勢や痛くない地肌を探す旅となった。そしてようやく穏やかな寝息をつけるかと思いきや、瞼の裏に映るのはかつての仲間たちと、その去りし日々。あああ今は寝なきゃいけないんだからすっ込んでてくれよ……! 目尻に溜まった涙が郷愁か欠伸のせいなのか訳がわからなくなった。
 そうして闇夜でひとり、ありとあらゆるに悶々と格闘していた結果、もの凄まじい倦怠感とともに薄明を迎えたのであった。

 一睡も出来なかったと言えば嘘になるが、多くのポケモンが微睡むこの時間帯で背後の寝草の音に気付けたのは、やはり意識を夢想に預けきれなかったからなのだろう。スタスタと迷いのない足取りが、地面伝いの振動から伝わってくる。こんな朝っぱらから何を、死角への不安が頭を過ぎるより早く、足音は颯爽と洞穴の入り口を飛び出していった。……一瞥さえくれないのはどうなんだか。
 怠さで重みの増した頭を起こす。案の定家主の姿はない。ついでに唯一の色彩だった侵入者の食べカスもないが、これは昨晩ライボルトが全て胃に収めてしまったからである。残った果肉はともかく、種やヘタにまでがっつく様には少々肝を抜かれた。裏を返せば、自分もここまでやらないと生きてはいけないということだ。
 エースバーンは持ち上げた首をそのまま重力に従って落とした。少し思考を巡らせて、目が冴えるどころか余計に意識が遠のいた。そのままいくらかうたた寝を続けて、長耳が反応したのは師の帰宅。

    嫌な香りがした。
 湿り気の混じった、明らかに植物由来でない何か。それは恐らく、初めて嗅ぐ匂いだったのだと思う。けれども、どこか馴染み深くて身近にも感じられるような。
 そこに来たのは、本当にあのライボルトなのか?

「大物だな。初日からこれだけグッスリとは」
「!! …………」

 突き飛ばされたように半身を起こす。距離約二百センチメートル、足元に木の実を転がして、陰りのついた無愛想顔がちっとも楽しくなさそうに皮肉を吐いていた。
 最後に見た時と変わらぬ風貌。先の違和感は気のせいだったのか。ほっと胸を撫で下ろすのと同時に、却ってその安心感は小さな嫌味の不快感を大きくさせた。なんだよ余計な心配させといてさあ! 聞き捨てならんとばかりに、露骨な低音ボイスと悪い目付きで寝不足をアピールする。

「全然寝れてねーよ」が、しかし。
「あれだけでかいイビキをかいてたくせにか」
「えっ!」

 予想外の反撃に思わずぎょっとした。あれ、そうだったのか? 全く身に覚えがない。特に意味もないのに、つい自身の両頬をむにむにと押さえつけてしまう。
 返す言葉が見当たらない仮弟子に、ライボルトはため息をついてから言った。

「今日はお前の住処を探す。他人の隣で寝るのは気が気でないからな」

 エースバーンにもその気持ちはわからないでもない。同感だ、心内で反射的に出た協賛は、しかし複雑そうに曲がった口からはつま先も出てこなかった。唯一無二にして協力な知り合いに側を離れられるのは流石に不安が残る。

「……オレ、別にアンタにどうこうするつもりはないんだけどなあ。命の恩人だし」
「いるだけで落ち着かん、これじゃ不十分か」

 そっぽを向いて耳を掻きながら唸る居候。あればかりは無愛想とかではなく、本当に嫌そうな表情に見えた。無理もない、自分だって夜中に何度も隣の寝顔を伺ったのだ。巣穴に迎え入れる方の心労を思えば十分に妥当な理由だった。
 「わかった」幾分か気の落ちた声で返す。

「今の時間帯ならうろついてる奴も少ないだろう。すぐに発つぞ。飯は移動中に寄る」
「そこのきのみは?」先ほど取ってきたのであろう地面に置かれた桃色を指して言う。
「備蓄用だがこれでも構わない。二個で足りるならな」
「あ、ああいや……イイデス」

 苦笑いを浮かべて立ち上がる。口調といいよくあるぶきっちょかと思っていたが、なんというか、ただの意地悪なんじゃないかという気もしてきた。
 曙光の去ったアイボリーの空。乳白色に照らされて、ううんと大きく伸びをした。草花と土の香りが起きたての鼻腔に新しい。しょぼつく瞼を擦って歩き出す。
 本当に捨てられたんだな、思い出したような心の呟きは、どこか遠かった。



 きのみを取りに行った際に再び『旦那』と話した。曰く、彼は周辺の守人   暗黙の了解を破った者を各所に伝える   の役割担っているらしい。大層な肩書きの割に、やってることはただのチクリ魔じゃないか。元より憎たらしい顔がより際立って見えた。だが、「全くもって損な役回りだ」自嘲気味に吐いた言葉には虚しさが滲んでいた。
 ライボルトとはラクライの頃からの付き合いらしい。右も左も分からない彼に、なんてことのない気まぐれで掟と生きる術を教えてやると、あっという間に成長し、一帯でも指折りの実力者へと成り上がった。つまり、このホシガリスは彼の恩師ということになる。
 今ではその力を見込んで無法者をとっちめるよう私的に依頼したりしているのだとか。初めて邂逅した時のドリュウズもそれ関連だったのかもしれない。

「広大とはいえ、限られた土地で寝床を見つけるのは簡単なことではない。居心地の良さそうな場所は大抵取られてるもんだ」

 エンジンリバーサイドの小橋を渡りながらライボルトが話す。二匹を迎えたミロカロ湖の半身からは、木など遮蔽物の少なさもあってエリア全体が奥行きまで見渡せた。ほんのり熱を帯び始めた午前の風に耳を撫でられながら片手に持ったオレンを齧る。

「先住が俺のようにひとりで暮らしている奴ならまだしも、良さげな穴を見つけたと思ったら子連れのホルードの巣だった、なんてこともある。いずれにせよ奪い取ることは推奨しないがな。とにかく慎重になった方がいい」

    じゅわ、と口腔に果汁が染み渡った。辛味、渋味、甘味、苦味、酸味。寝起き一口目の刺激が顎と頬の間に広がり、堪らず口を結んだ。夢中でもう一度かぶり付く。汁でべったりと顔を青く汚した。飲み込んでから腕で拭うと、白毛に痣みたいな跡が残ってしまっていて。己の食欲を少し反省しつつ、ピクニック気分から我に帰った。

「お前には無縁だろうが、もし群れることがあれば定住地を持たないという選択肢もありうる。如何なる時でも群がって行動することで外敵を寄り付かせにくくできるし、なにより仲間の存在は精神的支柱になる、……と聞くからな。まあ、言ってみれば『群れそのもの』を居場所とするパターンだ」

 そういえば、バトル以外できのみを食べるのって何気に珍しい気がする。特にオボンのみが手に入ってからのことを考えれば、オレンのみを口にするのはなおさら久しぶりである。でも、あれ、いつかのカレーに混ざってなかったっけ。わりかし直近だった。だけども、果肉の食感とか瑞々しさをじっくり味わったのは初めてなんじゃないかと思う。混じり気のない自然の恵みを澄んだ空気で胃に流し込む、なんて開放的で幸せなのだろう! こんな毎日なら野生での生活も悪くない。

「巣穴が使われているかどうか、一番簡単な判別方法は家主の有無を確かめることだ。日中は基本籠もっていることが多いから、探し出すなら夕方までがタイムリミットとなるだろう。見つかるだけでも御の字だからな、選り好みはせず、見つけ次第キープしろ」

 …………。

「聞いてるのか間抜け」

 「いや、」残った欠片を口に詰め込み、数秒噛んでからゴクリと喉へ通すと、ちょっと前まで惚けていた表情が嘘みたいにツンと尖った。

「やり方はわかったけどさ、……」
「生き方を乞うておいて不満か」
「生き方を知りたいから不満なんだよ。だって、アンタと別居ってなったら聞きたいことも聞けないじゃんか」
「ならばその都度尋ねに来い」
「……だったら最初から一緒のがよくない?」
「俺はお前を養うために付き合ってやってる訳じゃない。とっとと独り立ちをして、そしてあわよくば今後関わりを持つな。それがお前に対する唯一の望みだ」

 切りつけるような鋭い横目からの、曲げる気はないであろう冷淡。そんなにキッパリ断らなくたって。歯の裏まで出かかった軽口を叩こうとして、やめた。きっと向こうも今まで我慢していたのだ。その上でこちらは無茶を言った立場なのだから、こればかりはもう諦めざるを得ないのだろう。がっくりと肩を落とすにとどまった。   リアクションだけは。

「……」
「……」
「……本当にそう思ってる?」
「なんだ鬱陶しい」
「昨日より口数増えたと思ったんだけどなー」

 びくり。
 機械のように一寸の乱れもなかったライボルトの歩みが、今確かに、前足を着地させようとして、不自然な挙動を見せた。
 ……、え。いま動揺したのか? あんまりにもわかりやす過ぎたもので、面白さより変な疑問が勝ってしまう。しかし当人の足並みは何事もなかったかのように元に戻っていた。誤魔化しのつもりなのだろうか、そう思っても、笑うのはなんだか違う気がするし、とにかく反応に困った。仕掛けた側が一番驚いていた。
 エンジンシティの門辺りにまで差し掛かった頃に、気まずくすらあった早足はピタリと止まった。

「あー……そういや、」
「エリアの外周を壁伝いに回れ、空いてるところがあれば確保、そこから動くな、お前はあっちだ反時計回りに行け、いいな」
「え! あ、おうわかっ」

 言葉尻は砂を蹴るような音にかき消された。数え切れないほど踏まれ固められた大地から勢いよく土の破片が飛び散る。風を唸らせターン。俊足はエースバーンが振り向いて視界に捉えるよりも早く、その姿は傾斜の影へと飲み込まれていった。
 強いやつは逃げ足も速いのかな、耳の付け根を掻きながらなんとなしに周りを見ると、やはりというか、草むらからヌイコグマやナゾノクサの痛々しい視線がひとり残された新参者を真っ直ぐに突き刺していた。「ああその違うんだよ……」両手を軽く広げて無害を主張しようとすると、一歩前に出た瞬間に皆々背を向けて逃げていった。
 赤の他人とはいえ、こうも全力で避けられると流石に傷つく。だらんと脱力してため息をついた。そうだ、オレも探しに行かないと……。早口の説明を思い出しながら西側へ続く岩肌を見やる。

    空いてるところがあれば確保、そこから動くな。

 数歩進んで、足が止まる。

 閃いた。
 自分一人用の住処が見つかることでライボルトの下を去ることになってしまうなら、要はそれが見つからなければいいのだ。
 正確には「見つけられなければ」いい。

 健脚が大きく開いて跳ねる。先の寂寥が嘘みたいに軽やかな動きだった、足輪から解放されたウォーグルのようにポケモンたちの視線を、風景をみるみる引き剥がしてゆく。
 ワイルドエリアの外周を相手より多く回ってから合流する。探す場所の過半数をこちらが取ってしまうわけだから、あちらが当たりを引く確率は単純に低くなる。そうして、どうだった、と聞かれたら「見つからなかった」と一言答えてやればいい。簡単なことだった。しかしそれでも新居を見つけられる可能性は十二分に残っているわけで、だが祈るしかない現状、天に運を任せるよりは少しでも上手くいく確率を上げに動くべきが有意義であることには違いなかった。
 駿足がこもれび林の影に入る。草むらを避け、木々の間を縫って駆けり、足元のスボミーは飛び越した。   ご主人が自転車で走っていた時の、ボールから覗いた景色によく似ていた。不思議なことに今はそれを自らの足で体感している。肩から指先へ風を流して、葉々のせせらぎを背に追いやって。鼻腔を痛いくらいに擦ってくる空気や激しい呼吸で喉元から上気する感覚も、久しぶり過ぎてなんだか笑ってしまう。
 夢中で走っているうちに、気が付けばワイルドエリア駅を横切り、あっという間にミロカロ湖を見下ろす高台へとたどり着いた。足を止めて景観を眺め見る。そびえる岩壁と深々とした青が水面で絶え間なく揺れていた。ああ、火照った身体を吹き抜ける風が心地いい。ひとまず予定通りに先に半周以上を回れたからか、どこか勝ち誇ったかのような爽やかさを覚えていた。   視界の隅にライボルトの姿を認めるまでは。

「…………」

 向こう岸、明度低めの岩肌に、場違いな黄と水色のハイコントラスト。ぽっかりと空いた暗闇を背に、まるでトレーナーを待つ忠犬のように前足を揃えて   光線のような睨みと目が合った。
 ……途端に景色から達成感が失せた気がした。絡みついてくる空気も鬱陶しいだけのぬるま風と化した。ふと背後からガサガサと音がして、振り返ると、数匹のドロバンコやガーディが草むらからひょっこりと顔を出した。害や他意はないのだろう、しかし好奇心と期待の籠もった無垢な瞳は目論見が外れたエースバーンの傷心に痛みを与えた。「み、見せモンじゃねーぞコラァ!」情けない抵抗に幼子たちは散り散りになって茂みに消えた。今日はやけにポケモンたちに遠ざけられる日だな……そう思って、その実九割方自業自得であることにも気付いてしまった。
 そんなもんはいい、首を振ってライボルトの方へ戻る。距離だけなら数秒で着きそうなものだが、それは眼下に広がる巨大な水溜まりが無ければの話である。まともなルートで行くと大きく迂回して橋を渡る必要があるが、エースバーンはそれほど悩まなかった。回り道でも湖でもなく、なんと傾斜五十度もあろう断崖への跳躍。足場を見極め、トッ、トッ、と軽快に弾み、やや体勢を崩しながらも向かいに無事着地した。

「橋を渡って来ればよかったものを」
「うお、いたのかビックリした。……いや、なんか、え? あの目線って『さっさとしろ』の合図じゃなかったの」
「急かしてなどないが」

 合流した足で洞窟らしき場所(やはりというか、先ほどまでライボルトが鎮座していたのはその入り口だった)へと歩いていく。どうやらエースバーンが高台から飛び出したのを見て、迎えついでに誤って湖に落ちた時のことを考え救護のつもりで来てくれたらしかった。散々退去を願ってきたポケモンとは思えない面倒見の良さだなあ、と思う。だけれど、あるいは。それ故に積み重なるであろう気苦労を嫌ったのかもしれないとも思った。




アマヨシ ( 2022/07/30(土) 21:03 )