雷焔一閃
02.一宿一飯

 巨人の帽子とげきりんの湖の(きわ)に、人の手の届かない高台がある。ライボルトは目を細めて小さな洞穴を睨んだ。焦茶の地面に食い荒らされた木の実と果汁が散らばっている。
    後方で、電撃が弾ける音がした。
 体重を乗せた前足を軸に地を蹴り上げ左へ九十度ターン。空を切る音が口元を掠めた。自身がいた場所を見れば、ぷすぷすと煙を上げて刺さる電気を纏った無数の針状。

「鼠が入ったか。よじ登ってきたのか?」

 崖の淵で唸るサンダースは、不意打ちを躱され、縄張りの主と対面してしまっても、殺意の込もった黒目を向けたまま唸ることをやめなかった。元よりジグザグに尖った体毛が、トゲデマルみたいにぶわあと逆立っていく。
 戦闘は避けられないか、ライボルトも姿勢を低くした。
 睨み合う二者。
 サンダースの精悍な顔つきが、刹那、変てこりんに歪んだ。

(は)

 それとほぼ同時に、侵入者の頬にめり込んだナニカが爆散する。反射的に伏せたが、軽い熱風が吹き付けただけだった。黄色い猛獣は面白いくらいに手足をバタつかせながら湖方面へとぶっ飛んでいった。
 ……新手かとも思ったが、なんとなく心当たりはあるようで。自分でも驚くほど無防備に高台から下を覗き込む。

「おーーーい!」

 草原によく映える白い人型が一匹、両手を大きく振って存在感をアピールしていた。
 こちらの視線に気付くと、エースバーンは岩山をいくらか見渡してから大きく“とびはねる”。切り立った足場を器用に一跳び二跳び、あっという間にライボルトの目の前へと着地した。

「ふう! なんか物騒な雰囲気だったから蹴っ飛ばしちまったけど。アレ、アンタの知り合いってわけじゃないよな?」
「……まあ」

 あまりに唐突だったせいか、クールガイの返事も思わず歯切れが悪くなってしまう。勢いが、あまりに日常の範疇を超えていた。内心混乱気味の彼を尻目に、陽気な兎は「そうかそうか」と噛みしめるように何度も頷いた。
 ふふん、と自慢げに顔を上気させるエースバーン。

「でもこれでわかったろ?」
「何が」
「オレが足手まといじゃないってコト!」

 狙いはそれか。今度は困惑より呆れが勝った。
 しかし、先の火球(かえんボール)は命中精度のみならず、破壊力や速度も一つの攻撃としては目を見張るものがあった。同族と比べてどうか、というのはわからないが、戦力足りうるのは事実に違いない。
 思惑通りに話を進められるのは癪だが、

「…………勝手にしろ。但し、余計な事はするな」
「っしゃ!」

 否、結局のところ悪いのは妙に気にかけてしまったライボルトに他ならないのだ。あの時、何の救いにもならないような哀れみの言葉を投げかけなければ、こうして付いてくることもなかっただろうに。歯を見せてのガッツポーズに、なんだか、久しくなかった敗北感を覚えた。
 ライボルトは面倒そうにため息をついて、無残に食い散らかった彩色を見遣る。食料を確保せねばと、もう一度エースバーンの方を向いた。前途多難を予感せずにはいられなかった。




「野生で生き残るための方法を教える」

 日が落ち始めた頃、二匹はストーンズ原野に向けて足を進めていた。

「ワイルドエリアには暗黙の了解とでも言うべきルールがある。人に捨てられたポケモンが生きていけない理由のほとんどがこれだな」
「弱いやつからやられる、ってことか?」
「逆だ。腕に自信のある奴ほど、無闇に力を振るって敵を作ってしまう」

 だから飢えよりも戦闘の傷で死ぬことが多い、そう付け加えた。強いから暴力的みたいな言い方には納得いかないが、後者については先ほどのサンダースの件で重々理解している。手慣れているようだった、きっと日常的に命の危機と対面しているのだろう。

「……というより、新参者は強い弱い以前にここでのやり方を知らないわけだからな。その気がなくとも秩序を乱し、半ば理不尽に死んでいく」
「……オレもそのうちの一人だった?」
「そうならないための知識を教えに来ている。例えば」

 ライボルトは足を止め、鬱蒼と茂った木を見上げた。先達に習ってエースバーンも首を上げる。控えめな涼風がさらさらと音を奏でていた。「あっ、きのみ……」新緑の隙間から覗けたハイコントラストに気づいて指を差すと、跳ねた鬣が頷いた。

「俺たちの主食はここに生っている木の実だ。どういう仕組みだか、丸裸にされても一晩で新たに実が出来る」
「そんくらいは知ってるぜ。オレが取ろうか」

 得意げに目下へ笑みを向ける。しかし、「やってみろ」仏頂面はぴくりとも動かない。声色には呆れさえ感じた。なにを、とお揃いのへの字を口に湛えて、ずかずかと木に近づく。
 ボール越しとはいえ、主人が同じような木からきのみを手に入れるのを見ていたのでやり方は知っている。ちょっと背伸びすればつまめそうだったが、効率を考えれば彼らに倣った方が早いだろう。「確かこうやって……」エースバーンは抱き寄せるように幹を掴んで揺らそうとした。が、慎ましい長さの腕では上手く力が入ってくれないようで。僅かに軋むだけという情けない反応に、振り返って困り笑いを送った。早くしろ、ただそれだけを詰めた刺すような視線が返ってきた。
 恥ずかしさに打ちのめされそうになりつつも、表情を取り繕って今度は数歩下がった。要は揺らせられればいいのだ。左足を強く踏み込み、自慢の蹴脚を堅木の腹に叩き込む!
 目論見通り、軽やかなフォームに反して重鈍な一撃は、ヘタにしがみ付く木の実たちをあっさりと大地へ突き落とした。どんなもんさ! 汚名返上とばかりに今度はしたり顔を向けてやった。しかしそんな負けず嫌いなアピールに夢中だったものだから、足元に転がる青、橙、緑に混じってもぞもぞと茶褐色が動いていたことなぞ気にも止めなかった。

「うぐぐ……おのれまた貴様らか忌々しき人間め   
「うわやべっ、ホシガリスだ!」
「待て」

 愛らしいまん丸の瞳に、幸せが凝縮された頬袋。その正体は、バッジを持っていないトレーナーからも憎しみを向けられる対象である。反射的に構えるエースバーン。それをライボルトが前に出て制した。

「すまない旦那、今新人の教育中なんだ」
「……ほう? お前が弟子をとるとはな、一匹狼。アイタタ……今のは其奴の仕業か! 全く! この有様をどうしてくれる!」
「自信満々に『取ってやる』なんて言い出すから、何をするのかと黙って見ておけば想像を超える馬鹿をしやがった。監督不十分だ、責は俺にある」

 むぅ、妙に仰々しい態度のホシガリスは、自身を叩き落とした犯人を見上げて悩ましげに唸る。こんなちんちくりんでも旦那と呼ばれていた、それを王座から無理やり引き摺り下ろした自分は一般以下の野良だ。事の尺度はわからずとも、なんとなく不味いことをしてしまったのは容易に推測がつく。謝るタイミングを失ってしまったので、とりあえず申し訳程度に膝と肩を下げてみた。
 しかし黙っていれば小動物。咎を受ける立場にしても、テレビ番組の愛玩ポケモン特集を見ているときのそれと変わらない気がした。なにも畏れることはないだろう   と、緊張が緩みかけた瞬間、海原に足を沈めた夕陽のような弛んだ目が、ビリリダマばりにキッ!と鋭く睨みを利かせた。

「フン、運が良かったな若造。そこのライボルトがいなければ、お前、今頃ウサギカレーになってたぜ」
「う、うっす。すみません」
「いいか、欲求はただの『欲しがり』までに留めておけ。この世界での『欲張り』は死を意味する」

 わかったら持っていけ、『旦那』はそれだけ言い残すと、普通のホシガリスの背中を見せて、ごく一般的な動きで大木のカーテンへ消えていった。怒ってるような親切なような、偉いのかそうでないのか、なんだかわからないポケモンだったなあとエースバーンは耳の裏をかく。隣のライボルトは変わらずの無愛想を保っていた。

「……、このように、立場を弁えない量の食料を占めようとすると真っ先に目を付けられる。お前の頭でもわかるように言えば、『みんなでなかよくわけましょう』、ということだ」
「あーあーわかるよそんくらい! ……で、なんだ、具体的にはいくつぐらいならいいんだ? 持っていけって言ってたケド」

 本当にわかっているのかとでも言いたげに眉を寄せたが、一つため息をつくと、ふと我に返るように目を瞑った。少し考えてから、僅かに複雑そうな横顔を見せて答える。

「……三個」
「三個? 一食三個?」
「一日三個」

 …………。
 ライボルトの口から発されたのは呪術の類だったのか、そう思わされるくらいにピタリと炎タイプの身体が凍りついた。一食で三個だけだとちょっと足りないかな、なんて不満が過ぎりかけていたところに突然刺されたのだから無理もない。

「……強いやつから死んでくって話さ、ホントは飢え死がほとんどとかってオチじゃないだろうな」
「念のため言っておくと、俺だって一日二個だ」
「いやアンタは体格的に……あんま変わんないけど! それでも三個は足りなさすぎないか!?」
「足りない。だが今日の分にしては十分すぎるくらいだろう」

 きょう? 疑問符を浮かべたあと、振り返って空を見上げた。貴婦人のレースみたいに上品でうっすらとした藤紫が、ぼんやりと夕景に溶け出している。

「適当に三つ選んだら帰るぞ。俺の分はいらん」
「ああ……」

 先に荒地へと歩き出した背中を見て、エースバーンは子供のように焦って屈む。自身の影で黒く染まったきのみから、知っているものだけを手繰り寄せて取った。一番道路から一緒のアーマーガアがよく食べていたオボンのみ、頼れる後輩オノノクスが大事そうに握っていたハバンのみ、そして、ジム戦に挑む前にいつも主人が渡してくれたフィラのみ。両腕に抱え込んで立ち上がる。そう離れていない後ろ姿を追って、しかし、大自然の向こう側が目に入った途端、動力を失った車輪のよう徐々に歩を止めてしまった。
 ナックルシティが逆光にくすんでいた。
 ご主人たちが、宵闇に連れ攫われて、どこか遠くへ行ってしまう。新しい日を跨いだら、もう二度と会えなくなる気がした。

    もし、今引き返せば、何かが間に合うのかもしれない。ここでライボルトに付いていく選択をすれば、それは本当に叶わなくなるのかもしれない。
 白兎は岐路に立たされていた。決まるはずもない覚悟を夕焼けに問われ、己が標に二択を迫られている。
 だけど、自分がここにいる理由を考えれば   答えは落日より早かった。
 赤い足が、次の一歩を踏みしめる。

「おーい! アンタの分、ホントに要らないのか?」

 迷いを揉み消す、距離の割には過剰な大声を出してエースバーンは呼びかけた。振り向いた赤目が鬱陶しそうに凹んでいる。言葉を用いられずとも、なんとなく応否くらいはわかるようになった。教えを乞うた時と同じように小走りで傍に並ぶ。
 正しい選択だったかどうかなんて、一日中太陽を見続けている暇なネイティオにでも聞かなければわからないだろう。だから、今やるべきは、いや生き延びるためには。命綱とも言えるこの偶然の出会いに必死でしがみ付いていかなければならないのだと思った。
 もう一度人間の街を見遣る。足取りは軽い。
 二つの影が野生の大地にゆっくりと伸びてゆく。新たに名もなき住人が生まれたワイルドエリアは、それでも無慈悲に、平等に夜の帳を落としていった。




アマヨシ ( 2022/07/30(土) 18:12 )