雷焔一閃
11.雷焔一閃(2)

 息継ぎの裏で、草食の奥歯を強く噛む。
 『順応』した身体を駆け、先までとは打って変わって攻勢に出た。正直に言えば降参したいのはこちらの方だった。本気で命のやり取りをするつもりなんかさらさらないし、滾る火炎と一層の殺意からは、逆鱗というか、何か不味いスイッチを押してしまったような気もして。停戦を促したのは恐らく逆効果だった。
 距離三と半メートル。リーチで勝るのは“かえんほうしゃ”だ。迎え撃つように火の壁を展開すると、エースバーンは大きく仰け反って踵(かかと)を立てる。刹那の惑いから脇側へ攻め込む挙動を見せると、先回りするように目の前へと照射された。「く……!」引き下がるほかない。今度は足を止めた。
 “ほうでん”を止めたからといってライボルトを完封できたわけではない。立ち回りが変わっただけなのだ、依然として被弾が命取りになることには変わりない。
 ただそれでも、直接攻撃が現実的になった今ならば   

(さっきより、まだ勝機はある!)

 燃えるような呼気を飲み込み簡易クラウチング、無謀とも言えるほどの真正面を全速力で猛進した。向かうは赤々の気炎。緩やかに伸びゆくそれを、射程の届く寸前で飛び越した。術者は口端の火種を噛み切って仰ぎ見る。陽光に眩しい白が、なんの変哲もない蹴りの姿形を取った。飛び退く。着地に合わせて熱炎を見舞おうとしたが、視線がぶつかった瞬間逃げることを選択した。横目のすれ違いざまに、先いた場所で踵を返す人型が見えた。

「ン逃すかっ……!」

 地を叩く音。急激に近づいた気配に振り向けば、まさにその人型がすぐ隣を並走していた。反射的に横へ跳ぶ。蹴りが虚空を掠めた。同時に口元へと火を燻らせ反撃の意図を見せると、面白いくらいにわかりやすく顔を引きつらせて逃げ出した。
 湿った呼吸が場に流れる。

「……火を、恐れているな」
「さァて、どうかな」不敵な笑みは下手くそだった。

 あからさまな空元気を契機にか、ライボルトはじりじりと迫り出す。軽く炎も吹き上げれば、エースバーンは同じ歩数を後退した。
 これほど明快で、予定調和ともとれる絵面に、だからこそ、その手は軽率だったのかもしれない。
 追い詰められる兎は、何の前触れもなく、ふと、大きく一歩を踏み出した。   シュートの体勢だった。そこらに転がる無価値な石が、蹴飛ばされると同時に燃える凶弾と化した。「!」不意の飛び道具に目を丸くしながらも間一髪、しかし本体は先の逃げ腰が嘘のように、またしてもライボルトへの突撃を選んでいた。デジャヴに裏を感じつつ、正面六十度を灼熱に変える。
 回り込むのか、はたまたもう一度飛ぶか。多少違う動きをする程度なら見てからでもなんとかなる。いずれにせよ、こちらには対処がある。そう思っていた。

   は?」

 まったくの死角から炎の中を駆け抜けてきて、勢いの乗った至って普通のキックを、左下から顎に受けるまでは。
 鈍い衝撃、四十キロの身体はひっくり返って猛烈に吹っ飛んだ。首肩から落ちて一回転、痛ましい光景に反して四足はしっかりと着地した。

「言ったそばから火も通らなくなったか。あるいは」
「フゥー……アイチチ、いやまあ通らねえってほどでもな……と、通らないね!!」

 間抜けに見える主張にも慎重にならざるを得なかった。なにせ数秒前のハッタリもどきにやられている。
 ライボルトは考える。リアクションからして電気よりは多少効いている   炎を無力化することはできない、とすると、今この戦いで、……『変化』しているものは。

「…………、……ああ」

 それは、悦に浸ったときのような、自然と湧き出た声だった。遠い記憶が、呼びかけるように繋がった。己を律した峻厳から口元が緩んでいくのを感じた。
 そして   弾けた。

「なっ   

 閃光の如し蒼狼が体毛から火花を散らす。エースバーンのように無意識の死角を突いたわけではない、条件反射をも超える一瞬だった。目と鼻の先まで接近した、無効であるはずの“ほうでん”が、理解を見失った驚愕の声ごと飲み込んだ。

 焼け焦げた黒土のところどころから白い煙が上がっている。その荒地で、仰向けになった明色の白は、時折身体を痙攣させながら声帯を振り絞ってひたすらに無音を発していた。
 進めた歩から青い残滓が散る。

「思い出したぞ。“へんげんじざい(ジョウトかぶれの仏蛙)”が」

 ごく一部のポケモンのみが所有する第三の特性。その存在が明るみになってから、そう短くない。
 エースバーンの場合、生まれ持っていたのは広く出回っている“もうか”だったが、後天的に不可逆性のカプセルを投与されたことにより変化した。
 特性“リベロ”。使用したわざのタイプに順応し、そっくりそのまま同じタイプになるというもの。性質的には“へんげんじざい”と変わらないそれを、ライボルトは直前の行動から見抜いた。
 「うァッ」やっとの事で喘ぎ転がり、“かえんボール”で灼熱を低減した身体を持ち上げる。

「……ア、あーあ……。バレちったかぁ……」
「まだやるつもりか」
「当ッたり前じゃん……だって納得しないだろ、アンタ」

 つくづく嘘が下手だ、と思った。降参の二文字が半目の瞳に滲み出ている。だからこそ、諦めきれないのだろうと思った。その執念じみた性根を、ライボルトは知っている気がした。
 「そうだな」再び稲妻形が迸る。終わらせるつもりだった。一歩一歩、ゆっくりと近づけば、今度こそ不規則な足取りで引き下がった。相手も気付いている、頼みの“すなかけ”も、度重なる火炎に焦土へと変えられ、すっかり使い物にならなくなっていることを。このターンで終わらせ『られる』ことも。

 水色の後脚が地を蹴る。迷いのない前進だった。纏ったプラズマは既にドーム状に展開されており、未だ食い足りぬと膨張しつつあった。雷球と化した獣が、獲物を狩りに、疾る。
 最大出力の雷撃が、輝き、拡がった。
 一か八かで上空を“飛び跳ね”た兎を、獣は見逃さなかった。必殺を免れた高度から重力に引っ張られるまでの間なら、止めを刺すだけの電力は再充填できる。正真正銘、「詰み」である。
 墜ちろ、と呟いた。真っ青な波が地上から歓迎する。見下ろす地獄が、最後の風景になることすらエースバーンは覚悟した。「羽」の単位とも数えられたその兎に翼はない。

 エースバーンは、自然と足を振りかぶっていた。

 それは脳まで麻痺してしまっていたからなのかもしれない。俯瞰して見た“ほうでん”は、どこか過去に数回使っていた技と似ている気がした。この身を滅ぼさんとする電撃が、かつての技の逆再生にも思えて   とにかく、論理は説明がつかない。
 本能から湧いた刹那の長考は過ぎ、差し出したひこうタイプの足先は、ついに容赦無く飲み込まれる!

「っっッヅアああああッ!!」

 初めて弱点として受ける電気技の威力は想像を絶していた。骨肉、細胞の一つ一つまでが、細切れにされていくような激痛。自ら文字通り足を突っ込んだが故に逃げ場がない。これが頭から落ちたのであれば一瞬で終わっていただろう、全身の拒絶反応が意識までも容易に奪おうとしていた。

 金に輝く被毛の下から、冷たく、赤眼は覗いていた。

 いつだって希望が打ち砕かれる瞬間は見ていて心地よいものではない。
 目に付く立場だったがため、返り討ちにされる表情を何度も見ることになったが、加虐心なぞ微塵も湧いたことはなかった。眼前の彼も同様、自らの電気に焼かれ、悲痛な声を上げ、ただただ哀れでしかなかった。瞼が重く感じた。心苦しさも覚えた。息苦しさすらも   
 ……この、圧迫感は?

 ハッとして見上げる。映ったのは、この世の法則を無視して、まるで曲芸師のように爪先で雷球を踏み続ける白兎の姿だった。ジグザグ波形の表面で、何かが擦れ合うみたいに火花が散っていた。

    反転している……!?

 己を覆うプラズマがいやに弾け始める。ふわりと浮いたままのエースバーンの、小さな足の甲と接点とが、癒着し、赤みを帯びてゆく   
 『順応』し切った身体に、電球は害でなく武器だった。

「ぅぅぅおらあああああっ」

 纏わり付いた電気はじわじわと宿主を変えて、ついにはその過半数がライボルトを蝕む強電圧へと変貌する。外皮から体内へと通電し、中心へと濃縮し、自ら発した雷電が、自らを焼き焦がしていく。
 黒煙を放ちながらも、なお健脚は力強く球体を蹴り飛ばした。

「いぃぃいエ、“エ・レ・キ、ボォォォォォル”!!」

 放電ポケモンを封じ込めた赤色の雷球は、不思議なくらい物理的に緩い弧を描いて飛んで岩壁に直撃、乾いた破裂音とともに爆発霧散した。
 山肌から滑落するようにライボルトはずり落ちた。

 真っ白になりかけた頭を揺らし、エースバーンは両膝から崩れる。やった、のか? 首をガクンと落とし、肩で呼吸をした。

    きっと、旅立ちには納得してくれないのだろうな、と思った。
 達成感も何もあったもんじゃなかった。自分の実力に自信がついたどころか、ただ不安が募るばかりだった。この先、今みたいに何度も命がけの戦いをするのだろうか、と。
 彼の方が正しい選択をしていた。
 正しい選択に、付いていくべきではなかったのか。
 いや、あるいは、彼が真に望んでいたのは。




   忌々しい」

 それは、あるはずのない声だった。
 疲労も厭わず素早く顔を上げた。立っている。鼻から尾の先まで、逆立てた体毛の下には幾多もの擦り傷を覗かせて。確かに、ライボルトはそこに立っていた。

「試す必要などなかった。その気になれば、いつだって潰せた」

 冷酷の眼に滲むは黒い感情か。一歩ずつ、重圧を乗せて近づいてくる様に、へばり切った背中を起こさずにはいられなかった。「まーだやる気か……!」よろめく半身には嫌でも満身創痍を覚えざるを得ない。

 ひゅう、と風が吹きつけた。
 “でんこうせっか”と見紛う一瞬の距離詰め。手負いという条件はお互い様のはずなのに、未だ言い訳の通用しない機動力だった。せめて気持ちだけは、と遅れて蹴脚を振る、運良く進路上を切ったはずだった。ライボルトは攻撃するでもなく、真横を通り過ぎていった。すり抜け、た?
 すっかり燃え尽きかけた闘志に熱が戻り始める。ここまで必死に抗って負けるのは御免だった。エースバーンは素早く振り向こうとして   
 ふと、重心を失って、ぐらりと倒れた。

「……! …………!?」

 己の限界を見誤ったわけではない。ただ、身体が異様に重い。咄嗟に地を付けた腕ですら   そこまで思い惑って、その身の『異様』を理解した。
 枷、だ。
 比喩でもなんでもなく、四肢の首にはめられていたのは、よく見た水色にそっくりなリストバンドらしき物体だった。
 “すりかえ”たその水色を、恐る恐る見上げた。
 一段と細くなった足から、腫れ上がった腱が姿を現していた。

「冗談だろ」

 思わず笑いがこみ上げると、視界からライボルトは消えていた。

 怒涛、だった。目の追いつかない速度から、背へ、脇へ、胸へ、爆風のような雷波に削り取られていく。何処に居ようが掴めず、何処からでも襲い来る。時ごと置いてかれたかのように、それらを全て無防備で受けるほかなかった。反射的に動くことを、(おもり)と、いつ患ったかすらもわからないまひ状態が許さなかった。
 やがて立つことも、否、四方八方からの威力に「立たされ」る程に打ちのめされると、俊足は横滑りで手を止めた。

「お前の負けだ」

 吐いて捨てるような宣告が、そのまま叩きつけられるように、白兎を前のめりに崩した。
 沈黙と戦火を洗い流すかのように、清涼な風が一つ吹いた。地に伏した後ろ姿から煙と砂埃が攫われてゆく。

「なんてことのない、どこにでもいる野生のポケモンにお前は負けた。お前は何も、守れない」

    土擦れの音が、した。
 青輪に縛られた控えめな腕が、何かを掴むように伸びている。肘を曲げて上体を浮かせ、しかし胸を打った。少し焦げた頬を上げて薄目を開く。薄汚れたアンクルウェイト   『パワーアンクル』の、なおも色褪せていない部分に、負けられない理由を一つ、見出したような気がした。

「違う……」

 痺れの残る腕を、背を、腹を、足を。散らばってしまったものを身体の中心にかき集めるように、背を丸め、膝を付き、腕で支え、腹で起き、そして、膝を立てた。

「アンタは、捨てられてなんかいない」

 刺すような冷視が、一度跳ねた。「……何の話だ」完膚なきまでに潰したはずが、未だ這い上がってくることが、一変神妙な口調を切り出してきたことが、不気味でないはずがあるものか。

「おかしいと思ってたんだ。あんだけ捨てられたヤツがどうとか言ってたクセに、人間のことをちっとも恨んでなかった」

 無意識にマズルが開く。

「あン時『手を出すな』って言ってたのも、恨んでるかどうか訊いてきたのだって、ただ生きるのに必要だからってわけじゃないんだろ。……きっとまだ、アンタは信じてる」

 ライボルトは四肢を僅かにずらした。足裏が、いやに冷える。朝凪にも似た静寂が、責めるように佇んでいた。

「オレもそうだったからわかるよ。たぶん、愛されてたんだと思う。けどアンタは、いつもそれを隠してるみたいだった。思い出すことが辛かったのかわかんない、まるで後ろめたいことのように、そう、だから   

 ボロボロの身体から、しかし芯は通して言う。

「だから、何かから逃げてんだ、アンタは」
「それ以上」一段と低い声が遮る。「口を開くな」

 忽然と、影が消える。
 空気中を震わせて、唸るような音が聞こえた。上空を不自然に漂う黒雲は疑ぐりようもなく偶然の産物ではなかった。代弁するような稲光と轟音の威嚇が、遠くから睨みつけている。
 エースバーンはそれを見上げもしなかった。動因は考えずとも理解していた、何より言葉が、次から次へと溢れんばかりに止まらなかった。

「……ご主人の元に帰りたいって言った時、アンタが心配したのはオレのことじゃなくてご主人の方だった。顔も知らないのに、迷惑のことばっか心配してた」
「やめろ」

 震えた声が制止を訴える。

「アンタも主人のことが好きだったんだ、一緒にいたくて、まだやり残したことがたくさんあった。その願いは今じゃどうしようもなくて、たぶん後悔してる」
「黙れ……」

 湿った風が吹く。暗雲が蠢く。

「だからっ、アンタがここで()ろうって言ったのは、その後悔を生み出さないため、自分にない力を持ってるか知りたくてっ。だから、アンタはッ   


   アンタは、守りきれなかった」
「黙れッ!!」


 一閃。

 光速に追随する億桁の電圧は、時として災害になりうる。木々を燃やし、文明を嘲笑い、生体を即死させるだけの威力。ライボルトが狂気のうちに落とした災いの“かみなり”は、淀みない殺意を表すかのように真っ直ぐ落ちた。

 故に(・・)エースバーンは光速を超えていた(・・・・・・・・・・・・・・・)

 悲鳴じみた慟哭が上がった瞬間、その機を狙っていたかのように、拘束具と痺れを乗せた体躯は、ふと、軽くなった。そして、地を刺す爆轟とともにライボルトの眼前へと現れていた。その原理が、跳躍によるものか、はたまた魔法だったのか、理論以上に現実は狼の目を奪った。
 背後の雷光へ抗うような、黒い気が白兎の輪郭を覆っていた。体軸を預けた短い左腕からの“ふいうち(サッカーパンチ)”。駆ける以外の用途を持たないはずの前足を、イレギュラーの筋を盾に受けきる。
 それだけの肉薄だったからこそ、逆手から来た右足に気付くのは遅れた。種族柄、本命はこちらで、必ず捌かねばならなかった。
 風圧が、肌身に迫る。

 結論から言えば、対処は可能だった。大技の反動はあれど、軽く避ける程度なんてことない。屈むなり退くなり、好きな方を選べばいい。

    だから、何かから逃げてんだ、アンタは。

 ああ。
 そうだ、俺は。
 俺は、まだ逃げている。満たされていたあの過去から、夢を認めた瞬間に十字架を背負ってしまうことを恐れている。生に罪を覚えて、ここにいる。
 また逃げるのか、と、記憶の隅っこでちっぽけな勇気が呟いた。
 だから避けられなかった(・・・・・・・・・・・)
 見透かしか(うそぶ)きかを考える間もない、ただの曖昧な一言と、共に過ごした追憶と、感情に任せた一撃と、この、「王手」とが、劇的に繋がって。そして、全てを察した。

(ああ。そうか。俺は   

 既に負けていたのだ、と。
 飛沫と宙を舞いながら、可笑しいくらいの穏やかが、胸の内で小さく微笑んだ。




アマヨシ ( 2022/07/30(土) 23:00 )