雷焔一閃 - 雷焔一閃
10.雷焔一閃(1)

 迎えた朝は、特別の欠片もない、ありふれた日常をなぞっていた。白みがかった明るさの頃に、見張りの消えた果樹から律儀に三つだけ貰って、目覚め出したハトーボーの鳴き声を聞きながらそれを食す。
 それからしばらくを、二匹は何も語らうことなくじっと過ごしていた。昇る太陽、動き出した住人たち、大自然の営みが滞りなく進んでいく様を、ジオラマでも見るように俯瞰していた。互いに無意義な時間とわかっていながら、たぶんそれしかやれることがなかったのだと思う。最初に四肢を折りたたんだライボルトでさえ、思案のために時間を取ったようには見えなかった。
 ふと、四つ足が立ち上がった。「ついてこい」伸びもせずに颯爽と崖から飛び降りる。エースバーンもゆっくりと腰を上げて真っ直ぐ背伸び、断崖を前に、一度住処へ振り返った。毛むくじゃらの粗末なカーテンの奥に、オボンとウイが仲良く並んでいる。生活感の色付きに小さな満足と寂しさを覚えつつ、ひとつ鼻を啜ってから高台を落ちた。
 案内の先は、毎日のように通っていた巨人の帽子方面とは真逆の、げきりんの湖の北側にぽつんとある小丘だった。緩やかな傾斜に八本の石柱が花開くような円環状に並び立ち、かつての文明の跡を思わせる土色の地肌を道なりにいけば、切り立った展望からナックルシティの城壁がこれでもかと大きく見えた。
 「この世界はクソったれだが   」語末が、後ろへ離れていく。

「生きるだけならそれなりの年は越していける。何よりお前にはその方法を教えた。だからこの箱庭で、お前は一人でも十分に天寿を全うできるだろう」

 悠々と、しかし重みのある足取りに、エースバーンは慎重に続いてゆく。

「お前は   帰ると言ったな。主への迷惑も顧みず、だが努力はして最善を尽くすと」

 「……ああ」歩く背中に低く返した。

「嘘なんかではないのだろうな、ああ、わかってる。だが俺は確かめなくてはならない。俺自身の意志を、曲げないためにも」

 幸い準備はできている   不敵に笑うよう付け足した一言に、“プレッシャー”と対面した時を思い出させる強張りを覚えた。思考の隅に置いてあった無いという違和感(・・・・・・・・)。思わず足を止めて目だけで見渡す。異様に静まり返った若草に、稲妻模様の黒染みが所々走っている。
 それは、そう、つまり。理解した途端に、よく馴染むスタジアムの空気が、一瞬、鼻腔を流れた気がした。

「さあ、証明してみせろ」

 振り返りながら言ったライボルトと、エースバーンとの二間には、図ってでもいたのだろうか、シングルバトル開始前の距離がしっかりと置かれていて。

「総てを賭して、守り切れるだけの力を」

 だからこれは多分、どこまでも寡黙な彼が望んだ唯一のわがままだったんじゃないかと   後になって思った。

 全身に迸る電子。殺意に満ちた眼光。
 戦闘の合図は、答える間も与えずに無防備を襲いかかった。


「ちょっ待て、オレ、ぁ」

 迷いなき俊足の猛進が対話を切り裂く。
 目で追える速度だった。認識が追いつかなかった。咄嗟に飛び退けたのは僅かに残った獣の本能か、ほぼ同時に半球状に広がった電撃をすんでのところで躱す。「やっ……!」口を挟む猶予を潰すように、飛び道具の勢いで“ほうでん”は立て続けに肉薄する。今度はエースバーンの対処も早かった。背面の断崖へ追いやられる前に、ストライカーの名に恥じない足技(フェイント)、大きく片側へ寄った瞬間を縫うようにして抜けた。
 弾ける閃光の中、後ろを睨む横顔に揺らぎはない。踏み込んだ前足を軸に折り返してすぐさま標的を視認すると、しかし追い討ちの足はブレーキをかけた。
 発火した石ころを右足の甲に乗せて、引きつった表情の白兎が構えている。

「な、なあ待てって! オレやるなんてひとことも言ってねーんだけど!」
「そんな理屈が野生相手に通用するとでも?」

 「くっ……!」もどかしさが前歯に出る。止むを得ないかと聞かれれば違う、きっとライボルトは戦うことを自ら望んでいるのだ。直後に飛び出した、その僅かに開いたマズルには隠し切れない高揚すらも感じた。
 半端に燻った炎弾がやや高めのボレーから打ち出される。頭部を狙ったそれは、人型がやるような斜め屈みで往なされる。軌道を舞った鬣が地に着く前に、蹴りのフォームから戻り終えていないエースバーンへと急接近、不味った! ゼロ距離の電撃はそんな顔色ごと白く塗り潰した。条件反射のように大きく仰け反って弾き飛ばされる。
 背中を打って尻もちから起き上がろうと、だが追撃は手負いを容赦なく潰しにかかる。直立を諦め踵で地を蹴った、小さく浮いた土の破片が雷波に焼かれ焦塊と化す。体勢を回復しても、苦々しく顔を歪めることしかできない。
 ワンパターンな“ほうでん”の連続が、攻撃への躊躇など関係なしにただただ脅威だった。持ち味の素早さで張り付きながら広範囲の電撃を放つ。迎撃も反撃も許さない、特殊技が自我を持って追いかけてくるようなものだった。

「……」

 ふと、動きを止めたライボルトが、先までの荒々しさから冷然を取り戻すようにして言った。

   指示を待っているつもりか」
「!」

 短く息が漏れた。遅れてきた鈍い衝動。敵前にも関わらず、突き飛ばされるように振り向く。

「お前自身の意志でやれ、ここを出ると決めたときのように。それが出来ないのなら、せめて本能でもぶつけてみせろ」

 晴天下の虚空が、冷たく見下ろしていた。
 戦闘は得意だ、とエースバーンは自負しているつもりだった。種族柄の強さだけでなく、経験や実績からも指示への反応速度や身体の動かし方も、それなりに出来る方だと思っていた。
 だからこそ。一方的に追い詰められている今、身に染みて感じたのは、力量差よりも『個』として何をすべきかわからないという、あまりに無力な現実だった。

 「……っ」反論代わりに大きく踏み込む一歩。いきり立って、しかし断線した思考に続く行動は見出せない。拒絶にも似た制止が、ライボルトの突いた図星を復唱している。
 青顔が一気に広がった。
 言うことを聞かない己に迷いを覚えていたからか、その技とも名称しがたい“突撃”を理解したのは、胸の下に衝撃を受けて撥ね飛ばされてからだった。
 慎ましい二の腕と肩で大地を受け止め、なお来る追撃。今度は迷う暇もなかった、転がったまま鋭い蹴りを一発掲げる。咄嗟に引かれたためかすりもしなかったが、起きるだけの隙は作れた。
 一瞬の対面に、あらゆる考えが巡った。兎にも角にもあの電撃をなんとかしなければ、なんて、リザードンに火気を止めさせるくらいには無理がある。頼りの飛び道具は絶え間ない連撃の前で、仮に放てたとしても律儀に受け止めてくれるだろうか。相打ち覚悟で“とびひざげり”するか、先の咄嗟の反撃みたいなまぐれの方が勝機に近しい気すらした。
 なんとかすることは、正直厳しいのだろう。

 前傾姿勢から攻撃を誘う。空気の弾ける音。素早く身を引く、雷球はそれを追いかける。脱兎の如く背を向けて逃げる。
 壁際へ詰められる構図の中、白光に混じって赤い火花が散った。
 打ち上がったそれにライボルトは一時目を奪われたが、正面へ戻る必要はない。   崖を蹴り登ったエースバーンが、浮かんだ小石に宙返りで接触していたのだ。
 交差する視線、青狼は笑う。
 逆光に陰った赤眼と白毛。足先から吹き出た炎が影ごと焼き尽くした。暴力的なまでに見下すオーバーヘッドシュートは、進行方向から横へと踵を返した対象とはまるで別の地面に墜落する。「やべっ」次いで重力に捕まった兎の足に肉食獣は無慈悲に食らいつき、首を振って地に叩きつけた。
 呻きと縛り目の隙間に、仲良く跳ねる砕け砂が見え   

「悪くないッ」

 が、空から落ちてきた最後の足音は思慮の猶予など許さず。ジオラマのように止まった視界の奥、着地した前足にピントが合う頃には手遅れだった。四肢が陸上に揃ったのを合図に、水色のドームはたちまちエースバーンの全身を巻き込んでゆく。声にならない悲鳴が上がった。雷波が過ぎた後で慌てて引けた腰で逃げ出す若兎。炎タイプの肉体を焼かれる感覚に確かなダメージと末恐ろしさを覚えた。
 「フン」背中を上気させる相手を見遣り、ライボルトは鼻を鳴らす。どこか得意げを隠すようだった。

「相性が悪かった、と言えばそれまでだが」

 じわり、と王手をかけるように一歩ずつ。

「ハンディキャップだからといって何かが許されるわけでもない。あるのはただ『やるかやられるか』だけだ。……だが、敢えて言うのならお前はよく   

    パチン、と、火の音。
 次の瞬間には跳び上がったエースバーンが“かえんボール”をボレーシュートで打ち出していた。迫る狂気を狼は一糸の焦りも見せず躱した。抉り捲れる大地。ゆっくり向き直ると、「まだ、終わってねえ」両足の伸縮運動をしながら、潰えぬ闘志が静かに燃えている。
 強情な、小さく零して、稲光が再び吼えた。

 風の咳き込むような音と共に肉薄するは青電。それを、決して軽やかとは言えない動きでエースバーンは避け続けた。PPを枯らせばあるいは、なんて考えは筒抜けか、技に含まれない体当たりや噛みつきを織り交ぜた狩猟者のスタイルで確実に仕留めんとばかりに苛烈な猛攻を仕掛けられていた。またも不定の半球状は襲い来る。横を素早く駆け抜けてすれ違い、ヒールリフトから低角度のボレー、ライボルトの数十センチ隣に爪痕を残した。
 一進と十退の攻防、やっとの思いで返した一手も地を掠めるばかり。往なしも読まれれば無被弾とはいかなくなる。噛み跡へ滲む赤に消耗が表れていた。
 しかし、戦場には変化が訪れていた。
 蛇行で追い詰めながら“ほうでん”を撒き散らすライボルト。少し溜めを挟んだのち、健脚はそれを大きく飛び越えた。着地によろめきが見えた、動きが鈍ったところへ衰え知らずの殺意は追撃にかかる   が、
 「……、」思わず足が止まった。迷わず行動を選択していた獅子が、ここにきて逡巡を覚えた。そして、弧を描いて接近すると、相手もそれをわかっていたかのように逆側へと走った。
 お互いに『足元』を意識していた。

「そろそろ鬱陶しいとは思い始めていたが、成る程」

 ひび割れ、隆起し、破片の散らばったフィールドは元からそうであったわけではない。エースバーンが隙を見て繰り出していた火球が、なだらかな傾斜を少しずつ削っていたのだ。

(はな)から足を奪うことが狙いだったとしたなら中々に考えたものだ。少しばかり遅かったがな。もはやその身で、勝機なんかあるはずがない」

 ライボルトは口角を上げた。感心と得意げの入り混じった笑みを見せて、やっとの足掻きに許しすら与えようとしていた。
 エースバーンは諦観するように息をついた。

 惜しいな(・・・・)とエースバーンは思った(・・・・・・・・・・・)

 足場を荒らせば、痛み分けという形とはいえワンサイドゲームから多少ワンチャンスを掴める可能性は上がる。   が、あくまでそれだけ、活路と呼ぶには『その先』が足りないのだ。
 相手やコートは、どうにしかしようとしてできるものではない。
 なんとかするのは、やはり厳しい。
 だから、

 なんとか、『なる』しかない。

 一直線に駆けた。近づくことさえ困難だった相手へ、自棄ともとれる真正面からの突撃を試みた。迫る白にライボルトは目を丸くしたが、手慣れた帯電は十分に間に合う。無慈悲で一方的な電撃が彼を迎え撃とうとしていた。
 寸前、大きく踏み込まれる左足。振りかぶった利き足はシュートの姿態。プラズマが術者を中心に広がる中、繰り出した一蹴は空を切り   否、「!」本来真っ平らの道であった地面から出土した砂をかけた。

(目くらましか、だが)

 薄目に霞んだ視界、迸る静電気から雑音を探し出す。前方は風景、素早く振り返りながら入ってきたのは小石の擦れ音、ぼんやりと映る影がみるみる広がるのを認め、弾き返さんと蓄電を放出した。
 やっと見開いた片目には、しっかりと、紛れもなく、荒れ狂う電気に全身を揉まれるエースバーンの姿が映り   

   は」

 背中から吹き付ける風、止まりかけた呼吸、遠のく、地面。
 ライボルトは、打ち上げられていた。

 “ほうでん”の残り香が立ち込める地上、エースバーンは振り上げた足を何一つ淀みのない動作で戻し、宙で慌てふためく逆光気味を追いかける。狙いを定め、バッカー顔負けのヘディングで派手に叩き落とした。人形のように地を滑り、青と黄の毛並みが砂に汚れる。
 「ば……」首をもたげ、無傷のほのおタイプを見遣る。「馬鹿な、なぜ」掠りなんてものじゃない、足先から頭頂まで最も手痛い電流を通せたはずだった。それでも、今そこに立っているのは、渾身の反撃を見舞ったのは、決して強がりや我慢によるものではない。『効いていない』。その事実にたどり着くと、ますます混乱した。あまりに未知だった。
 ふうう、と顔を拭いながら一息、師を見下ろして、やっぱり、と頷いた。

「やっぱりそうか。いやホントは賭けみたいなもんだったけど……順応したんだ、身体が。だからもうたぶん、電気技は通らねえ」
「……お前、そのツラで“へんしょく”だと」

 へんしょく? 疑問形で返した兎は遅れて自身の口を塞いだ。……堂々と電気耐性を宣誓した割にタネ明かしはしたくないらしい。

「と、ともかく! あんだけ厄介だった“ほうでん”も効かねえから、なあ。ここらでもうやめにしないか?」

 異物感にくすんでいた赤眼に光が戻る。「やめ、だと」黄砂に塗れた身体を起こすと、稲妻の化身の喉元は赤熱した。細長のマズルから、真昼を照らすほどの火炎が吐き出される。地面を焼きながら迫る橙をエースバーンは驚きながらも横へ避けた。なおも薙ぎ払うように追従され、逃げつつも火元へ向かえば、今度はあちらから退いた。目が合うと、場に緊迫が戻った。

「命の奪い合いに、降伏などない」




アマヨシ ( 2022/07/30(土) 22:35 )