当日
遂に迎えた当日。
天気は快晴。夕景に陰らない薄雲が空の色に溶け込んでいく。街灯が一斉に点き始め、世界を覆う闇の中に人影を映し出す。
「「「「「ハッピーハロウィーーーン!!」」」」」
タマムシシティに入った工藤たちを出迎えたのは、屋内と見紛うほどの狂騒と熱気だった。
雑踏を往く人々のほとんどはこの世ならざるものの格好をしており、しかも噴水広場に限らずあらゆる場所に人混みが出来ていた。
「すげえ……」
「いやァ……すごい」
タマムシハロウィンは初めてだという二宮は勿論のこと、一年ぶりに仮装行列を見ることになった工藤までもが異様な雰囲気に圧倒されていた。ムム太はまだボールの中だが、これだけの大衆を前に縮こまらないはずがない。
「もう行くか?」
「ええ!?」
「もう位置に着くか!?」
「おう! てか空いてんのコレー!?」
バクオングも声負けの喧しさでは隣とのコミュニケーションも一苦労。二人は別れて、以降はスマホでやり取りをすることにした。
工藤の定位置はデパートの隣、タマムシマンションの二階の廊下だ。会場の様子を見渡せる場所でボールからガーベラを出しておく。そんなところに居ていいのかとは思うが、実のところ訴えられれば不法侵入が適用される可能性がある。なので、せめてもの迷惑にならぬよう通行の邪魔にならない端を選んだ。
二宮はその真下、マンション前の壁沿いに寄りかかっている。幸いにもハロウィン参加者のほとんどは舗装された道の中心を歩いてくれているので、多少派手に動いても直接ぶつかることはない、はず。余裕あるスペースに工藤はホッと一安心した。
「ガーベラ、くろいきりを展開」
早速、最初の工程に入る。指示を受けたガーベラはノズル状の右腕から薄黒いガスをばら撒く。これは二宮の提案だった。タマムシの空に黒霧を浮かべることで後の動きがバレないようにするためである。
普段は視界を奪ったり、霧の性質で相手の能力を戻すのに使われるが、霧自体が認識されないようにするためにはガスを薄くする必要があった。裏で徹底した食管理がされていたことを二宮は知らない。
徐々に、ほんの少しずつタマムシが暗くなってゆく。日の沈む時間に合わせたこともあって、ごく自然な暗転を見せた。
十分ほど経過して。
9D:
『そろそろいいか?』
一富士二宮三茄子@ハロウィン:
『いいかんじ』
9D:
『了解』
工藤はスマホをしまい、ガーベラへ次の命令を出す。
「ガーベラ、クリアスモッグ準備。照準合わせ」
本番は第二工程からだ。しろいきりの代用としてクリアスモッグを使用する。こちらは工藤が出した提案。先のくろいきりは、クリアスモッグの発射元が外から見えないようにするためだった。
ただし、扱うのはガス部分のみであっても、クリアスモッグ自体は質量のあるヘドロだ。だから、下で待機している二宮のタイミングが重要になる。下手をすれば、本当に警察沙汰だ。
落ち着かない様子で、一度ポケットに入れたスマホをまた握った。
9D:
『クリアスモッグ充填完了。いつでも』
一富士二宮三茄子@ハロウィン:
『さんくす』
流石に失敗できない場面に直面すると嫌な緊張が身体中を走る。それは多分、二宮も同じだ。トリを飾るムム太も、右腕をだらんと下げたガーベラも、恐らくは。
「ガーベラ、緊張してるか」
「だぁ?」
「気の抜けた返事だな……」
「ダ〜」
「こいつ」
主人を気遣ってくれていると、好意的に受け取ることにしたが、本望はおおよそ散らかったゴミに向いているのだろう。この、こちらの気もしらずに。しかし手に籠もった力が少し抜けたのもまた事実だった。
深呼吸ついでにため息をつき、手すり部分に両腕を乗せて手の甲に顎を置く。くろいきりの隙間からチラつくハロウィンの様子を眺める。マスクを付けて礼儀正しくヘコヘコ頭を下げる男、肌寒い季節には厳しい露出高めのコスプレ女子。どこか憎らしげにパトロールに従事する警官、祭りとは何の関係もなさそうな土曜出勤のサラリーマン。
その中に、見覚えのある輪郭の、訝しげに辺りを見渡しているところが一瞬映った。
使命感に駆られたように未だ通知のこないホーム画面を開き、指で半ば乱暴に液晶を弾く。
9D:
『おいいまいけるか』
一富士二宮三茄子@ハロウィン:
『めっちゃ手ふるえてる』
9D:
『人は』
一富士二宮三茄子@ハロウィン:
『いないけどまって時間ほしい』
いないのならば。
9D:
『十秒後に発射する』
一方的にそれだけを送信して、端末をポケットにねじ込んだ。
どうせいつまでも燻ったまま動かないつもりだろう。なんだったら、無理にでも突き落としてやる。自分でも恐ろしくなるほどの強引だった。
「ご」
ガーベラの背中に手を当てる。「もう撃つぞ」の合図のつもりだったが、通じただろうか。彼女は振り向くことなく、ただ眼下にじっと集中していた。
そして。
「に、いち……発射!」
一際大きく言うと、ノズルで三分割されたとは思えない、どデカい白濁が、二宮の一歩前を狙って投下された。
小麦粉をかき上げたような白煙。
だが、ガーベラの仕事はこれで終わりではない。
「サイコキネシスで固定しろ」
ゴミ捨て場のボディに神秘的な青白い光が纏わりつく。広がった白は霧散することなく、弾けたままの姿で、ピタリと動きを止めた。
ここまでがガーベラの動き。残りは二宮
ムム太に賭けられた。
信じていた友人に突如裏切られた二宮は、残された十秒でボールの準備と覚悟を決めなくてはならなかった。後者については諦め、震える手でムム太の入ったモンスターボールを握ろうとするが、手元がおぼつかず、絵面としては「突然焦り始めた上に霧が直撃した哀れな人」に見られてしまったのかもしれない。
真っ白な世界にムム太が現れる。最初の動きはこごえるかぜで冷気とクリアスモッグの特殊な鎮静成分を飛ばすことだ。祭りのテンションで盛り上がっていた若者たちを黙らせる、これは工藤のアイデアだった。上でガーベラが霧を押さえつけているので、煙幕自体が散ってなくなることはない。
そうするとハロウィンを楽しんでいた人たちは、まず怪異に目を向ける。
「なんだあれ……」
「な……何かの演出よね?」
ご名答。
周囲の注目を集めたところで、ガス中から現るは、
(ムム太、くろいまなざし……!)
ぱちくりと。巨大な黒目。
目の前に、明らかに正気じゃないものが、まばたく。
この技が恐ろしいのは、いくら恐怖しようと足が動かなくなるところにある。つまり効果が働いている間は、どれだけ青ざめさせようと、観客に(こちらの)心ゆくまでホラーを堪能してもらえるのだ。
やがて目玉が引っ込むと、若者たちはひとときの安心を覚える。が、それはあくまでひとときである。次の瞬間には次の恐怖が待っているからだ。
オオオオオ…………!
地鳴りのような音が、低く、不気味にタマムシに響く。見えないものは人々に不安を与える。それを工藤と二宮はよくわかっている。
霧の中から、ぼやけた光が二つ。濃霧のヘッドライトのように浮かび上がった赤白い光は技のあやしいひかりだ。光加減をミスすると一気にチープな電灯と化す。たった二日で、そのさじ加減をムム太はマスターしたのだ。
霧が、怪物の姿を形取る。この時点でハロウィン参加者のいくらかは逃げ出していた。
そしてフィナーレ、怪物の心臓部は深く息を吸い、ポケモンよりもずっと恐ろしい、人間の成れの果ての声で、叫ぶ!
ウオオオオオオオ!!
街に悲鳴の大合唱が響き渡った。蜘蛛の子散らすかの如く人々が逃げ惑い、喚き散らす。するとムム太を覆っていたクリアスモッグの中心部分のみが綺麗に霧散し、そこから何かが飛び出した。
血みどろの生首がタマムシを縦横無尽に駆け回る!
続けざまに襲い来る怪奇現象は、もはや現実化した悪夢だった。「むうう♪」あまりに愉快な光景に、生首は笑い声を上げた。
コオ・リポーテで二宮が目を付けたのは、人間用のホラーフェイスだった。それだけではただのパーティーグッズだが、これがムム太にぴったりフィットするサイズ感だったのである。本来ならこれ一つでタマムシに駆り出すつもりだった。
以上が『俺たちの10月31日作戦』の演目でした、とのところで、未だ視界が白い二宮は、ふーっ! と息を吐き出して、冷えた手でひび割れた画面をスワイプする。
一富士二宮三茄子@ハロウィン:
『うまくできたかな』
9D:
『最高』
「そりゃよかった……」
緊張から解き放たれた二宮は、その場にへたり込んだ。
「……あれ。…………やばくね」
いい仕事をした相棒を撫でている時だった。すっかり見えるようになった噴水周辺を見ると、何やら似たような服を着た集団が、トランシーバーへと忙しく口を動かしたり、ウインディを連れて歩き回り始めたりと動き出していたのだ。
警察だ。
まずい、そう思ってスマホの電源ボタンを押す。ホーム画面のロックを解除する時間も惜しい。緊急通報の機能で直接二宮へ連絡する。その間に何もわかってなさそうなガーベラをボールに収納し、すぐさま階段を降りていく。
ブツ、と繋がる音。
『おー、もしもし』
「逃げろ。警察動いてる」
『え!? あっ……』
いつものアホそうな声が途絶える。その代わりに、遠くから聞いたことのない大人の声が入ってきた。何を話しているかはわからない。が、直後耳に入ってきた二宮の小さな「すみません」という一言から、薄々感じていた予感は現実となった。靴の擦れる音。その間、工藤は口を押さえられたかのように言葉を発することができなかった。
だけど、ここで通話を切ったら。捕まること以上に、もっと大切なものを失うと確信する。
息を吸い込み、ここに共犯がいるぞとアピールしようとして。
『あーあーわりぃ、置いてってくれ』
「……え?」
ザザッ、とノイズを最後に残して、通話が切られた。
パチン、とボールペンの芯が引っ込む。
「なるほど。テロのつもりではないと」
「ウィッス……すんません」
「でもね、君のやったことはいけないことだから。わかる?」
補導された二宮は交番で取り調べを受けていた。無機質で、喧騒の元がいなくなったことで益々静かな空間だった。だけど、周囲の大人が一切味方になってくれないであろうことを思い、親しき友人のように情で物を言えないのが苦しくて仕方なかった。
事情のほとんどを話し終えて、処分を待っている時だった。
「巡査部長、彼の共犯者を名乗る者が」
「え」
目の前のふくれっ面が顔を上げると同時に、二宮も思わず声を出した。
眼鏡の警官に連れられて控えめに頭を下げたのは、他でもない工藤だったからだ。
「お前っ、置いてけって……」
「あ、ああ……いや、その、気になっちゃって」
「ええー……?」
親切にも眼鏡の警官がパイプ椅子を持ってきてくれて、工藤は二宮の隣に並んで座った。
ため息をついて、巡査部長らしき人は太ましい手を頭に当てた。
「友情は美しいかもしれないが、現実はそれで許されるほど甘くないんだぞ」
ごもっともだ。まさしく、今の自分たちに最も必要な言葉だと思う。世の中に「仕方のない」事情を抱えてやらかした人も、許された例はないはずだ。
無駄かもしれないとわかっていても、二人はひたすらに頭を下げて謝った。……あれ、条例には引っかかってないはずだよな。ふと工藤は思い出す。その辺も警察側の裁量で決められてしまうのか。まあ妥当ではあるか、と一人納得する。
「巡査部長!」
「なんだね」
またしても、眼鏡の警官から声がかかった。不機嫌そうに答える巡査部長。この不機嫌を自分たちが作り出したと思うとなんだか申し訳なくなる。
するとその後ろから、スポーツマンなガタイの警官が、二人も知っている姿の男を連れ出してきたのだった。
「あのオッサン……!」二宮が静かに衝撃を受ける。
「一昨日の窃盗事件で指名手配されていた男です。どうやらこの青年たちの悪戯に驚いて腰を抜かしていたそうで、たった今確保したところです」
ボロボロの厚着に欠けた前歯。八日前に路地裏で絡んできた時と全く同じ風貌の中老が、引きずられるように連行されていたのだ。
『ハロウィンを楽しむ若者たちを狙う魔の手』
いつぞやのニュースを思い出す。あの犯人は、この男だったのか?
男はもう一つの椅子に座らされ、カチャンと軽い音を立てて手錠をかけられると、それきり死んだように動かなくなった。
「十八時三十九分、窃盗の容疑で逮捕」
テレビ以外で見る、予想よりずっと呆気ない逮捕劇を、二人はポカンと口を開いて見ていた。
「彼らは?」
だが、そんな顔をしていられるのも今のうちだけ。次は自分たちの番だった。
「む……。……まあ、そうだな」
巡査部長は二人の顔を睨んで、その後別席のうな垂れた男を見遣った。そして深く鼻息をつくと、二宮がするように頭を掻いて、もう一度こちらを睨んで、口を開いた。
「今回だけは寛大処分に留めてやる。お手柄だったなんて思うなよ」
そうして、いくらか謝って、反省の姿態で交番を出て、クチバで二宮と別れてからのことは、あまりよく覚えていない。
ただ、あまりに大きなことをやったのだ、と思って。
何かの夢だったのでは、と思って。
たった一つ、気になり続けたのは。
満足したムム太を見て、二宮は本当に幸せだったのだろうか。