8日前(3)
自動ドアが開いて、コンビニから出た二宮はボールからムウマを繰り出す。昼食選びに随分と悩んだそうで、工藤は待ち時間に弄っていたスマホをしまって立ち上がる。適当に一言交わして歩き出した。
ゲートを通って、朝ぶりの六番道路。こっちの空気の方がいいな、とか、落ち着くな、とか、何気ない会話に花を咲かせる。しかし、その中で二宮がふと零す。
「さっきのオッサンさ」
「……ああ」
「多分だけどさ、昔は俺らみたいに普通にバイトしながら生きてたんじゃねえかなって、思うんだよ」
「どうだろう」
「……俺らもああなるのかな、って」
工藤は黙った。
考えてもいないことだった。あんな横暴で勝手な存在が自分たちと同じものだなんて、正直認めたくない。
レジ袋の揺れる音が沈黙を肯定しているようで、耳に障る。
「俺さ。あ、あんま深刻に受け止めないで欲しいんだけど」
「……」
「今の人生、捨ててもいいかなって思ってんだ」
「ダメだろ」
今度は即答した。だが、向こうも「いや、」と速かった。身振りを構えて、講師のように力説する。
「あのね、違うんだ、」
「何が」
「ほら、俺らと違ってちゃんと定職あって、ちゃんとした人生歩めてるヤツらっているだろ? 俺らはダメだけど、でもそいつらの手伝いは出来るんじゃないかって」
「人生捧げろって?」
「まあ、そんな感じ」
「アホらしい」
吐き捨てるように首を振る。中学生がパッと思いついたような人生論だった。
腹が立つ。一周まわって人生を無価値と呼ばれたことが腹立たしい。あんな浮浪者に友人が諭されてしまったことが腹立たしい。あんなヤツに、
いつかは、なってしまうのだろうか。
ぴたりと、煮立っていた憤りが熱を失う。
『俺のこと馬鹿にしただろコノヤロウ』
恐ろしい剣幕と共に発せられた言葉が思い出される。咄嗟に否定したが、本当は図星だった。心のどこかで、負け組だと思ってしまっていたのだ。
否定したいと思ったのは、こうは落ちぶれないと信じる自己を守るためか。だとしたら、自分はあの中老と肩を並べられる域にまで十分至っている。
だが少なくとも、この男は、二宮は、腐っていないと言い切りたい。
「前、俺ん家遊びにきた時」
「おう」
「調べてたんだろ。ムウマのこと」
「見たのかよ」と頭を掻きながら、彼は悩ましげに口を結んだ。呼ばれたと勘違いしたのか、ムム太が工藤の方を向いた。
十三日前。トイレから戻ってきた二宮は、ハロウィンについて書かれたページを、スマホごと手渡してきた。その際だったのだろう、触れた指の誤操作で、タブが全て見える状態になっていたのだ。碌に整理されておらず、タワーマンションばりの積み重なりようだったが、一つ前に開かれたページはムウマの生態についての記述だった。履歴に残るということもあって開かないでいたが。
用足しが遅かったことを尋ねてあの反応だったので、二宮の帰宅後、工藤もムウマについて検索をかけてみたのだ。
そして、ぴったりあの時の状況と一致する図鑑説明を見つけた。
『おどろかせることが いきがい。 くびの あかいたまに みみを あてると なかから ひめいが きこえてくるぞ。』
「だからハロウィンでビビらせようとか、ああ、今日だってバトルの才能がどうとか言ってたな」
「……うん。だからコイツの生きがいを、俺が手伝えればいいなって」
二宮の言う「そいつら」というのは、ムム太個人のことだった。
滑稽な話だ。図鑑の記述一つで人生の意味を塗り替えられるなんて、よほどの馬鹿だ。二宮はよほどの馬鹿なのだと、工藤は思った。
「二宮」
「なんだ!」
「勝手に捨てんな、人生」
「おう……」
「お前がダメっつったら、お前が今まで関わってきた人たちまでダメになる。無駄にしないでくれ」
「わりィ」
「ムム太なんて見てみろよ、ただ買い物に付き合わされただけなのにずっと楽しそうにフワフワしてやがる。生きがいどうこう考えてるように見えるか」
「……あんまし見えねえかも」
「だろ?」
二人の少し先を行くムム太は、飽きずに色々なリズムで、まるで踊るかのように漂っていた。お前の話でもあるんだからちょっとは気にしてくれと思う。
二宮は再び頭を掻く。して、小さく吹き出して、言った。
「ごめんな」
「なにが」
「いやまあ……なんだ。お前に会えて良かったよ」
「キモいな。俺も刺激もらえたし良かったよ」
たとえ本心でも、いざ面と向かってそう言われると気恥ずかしかった。工藤までなんだか頭が痒くなってくる。
潮風の香りが鼻をつく。自宅が近づいてきている。一時はハロウィンに参加なぞ正気を疑ったが、思いつめて自分を見失っていたのなら、そしてそれが解消されたのなら。時間は使ったが、必要経費に見合ったオチのつき方でよかったと、ほっと安堵した。
「もうハロウィン行こうとか言い出すなよ」
「え?」
「え」
「それとこれとは別だろ。俺らはやるぞ? ハロウィン」
「え?」
「え?」
母音と疑問符を押し付けあって、開いたままの口で固まった。
港の旅客船の汽笛が、二回響いた。