8日前(2)
コオ・リポーテ。水色のサンタ帽を被ったナイスフェイスなコオリッポがロゴになっている総合スーパーだ。通称は「コーリ」等。カントー地方の都内には店舗が複数あり、工藤たちはクチバシティから一番近いヤマブキシティの店舗へ行くことにした。
どんよりとした空模様の下、六番道路を歩く二人と無邪気に宙を泳ぐ一匹。ガーベラは必要な時以外はあまり外に出たがらないため、今は腰の紅白球に収まっている。
二宮が唐突に話し出す。
「そういやお前ん家行く途中でさ、野生のスリープが出てきて戦うことになって」
「出るみたいだな」
二宮の家はシオンタウンの郊外にある。そこから工藤の住むアパートへ行くためには十一番道路を通らなくてはならない。近場ということもあって、工藤も出現するポケモンの種類は把握していたし、もちろん戦うこともあった。
「最初はセンター寄ることになるだろーなって思ったんだけど、コイツ思いの外強くってさ。もう一方的にたたりめでボコボコにしちゃったんだよね」
「やるじゃん」
「そう。意外とバトルの才能あるのかなって」
並んでふわふわと浮くムム太の頭を二宮がさすると、「むぅ!」と笑顔を浮かべて、怪しい光のように二人の間を八の字に飛び回る。
「トレーナーやってたら稼げたんかなあ」
しみじみと夢のような話を口にして、「ま、無理だろうけどな!」と自分で否定した。
将来の話は、その大抵が希望を持てない結論で幕引きしてしまう。なんたってわからないのだ。わからないものに対して先行するのはいつだって不安の方だった。
世間からは若者と呼ばれても、想像していたより残された時間が少ないことは、あっという間に過ぎた数年が証明している。
ビル群の入り口を前に、二人はそれ以上は語らずに歩いた。
絶え間なく、ざわざわと、人間の音が耳を覆う。
木を隠すなら森の中、ビルを隠すならヤマブキシティ。実は提案した二宮もここの店舗へ足を運ぶのは初めてらしく、似たような建築物たちからコーリを見つけ出すのには多少の時間を要した。誰が呼んだか、流石は「人口のジャングル」と称されるだけはある。
見る者を圧倒する陳列量の商品棚の迷宮を抜けて、エスカレーター横のフロアガイドをチェック。分類ごとに表記されるとわかりづらいな、と思いながら一階層ごとに指でなぞっていくと、その先の一点を二宮が指した。『パーティーグッズ』。これか、と呟いて、今度は工藤が手慣れのように、狭くて速い都会のエスカレーターに先行した。足がまごついて躓きかけた。「なにやってんだよ」と笑われて、苦笑するしかなかった。上から下へ流れてくるとりどりの階に少し心を躍らせながら、やがて目的の場所へ着く。
「やっぱ仮装といえば化け物系かなあ」
「ミイラとか」
「ミイラセットあるな。試着できるらしい」
コスプレ系グッズのコーナーには、人間が着用するもののみならず、様々なサイズや種族を想定したポケモン用も販売されている。一部はオーダーメイドで作ってもらえるが、その場合値が張るので自作が大半らしい。
また、店内でポケモンを連れて歩くことは禁止されているが、コンテスト用の服等のため試着室が設けられており、商品選びの相談の際などにはボールから出しても良かったりと、融通が効く規則となっている。
丈夫そうなつくりの包帯は
霊体にも対応しているらしく、早速二宮が呼び止めた店員に頼み、案内された個室へムム太と一緒に入っていった。
その前で工藤が待つこと二分。
がらがら、と引き戸が開かれて、出てきた二宮はササッと工藤の隣に並んだ。次いで現れたムム太は、痛ましいほどに全身を包帯でグルグル巻きにされていて、俯き加減で苦しげに呻きながらフラフラと近づいてくる。二人の正面で止まったかと思えば
急に顔を上げて、目をかっぴらき、生き霊の怨嗟が悲鳴する!
「かわいい」
「かわいいな」
渾身の演技に対して、同時に出た感想は無慈悲なものだった。諦めずに何度も驚かそうと不気味な声を上げるが、それ以上の反応が得られないとわかると、「むぅ!」とほっぺたを膨らませて試着室の隅へ飛んでいってしまう。「あオイごめんて!」追いかける主人。学習しないな、と思いつつも自身も共犯だったことに気付き、工藤はそっと戸を閉めた。
試着用の包帯を店員に返して、再び仮装コーナーへ。
「アレだな、グロいやつの方がビビらせられるかも」
「出血系?」
「うん。その、こう……はらわた出てたりとか、目ん玉飛び出したりとか。叫ぶだろ、お祭り中にそんなん出てきたら」
「ムム太にキモがられる喜びを教えてはいけない」
しかし現状、「最恐のムウマ」を生み出すに当たって、それを越えるアイデアが浮かびそうにないというのもまた事実だった。血肉滴るデザインのホラー商品たちを前に悩む二人。そこで何を思ったのか、二宮が人間用のパーティーグッズの棚に行こうと提案する。その内の一つを手に取って用途を説明すると、工藤はつい吹き出して「なるほどな」と納得した。
こうして買い物を終え、コーリを出た二人は立ち止まって一息つく。
「それで? ウチで付けてみるか」
「そ、お、だ、なー。後は…………あ、下見行こーぜ下見。近いし」
「なんの下見」
「どっから出れば一番ビビらせられるか」
「そんな場所ねえだろあそこ」
「うるせー別にいいだろ、飯の時間も近ェし」
言われて、ポケットからスマホを取り出し確認する。正午手前、昼食にはやや早い気もしたが、混み合わない方が工藤としては正直助かった。そう考えると、曖昧だった下見という動機も不思議と説得力を帯びてくる。
つまり、色々と都合が良かったのだろう。友人のありがたい提案をわざわざ断る理由もない。出発したときよりも少しご機嫌斜めになったムウマを連れて、通勤で見慣れた隣町へのゲートを抜けたのだった。
行き交う若者たち、街宣車、一人演説を続ける広告塔は誰にも届かない。洒落た雰囲気の店に、ちょいと脇目をやれば薄汚れた路地。改めて、同じ都市でもこれだけ雰囲気が変わるものかと実感する。
「あの辺だな」と工藤が噴水を指差す。
「わかんの? ……あーいや、そうか職場か」
「去年も何人か捕まってたよ」
繁栄の象徴でいき過ぎた祭りによる逮捕者が出るとはなんとも皮肉な話だ。今でこそ待ち合わせや弁当を食べるために腰掛けてる人が数人いる程度だが、来週には無法地帯となる。
一年前の帰り際に見たタマムシハロウィンの様子を思い出しながら、閑散とした噴水周辺に群衆の像を足していく。どこにいようと人目を避けることは不可能に見えた。
「ムム太を出すなら、デパートの横辺りとか」
「あそこか? うわ、なんか入りたくねーっつーか……入っていいのかあれ」
「むう?」
「いいんじゃね。俺も正直不気味だけど」
工藤が示した場所は、マンションとデパートの間、路地裏のような空間だった。不衛生な色味のコンクリートに、投げ捨てられたペットボトルがいくらか散乱している。人が入るにはやや狭そうだが、死角はほとんどないだろう。
人波の流れに逆らって、見向きもされない暗闇へ向かう。
覗いてみると、確かに死角はほとんどなかった。
「……」
故に、こちらからも気付けなかった。壁に沿って寝転がっていた中老の男と、目が合った。
「……あ? なんだテメエェ」
「すんません」
同じく覗こうとした二宮を、手を伸ばして「待て」と催促する。すっと顔を引っ込めて、何事もなかったかのように背を向けた。
「おい」
しかし、逃すまいと後ろから圧するような低い声が、工藤の足を止めた。ここで振り返らなければ騒ぎになる可能性だってある。見ると、いつの間にか立ち上がっていた男が、ボロボロの厚木を引きずりながら近づいてきていた。
「なんですか」なるべく平静を装いながら工藤。
「おまえいま、俺のこと馬鹿にしただろコノヤロウ、あ?」
「いえ、その、路地裏に興味があって」
「あァ!? ざけてんじゃねえぞコノヤロウ!」
欠けた歯が見え隠れする口から唾と臭気が飛び散る。飲んでる、二人は確信した。常識が通用する相手ではない。
男は今にも掴みかからんとする勢いだ。工藤のボールがガタガタと震える。ムム太は二宮の首裏に引っ付く。肝の座った人間は当然のこと、正気じゃないならなおのこと怯えて当然だった。
いよいよ工藤がガーベラのボールに手を伸ばそうとした瞬間、
「あの、俺ら急いでるんで!」
二宮に手首を握られ、「行くぞ」と目配せしてきた。わざわざ言われなくたってわかる。二人は全力で走り出した。またしても後ろから何か聞こえた気がしたが、今度は振り向かなかった。ヤマブキシティへのゲートへ一直線。
ドブと排気ガスの香りをたくさん吸って、抜けた先はやけに静かな気がした。弾む呼吸が、うるさい。
「……は、はは。あー、おっかな……」
「……。め、飯……どうする」
「いあ……いい! コンビニ寄って、食お! お前ん家で」
「はっ、はは……賛成」
逃げ切った安心感と、疲れて回らない頭のせいで、二人は意味もなく愉快に笑った。
振り回されたムム太だけは目を回していた。