11日前(2)
そうして十日後、現在。
『てなわけでだ、お前にはムム太の仮装選びを手伝ってもらいたくて』
冷えたジャージに足を通す。まだ震えるような季節ではないが、ここの更衣室には暖房がない。静けさも相まって嫌な体感温度だった。独房だってもっと人を丁重に扱ってくれるのではないか。
肩から手に持ち替えたスマホへ、工藤は眉をひそめながら言う。
「俺からはまず参加を取りやめてほしいんだけど」
『いやもうそこは決定事項なんだ』
「なんでだよ」
明らかな不満を声に乗せると、二宮は言葉を詰まらせた。ザザッ、むうむう、ああー今大事な話してっからごにょごにょ……代わりに聞こえてくるのは賑やかな生活音。再びぶつけたようなノイズがして、戻ってきた二宮の声は音質の悪いヒソヒソ声だった。
『あーあー、すまん邪魔された』
「うん」
『この前家行った時にハロウィンの話したじゃん。あれからアイツずっとフルスロットルでさ』
「フルスロットル?」
『めっちゃ元気というか、すんごい上機嫌なんだよ』
「後に引けなくなったと」
『そうそうそうそうなんだよ! だから、』
ガガッ、声が途切れる。遠くから『あっコラ返せ!』と情けない飼い主の怒鳴りがした。これは長くなりそうだと判断して、工藤は通話に使っている腕から上着を通すことにした。その間にも端末からは玩具みたいにポケモンの愉快な声が聞こえてくる。
ビビらせよう、か。二宮の野望を反芻する。タマムシハロウィンは競技でなければ志が統一されているわけでもない。ただ騒いで盛り上がるだけの祭りみたいなものだ。……それにしたって、ビビらせるというのは主旨が違くないか? どうも工藤の友人はハナから祭りに便乗する気はないらしい。
そんなことを考えながらファスナーを上げていると、左手から『もしもーし!?』とお呼びがかかってたことに気付く。
「悪い」
『だいじょぶだいじょぶ。ともかくさ、今週そっち行こうと思ってんだけど。休みって金と土だっけ?』
「ああ。よく覚えてんな」
『んじゃ金曜休み入れるわ。丸一日使って考える予定だから』
「午前?」
『うん。まあその辺は後で連絡しよう』
『むむう!』
が、またしても二人の会話にムム太の晴れやかな声が乱入。どうやらこれ以上は向こうが持たないらしく、用件も伝え終わったとのことで『じゃあな!』と口早に通話は切られた。
「…………マジか」
耳から離した画面に映るは『通話終了』の四文字。スッと切り替わった風景写真のホーム画面が、嵐の去った後のように静まって見えた。
ひょっとして、自分も引き返せない段階へと道連れにされたのでは?
籠もった息を吐き出す。肌に張り付いた空気が妙に冷たく感じた。そして、電話越しの声に温度があったのだと気付く。
やけに寒い更衣室にいる今、その暖かさは恋しくすらもあった。
「……ハロウィン、なあ」
スマホを上着のポケットに入れた。肩掛けのスポーツバッグを被るように下げて、部屋を出る。
工藤は人が苦手だ。それらが集まる場所はもっと嫌いだ。そうしたものを避けるように生きてきた身だから、知らない世界に興味がないかと問われれば嘘になる。一応、今回は二宮という相棒もいる。細い希望に賭けるしかなかった。
人気のない通路に足音が響く。早速安心感を覚えてしまう自分が嫌だった。職員用のドアに手を伸ばして、しかし振り向いて、誰もいない職場へ、控えめな声量で言ってから退勤した。
「お疲れ様です」