21日前
それは十日前の事。
メッセージアプリでの何気ない会話の流れで約一年ぶりに再会することとなり、工藤の住むクチバシティの賃貸へ遊びに来た時の話だ。
ワックスでふんわりと仕上げた茶髪の青年
二宮は、高校時代の友人で、何故か卒業後にも付き合いがある数少ない一人だ。赤点ギリギリの成績と粗暴な物言いが目立つ、パッと見は典型的不良だが、授業中に怒られていた記憶は片手で数えるほどしかなく、多分根はまともな人格者なのだと思う。一年次に前後の席同士で喋り始めてから、かれこれ六年は経つ。
そんな、今となっては旧友である二宮との現状報告も大方済み、話題も尽きてきたところで、隣室に手持ちのポケモンを遊ばせておいて、二人は昼下がりの映画番組をテーブルに肘をつきながら見ていた。
「あーーー……そうか、今年ももう二ヶ月か」
ふと、ポテトチップスへ伸ばした手を止めて二宮が呟く。袋の口は完全に向こう側に開いていて、それに気付いた工藤を見かねてか、肘を着いた手でひょいと袋を回転させた。二、三枚と欠片しか残っていない。「いいよ」と同じ手で小突いて返す。
「歳食ったなってか」
「やめろォやめろよぉ!! ……いやそうじゃなくてさあ、これ」
「なんだよ」
面倒そうに工藤が聞くと、二宮は机に寄りかかっていた腕を崩して、ポテチの隣に置いてある新聞の間から、少しだけ顔を出したチラシを半分ほど引っ張り出してみせた。
『ハロウィンセール 食卓を賑やかに!
お肉や野菜が20%オフ 〜10/27から10/31まで〜』
どうやら突拍子もない感慨は、このタマムシデパートの広告から呼び起こされたものらしかった。映画を見ながら菓子頬張ってるヤツの観察力じゃないだろ、と思う。余計なものを掘り出して勝手に傷心しやがって。オレンジ色に縁取られたチラシを乱雑に元の隙間へ戻した。
ボリボリと咀嚼して満足そうに鼻息をつくと、二宮はまた肘を置いて、テレビに目をやりながら言う。
「忙しいだろこの時期」
「ゴミ出るからな」
「あー」
「デパート周りの清掃やらされる」
「……マジ?」二宮が手を頭に当てながらこちらを向くと、工藤も同じ動きで「マジ」と答える。
「まあ、言うて一日だし」
「いやー、でも人が散らかしたモンを片すってなんか、ヤじゃね?」
「接客よりずっとマシ」
「いんやーーー接客のが楽だって絶対! お前もやってみろよ」
口元を綻ばせて、工藤は首を振った。「やれよォ」とケタケタ笑う二宮。
高校を出た二人はそれぞれ別の道を進んだ。工藤は定職に就かずタマムシデパートの清掃アルバイトを続け、二宮はデザインの専修学校を卒業して現在はフリーターである。
二人は漠然とした将来を抱えた若者だった。
「どうした」
映画内の銃撃戦を、重量感のある足音がかき消した。首を回して畳部屋の方を見やると、灰褐色にチョコスプレーを塗して緑色の覆面を被ったような巨体が仕切りに半身を隠してこちらを覗いていた。
ゴミ捨て場ポケモン、ダストダス。工藤の相棒は図体の割に引っ込み思案だった。
「ガーベラ、ムム太は?」
「ありゃ。アイツまたどっかに隠れたな。ちょっと手ェ洗ってくるわ、あとションベン」
ガーベラの返事を待たず、二宮はスマホをジーパンの尻ポケットに入れてリビングを出ていってしまった。一応ムム太の主人なのだから何があったかは大体察せるのだろう。念のため相棒の顔色を伺うが、特にそわそわしている様子はない。
工藤は手を伸ばして、自分より高い頭を撫でながら呟く。
「二度手間だよな。手洗って小便したら、また手を洗わなくちゃならん」
「だぁす?」
「ああ悪い悪い……女の子に聞かせる話じゃないな」
「ダァ」
目を細めて低く唸るガーベラ。一見不機嫌を表しているように見えるが、これはリラックスしている時の声だ。過ごした時間で言えば二宮よりずっと長いのだから、それくらいは人と話す感覚でわかる。もしかすると一緒に遊んでいたムム太が突然いなくなって寂しかったのかもしれないな、と工藤は思った。
ガチャリ。ドアノブの音と共に、スマホを弄る二宮と、風船みたいな膨れっ面を浮かべたムウマ
ムム太が戻ってくる。用を足すにしてはそこそこ長かった。
探すのに苦戦したのか。ムム太のムスッとした表情の意味も知りたく、工藤は尋ねる。
「どこにいた?」
「ん、便所」
「トイレ? なんだってそんなとこに」
「そろそろ頃合いか、って思ったんじゃねーの? トイレに先回りしてビビらせようとしたみてえだけど、まあ大体読めてっからさ……つまんない顔して追い出したらめっちゃ機嫌悪くなった」
「先回りって」
「意外と頭回るよ、コイツ」
そう言って二宮は浮遊する小さな霊体に触ろうとしたが、ぶんぶんと首を振るように手を払われ、「むう!」と鳴いてすぅーっと押入れの襖をすり抜け消えてしまう。思わぬ知性に感嘆させられる反面中身は拗ね子で、まるで人間の児童を見ているようだった。変わらず画面に夢中の主人に「いいのか」と問うと「まあ」と曖昧な返事。ガーベラはこちらと畳部屋をいくらか交互に見て、のそのそと襖の前に行った。
それより、と差し出してきた端末には、彼らしくもない文字ばかりの画面が映っていた。
「ハロウィンのコスプレって、バケモンとかをビビらせるためにやるらしい」
「知ってるよ。常識だろ」スマホを取りながら工藤。
「あれ?」
「もっと起源とかそっちの話しろよ。例えばこう……元はカボチャじゃなくてカブ使ってた、とか」
「マジで」
ほらここ、指で示しながらスマホを返す。「うわあホントだ!」と子供みたいな驚き方をしてケラケラ笑った。なるほど、『おや』がこうならポケモンに子供っぽいところが移るのも納得である。……その反応こそムム太に見せてやるべきだったのでは?
「……それ調べてたから戻ってくんの遅かったのか」
「え? ああーーー、うん。まあ」
なんだか歯切れの悪い答え方だった。二宮の隠し事は性格柄か表面に出やすい。そして、工藤の疑ぐりもまた顔に出やすかった。コミュニケーション強者も堪らず反射的に目を逸らす。が、咄嗟に露骨な驚きの表情を作って話題を戻した。
「これ、ポケモンも仮装できるんだってよ」
「何の話だよ」
「タマムシだよタマムシ」
そう言って見せられたのは、工藤が最もこの世で忌み嫌う非公式イベント、『タマムシハロウィン』の画像検索だった。端末を嫌々受け取って適当な一枚にタッチしてみる。派手なピエロの格好をしている男の隣に、顔を付けたマシュマロ形状で尻尾を囲って控えめにヒトモシを主張しているリザードが無表情で写っている写真だ。なんでポケモン側だけちょっと貧相なんだよ、と心の中で無意味な文句を垂れながらスライドすると、今度は関連画像に人間大にまで膨らまされたヒラヒラ服のプリンが見えて頭が痛くなった。
他にも妙にリアルなオドリドリの被り物をした全身タイツの男だったり、胸の谷間にスコップ付きの指人形を立てた女、異様に肌色の面積が多い男は案の定モザイク編集をかけられていて……。
「住む世界が違う……」
先の受け答えから数段落ち込んだ声で工藤は首を振った。視覚情報から得た感想に驚嘆は微塵もなく、排気ガスを継続的に吸い続けたような、ただただ気分の悪さだけが残った。ぐったりと顔を伏せながらスマホを渡す。二宮は苦笑して机の横に座った。
「隣町だけどそんなに違うか?」
「隣町はシオンだろ……」
「ヤマブキじゃね」
「ヤマブキだったわ……」
「まあ四捨五入すれば同じようなもんだし」
「人類皆兄弟みたいなこと言うな」
「お前と兄弟はなんか違うなあ」
と、ヤドンでも困惑するような頭の死んだ会話をしていると、ふと、向こうの部屋からガーベラが視線を寄越していることに気付く。少し身体を傾けて覗くと、襖に半身を埋めたムム太と目が合った。ぎょっと大きくなる瞳孔。工藤が口を開く前にそそくさと押入れに籠もってしまった。
「ムム太が見てた」
「ん? ……ああ、アレだ。タイミングがわかんねンだな」
「タイミング?」
怪訝そうに訊くと、百聞は一見に如かずとでも言いたいのか、二宮は直接は答えず、代わりに首を後ろに回して息を吸い込んだ。
「ムム太ぁー、仮装してびっくりさせるイベントだってよー!」
狭い部屋に接客で鍛え上げられた声が響く。二人と一匹はじっと押入れを静観する。すっかり忘れられてる映画はクライマックスを迎えているが、彼らからすればBGMどころか環境音止まりだった。
すると、間を置かずしてジト目のムウマが襖から浮かび上がってきた。「ほらこれ、見ろよ」二宮が手元のスマホを指差す。ポケモンの視力はわからないが見えない距離だったのだろう、渋りつつもするりと抜けて、ふわふわと漂うように近づいてくる。
そして
パッとスマホを手放し、両腕で抱き寄せた。
「うりゃあ〜〜〜! 捕まえた〜!」
「んむぅ!」
ゴトン! と心配になる音を立てて落ちた携帯に目を取られたムム太は、見事とも言えない二宮の策略にまんまと引っかかった。騙された上にグリグリと頬ずりまでされた彼の心境は如何に。しかしムム太は、苦しげな呻きこそすれど、主人の過剰ともとれる愛情を抵抗なく受け入れているように見えた。
二宮は顔を離すと、ちょっとだけ申し訳なさそうに微笑む。
「ゴメンよ。別にお前が欝陶しかったわけじゃないんだ。俺も負けず嫌いだからさ」
「むうう……」
「悪かったってば……あ、そうだよこれこれ、これ見……うわやっべえ割れてるぅーーー!? あーよしよし動いたわあっぶねえ!!」
スマホを拾い上げて電源ボタンを押すと、穏やかな表情から一変、あんぐりと口を開いて絶叫。画面に真っ直ぐ走った線は落とした衝撃で出来たものだった。その豹変ぶりが面白かったのか、先の不機嫌が嘘のようにムム太はキャッキャと胡座の上で喜んだ。
ああ、と工藤は納得した。
「仲直りか、『タイミング』って」
「お前と喋ってて話の切りどころわかんなくなるのと同じだよ。……ほらこれ見て、すげえだろ。お前もやってみたいか?」
「むぅあ〜♪」
「ムム太には穢れを知らないままでいてほしい……」
都会の残念なスナップの見本市みたいなものだ、変に憧れたりはしてほしくなかった。「なあ」同意を求めるようにガーベラへ頷きかけたが、何が、とでも言うように頭を傾けるだけだった。そうか、彼女にとってゴミは身体を作る食物みたいなものだ。実は密かにこのイベントを楽しみにしている一匹であると知る。工藤は一人置いてけぼりを食らった気分で部屋の隅へ視線を逃した。
「仮装かあ……」
瞳を輝かせるムム太を見て、画面の若者と睨めっこをしながら二宮はしみじみと呟く。
テレビには、簡略化された吹き替えのクレジットタイトルが独り言のように流れていた。
その後は中身のない会話がダラダラと続き(今までも真っ当と言えたものではないが)、夕飯どき前には短く別れを済ませて解散となった。