第43話 遠征メンバー発表
「んだぁーーーーーっ! よく寝たぜーーー!」
「うっせえ」
「……んえ? もう朝礼?」
窓に曙光の色が見え始めてから小一時間。広場へ入ってきたポケモンたちの気配を察して、第一に目覚めの号令を出したのはフォシルだった。次いでアベルが飛ばした毒も寝起きのそれとは思えないよどみのなさだ。今か今かとタイミングを計っていたのだろう。一応形式程度に普段通りの起床時間になったはいいが、どんな顔で向き合えばいいのかわからない。……のは、エキュゼだけだったらしく。
「体も……ん、だいぶマシって感じだな。流石に加減はするか」
「焼きすぎてもおいしくないのかもね」
「どう見ても食用のくだりじゃなかっただろアレは」
フォシルたちの交わす会話に気を遣っているような部分はない。やはり、昨夜に彼らが起きていたような気がしたのは単なる思い過ごしだったのだろうか。エキュゼは肉球で目尻を擦る。時間の感覚がわからなくなって、今更ながら段々と頭の疲れから来る眠気に意識を侵食されつつあった。
丁度そんな時だったからこそ、視界の端に見えた大口を開いた紫色には、するべきではないと理解していても露骨に嫌な顔が出てしまった。
「お、おおおお起き、起きてんのか! あーーーそうかそうか! そりゃあいいことだーーー」
「大丈夫?」
ギルドの目覚まし役、ギガは、いつもと同じように部屋へやってきて一喝
かと思いきや、背中に“気合玉”でも突き付けられたかのような震えっぷりで、後半は台本に無い棒読みの世辞まで言い始めてきたのだ。ネイトが怪訝そうに心配するくらいなのだから相当である。
結局、異様な落ち着きのなさには言及せず、様子だけ見て回れ右、そのままうわ言のように「いいことだーー」と反復しながら朝礼へ向かっていった。
四匹は座りながら見合って疑問符を浮かべる。
「ど、どうしちゃったんだろう……ギガ」
「あ」
エキュゼの語末に重なる形でフォシルが短く声を上げた。
「そういや今日って……」
「えええーーーっ!?」「んや、まだ何も言ってねーんだけど……」
「……遠征メンバーの発表日、だろ」
フォシルとネイトのやりとりの隙間から、伏し目のアベルが腕を組んで不服そうに言う。「そうそれ、あんがと」代弁を受けて合点のいった様子のフォシル。ネイトが少し困ったように微笑んで、エキュゼは顔を逸らした。
皆がそうと断定まではいかないが、少なからずアベルは何か察しているようだった。やはり、本当はあの時誰も寝ていなかったのではないか。そういえば、今日がまさにその日であると、クレーンから正式に発表されたことはネイトにしか話していない。ただ、この流れで話す必要性は感じられないと、エキュゼは無言のうちに決め込んでいた。
「とりあえず、そうだな。……行ってみっか」
逆風の雰囲気で最初に立ち上がってくれるフォシルが眩しい。チーム一のやんちゃ男児で、同時に一番の大人でもある。前を向く強さを持っていて、けれども彼が今回の件で一番苦悩したのではないかとも思う。見かけ以上に多くのものを抱えているのだろうに、その責任感の強さからか泣き言の一つも言わずに先導役を買って出てくれる。
しばしの無言の後。うん、と遅れた返事をして、エキュゼは立ち上がった。
「ねえさあフォシルさあ」
広場へ乗り出す前に、ネイトが小走りで駆けてきた。ん、と首を回して赤目を向ける。関心を持って誰かを引き止めようとするなんて、彼にしては中々珍しい行為だった。その後ろから赤と緑が落ち着いた足取りで歩いてくるのが見える。特に心当たりはないらしい。
ふう、と一息ついてから、まっすぐな視線をぶつけるネイト。
「昨日言ってたさ、なに、ナンチャラ法? わかんないけど。それでアイツらをさ、えーと、遠征に参加させらんないようにすることってできないの?」
舌足らずでらしくもない早口だが、言いたいことは十分伝わった。要は脅しに留めず告発してしまえという話である。対するフォシルは「あー……」とばつが悪そうに頭を掻いた。一緒に足を止めたアベルは、確かにそうだな、とでも言いたげに、まるで親子の日常の一端のような光景を黙って見ていた。昨日の件に立ち会ってないエキュゼも、知らないなりに右に同じく黙することにした。
兄貴分、もとい父親分は苦笑して、あっさりとその訳を吐いた。
「あれな、実はハッタリだったんだよ」
「そうだったの!?」
反応までも徹底して子供の好奇そのものである。わざとらしいほどに背筋をピンと伸ばす姿には思わずアベルも口角を上げてしまった。
「大陸刑法だろ? あれ自体はあるし間違っちゃねーんだけど、どうやらオレたち探検隊だと先に別の法が適用されちまうみたいで……」
フォシルが言うには、探検隊絡みのトラブルにおける処理は想像していたよりもずっと複雑らしく。
軽い揉め事程度ならギルドの裁量で処置する決まりなのだが、これがある一定のラインを越えるものとなると司法行きなのだとか。その一定のラインなるものが何を基準とするかはフォシルもわからないようだが、過去の判例を見るに重傷から死傷のような相応な事件が主で、ただし特殊なものでは組織ぐるみの抗争やら、ギルド内での危険思想の布教などと色々あったよう。
故に恐らく、今回あった『ドクローズ』とのいざこざはギルドによる
つまりルーの判断で解決されてしまう可能性が高い訳で。
「こちらの言い分は聞き入れられないと」
「まー現状じゃそうなるだろーな。前のセカイイチの時に信用はあっちに傾いてるだろうし。せめてもうちょい話聞いてくれりゃあなー」
「理不尽、だよね……」
しょげるエキュゼを「そんなもんだ」とアベルは不器用に励ます。言い手が言い手なだけに適当とも取れてしまう言葉だが、あまり重々しく考えなくても良いという意味では正しいのかもしれない。
いまいち納得がいってないのか、ネイトは低めの声で質問を続けた。
「じゃあ、あっちがそれ知ってたらマズかったってこと?」
「いや? それだったらそれで普通にやってただろうけど……。てか、別に仕方なく付き合ったってわけじゃねんだ。オレも正直ぶん殴んなきゃ気が済まなかったし」
流石にあそこまで来て退こうという選択肢は無かったのだろう。最初はあれだけ真面目にやる方向性を強調していたフォシルも、今では声に躊躇がない。
「あーやっぱり? 僕もね、ドーン! てやんないともう、夜しか寝れなかったかもしんない」
「グッスリじゃねーか」
「俺はヤツらのビビったツラが見れただけで満足」
「主犯がそれ言っちまうのかよ」 その一方で発端は、遠征行かせないとか物騒なことを豪語していたくせしてこのボケようである。あまりの小物っぷりにツッコミのノリでありながらげんなりしてしまうフォシル。
対して、不服そうに眉を寄せたアベルが「気持ちは同じだったろうが」と追い打ちをかけた。確かにその通りなのだが、彼らしくもない、あまりにガラでもない台詞がなんだか可笑しくって。暗がりに淀んだ表情のエキュゼも、これにはつい吹き出してしまった。つられて、フォシルとネイトも肩と口元を震わせる。笑われた張本人は案の定そっぽを向いたが、意外と満更でもない様子だった。
微笑の余韻を残したまま、フォシルはまた頭に手を当てた。
「いやー……でもエキュゼ一人差し置いてあれこれやっちまったのは悪かったな。すまねー……」
そう、『ドクローズ』への復讐は全員の合意の上で決行されたわけではない。エキュゼだけは参加はもちろん、明確に賛同の意志を見せていないのだ。今更ながら勝手に総意として、遠征行きの切符が手に入る可能性を潰そうとしたことをフォシルは詫びようとした。そもそも、初めに「遠征に行きたい」と意欲を見せたのはエキュゼだ。
怒りを、亀裂を覚悟して縮みこむ。アベルとネイトも同様に申し訳なさを目元に浮かべた。が、
「え!? あ、ううん! 私もほら、内心やっちゃって欲しかったし、バルさんに頼んだのも……うん。結局空回りになっちゃったけど……」
「あ、あーそうか!? そうか! そうだった!」
予想に反して易しい返答だったため、妙に焦って謎の三段階認証で言葉を飲み込むフォシル。「ハハハ……」小狐は苦笑いで応対した。流し方がネイトへのそれとなんら変わらなくなっている気がする。
知らずのうちに比較対象にされた本人は首を捻った。
「あり? てことはみんな……」
「ほらみろ。だから俺は初めから奴らを潰すべきだと」
「アベルはやる気無かっただけでしょ!」「オメーの場合は最初っから諦めてたっていうかなー……」拗ね者には容赦なし。
ふう、とそれぞれ安堵するように息をつく。そして、顔を見合わせた。以前のような不安の陰りはだいぶ払拭されていて、代わりに何かをやり遂げた充足感のような面構えの変化が見えた。
「あのさ、」ネイトが口を開く。
「途中で意見が分かれたりしたけどさ、結局僕たちっておんなじ気持ちだったってことでしょ」
「共通の敵がいただけだがな」
「そうだけど。よかったんじゃないかなあ、これで」
遠征に行くことを、機嫌取りや真面目に取り組むことを正しいと思い続ける、ある種の固定観念が本当の気持ちを隠してしまっていた。無茶な作戦で依頼を遂行しようとしたのも、直々に制裁の手を下そうとしたのだって、元はと言えば『ドクローズ』への対抗心が作り出したものだった。チーム一丸となって立ち向かったという事実に異論はない。
最終日になって動き出した航路こそ、最初から全員が真に目指していた標だったのではないか。結果は伴わなくとも、間違いだと信じて避けてきた、しかし本心では釘付けになっていたその道を、最後は皆で歩めたのなら。黙々と眼前の課題をこなしていては、きっとこうして誰も打ち明けたりすることはなかったはずだ。
だから、これでよかったんじゃないかと。
うん、と一番最初に頷いたのはエキュゼだった。続けてフォシルが優しく微笑を見せる。アベルは相変わらずムスッとした顔で腕を組んでいて素直じゃなかった。
「……へへへ。あーなんか心なしかスッキリした気がするわ! なんだよ〜。オメーら最初から言ってくれりゃあ」
「い、いや……だって断られそうだったんだもん……フォシルに」
「お前さえいなけりゃあの日の帰り道にでも計画立ててた」
「ハハハ! オレのせいかよー! …………
あ?」
「僕もアベルに止められなければやれたと思うんだけどなあ」
「言ってろザコ」「でも一発でやられてなかったけ?」
「なんだと」「ちょ、ちょっと! 今イイ感じの流れだったでしょ!」
弟子部屋前の廊下で唐突に始まった仲間割れに、ツッコミ役の少女は悲鳴した。狭苦しい乱闘は広場にいた弟子たちも止めに入る羽目になったのだが、でも、それでもよかった気がした。包み隠さずにいざこざしている今が、幸せですらあった。
それから少しして。
広場には朝礼のため集まった弟子たちが、落ち着きなくそわそわとしながら待機している。皆の前に一番弟子こそ立っていれど、肝心な親方はまだ自室から出てくる気配がなかった。緊張の長続きに比例して愚痴を口走りそうになるが、クレーンの監視がある中で滅多なことを言うと選抜の結果に影響が出るかもしれない。とにかく息苦しい空気だった。
「決める側は気楽なもんだな」
と、早速皮肉を出した、いや出しやがったのは例によってアベル。じぃーっと刺すようなクレーンの細目があろうがお構い無しだった。見兼ねたフォシルが申し訳程度に小突く。「は?」とでも言いたげに黄金色の目が睨みで返すと、対岸の赤と目が合った。が、先の暴乱で腫れた頬をお互い見返して、二の足を踏むわけにはいかんと、何事もなかったかのように正面へ向き直った。
そんな二匹の後ろで、エキュゼが小さな口をふにゃふにゃと動かす。
「でで、でもじっさ、じっさいキンチョーするからは、はやくしてほしいなって、望み薄だけど……」
「ぬひょひょ、なんかエキュゼが面白いことになってる」
「とか言いつつお前も下半身ガッタガタじゃねえか」
バイブレーションを刻むエキュゼと、ついでに並ぶネイトも何故か気楽そうなセリフとは裏腹に足を痙攣させていた。「オメーはそんな緊張するタチでもねーだろ……」横棒に細めた目でため息混じりにフォシルが言う。
だが、そうは言っても、フォシルにも多少の居心地の悪さはあった。ちら、とさり気なく食堂側に目をやる。横揃いの弟子達とは少し距離をとって固まっている三匹組、『ドクローズ』の存在である。昨日一方的に蹂躙したことが気まずい、なんてことは全くなく、ただ単純に、選抜から落とされる自分たちの姿を見て嘲笑おうという魂胆が見え透いていて気に入らなかったのだ。視線を戻すと、アベルの眼光とすれ違った。どうやら目標は同じだったらしい。またしても目が合うと、バツが悪そうに眉を寄せて顔を前にやった。
一方でエキュゼは自分のことで一杯一杯のようで、誰かを気にかける余裕はなく、藁にもすがる思いでネイトに「どうしよう」をしきりに連呼していた。ヤツらに対して不安を覚えていないだけまだマシと考えたいが、相談相手としてはいささか頼りないのでは。ともあれ、こうなれば自分の出番である。最後のツッコミに付け足す形で、フォシルは「でもまあ、」と切り出した。
「正直そこまで心配する必要はねーと思うけどな。失敗ばっかに焦点合わせてっけど、それ以上にこなした依頼は多いはずよ。健闘した方だと思うぜ」
「ああ、そっか……。みんなで別れてやったときとか」
「そうそう」
確かに、取りこぼしもあって完遂率は百とはいかなかったが、それでも七割近くは達成している。消化した依頼の数を数えずとも、母数を考えれば相当な量になっていることは間違いない。フォシルの言葉でエキュゼはだいぶ落ち着いたようだった。流石クールイケメン軍師、士気上げはお手の物である。役を取られたアベルはクールに拗ねた。
頷きながら、ちょっと大人びた声調でネイトは語る。
「なんか、意外とあっという間だったよね。なんだっけ、十日間?」
「…………七日、一週間」少し考えてからアベルが訂正する。
「そーだよな! 思えば色々やったなー……」
「あはは……なんだかフォシルが言うとおじいちゃんっぽく見えるかも」
エキュゼが笑いながら言うが、生まれた時代から逆算すればトンデモ年齢である。推定、一億と六千五百万歳のおじいちゃん。
しかし、本当に濃密な一週間だったと彼らは思った。チームにフォシルが加入して、遠征の企画発表を受けて始まった初日の朝。個としてのパワーもさることながら司令塔として作戦を指揮したフォシル、陰謀に陰謀で対抗したアベル、実は仲間が知らないところでプレッシャーを与えていたエキュゼ。ネイトはさておき。
雲を見上げるようにして、ここ数日の間にやったことを思い浮かべる。
お尋ね者でストレス発散したり(30話)、
狭い通路で仲間割れしたり(32話)、
ルーの部屋で仲間割れしたり(34話)、
依頼の報酬を受け取り忘れたり(38話)、
ギルドの入り口を破壊したり(39話)、
私怨で復讐に行った挙句返り討ちに遭ったり(42話)、
弟子部屋前で仲間割れしたり(数分前)、
………………。
「…………あれ? オレら
まともなことなんもしてなくねーか?」
過去を遡って洗い出してみれば、何故か脳内を占めるのは暴虐の日々ばかりだった。思い出、と呼ぶにはあまりに汚い記憶の集合体で、ほんわかと夢想していた穏やかな表情には汗が滲み始める。しかも
半数以上は仲間割れ。その上まだここに上がってないやらかしもあるわけなのだから、懐かしむための振り返りがいつの間にやら通夜同然のムードへと変貌してしまっていた。
と、丁度そのタイミングで、両開きの扉が開き。
「やあみんな! おまたせ!」
ああ、あと十数秒早く来てくれれば。沈んだ空気に至ることなく朝礼を迎えられたのだろうが、かと言って恨むべきがルーではないだけに、振り上げようとした拳が垂れてしまったような気分だった。
親方プクリンは集った自分の弟子たちを一瞥すると、依頼用紙ほどの丸めた紙を小さな手で渡す。クレーンは水色の翼の先っちょで器用に受け取った。
「エー、では。昨日伝えた通り、これより遠征メンバーの発表を行う。呼ばれた者は前に出るように」
「つ、ついにこの時が来てしまいましたわね……」
「あ、あっしはもう、き、緊張しすぎて……アア……!」
「おお、オオイ! まだ発表前だろが気絶すんなアレス! わわわワシだってもうこんなにアアアアア」
皆が待ち遠しくしていたであろう努力の実りを確かめる時。フラなんかは人並みのリアクションに留まっているが、アレスやギガは永久凍土のど真ん中に放られたかのような壮絶な震え具合だった。そんな光景を冷めた目で見ているアベルを、三匹の仲間はさらに冷たく見やった。
一部が半狂乱とも取れる心理状態になっている中で、クレーンは確認とも取れる咳払いを一つ。
「……それじゃ、いいかな? まず一人目は
」
ごくり。生唾を飲み込む音を最後に、閑寂が緊張を上塗りする。
両の羽先でくるんと丸まった紙が開かれた。
「ギガ!」
「お、っしゃあ!!」
名前を呼ばれたギガは一瞬硬直したあと、大きな拳を二つ掲げて喜んだ。しかし相当精神的に参っていたのだろう、腕を下ろしたあとは人が変わったかのように深く息をつき、肩を落としながら前に出た。
それでもギガは強がりなもんで、明らかに弱っているところを見せつけたにも関わらず、いざ振り返って対面すると「まあワシが選ばれるのは当然だがな!」と堂々と言い出したのだ。先ほどまで隣で彼の醜態を見ていたフラとアレスは「よくいう……」とでも言いたげだった。
「エー、次。リッパ!」
「ヘ、ヘイヘーイ! なんとか選ばれたぜーーー! アアアア……」
「ガハハハハ! リッパのやつ遅れて緊張してるぞ!」
震える『怪力バサミ』を持ち上げて歓喜を叫んだリッパをギガが笑うが、到底笑える立場ではないことは周知である。ベージュのボディから生えた朱色の六本足は昂りを表すようにちぐはぐに笑っていた。
そういえば、この選抜期間にリッパの姿を見ていない。黙々と依頼に専念していたのだろうか。なんとなく軽そうなイメージがあったが、意外に堅実な性格だったのかもしれない。あるいは自分たちも
。そこまで考えて、エキュゼは首を振った。そんなものは結果論だ。
「次は…………お? おお?」
メンバーの続きを読もうとしたクレーンが目を大きくした。普段は堅物っぽいだけに、こういうらしくもない勿体振りが何故か自然に噛み合っているのがなんとなく悔しい。期待も膨らんでしまう。
そして。嘴を上げて、名前の主を向いた。
「なんと、アレスとエキュゼ!」
「え」
「ええ〜〜〜っ!? あ、あっしが遠征隊に〜〜〜!?」
先に呼ばれた先輩よりも一歩早く声を出したのはエキュゼだった。アレスが感嘆のブレス(シャレではない)を続けている横で、困惑と蒼白がごっちゃになったロコンの顔がハッと仲間の方へと振り向く。頼みの綱も似たような表情で迎えるが、それでも本願だったのならば、と男たちは無理に口角を上げた。
選ばれて、しまった。
今までの失敗は。新人が選ばれていいのか、そもそもチーム単位ではないのか。止め処なく流れてくる疑問への解は、考えるにはあまりに時間がなかった。
さあ前へ、そう促されるがまま、しかし惜しむように後ろへの視線は外さず。表現しようのない感情に名を付けるのなら、「わからない」が正解なのだろう。見えないなにかに引っ張られるようにしてエキュゼは前に出た。
朝礼を聞く側では見ることの出来なかった光景。多くの目がこちらに集まってきて、視界の端にいる『ドクローズ』はどうでもよくて、逃げ場を求めて見慣れた顔に行き着く。少し遠いネイトたちは、開いた距離がリアクションの難しさをそのまんま投影しているみたいで、目が合うとぶきっちょにはにかんでくる。エキュゼもぎこちなく笑ってみた。
お互い、喜ぶ
ふりをしていた。
それは無論、是とも非とも、どちらにも傾き切れない理由があるからである。エキュゼが選抜の対象に入ったのは喜ばしいことだ。だが、ここまでやってこれたのは必ずしも彼女一匹の力ではない。仲間がいた。ギルド入門から今に至るまで、支えになったポケモンたちがいた。それを、両名ともわかっている。
一人になることが不安だった。一人にさせてしまうことが不安だった。
引け目を感じさせたくなかった。負い目を感じさせたくなかった。
この結果を嬉しく思っていいのかわからない。それは、お互いにそうだった。
「……ん? どうしたんだい?」
え、と出かけて、クレーンの視線がこちらへ向けたものではないことに気付く。右に倣ってエキュゼも首を戻すと、そこにはふるふると涙目で立ち尽くすビッパの姿があった。
「そ、そっちに行きたいのはやまやまなんでゲスが……。感動のあまり……足が……アア……」
震える声で訴える「感動」は迫真に磨きがかかっているが、対する感想は満場一致で『大げさ』。これも″単純″の特性を持つビッパ族ゆえの起伏の激しさなのだろう。テンションの高低差に耳鳴りでもしそうだった。
クレーンも呆れて「放っておくぞ」と追及を避けた。
「次! エー……フラ、ジングル、フォシル!」
「ワッ、私たちも!?」
「選ばれてしまいましたわー! きゃーーー!!」
黄色い歓声を響かせ、キマワリの葉状とチリーンの小ぶりな手が綺麗なハイタッチを決めた。新しく入ったエキュゼを除いてギルド内のメスがこの二匹だけであることを考えれば、プライベートでも話の合う盟友であることは想像に難くない。前に並んだ男らも「おお!」と二匹が一緒に選ばれたことをめでたく思っているようだった。
して、傍らで。
『ストリーム』の残ったオスたちが、スン……と貼り付けたような無表情で固まっていた。決して嬢が遠征メンバー入りしたことに対してではない。虚無のオーラに阻まれて、明るいどよめきはどこか遠くすらあった。
ゆっっっくりと、フォシルを挟んで左右の首が回る。当然『無』の表情で。シンメトリーの空虚を二方向から受けるもまた空虚だった。が、じきに灰白色の表皮に汗染みが浮かび始める。視線の重圧にこれ以上は耐えかねないといった様子だった。
やがて、固く閉ざしていた口を開けると、
「お」
短く発した母音を皮切りに、歪ながらも顔に生気が戻っていった。
「おお、お、おっしゃーー! いやあハハハ良かった選ばれ」
「やれ」 と、作った笑顔も保てたのは一瞬のうちだけで、フォシルがまばたき一つする間に、アベルの指示を受けた刺客が斜め後ろから
無言のフェイスロック。「ぐぎゅぎぐ……!」圧迫されてしわくちゃになったズガイドスから苦悶の声が漏れる。その間もネイトは淡々としていて、力を緩めることはなかった。フォシルの本能が痙攣という形で抵抗を試みていたが、少しすると大人しくなった。
刺客の腕の中でがっくりと項垂れるフォシルを見ながらアベル。
「コイツ、あのクソ共より先に殺すべきだった」
「争いって虚しいね」
しみじみと目を細めて言うネイトだが、その実行犯が自身で、争いというか一方的な理不尽の押し付けであることに自覚は無いのだろうか。無いのだろう。ちょっとだけ芽生えた仲間意識への裏切りとか、チームの男メンツの中から唯一選ばれてしまったからだとか、言葉を交わさず執行に及んだ実情には割と明確な理由も、多分ない。ほぼ完全に雰囲気とノリだった。
ただ、犠牲者フォシルにとって幸いだったのはこの一部始終をクレーンが捉えていたことか。もっともそのクレーンが「なんだいつものことか」と惨状を無視したことで、結局のところ何一つ救われていなかったわけなのだが。最悪な流れに遠目で見ていたエキュゼもドン引いた。
「まあ……とにかく。遠征メンバーの発表は以上で
」
そして、惨敗にさらなる追い討ちをかけたのは、クレーンの口から出た『ネイトとアベルが選ばれていないという現実』である。『ストリーム』のうち二匹が選考されたのは想定外だったものの、ドンフリオは残された方の二匹を向いてしめしめと口元をにんまりさせた。ネイトたちも掠れて笑った。このチームがここまでやってこられたのは数の力が大きい。こうして分かたれてしまった今、どちらかと言えば、選ばれなかったことより選ばれてしまったことが問題だった。
ところが。
メモを見ながら流暢に語られる朝礼の終了が、語末を薄らせながら動きを止めた。不自然な終わりに、なんだなんだと周りの視線がクレーンへ集中する。
(こ、こんな端っこにもちっちゃく書いてある……。まったく、親方様ったら字が汚いし小さいし)
自身の羽先で隠れていた部分に、微生物が這った跡のような文字がいくらか並んでいることに気付く。げんなりとした表情でルーのいる右へ首を回そうとして、やめた。文句など言おうとすれば機嫌を悪くして遠征どころではなくなってしまうかもしれない。諦めて、クレーンはしかめっ面で小文字を覗き込んだ。
「あーすまない。遠征メンバーだが、まだ続きがあって……」
「なんだと!? となると私たちにもチャンスが!」
「ど、どうか入れますように……!」
「ワシはどっちでもいいがなァ」
ここまで既に結構な数が呼ばれた気がするが、それでもまだ五匹の選抜対象が残っている。延長戦でようやく巡ってきた希望に期待を寄せるディグダ親子と、そうでもなさそうな傍観グレッグル。ネイトとアベルは諦めの姿勢から立ち直れていなかった。
果たして、彼らの運命や如何に。
「えーと? ラウド、モルド、トード、ネイト、アベル…………えっ?」
言い終えて、ハッと我に返った。
五匹中、五匹。かなりの時間を費やして考え出されたであろう結論は、『選ぶ』という行為そのものを放棄したようなトンデモアンサーだった。そうなると、弟子達から上がるのが喜びよりも先に困惑の声なのも納得の反応である。ネイトだけは「僕たち選ばれちゃったよ! ねえ起きて起きて」と嬉しさのままにフォシルを滅茶苦茶に揺さぶっていた。
だってそれは、つまり、全員で遠征に行くことになるわけであって。
流石に黙ってられまいと、クレーンは飛び上がって抗議した。
「ちょちょちょちょ……親方様! これって、ギルドのメンバー全員じゃないですかあ!!」
「え? そうだよ?」
「いや、『そうだよ』じゃなくてですね……」
あたかも当然であるかのように笑顔で肯定、しかもそれが責任者によるものなのだから並々ならぬ狂気である。クレーンは頭を抱えて言葉を詰まらせた。ただ一つ確かなのは、この采配がルーのうっかりミスによるものではなく、意図したものであること。
やれどこから反論すべきか。そう悩んでいるうちに、代わって前に出たのは部外者だった。
「親方様。僭越ながら、わたしも若干疑問に思います」
(野郎……!)
いつぞやと同じ丁寧口調で割って入るはドンフリオ。何が疑問だ。百歩、いや千歩譲って悪事は過去のことにしても良い。ただ、猫を被って平然と嘘をつくその態度だけが、アベルはどうしても気に食わなかった。無理な願いと知っていても、遠回しではなく単刀直入に名指しで落とす旨をぶつけられる方がマシですらあった。物言わぬ口の奥で、磨耗しそうなほど歯が擦れる。
「遠征に行くには少し人数が多すぎでは? 機動性も考えると、全員で行く理由は薄い気がしますが」
「ええ!? そんなことないよ!」
デタラメの中にも正論を混ぜ込んでいるのがなんともいやらしい。しかし、何故皆で行こうと言う点は実際謎なところがある。首を捻ったのは意外にもアベルだけではなく、ルーの気次第でもしかすると落とされるかもしれないラウドたちもだった。
「だって、」プクリン特有のまん丸な目を輝かせて言う。
「
みんなで行った方が楽しいでしょ?」
「…………は?」
しん、と静まった空間に、ドンフリオの抜けた声が響いた。
「みんなでワイワイしながら行くんだよ!?
ワイワイ! そう考えたら楽しみ過ぎて!」
「ひ……!」
「夜しか寝れなかったよ!」「ひえぇっ!!」 チームのボスを務めるスカタンクが、説明のつかない恐怖と寒気に気圧された。「あ、アニキ!」「アニキィ!」崩れかけた頭領を補佐役が支えに入る。反応が完全に怪談を聞かされてるそれと同じだった。
どこかで聞いたようなボケがオチのインパクトを残しているが、敢えて少数精鋭にしなかったわけは要するに「楽しい」から。道理もクソもあったもんじゃなかった。そもそもギルド単位での取り決めを個人の趣向で、それも一番弟子に何の相談もなく、というのは。
そんな一番弟子もただ肯定するわけにはいかず、悶々と目を瞑りながら抗議する。
「し、しかしですね親方様……。留守番をする者がいないと依頼の受付にも支障が出て……」
「あれ? でも探検隊のみんなには伝えておいたはずだよね」
「それはそうですが! …………あッ! まさか」
クレーンとほぼ同じタイミングで、段々と意識が戻ってきたフォシルも「まさか」と漏らした。
ルーがあらかじめ指示していた伝達とは、ネイトたちもナガロを介して聞いた話だ。遠征期間のためギルドを空けると。
それがもし、初めから全員で行くための布石だったのだとしたら。探検隊に向けて連絡を発した三日前か、あるいはそれより前には既に準備が始まっていて、選抜の終了を告げるタイミングがメンバー発表の前日だったのも士気を下げないためだとして。初めから、全部、全部。
「ね。最初に約束したでしょ? 『みんなで遠征に行こう』って」
そうだったのか、とアベルは嘆息した。
『ストリーム』がまず感じたのは、走り続けた一週間に対する徒労感だった。どの道選ばれるとわかっていたのなら、これほど躍起になったり覚悟を決め込んだりする必要もなかっただろうに。過程を見れば収穫はゼロではないにしても、結局のところ、努力の意味を強く実感出来ずにいた。
だが、それ以上に込み上げてくるものがあった。何かの冗談かと思っていた全員での遠征行きに現実味が増してきたこと。一匹たりとも欠けずにチームで臨めるという安心。喜び。昂り。
「むむ……しょうがないですね。わかりましたよもう。……えー、遠征についての説明会は明日の
」
心地いい胸の高鳴りが聴覚を支配する。クレーンが何か重要なことを話しているらしかったが、殆ど頭に入ってきていなかった。誰も不幸にならずに済んだ結果に、隠しきれない気持ちが思わず表情に出てしまう。エキュゼはもう、泣きそうですらあった。この距離が、願っても、手を突き出しても、絶対に届かないものとなるかもしれなかったのだ。どんな顔になっていたのだろう、ネイトとフォシルがエキュゼを見て笑っている。アベルはどっと疲れた様子だったが、口元は緩やかな微笑を浮かべているように見えた。
「
なので、今日一日は準備や休息に充てるように。では、」
道を阻む悪意を打倒しようとしたのは、多分、正しいやり方ではない。けれども、黙すことが最適解かと聞かれれば、それはきっと自分たちのためにはならなかったのだろうと思う。結果がどうなろうと、やれることをやれたかどうかが大切だった。
合図を待たずして、エキュゼの足は既に地を蹴っていた。離された境界を越えて仲間の元へ。ネイトも目をキラキラさせて跳ねた。向かいのフォシルとアベルはギョッと目を見開いて驚いていた。
伸ばした前足と、手とが、まっすぐにぶつかって。
「解散!!」
わああっ、と、笑いと涙の歓喜が溢れた。
ごうごうと耳に刺さる風に混じって、細波の弾ける音が聞こえる。体毛をすり抜けて感じる温度は、ギルドの掲示板裏のような生暖かさで、だけどそれよりかはカラッとしてる。瞼を開くと少しだけ眩しい。
交差点からトレジャータウンを真っ直ぐ突き進んだ先にある断崖、通称『サメハダ岩』は、その目の付きやすさも相まってここら近辺では有名な見晴らしスポットである。遠方から渡り歩いてきた流浪者や旅客が一度見ておきたいと立ち寄る他、デートのムード作りのために若いカップルがここを選ぶこともあった。ああ、特に後者は突き落として自殺の名所に変えてやろうと何度思ったことか。
エキュゼは潮風に目を細める。朝方に見かけた雲の群れは、とうにどこかへ押し流されていた。何かの予兆、と捉えるには考え過ぎだろうか。風が強い日には何かしらがあると思ってしまう。
「珍しいじゃないか」
少しだけ声を張った幼馴染の低音が唐突に背後からやってくる。燦然と煌めく青白い海を脳裏に焼き付けてから、名残惜しそうに遅れて振り返った。
「アベル」
「久しぶりだな、ここに来るのも」
足を止めたキモリは僅かに距離を開けて地平線を眺めている。何故だか外された赤いスカーフは肩に掛けられてバタバタと
靡いていた。残った手は、如何にも一仕事終えたという感じで腰に当てている。昔から変に格好つけるクセは探検隊になっても同じだった。おそらく、そういった意識というか、自覚がないのだと思う。
自分を探しにきたはずなのに向こうを見るアベルに倣って、エキュゼももう一度西の海を見返す。別れを惜しんでハーフミニッツにも満たない再会。全く薄れない感動を淡々と味わう。
「なんだか、風強くない? 今日」
「ここだけだろ。あっちは全く大したことない」
「そっか……」
空気を読んだかのように、波風が声を潜めた。
ふと、崖の外へ顔を覗かせる。なんとなく、こういった場所には事件の種が落ちているイメージがある。無論、あったらあったで困るので期待するようなものではないが。ただの好奇心だった。
ぶわあっ、と潮の香りが顔中に殴りかかった。
「んむぁ……! すごい、下から吹き付けてきてるんだ」
「危ねえからあんまし出んな」
至極めんどうくさそうにアベルが注意する。それでも一応は手の届く範囲に居てくれるらしい。不器用で口の悪い彼でも、隠れた優しさがあることをエキュゼは知っている。
空を仰ぎ見た。風が下から吹く原理はわからないが、昇った湿風は青空へと向かっている。真っ白のカーテンをどこかへ攫っていったのは、元は海上を走る航路の軌跡なのかもしれないと思った。
「……どうして、崖の下から風が上がってくるんだろ」
「知らん」
「雲があんなに早く流れるのは?」
「知らん。……いや待て、知ってるかもしれん」
スカーフが飛ばないように拳に巻いてからアベルは腕を組んだ。首を捻って思索するが、十数秒してやめた。「フォシルにでも聞いとけ」とのこと。
不思議だった。ギルドに入る前までは飽きるほど見て何の感慨もなくなった光景のはずなのに、今になって気にも止めていなかった疑問が次々に手を引っ張ってくる。路傍の石が魅力的に輝くようになった。
自分は変わりつつある、と思った。最初はそのつもりではなかったのに、探検や仲間を通じて、『なるべき自分』とは別の道を歩もうとしている。
そしてまた、今回の遠征を経て変わっていくのだろう。
「フォシルたちは、もう?」
「さっき交差点ですれ違ったからな。あのバカ共のことだしもう随分距離離したんじゃないか」
「え! じゃあ私たちも急がなきゃ!」
「同レベルにならないでくれ……流石に付き合えん」
バッと振り返って、エキュゼは早足で浮かんで間もない太陽の方角へ向かう。『ガルーラの倉庫』でアレスが道具の整理を行っているはずだ。アベルは歩きながらよれたスカーフを首に巻き直す。待ち望んだ遠征が、今まさに始まろうとしていた。
目指すは東、霧の湖。
名も知らぬ風が、未知へ挑む少年たちの背中を押した。
しかしその一方で、世界の危機は着実に歩を進めていた。
「見つけた」
大陸のどこかで、孤独な男の呟きが反響する。暗がりには水面に波紋が広がっていて、奥へ行くにつれて徐々に光沢を増してゆく。
その先に、円環状に並ぶ五対の剣模様に飾られた禁忌がじっと動かず浮遊していた。
「残る『時の歯車』は三つ
」
不用意に触れれば災禍が訪れると云われるそれを
男は何の躊躇もなくふんだくった。
主を失った装飾は、役割を終えるように歯車の放っていた緑色の光を、あるいは色そのものを無へと変える。
だが、男の齎した被害は模様だけには止まらない。朽ちゆくように、壊れるように、模様を中心に洞窟中を灰色が侵食し始めたのだ。
揺れる水上が静止する。落ちゆく雫も物理法則を無視して停止した。
「予定より遅れたが、まあいい」
男は来た道を向いて、もう振り返ることはなかった。土埃に汚れたズタ袋の中で歯車は淡く光り続ける。
「たとえ俺一人であっても
全て終わらせる」