ポケモン不思議のダンジョン 正義と悪のディリュージョン






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第4章 侵撃のドクローズ
第42話 (全滅!) 挟撃にスクリーム

 緩やかに吹いた風が、荒れた戦場を覆う砂埃を掃除してゆく。ドンフリオも、常に宙を浮いていたクライとロスも、一様に目の前に流れる光景をただ倒れ伏して眺めることしか出来なかった。
 フォシルが戦闘に参加してからの決着は、驚くほどに早かった。
 少し下がった所で構えていたネイトとアベルも腕を下ろす。ほとんど手を出せる暇もなかったせいで半端に闘争心だけが燻っていたが、あまりの無双っぷりには言葉も出なかった。不消化感や悔しさよりも畏怖が大きく上回っていた。
 ふう、と息を一つして、フォシルは子をあしらうような笑みを向ける。

「さーて。もう勝ったも同然みてーなもんだが、まだやるか?」
「クソがッ…………!」

 この上なく憎々しいと、そう言わんばかりの迫真の眼力で睨みつけるドンフリオ。苦痛に歪んだ視線は下がり気味でフォシルを捉えられていなかった。
 『ドクローズ』へ勝利、これにて悲願は遂げられた、はずが。

「ダメだよ! ちゃんと遠征に行けなくなるまでボコボコにしないと」
「お前は何も知らないフリして帰れ。あとは俺たちに任せろ」
「あ? いやだってもう…………んん?

 ここぞとばかりに前線へ踏み出すネイトとアベル。もう勝負は付いただろう、そう言いかけて、フォシルは違和感を覚えた。どこか、どこか目的がズレているような。打倒によって、殺意が滲むほどの恨みは晴らされるのだとばかり思っていたから、その先にまだ道が続いているとは全く想定していなかったのだ。
 ネイトの口からヒョイと出た恐ろしいフレーズをフォシルは聞き逃さなかった。その言葉の意味するところは、つまり、解釈の余地もない、全くそのまんまの通りである。

「え、ちょ……はぁ!? んなとんでもねーこと考えてたのかよオメーら!」
「あえ? じゃあフォシルって何しに来たの?」
「やっぱお前も共犯な」
「きょ、きょうは…………だぁーーーーー!! 叱られる覚悟くらい決まってらぁ、どうせなら最後まで付き合ってやんよちくしょーーーっ!!」

 場外から危機を悟ってまで救援に駆けつけたというのに、目標が違うと分かれば治外法権が無効になったかのような手のひら返しっぷり。いよいよフォシルも冷静を捨てて流れに乗じる羽目となった。
 ……と言いつつも、地面にへばった無抵抗なポケモンを暴行出来るほど元王子は冷酷ではない。やるそぶりだけを見せて、一歩踏み出してはまた下がるを繰り返していた。彼の背後で一本の視線が繋がる。痺れを切らした執行人二匹が躊躇の横を通っていった。
 だが、止めは成されなかった。突如として降ってきた、目を細めたくなるような強風はあまりにも異質で、行動の継続を妨げられたからだ。

「見つけたぞッ! 男ども!」

 白い空から飛び込んできたのは怒気を孕んだ低い女性の声。場にいる全員がはっと見上げようとした瞬間には、それは砂埃と振動を走らせて派手に着地を決めていた。
 身体の半分近くも占めていそうな巨大な翼を力強くはためかせ、風塵が散ると共に輪郭が露わになる。明空のような青くずっしりした胴体に、背から生えた対の真紅。ネイトたちが見知りするその姿は、しかしこの状況で現れるにはあまりに突拍子もなかった。

 チーム『ダークネス』のボーマンダ  バル。

 長い首を左右に動かして品定めでもするように一匹一匹の顔を確認している。何の脈絡もなく地に降り立った巨竜を前に、『ストリーム』と『ドクローズ』は「お前らなんかやらかしたのか?」のアイコンタクトをお互いに出し合った。両方とも疑問符を顔に貼り付けて首を振り「心当たりなし」。ギッ、と串刺しにされそうなほどの勢いの眼光がばら撒かれる中では、誰もが彼女の目的に対して疑問を呈すことは出来なかった。ボケ以外ならなんでもこなせそうな兄貴分のフォシルも、悪大将のドンフリオも、天も罰も恐れないネイトとアベルでさえも、強烈な存在感に気圧されて、皆同じくじりじりと後ずさっていく。
 満遍なく面々を見終えたバルは、俄然目を瞑って首を傾げた。対象はますます困惑した。そんな図体でネイトみたいな仕草をされても、いやあるいは和ませようという意思の表れなのかもしれない。割と見た目によらず脳内はお花畑だったり  などという希望的観測は、クワッ! と開かれた鋭い眼力に砕かれた。

「エキュゼに手を出した三匹組はどいつだッ!!」

 飛んで来たドラゴンに次いで、斜め上から仲間の名前まで跳んでくるとは。
 ほらみろ、やっぱりお前らじゃないか。そんなことを言いたげに安堵と同時に呆れたような視線がドンフリオたちから送られる。当のチームメイトの方は向かい合って弁明合戦、誰に仕掛けられたわけでもないのに絵に描いたような犯人絞りが始まっていた。が、やはり答えは同じ。どんなに眉を八の字にして目を大きくしても、知らんもんは知らんと必死に事実を言い合うだけだった。
 こちらにも非は無いはず、と結論が出ようとしたところで、フォシルは背後から空気が弾けるような音を耳にした。青黒い龍炎が、バルの鬼の形相を映しながら口の端から溢れている。恐らくこのつまらない問責が癪に障ったのだろう。明らかに怒り以外の理由が浮かばない震えを前足に宿して紫組の方へと首を伸ばすと、そしてついに、顎門を近づけて咆哮した。

「貴様らか!」

 鉄槌を下すべき容疑者に対して声量加減などあるはずもない。真正面から“ハイパーボイス”に筆頭する音圧を受けた『ドクローズ』らの体毛が、骨肉が痺れて悲鳴を上げる。何かを問われているらしいが、真実がどうあれ、どこの誰が間違ってでも「はい」などと言えよう。凍りついた声帯に代わって、全力の身振り首振りで否定する三匹の哀れな獣たち。
 そもそも、エキュゼに手を出した、とはどういうことだろうか。矛先があちらへ向いたことで、一時の理性を取り戻したアベルは考える。それぞれ分かれて依頼を消化しに行ったときを除けば常に目に付く範囲にいたはず、となれば丁度ダンジョンにいた頃か。ダンジョンに、

 待てよ、「三匹組」だと?
 三、と言えば、今まさにそこでボーマンダにいびられている『ドクローズ』のことしかありえない。わかった、『リンゴの森』での一件だ。てっきり個人的に何かやられたのかと勘違いしてたのですぐに気付けなかった。なぜ関与してないバルがそれを知っているのかも、ギルドで安静中のエキュゼが偶然会って話したのなら辻褄が合う。
 ……いや、だとしたら。バルが探している相手は、目の前で必死の否認をしているソイツらでは。
 しかしバルは、「ふむ」と急に落ち着いた口調で呟き、またしても首を傾げた。なんとタイミングの悪いことか。フォシルも同じく気付いていたらしく、恨めしそうに向こうを見やっている。先の糾弾に便乗すればこんがり毒タイプが三品出来上がったかもしれないというのに。
 しかも、ああ、この流れが数十秒前のそれと同じパターンであれば。あのネイトでさえ顔に焦りが見えている。して、案の定、

「ならば貴様らかッ!!」

 ぐいん、と九十度曲げた首先には、やはり、再び青い炎と稲妻が迸っていた。
 あんまりにも無茶苦茶である。証拠などから推察するわけでもなく、真否の確認はただのイエスオアノー。まともな審問のない時代に生まれたフォシルでも浮かばないような極限まで頭を悪くした消去法には恐れ諸々すら薄らいだ。
 とはいえ、破滅の光に照らされた面々の表情は平静ではいられない。元凶の後に続く形になってしまうのは不服だが、ここは四の五の言わずに否定に徹するべきだろう。頭脳役らしく、合理的に諭す役目をフォシルが請け負った。

「待ってくれ! 確かに近くにいながら食い止められなかったオレらにも非はある。だがオレらは誓って  
「黙れ! 問答無用!」
「えええ!? さっきは納得してたのにーーー!」
「はい戦犯確定」

 説得も道理も一喝で消し飛ばし、ついでに理解を求める声の元も滅さんとバルは大きく口を開く。喉奥から逃げ出すように散る火花。黒曜の深みを帯びた龍気は、夜明けの如き青白い反転を見せた。蒼白の煌めきに充てがわれて一層色を失ってゆく『ストリーム』。そんじょそこらの炎タイプでは到底再現出来ないような高熱には思考さえも溶けそうになる。
 「お、オレのせいかよー!」かよー……! かよー……。仲間のために自己犠牲も厭わなかった王子の悲しき断末魔が、轟音と共に森の外にまでこだました。


 その後、真っ黒に焦げて帰投した彼らを迎えたエキュゼが頭を地面に打ち付けて猛省したことは言うまでもない。




 やがて日は落ち。
 食事と団欒を求めて流れ込んできたギルドの弟子達によって、日中は静謐を語る食堂も饒舌に盛況に取り巻かれる。「今日の成果は?」「まあぼちぼちかな」、何気ないやりとりもあれば、遠征についての期待や不安を打ち明けたりと、タイムリーな交流からは話題性が尽きないことも賑わいが衰えない一因になっていることがわかる。
 しかし、個性派揃いの舞台ではなおのこと、その日の収穫が死活問題にもなる探検隊の仕事では誰もが一様に和気藹々と暖気を広げられるわけではない。いまいち溶け込めていない者のうちの一匹、エキュゼは、何の変化もない木のテーブルの横筋を無心に眺めていた。
 その表情は明るいとは言い難い。さらに、そんな彼女を避けるかのように周囲は空席に占められていた。
 そうなった原因は主に二つある。一つ、仇討ちを頼んだ(正確には被害を伝えただけだったのだが)バルを、対象の具体名を握らせないまま駆り出させたこと。二つ、それによって起きた手違いによって味方が丸焦げジューシーとなり、こうして夕飯にも出られず療養を強制させてしまったこと。隣席が空いているのは決して腫れ物扱いをされていたからではない。もっとも、静かに過ごしたい性分としては、この悪目立ちはかなり居心地の悪いものであったわけだが。

「さて、そろそろ全員……ウン、まあいいか」

 ほら、クレーンがこちらを見ながらそんなことを言うから周りの視線が集まってしまう。堪らずエキュゼは顔を伏せた。訳を聞かれなかっただけまだマシか、なんてことはない。欠員が日常の探検隊だと思われているのは信用されていない証拠である。『ドクローズ』への言及がされないのは、彼らが「遠征の助っ人」という特殊な立場だからだろうか。
 だが、そんな不憫なエキュゼを気遣ってか、いや、あるいは眼前の食物への強い欲求からか、幸いにも奇異の目は向けられず、つつがなく晩餐の音頭に入る運びになった。
 「エー、では……」クレーンが翼で嘴を抑えて咳払いする。

「「「「「「「「「いっただっきまーーーーー!!」」」」」」」」」
「あああ、ちょっと待ったーーー!」

 最後に発音されるはずだった「す」どころか、フライングで口を付けようとした一部よりも先に、そして、九匹分の声量を上回る大音量で制止をかけたのはクレーンだった。

「なんつータイミングで止めてんだコノヤロー!!」
「ひ、酷いでゲス!」
「もうお腹ペコペコですわー!」
「ぶー! ぶー!」
「わわっ! せ、静粛に! 静粛に!」

 馳走を前にお預けを食らった弟子達からはブーイングの嵐。タイミングと空腹によるストレスまで考えれば順当な応酬ではあるのかもしれないが、これだけ責め立てられているのを見ると、普段は偉ぶってるクレーンも中々に大変な役を買っているんだなとエキュゼは思った。
 次々に飛来する不満を広げた翼で宥めるようにしてはためかせ、場の収まりがついたところでもう一度喉を鳴らす。

「えー、みんな。遠征メンバーの件だが……つい先ほど、親方様は決断されたらしい」
「……!」

 罵倒じみた恨み節が一変、ワッと歓喜のどよめきが食堂を満たした。エキュゼは僅かばかり顔に絶望の色を見せたあと、遅れて驚いたふりをした。ギルドの営業が今日を最後に一度休止になることから時は近いと既に知っていたが、悪目立ちを避けたかったがためだった。早速向かい合って話し合う各々へと自然に溶け込めるように苦笑を浮かべた。

「発表は明日の朝礼で行う。くれぐれも遅刻しないように! さて、割り込んでしまってすまなかったな。それじゃあ改めて  
「「「「「「「「「いっただっきまーーーす!!」」」」」」」」」

 それでも上機嫌な挨拶は真似しように出来なかった。もっとも、そんな一匹のポケモンに意識を向けるような余裕が他にあるはずもない。どうでもいいことだった。ただあることだけが、頭の中でずっと独り言を繰り返している。

 遠征メンバーの発表で、『ストリーム』が呼ばれることはない。

 親方・ルーの好感度は上がらなかった。邪魔は正当化されなかった。成果は持ち帰れなかった。走って、黙って、抗って、それでも航路はまるで動かなかった。
 本当なら泣きわめきたかった。誰かにこの息苦しさを知ってほしい。聞いてほしい。どうしようもない痛みを共有したい。大声で理不尽を叫びたかった。感情的な衝動が暴れている一方、心の妙に冷静な部分が、やったところで無意味であることを諦めるように呟き続ける。
 気が付けば器の中身は空になっていた。途中フラやアレスが話しかけてきてくれたが、内容はよく覚えていない。




 逃げ場を求めるようにして帰ってきたチームの部屋は、ほんのりとした橙色の明かりに照らされていた。入ってすぐ、右側の一番暗いところで壁を向いて横になっているアベル。奥ではフォシルが同じく横になって寝息を立てていて、窓側にもたれ掛かって座っているネイトは両手に灯らせた炎をぼんやりと見ていた。
 激昂したバルの″竜の波動″によって受けた被害は、数日間の寝込みを要されるほど深刻ではなかったものの、『ドクローズ』の征伐に臨んだ上で男児たちが返り討ちに遭っているのは絵面として中々ショッキングなところがあった。遣る瀬無いというか、報われないというか。そして、感情のやり場である仲間たちは療養のため寝転んでいて、非常に話しづらい状態にあった。
 エキュゼは立ち尽くして地面やそっぽに目線を預けていたが、しばらくしてネイトの元へ歩き、ちょこんと三つ指座りした。緩やかに明滅する土肌に、ロコンの影が揺れている。

「……遠征メンバー、発表されるって。明日の朝礼で」
「ん」

 骨ヘルメットがちらと前を向く。眼孔から覗く若葉色はどこか眠たげだった。けれども、視線を手元に戻すと途端に情熱のような火が瞳に宿っているみたいに見える。その対照さと、はいともいいえともつかない曖昧な返事が、次の句の選びづらさに拍車をかけた。喜怒哀楽の方角さえ、ネイトが何を思っているのかわからない。
 無言の空間が続く。遠慮のいらないボケ役相手なのに、気まずい。振り返ってみるが、アベルとフォシルは変わらず横の体勢のままだった。
 仕方がないのでネイトと一緒に灯火を見ることにする。焼けるような音もしなければ、火の粉が飛ぶこともない。鬼火でも竜炎でもなく、なんの変哲もないただのオレンジ色だった。魅入るような魔力は特になさそうだが、もしかすると彼もエキュゼと同じ理由でここへ行き着いたのかもしれない。

「それ、熱くない?」
「んえ?」

 顔を上げたネイトと目が合った。いつものように抜けた感じの表情だった。逆にエキュゼは反射的に目を逸らしてしまう。

「その、地面タイプだと体質とか……ほら、私みたいに炎タイプでも、“貰い火”でもないし」

 問いかけに、「んー」と天井を見ながら小首を傾げるネイト。「あつい!」彼は笑顔で答えた。その割にはさっきまで澄まし顔でいたじゃない、エキュゼがそんなツッコミを入れる前に、唯一の照明はカラカラの手のひらに引っ込んだ。
 すると部屋は、一瞬にして夜陰と静寂に包まれた。

「…………」

 暗闇の中で沈黙がこだまする。暖色が消えたというだけで、そこにあった小賑わいまでもが蜃気楼のように、フッ、と行方を眩ませてしまった。まるで最初から無かったかのように。
 輪郭が曖昧になった姿がコテンと横に転がる。言葉は交わさず、エキュゼもそれに習って体を丸めた。

 色の失われた世界を、さらに瞼を被せて盲目にする。入眠時に限って思考が研ぎ澄まされ、周囲の些細な動作が、心音が、ある一種の痒みのように耳奥を刺激し続ける。眠れない。
 身体一つ分ほど空いた先からすぅすぅと聞こえる寝息が憎らしい。無論咎める理由なんかない、それどころか非はこちらにある。だから、こうして寂寥を味わうのも結局はエキュゼ自身のせいなのだ。
 だが、それをわかったとして、打ち明けずに黙っていられるだろうか。小狐は薄目を開いて部屋を見渡した。両手を前に出して寝転がった骨頭、穏やかな呼気の青竜に、変わらず背中を向けっぱなしの緑蜥蜴。話せる相手なんていない。そっと、床へ伏せる。
 むしろこれでよかったのかもしれない、とすら思った。回答を期待したところで、お互い反応に困ってしまうのは目に見えている。もしこの状況に最善策があるのだとすれば、この想念を内に秘めたままにしておくことなのだろう。けれども、だけれども、耐え難くて、聞いて欲しくて。そのひとかけらを、溢した。

「やれることは、できたよね……? 私たち……」

 喉元の熱が消えて、また頭の中で煩悶が満ち始めて。
 何故だか寝息も、ほんのひと時止まった気がして。

 ひょっとしたら、初めから誰も眠れていなかったんじゃないかと。ひたすらに、長い長い、沈黙の時間を過ごした。




 そして、夜が明けた。


■筆者メッセージ
 剣盾やらDXやらで随分と遅くなりました! 楽しかったです! なんて、遅刻常習犯が開き直っちゃアウトですよねー。またしても更新遅れてスミマセン。
 4章は次話で最後です(と言いつつ実は番外編がまだ)。
アマヨシ ( 2020/03/17(火) 18:11 )