第41話 型破りの反逆
とにかく気が重かった。
背中に降り注ぐ陽気が、却って心を罪悪のブルーへ沈めていく。貢献したくとも断念せざるを得ない体調のこと。最終日だというのに自分は動かず周りに任せきりにしてしまったこと。そして、アベルたちの反逆を止められなかったこと。ぐっと押し潰すような胸の閉塞感は、エキュゼにとって身体的苦痛よりも耐え難いものだった。
これが昔であればきっとそこで話は終わっていただろう。しかし、成功の波に乗ったエキュゼは落ちずに踏ん張っていた。今やれることは、可能な範囲で役立てることは何か。変化のない地面を見続けるより、なるべく挽回の方針で行動を起こした方が良いという考えに至ったのだ。
身体を上げて前足を伸ばす。広場を向いて左足、右足と歩きながら固まった四肢をほぐした。
(がんばれ、私)
水飛ばしの身震いを一つ、リフレッシュ。抜け毛がはらついて、嫌なものも一緒に落ちた感じがする。
がらんと空いてしまった昼間の詰め所を通り過ぎて上の階へ登る。こちらも同様に
人っ気が薄く、よく見る探検隊たちが少数疎らに談義をしているのみだった。
「あっ、依頼……なにかあるかな」
あんまり閑散としていたものなのでその場を後にしようとしたエキュゼだったが、格子へ回れ右する前に無言で佇む掲示板が目に入った。とりあえずお尋ね者の方を覗いてみる。普段なら盛況のここも誰かが通った形跡はなく、心なしか更新量も前より減っているように見える。平和な証拠と捉えてもいいものだが、何故だか寂しそうにも思えた。
早速茶の面積の増えたボードを見上げる。ポケモンがいないため早い者勝ちの競合にはならずじっくりと好きなものを選び放題、なんて素敵な話はなかった。当然ながら残った依頼は報酬がちっぽけなものか、何年も捕まっていない凶悪犯の確保だとか、取られないのも妥当な両極端のものばかり。「上司からパワハラを受けた!」なんて変化球もあったが、それは多分窓口が違うんじゃないかなあとエキュゼは思った。
一昨日の収支明細は聞いていないが、相当の赤字だったことは聞かずともわかる。だからこそ、今は大金が懐に入る依頼がありがたがられるのだろう。けれども、結局やれることは、最低限生きるための食料を探すような、みずぼらしくて貧相な依頼厳選だった。
……残飯漁り、のような。
首から背に白くて冷たいイメージが走る。音や触覚が途絶えた。視界のノイズには抗えず、従順に頭を下げる。あれ、今まではなんともなかったのにな。
たった一瞬、何かが過去を想起させた。無意識に踏んだスイッチが、新生活から隔離させていた記憶を一時だけ引き込んだ。
赤と、赤と、灰と。戦慄と、憎悪と、慟哭と。
そうして、それで私は
。
「…………。…………い。……おい! どうした!」
強い呼び声が意識に届いた刹那、視界が白んだかと思えば、霞んだ明色の風景が徐々に輪郭を取り戻していく。鼻を抜けるポケモンや土などの混じったギルドの独特な匂い。肉球の痺れも地面を認識できる程度には回復している。ぼんやりとした思考で声の主がいる左側を見た。
巨体。
「わ」
「大丈夫か? 仲間はどうした?」
ここ最近ではほとんど見かけもしなかったので驚いたが、エキュゼは確かにその存在を知っている。三本の重爪、群青色の胴に白色の腹甲、真紅の翼。ボーマンダの
雌、バルは、伸ばした首先から鋭牙をむき出しにして低音ボイスで気を揉んでいた。
路傍に倒れているスボミーを避けて、アベルは安全の確保された道をただただ進んだ。先頭で理不尽なくらいのパワーを発揮するネイトは、森の開拓でもするかのようにバッサバッサと『リンゴの森』の原生ポケモンを次々に散らせてゆく。しかも、なんの捻りもない、一本の拳で。
「パンチ! パンチ! パンチぱんち!!」
それは、『技』と呼ぶにはあまりに粗雑で、だが強いて言うならば『攻撃』とでも命名すべきか。頭の悪そうな掛け声とは裏腹に、一撃一撃は鋭く綺麗な左ストレートだった。ある者は意識を失って仰向けにダウン、またある者はショックを受けてフラつきながら退散。ハネッコのような浮いているポケモンなんかは特に悲惨で、真正面からの突きなのに何故か彼方まで飛ばされて遠くの木に受け止められる羽目になったり。“炎のパンチ”の“炎”部分ばかりがダメージになっていると思っていたが、考えを改めるべきかとアベルは難しい顔で唸った。リーダーの躍進だというのに、常識破りな光景のせいで不思議と嬉しい感情はこれっぽちも湧いてこない。
「あ、階段」大部屋に出るなり、暴虐で道を拓いたポケモンと同一とは思えない呑気な声で言った。ああ、一度でいいからコイツの作った道程を見返させてやりたい。
「……そういえばさ、今更かもしれないけど」
「お前の積み立てた屍の山か」
「え? なんて?」
意味ありげに足を止めて、いよいよ白状するのかと思えばこの自覚のなさである。アベルは出発前と全く同じように、やれやれ、と両手を横に広げ、しかし話は聞こうと、天然の迷路を形作る並木のうちの一本に背を預けた。
わざとらしく首を斜めにしながらアベルへ向くネイト。
「『ドクローズ』をここに呼び出す、ってことはわかったよ。でも倒すって言ったって……またやられちゃうんじゃないの?」
前みたいに、と鼻を啜りながら付け足した。あの激臭を思い出したのだろう、不快そうに歪めた目付きが骨越しでもわかる嫌そうな表情を彷彿とさせる。
しかし実際のところ、ドンフリオとクライの合わせ技
“毒ガススペシャルコンボ”は『ストリーム』を打ち破った一番の敗因。ネイトの疑問は珍しく真っ当だった。
「問題ない」。腕を組みながらアベルが言った。
「準備は全部俺がするって言っただろう。毒対策はちゃんと用意してある」
「ほぇー」
「なんだお前やる気あんのか」
首傾げに鼻ほじりまで追加。そちらから聞いておいてこれでは、無意味とわかっていても小言の一つくらい言いたくなる。案の定、そこにはアベルそっちのけで階段を降りようとする馬鹿の後ろ姿があった。
が、この馬鹿、またしても「あ」と短く発して足を止めた。正直もう取り合うのも怠かった。木から背を離して後を追う。
「アベルはなんでこれやろうとしたの?」
不意の核心に歩調が大きく乱れる。
思いもよらぬカウンターだった。この会話の流れで、まさかネイトが関心を向けてくるとは。アベルは斜め下に目を泳がせてから、同様に足を止めた。
直線上で重なる視線。
「ムカついたから、だ」分かりやすい区切り方。
「クレーンすごい怒りそう」他人事のように言う。
「知ったことか」強めに返した。
「フォシルとかめっちゃキレそうだよね」悪戯っぽく。
「……だから、なんだ」語気が弱まる。
「エキュゼは?」真顔。
「……」
結局、言い咎めるつもりか。いや、そもそもやる気を感じられなかったのは最初からこうするためという算段が立っていたからなのだろうか。謀反への貴重な協力者として、信用を置いてしまったのが失敗だったのか。話相手の見えない思惑をあれこれ浮かべてみるも、行き着くところは変わらないのだと、この時ばかりは思った。
だからと言って、アベルの意志は変わらない。誰かに強要されたわけではない、本心からの復讐劇。ネイトがどう出ようがハナっから関係ないのだ。
「……別に誰かのためにやろうとしてるわけじゃねえ、俺が勝手にやりたいと思っただけだ。悪いか」
んー、と骨が傾いた。そして、少しの間を置いて口を開いた。
「イイと思うよ」
「は?」
ライトグリーンの瞳は依然として真っ直ぐだった。だから余計に訳がわからず頭が痛かった。感受の激しい段差に、脳内が白く飛びかける。
ネイトの主張が見えてこない。散々問い詰めるように固有名詞を出したかと思えば、最後はあっけなく許諾と来た。意図的に天邪鬼を演じているのではないかと、あるいはお得意のボケの一環なのではと疑ってしまうほどだ。アベルは少し苛立ち始めていた。
ところが、次いで出た科白は意外なものだった。
「いやなんか、無理してエキュゼとかのためにやってるって言うなら帰ろうかな、って考えてて」
「帰るってお前」
なるほど。なんとなくだが掴めてきた。
ネイトは、確かにアベルを止めようとした。しかしそれは、個人的な復讐にではなく、仇討ちに対するものだった。自身の意志であることを明確に伝えたから、それを許すことにしたのだろう。最初の質問攻めで屈すると踏んで仲間のためにやるのか否かをふるいにかけたというのなら、回りくどいが辻褄は合う。
…………。
『復讐』は良しとして、『仇討ち』を否とする理由は?
「でも、そうやって自分でなんかしようっていうの、ちょっと羨ましいなーーー」
「おい待て、意味がわから……待てって!」
ほんの僅かに思考して目を離した隙に、ヤツは階段に身体の下八割を埋めていた。子供のような行動力は『海岸の洞窟』の時から変わっていないらしい。普段通りのマイペースさに呆れつつ、謎は謎のままにしてアベルも後を小走りで追う。
曇り空の切れ目から光が伸び始めていた。
「そうか、なるほど……それは災難だったな。まったく、ここの業務体勢はどうなってることやら。遠征から戻ったら、あの腹たつ形のトサカ野郎に改善を要求しよう」
「ええ、あ、や、そ、そこまでしなくても……!」
掲示板前でちょこんと座るロコンの隣で、巨躯のボーマンダが親身になってうんうん頷いている。
見かけの割に話を聞いてくれるタイプ、というのは以前の邂逅からわかっていたことだったが、ちょっとした愚痴にもこうして真摯に付き合ってくれるとは思ってもみなかった。けれども少し大げさな気もする。なにより、自分が門を壊した事実は伝えていない。
ボーマンダという種族柄のせいか威厳や堅い雰囲気を常に纏っているイメージだが、この時のバルは表情を崩して微笑んでいるように見えた。
「フフフ……いやはやすまない。昔からよく世話焼きだとか過保護だとか言われてる身でな。どうも性分らしい」
「い、いや! そんなことないです嬉しいです!」
しかしまあ、対するエキュゼは相手が相手なだけにガッチガチで口をパクパクと忙しく開閉していた。特別偉い役職に就いているわけでもないのに、どんと大きい体の前では何故か畏まってしまう。チームへの貢献という強い志とは逆に弱気が本能的に露呈していた。
そんな慌てた様子が面白かったのか、いよいよ青龍は破顔した。
「まあまあ、そう怖がらないでくれ。お前みたいな年頃の娘を見るとつい我が子のことを思い出してしまうのだよ」
「お子さんが……?」
「そう、可愛い娘がな」
やっぱり、とエキュゼは妙に納得した。以前からどこか言動や態度に『母』を匂わせる部分があって、もしかしたらそうなのではと妙な安心感の正体をなんとなく察していたのだった。
バルは困ったように笑う。
「だからこそ、お前が何人かの男と共に行動しているのを見ると不安になるんだ」
そして、エキュゼは思う。このポケモンは、お母さんなんだ。その強さも、優しさも、心配性も、不器用で、一途なところも、ぜんぶぜんぶ引っくるめて、子供を愛する母親なのだと。
自分の子が嫌いな母はきっといない。いつだって、子にとっての最大の味方でいてくれるはずだ。逃げ道になってくれるはずだ。学校の先生が教えてくれなくたって、それが大切なことなのは知っている。
自分も、なのだろうか。母は、…………。
気が付くと、険しい表情のバルが思案するようにエキュゼの顔色をうかがっていた。どうやら無意識に俯いていたらしい。生き方が違えば恒常的に見られたかもしれない光景。
彼女になら話しても
いや。
なんとか、してくれるのではないだろうか、とすら。
それは、信じようとしたのかもしれないし、あるいは試そうという勘繰りから言おうとしたのかもしれない。だから、単なる話の延長線ではなく、『子』としての『質問』だった。
「あの……もう一つ、聞いてもらっていいですか……?」
「兄貴、一つ気になることが」
『リンゴの森』でしばらく歩を進めていた『ドクローズ』一行。奥地までもうそうかからないだろうという深さまで潜った折で、ドンフリオの後ろに着くクライが問いを投げかける。リーダーは歩きながら背面を一瞥し、最後列のロスが遅れていないかを確認した。
「今回は、前と同じように待ち伏せしてぶっ叩くのか? それともセカイイチだけ回収してトンズラすんのか」
「後者だ。ヤツらを遠征に行かせないことが目的だからな」
背中で語られた内容に、「ケッ、了解」と不服を残しながら答えるクライ。潰すことを期待していたのだろう。ぶしゅう、と大きく吹き上げたガスは不平を訴えるような黒煙だった。後ろでホバリングをしていたロスがモロに吸い込んで咳き込む。三日前の巻き添えといい、彼と煙とには何やら切れぬ因縁でもあるのだろうか。色々と哀れである。
ダンジョンに入ってから十二度目の階段を降り、三匹は木々の間を真っ直ぐ伸びる土色を踏んで先を目指す。やがて拓けた場に出ると、ドンフリオは足を止めた。
「着いたぞ」
視界の中心にそびえ立つ巨木
セカイイチの生る木は、静かに来客を見下ろしていた。風のざわめきで緑の音楽を奏でることもなく、葉も舞わず、ただただそこに大きな体で佇んでいた。
ポケモンの気配は、はてさて見えない。が、果実も枝に隠れてしまっているのか、赤々とした色はパッと見どこにもなかった。
ドンフリオは口を結ぶ。情報を盗み取った自分たちの先手必勝なのか、それらも含めて全て罠なのか。可能性の話を考えると一から百までなんでもあり得る気がした。だがそれ以前に彼らは、遅れを取り戻すためにこなせるかもわからないような量の依頼を受けてしまう、恐らく馬鹿集団であることを踏まえるとそんな知恵が浮かぶかどうか危うい。
煮詰め過ぎたか、と小さく鼻で笑った。
「……よし、誰もいないな? お前ら、セカイイチを
」
安堵した、丁度その瞬間だった。
ガサガサと草木を揺らす音がしたのは。
三匹の警戒が一気に目上の新緑に集まる。自然の悪戯なんて感じの音ではなかった。確信した、誰か潜んでいる。じっと間違い探しのように葉の一枚一枚を注視する。
見つけた。影から覗く、黄金の宝玉。
「あ、兄貴! 左のほうになんか……!」
「狼狽えるな! クライ、やるぞ」
「……しかし兄貴、あれだとセカイイチの木ごとやっちまうんじゃ」
「構うものか!」
最初から監視していたのだ、ヤツらの作戦も、命運も、完全に掌握していたはずだった。慌てて引き下がるロスも、急遽思い切った行動を提案をするドンフリオも、惑いながらもガスの準備を始めるクライも、それらを真っ向から覆された結果なら無理もない。目標を回収から打倒へシフトするのが精一杯だった。だがそうなってもなお、目から攻撃の色が失せないのは、彼らが一筋縄ではいかない証拠だろう。
そして宣言通り、前線で構える二つの紫が息を深く吸い込んで発射体勢に。辺り一帯を大木ごとガス地獄へ変えるつもりなのか、溜めの時間は前よりも長い。その様子を見た森トカゲ
アベルはカモフラージュを解いて動き出す。
「ネイト!」
名前が呼ばれたのを合図に、木の裏で息を潜めていたもう一匹の仲間のカラカラが急いで表へ飛び出た。思わぬ伏兵に怯みかけたが、そんな暇などない。ドンフリオとクライは「やられる前にやる」の精神で、文字通りの息ぴったりな合体技を放つ。
「「“毒ガススペシャルコンボ”!!」」
枝からキモリが降り立ったのと同時だった。行き場を求めて広がる黄色のガスは、瞬く間に部屋中を己の色に染め上げてゆく。もはやオナラだなんて笑い飛ばせないような、生命を根絶する勢い。
呆れるほどに以前と全く同じ光景が、そこにはあった、
はずだった。
「…………なんだと?」
本来、そこに見えるのは倒れ伏した二匹の姿のはずだった。だが、煙が晴れるより先に飛び込んできたのは、返事代わりに近づいてくる足音。続いて黄塵に浮かんだ二つのシルエット。翠と刈安の眼光。ドンフリオらは目を疑った。毒耐性を持てるはずのない相手が何故、″かみなり″を落とされたヌオーのようにピンピンしているのか。
靄に包まれた輪郭が段々と露わになってゆく。そうして見えてきたものは、彼らの口元を覆う、黄ばんだ視界でも派手さを主張してくる濃いピンク色のスカーフ。
『ドクローズ』がある別のタイプのポケモンで統一されたチームであったならば、ただの洒落た装飾品にしか見えず、その正体を知ることは無かったのかもしれない。
なぜならば、それは
「『モモンスカーフ』。お前らなら聞いたことくらいあるんじゃないか?」
毒素を完全に無力化する、最強の毒対策装備だったからだ。
「今の僕たちは強いよ!」
「失うものが無いの間違いだが、まあいい。反撃開始といこうか」
打つ手の一つ一つを躱されても、まだ数の利で優勢の盤面を取っている『ドクローズ』は、しかし立て続けに見せられた的確な反抗によってじりじりと後退を迫られていた。
淡々とした調子を裏付けするのは「失うものが無い」というアベルの台詞の一部。親方公認の助っ人に傷害を加えることを、その果てに待ち受けるバッドエンドを、ネイトとアベルは覚悟している。前の急襲では単純に為す術を持たなかったことが敗北の一因だったが、今回の気概はそれらの比ではない。ルールで裁くことの出来ない悪への私刑であり、同時に公共への反逆でもある。決して正しくない行為と重々理解していながら、彼らの虹彩は輝きを増していた。
恐れをまるで感じさせない力強い一歩から、二匹の視線が交差する。
「全力でかかれ!」
「えい、栄養!」
煙幕が晴れぬうちに戦闘は始まった。
タッグコンビネーションが光る、かと思いきやアベルによる一方的な指示だった。折角いい場面だったのに、とツッコミ役が同行していれば嘆いていただろう。しかし事前に打ち合わせていたのか、アベルが合図を出してからのネイトの動きは流れるように素早かった。
ネイトの十八番、“炎のパンチ”。制裁のために、心の赴くがままに、少年は走った。瞳に映すはただ一点、討つべき敵のみ。
だが、純心は知らなかった。
決意を共にした仲間が、こちらに背を向けるどころか今まさに踵を返して逃げ出そうとしていること。
どういうわけかドンフリオが大口を開いて「しまった」という表情をしている動機は。
そして、単騎での突撃を命じられた意味とは。
その全てを、ネイトは知らなかった。
「“ほ」 一方、『トゲトゲ山』へ向かったフォシルは。
早々にお尋ね者の確保を終えて、荒野の中心でぽつりと一匹帰路を歩んでいた。渡された探検隊バッジを掲げれば捕まえたポケモンごとギルドに帰還できるはずなのだが、ああ、やはりというか、フォシルの両手の先には
引きずられる数匹のポケモンたちの姿があるのだった。
こんな拷問紛いの光景も、半身をアップで写せばただの歩くイケメンの図になる。して、その美男子は考えに耽っていた。
置いていった仲間たちのことだ。
エキュゼはなにかと責任感を強く意識してしまう節がありそうで、変な気を起こせばあの状態でも無理に行動を始めかねない。安静にしてくれればいいのだが。
問題はネイトとアベル。ネイトが行き先を口に出そうとした瞬間、知られては不味いと言わんばかりにアベルが制止を入れた。何か良からぬことを企てていたであろうことは推測できる。ただ、あの一心を込めたような強い目力が「どうかやらせてくれ」と懇願していた気がして、追求を避けてしまった。あの判断は正しかったのか。
彼らの目的に関する、その最初の一文字目を知っている。『り』。続く言葉をフォシルはあれこれと模索していた。り、り……リンゴ。リンゴの、森。あまりにもシンプルだがダンジョンに行くだけならやましいことは特に何もない。リンゴの、リンゴを、…………。盗む? それは流石に。
……………………。
歩幅が大きくなる。どんどんと足の動きが早くなってゆく。死体の軌跡が砂煙を上げ始めた。
焦ってなんかない。危機感は微塵もない。だからきっと、気のせいだ。まさか彼らに限ってそんなことは誓ってしないと、そう信じている。『トゲトゲ山』がすごい速度で小さくなっていくのも、気のせいということにしておきたかった。
………………………………。
……さては、やりやがっ
。
ぼぉん、と、爆音が鼓膜に響いた。
気持ちが折れるより早く、我に返るようハッと振り向いたフォシル。
左に回って百七十度、遠方に見ゆるは空へ立ち上る灰煙。
火元はおおよそ
『リンゴの森』。
「やっぱりそおぉだろーと思ってたぜーーーーー!!」
青頭は喜んだ。飛び上がって、つられて波打ったお尋ね者たちを気に留めないほどに喜んだ。
そうだ、これは決して手のひら返しなんかじゃない、仲間を信じ続ける心が弾けた感動の爆発なんだ。ほら、丁度あそこでも爆発が起きたじゃないか。あはは……。
なんだか脳が痺れてきたような気がして、おかしくなるまいと堪らずフォシルは森へと向かい、一度は過ぎた道を、むごい勢いで罪人を地面に叩きつけながら戻りに狂奔する。
照った大地がほんのりと熱を帯び始めた頃だった。
ネイトが拳を灯らせたと同時に、戦場は真っ白な光と爆轟に塗りつぶされた。瞬間を支配した閃光が晴れた直後に見えたのは、毒っ気のない砂煙が森の外へ逃げてゆく様と、自らが放った火に悶える馬鹿と、それに巻き込まれた哀れな三匹の姿だった。
ガスが、爆発したのだ。
「あぢぢぢぢぢ!? ばっ……わああああああああっ!!」「なんか思ってたのと違う」
火の元ネイトのさらに元、特攻の命を下したアベルは、地面を転がって自身を燃やしにかかる熱源を必死に消そうとする仲間を見ながら不満そうに呟いた。
何も知らないネイトがガスに突っ込み、爆破させる。そう、本来ならこの一撃で全てが片付く算段だったのだ。しかし現実はどうだろうか、ターゲットの『ドクローズ』は衝撃波に吹き飛びはしたものの致命打には至らず、それどころか引火させた本人のみが大火傷の被害を被るという、いいとこ一個もなしな結果に終わってしまった。
うぐぐ、と呻きながら起き上がるドンフリオ。
「しょ、正気かキサマ……味方をなんだと」
「黙れ。適材適所ってもんがある」
敵ながらもチームを束ねる身としては思うところがあったのだろう。ドンフリオは無論のこと、宙に復帰したクライとロスも憎っくき仇であるかのようにアベルを睨みつけた。その一方で、消火を終えて肩で息をするネイトへは誰一人と目を向けることはなかった。そんなもんだ、悲しき主人公。
けれども、多くの辛辣ツッコミを受けて鍛えられた鋼のハートはそう簡単に挫けない。ネイトは前傾姿勢で構えるアベルの横にさりげなく並んで、顔を覗いてみた。
「アウトオブ眼中?」
「無駄死にも同然だったが、お前ら程度なら俺一人でも十分だ」
「アウトオブ眼中」
少しダメージが入ったらしい。
「お、おお!? 言ってくれるじゃねーかオイイ!!」
「兄貴! アイツ、たった一人でやれるとかナメたこと抜かしてやがるぜ」
「アウトオブ眼中……」再び慨嘆するように呟く。が、そんな不平も無視と言わんばかりにドンフリオが流れを切って割って出た。
「フン、言うじゃないか。残念だがお前らがどう動こうと負けは決まっている。いわば消化試合みたいなもんだが、無駄とわかっていながらやるのか?」
たった一瞬だが、アベルの表情が苦くなった気がした。
「負け」、というのは、ネイトたちが遠征メンバーから外されることを指しているのだろう。たとえこの戦いで『ドクローズ』に痛手を負わせられたとしても、彼らの目的が達成されることには変わりない。ドンフリオの言葉でその現実を嫌でも自覚しなくてはならなかった。
だからと言って、今更どう退けというのか。掴めたかもしれない可能性を捨て、問責を恐れ避け裏切って、ギルドに背いて、これだけのものを失いながら征伐を選んだ彼らに、引きの一手があるというのか。
腕からは若草色の光刃が、拳からは丹色の猛火が。それが彼らの答えだった。
「ふん! そうか!」
悪い笑みというより、「やむを得まい」のニュアンスを含んだ声調でドンフリオは吠えた。動因と躊躇によって保たれていた均衡が、今、破られる。
初の直接攻撃を仕掛けたのはドンフリオだった。鼻息の温度ですら感じられそうなほどの至近距離から発射される強酸性の塊。放物線状に飛来したそれを、真正面のアベルは幽体離脱のように分身を残してバックステップ、突っ立ったままの抜け殻は酸液とともに霧散する。“アシッドボム”を、“身代わり”を盾にして綺麗に防いだ。
切り返しにネイトが燃える拳を腰元に携えて走り出す。標的にされたロスは慌てながらも“風起こし”で足止めし、その間にクライが“クリアスモッグ”を投げつけて直撃させた。見事な連携だが、灯った炎は潰えず、それどころか多量の酸素を食らって激しさを増していく。攻撃自体もネイト自身が頑丈なため大したダメージにならず、対面の処理を制したにも関わらず不利を強いられる羽目になってしまった。
「あぢっ、ぢぢぢ!」
「あっやべっぐがあ!!」
渦巻く拘束から解かれたネイトが焼ける痛みを訴えながらロスへ殴りかかった。重い一撃。しかし軽い身体が幸いしたのか、紙のように吹っ飛ばされたおかげで熱が通る間も無く、何事もなかったかのように空中ですっと体勢を持ち直した。「あ、あっぶねー!」よろめきながら安堵するロス。一方で攻撃側だったネイトはその勢い故に肩まで伝播した火を消火するために、またしても転げていた。横目で見ていたアベルが舌打ちする。
「あの役立たず」
「よそ見している場合か? “ベノムショック”!」
前に向き直ったアベルへ襲いかかるはドンフリオの口から次々に吐き出される無数の毒弾。先ほどのように分身一体で防ぎ切れる量ではない。堪らず射線の側面へ、と、地面を蹴った瞬間、膨れっ面がこちらを見据えていたことに気付いた。
「“ヘドロ爆弾”!」
「くっ、そぉ!」
いち早く攻撃を察知できたのは不幸中の幸いだったか。だが、遅れて練り始めた“エナジーボール”の火力では、どうにもならない相性の都合も重なって、クライが溜め込んだ“ヘドロ爆弾”に対しては威力の緩和が精一杯だった。相殺し切れなかったいくつかのヘドロの破片がアベルの身体に飛び込んでくる。
飛沫程度、されど弱点属性の凶弾。細身の膝を地に着かせるにはあまりに十分過ぎた。
「大層なこと抜かしてた割には随分と呆気なかったな」
痣のような紫染みが痛みで体を蝕んでゆく。毒状態を無力化できても、体質上合わない毒そのものは脅威であることに変わりはなかった。被弾した横腹と頬を押さえて、まだ終わってない、と口の代わりに鋭い目付きで抵抗の意志を示す。食いしばった歯はスカーフで隠れていた。
なんてザマだ、アベルは悔恨を覚えるほど酷く思った。
あれだけの覚悟を決めて、二の舞にならぬよう対策も用意したというのに、まさか純粋な実力差で追い込まれてしまうなんて。一番あってはならないじゃないか。
視界の端から立ち直ったネイトが左手に炎を纏って飛びかかった。ドンフリオの″不意打ち″。彼もまた、呆気なく打ち返されてしまう。馬鹿、前も同じ手でやられてただろうが。湧きかけた苛立ちでさえ、二度の頓挫には現実的な絶望を認めざるを得なかった。
弱かったから。
俺が、弱かったせいで。
足に力を込める。両手を支えに踏ん張った。筋に走った刺激が膝を地に引き寄せ、崩れる。毒塊のたった一片で、技を撃つ力から戦意まで、何もかもを奪われた。そんな己が情けないと思った。
こんなオチで終わるのか
そう確信しかけていた。
「ケッ、あばよ『弱虫くん』。俺らが遠征から帰ってくるまで大人しく土でも舐めてな」
「ちょ、ちょっと待て! おいクライ、アイツって……!」
だから。
「……ほう。お前はあの時の」
今一番会いたくないと邪険にしていたソイツの声が聞こえた時、
「うえっ!? な、なんで……!」
もしかしたら助けてくれるのかもしれないと、期待してしまったのだ。
「まぁーーーったく……何やられてんだよオメーら」
「フォシル!?」
「お前…………!!」
アベルとネイトの前に現れたヒーローは、倒れた二匹を見て、困ったような呆れたような笑いを浮かべた。
「……だが、なぜ」
「あ〜ん? そりゃあオメーが『り』って言いかけたネイトの口塞いだから何隠してんだろーなー、って考えてた矢先に『リンゴの森』から火の手が上がってんのが見えたからよー。帰りに寄ってみたら大当たり、てわけだ」
両脇で砂まみれになって微動だにしないお尋ね者らしきものをヒョイと部屋の隅に放り投げながら、フォシルは答えた。
その勇姿はまさしく凱旋の強者か。その実、探検隊バッジの機能を理解していない
おじいちゃん頭だったわけだが、そんな雰囲気を微塵も感じさせない立ち振る舞いが、却って恐ろしいほどのプレッシャーを『ドクローズ』に与えることとなっていた。
フォシルが、キッ、と鋭い視線を向けると、敵組は無言で引き下がった。かつての王権を宿した赤眼には、不思議とそうさせる力があった。真ん中に出来た一本道を堂々と歩き、仲間の元で足を止める。
跪くアベルを見下ろし、けれども時折目線を宙に逃がしながら。やがて仕方がないとでも言うように嘆息してから、フォシルは控えめな声で尋ねた。
「……先に仕掛けたのは?」
「待ち伏せしてたのは俺らだ」
アベルは観念するように平然と言う。
「そっちじゃなくて。最初に攻撃したのはどっちだ」
「最初は……ヤツらのガスが」
「そうか。……そっか、だから爆発したのか。おおかたネイトかなんかが炎でも使って」
これだけ早く状況分析までされてしまったら、もはや言い訳のしようもない。
そう、彼が援軍であるという前提がそもそも願望でしかないのだ。普通に考えれば、多分、二匹の悪行を止めに来るのが自然だろう。だとすれば、とんだ追い討ちだった。
フォシルは正義の味方だ。チームで一番の年長者だ。だから彼は、常に正しい選択を取る。この作戦の幕引きは、こうして理想が潰えることで終わるのだと、アベルは半ば諦めかけていた。
上体を起こしたネイトも、何かを悟ったようにこちらを見ていた。
意を決するように深く息を吐いて、フォシルは行儀よく待機していたもう片方の悪漢へと振り向く。そして、何か言いかけて開いたままの口を、
いたずらっぽく綻ばせて、二匹に目配せした。
「……あ? 何を笑ってやがる」
「なんだお前ェ! お前たしか、ギルドじゃそこそこ有名だよな? て、手出ししたら面子丸潰れだぜ!」
憤慨するのはドンフリオとロス。せっかくの勝利に割り込んで邪魔された挙句、その勝利まで取り上げてしまおうと不敵に笑っているようにすら見えるのだから当然だろう。特にドンフリオの方は、今までに見せてきた余裕の態度を初めて崩すほどだった。
そんな向かい風を前に、猛者は息を吸い入れ、
「『大陸刑法第二百三十五条』!」
張りに張った大声がフィールド上に響いた。鋭く突き刺さるような衝撃に、敵味方両方の心臓が思わず縮まり込む。
そしてその瞬間、明らかに声量とは別の要因で『ドクローズ』の顔色が変わった。
「『威力を用いた信用の毀損、又はその業務を妨害した者は、三年以下の懲役又は十万ポケ以下の罰金に処す』」
堂々かつ厳格に発せられた内容は、現代を生きるアベルでさえその全容を知らなかった。『大陸刑法』
この大陸における法を、フォシルは暗記していたのだ。
一体それをいつ調べたのか、どれだけの期間をかけて記憶したのか。思い返したところでまるで察しがつかない。だが、だがもし。
「それだけじゃねー。百九十七条の傷害、三百三十条の強盗もだ! 加えて百六十九条の正当防衛も成り立つぜ!」
前回理不尽に受けた処罰を悔いて、必死の思いで法律を調べたとしたのなら。得た知識を武器に、こうして逆襲に転じることを想定していたとするならば。
「だがな、んなモンは序の口なんだよ。テメーらは一番犯しちゃいけねールールを犯した!」
頼れる兄貴分は、背はこちらに向けたまま首だけ回して「立てるな?」とあたかもわかっているかのように聞いた。「まだ全然ダイジョブ!」拍車のかかったポジティブで応えるネイト。そんなもの、無理だなんて言える訳ないじゃないか。不思議と身体は動いた。
事態の一変に『ドクローズ』は酷く狼狽えていた。これこそ、アベルが、ネイトが、そしてフォシルが望んでいたであろう盤面。きっと彼も、やり返さねば気が済まなかったはずだ。
「プクリンのギルド・探検隊心得十ヶ条! ひとーつ! 仕事は絶対サボらない!」 だからこそ考えた。模索した。無論それは、なるべくギルドに迷惑のかからないもの、道義に反しないもの。大切な仲間たちが、笑顔でいられる選択肢を。
「ふたーつ! 脱走したらお仕置きだ!」 けれども、最適解はどの角度から見ても綺麗なものに落ち着くことはなかった。その道を、あろうことか味方に遮られそうにもなった。正しいと信じて追いかけた方法は、あるいは。
「みっつ
」
否、本心の向かうところは最初から決まっていたのだ。ただフォシルには、それを肯定するだけの“型破り”がなかっただけで。でも、わかっていた。わかりきっていた。
「みんな笑顔で、明るいギルドだッ! 行くぞぉーーー!!」 本当は、皆、同じことを考えていたんじゃないのかって。