ポケモン不思議のダンジョン 正義と悪のディリュージョン






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第4章 侵撃のドクローズ
第40話 本懐

 夢と現の境界で、土擦れの音を聞いた。
 月明かりを浴び続けて冷え切った気温が嫌でも意識を表へ引き戻そうと執拗に絡みついてくる。混乱にも似たような酩酊の中で、渋りながらも森トカゲはぼやける視界を開いた。
 影を背に纏う、青白く照った横顔のフォシルが、窓越しの夜空を見上げていた。
 こんな時間になにしてやがんだ、低血圧気味の思考回路で最初に思いついた文句は、神秘的とも暗鬱ともとれる雰囲気に憚られる。関わるとめんどくさそうだな、そう思い、アベルは二度寝でやり過ごすことを決めた。ところが、寝返りを打とうとした瞬間、無意識に赤い目線が交差してしまう。

「……」
「オメーも眠れなかったのか。あいや、それとも起こしちまったか?」

 少しだけ間を置いてから、囁くような小声で話しかけてくるフォシル。未だ夢の中にいるであろう二匹への配慮だろう。あるいは、アベルに対してか。
 だんまりで押し通そうとしたが、鋭い軍師のことだ。不自然な寝たフリなんて、ヤツからすれば『ネタ振り』も同然である。睡魔が多少回っているとはいえ余計な恥はかきたくなかった。
 せめてもの抵抗で瞼は閉じたまま、切り返すは別の話題。

「……門の修理はどうなった」

 へへっ、と無邪気な笑みが返ってくる。おまけのグーサインが事を成せたと念押しした。子供らしい仕草からは二歳も年上であるという事実をまるで感じさせない。だが、その隔たりのない距離感こそがかつて王子として民に愛され続けた証拠であり、現代もその名残が曇ることなく残っているのだろう。卑屈なキモリはそうして懐柔されることを嫌って、常に反抗的であろうとした。フォシルが光になろうとするなら、アベルは必ず陰でなくてはいけなかった。

「今日さ、最終日だよな。色々考えてたらもー……寝るどころじゃなくってよ」
「馬鹿か」

 こうした一徹の敵対心も、あれこれと溢れる理由をすっとばして根本から来る気の合わなさが原点なのかもしれない。
 フォシルは安々と寝息を立てる二匹を眺めた。白い八重歯が見え隠れするエキュゼの寝顔と、対照的に無音無動のネイトの背中。そんな彼らに向ける表情は、月夜を仰いでいた時によく似てる、物憂げな大人のような顔だった。

「あんだけ頑張ろうっつって無茶もしたんだからさ、なんとかして連れてってやりてーよなー遠征。……いや、それがもし無理だとしても、全員で最後までなんか成し遂げたいよなーって。うん。オレも上手く整理つかねーけど最後は笑えりゃいいよな。笑えりゃ……」

 終わりの部分は言葉に詰まって消えかかっていた。
 別段目新しいものでもなく、アベルからすれば聞き飽きた話も同然だが、これがフォシルの精一杯の願いなのだということはわかる。そして、フォシル自身も、願望であることを、恐らく知っている。
 一層の静寂が薄暗い部屋を包む。息遣いですら飲み込まれそうだった。とりあえずアベルは少し上体を持ち上げて慣れた片肘つきの寝姿勢になった。フォシルも窓から逸れ、壁を背に尻尾を折って座り込んだ。寝ようという考えはとうに闇に溶けて霧散していた。
 長い瞬きを一つ。半開きで抑えた口から出掛かった言葉を、溜め込んだように遅れて吐いた。

「…………空、見えるか?」
「見えるが」

 二匹の視線が窓の先に移る。

「ほら、もうだいぶ青くなってきててさ。あれがもうちょっとすると、右のほう……東っ側からどんどん白くなってくんだ。で、その後に朝日が昇ってくる」
「ああ」
「その変化がな、びっくりするほどあっという間なんだ」

 瞳の奥で燻るは古代の朝焼けか。どこか病的にも見えてしまうほわんとした蒼白に染まった横顔は、彼に似つかわしくもない自虐的な笑みをうっすらと浮かべていた。
 日の出をじっくりとした観察の経験はないが、それくらいの事はアベルでも常識として持っている。
 だからこそ、フォシルがそんな当たり前を突然語り出した意味を、漠然と理解することができた。

 期間さえあれば、不名誉を帳消しに出来たのだろうか。
 日常に悪意が差し込まれなければ、塞ぎ込まずに進めたのだろうか。
 朝日を迎えて起きられたのなら、そもそもこんな会話すら発生しなかった。

「やれるだけのことはやってみようぜ」

 思考に割り込んできた一声で、フォシルがこちらを見ていることに気付く。目を細めてニカッと笑いかけてきた。アベルは目を逸らす。
 ネイトが咎めに、いや、ネイトに話を持ちかけなければ、最後まで走り切る道も選べたのだろうか。
 裏切り者は、何と返せばいいのかわからなかった。









 遠征前最後の通常営業日であるにも関わらず、朝礼では特にこれといった連絡はなかった。敢えてこの場で言わず、ギルド外から来る探検隊たちには通達があったことを考えると、ナガロから聞いた情報は弟子達への公表を意図的に避けていたと考えるのが自然だろう。目的はよくわからないが、なんとなく『試されている』。最終日になって、エキュゼは今更それを実感したのだった。
 しかしその当人は。

「ごめんフォシル……ちょっとどうにかしてた……」
「あーまあまあ気にすんなよ! それよりどうだ、やっぱキツそうか?」
「うん、足が……」

 謝罪の低頭を維持したまま、エキュゼは震える後ろ足を見やる。
 昨日の大暴走で壊れたのは門と少女の心に留まらなかった。一人体制による過酷なインターバルが容赦なく喉から肺、四肢に到るまでを虐め続け、一夜明けて呼吸器系と前足は大分和らいだものの、特に酷使された後ろ足は朝礼に行くまでがやっとという事態。一旦自室に戻ろうという際にはフォシルの背を借りざるを得ない状況だった。
 腰に手を当てるネイトと、腕を組むアベル。

「顎関節症ってやつ?」
「足だっつってんだろスカスカ脳。とりあえず座れよ」
「うう……みんなごめんなさい……」

 ボケに厳しく、筋肉痛には手厚く。早朝の意味ありげな沈黙からは多少の不安も感じ取れたフォシルだったが、相変わらずのやりとりには思わず怪我人の前でも自然な笑顔が溢れてしまう。ただ、それと反比例するように一層沈んだ様子でエキュゼは藁の寝床に座り込んでいた。あれだけ熱意を注いで挑んだのだから無理もない。
 「ま、とりあえずだ!」真面目な目つきに戻ったフォシルが、パン、と手を合わせた。とにかく行動してみようという兄貴肌の先導はこういうタイミングで役立ってくれる。

「オレは一昨日みたいにお尋ね者をとっちめに行こうと思うんだが……なんか別の手伝いした方がいいか?」

 あー、とネイトが上を向く。

「えっとねー、今日は僕とアベルでリフゴッ
「俺とコイツで依頼やってくる。問題ない」

 作戦失敗の恐れを感じ取ったアベルが、すぐさまヘルメットの上から鼻の穴に手を突っ込んで情報漏洩を阻止した。これが本当の“ツッコミ”か、なんて呑気なボケが出来るほどネイトは平常心ではなかった。痛みを伴う口止めには半パニックで、ひっくり返った虫ポケモンのように手足をバタつかせている。
 ともあれこれで難は逃れ、られるほどフォシルが鈍いはずもなく。目尻に涙を見せて猛烈に抵抗するカラカラと、左腕にプルプルと力を込めて押さえつけている無表情のキモリのツーショットが、到底まともではないことを隠していることは素人目に見ても明白だった。
 反応に困るフォシルの引きつった笑いと、あくまで『無』を主張してくるアベルとの睨めっこ。結局、隣でじたばたと暴れるリーダーを哀れに思った『ストリーム』最後の良心が先に折れ、鬼畜による無言の要求が通されることになった。

「……あーーー、わーったよ。聞かねーでおくから……。ひとまず離してやってくんねーかな。あと探検隊バッジ」

 軍師から実質的な許可が下りたのを確認し、用心深く視点と表情を固定したまま、アベルは乱暴に手を引き抜いた。人質事件の犯人か。横で見ているエキュゼが地獄を見るかのような表情で俯く。異物の抜けた反動で後ろに仰け反ったネイトは、直後にハッとするとすぐさまこめかみ辺りに手を入れてバッジを取り出した。律儀過ぎる交渉成立を前に「お、おう……」と困惑しながら受け取るフォシル。諸悪の根源は小声で「きったね」と左手をネイトの後頭部に擦り付けていた。色々と最悪の光景だった。

「んじゃ、まあ……お、おし! 行ってくるぜ!

 その切り替えは無理があるんじゃないか、エキュゼはやや呆れ顔で顔を上げたが、この場を脱したいという彼の気持ちもわかる気がした。

「あい任せたー!」
「こ、今度はちゃんと転送してねー!」
「戻ってくんなよ」

 「ちゃんと使うぜー!」エキュゼの言葉にだけ返事をして、どこか逃げるような足の速さでフォシルは弟子部屋を抜けていった。バッグの持ち込みについて聞けなかったのが心残りだが、恐らく以前と同様に手ぶらで勝利し帰還することだろう。ひとまず本人もわかった上で、と都合よく捉えることにした。

 チームの真面目枠が外出したことで、埃っぽい部屋に閑静が訪れる。年寄りのように座り込んで口を結ぶエキュゼと、古竜が完全に去るまで動かないオス二匹。やがて、片割れのアベルが本日限りの相方へ向くと、ネイトも顔を見上げる。

「邪魔者は消えたな」
「僕たち、もしかしていいコンビなんじゃ?」
「やっぱもう一人いたわ」

 明らかに変わった雰囲気。
 エキュゼの胸中に不穏の二字が溶けて広がっていった。




 時刻はちょうど昼に差し掛かろうという頃。
 臨時で作られた食堂脇の住み込み部屋へトレジャータウンから戻った『ドクローズ』一隊は、商店で購入したリンゴを食しながら、何をする訳でもなく、自堕落に会話を進めていた。

「……アニキ、いい加減ここでくっちゃべんのも飽きてきたぜ。なんかやることねーのかよ!」
「相変わらずわかってないなお前は」

 不満そうに上顎を伸ばすズバット、ロスに対し、ドガースのクライは、やれやれといった様子で静かに体を左右に振る。

「アニキは明日あるかもしれない遠征に備えて休むべきと考えているんだ。もし今からなんかやろうもんなら、お前遠征先に着く前にへばっちまいそうだしなあ」
「は、はぁ〜!? そんぐらいわかってたっつーの!! テメエこそ前みたいにチョーシこいてガス欠で水に落ちてアニキに泣きつくんじゃねえぞ!!」
「お前ら。少し静かにしろ」

 大将の一鳴きで、チンピラ二匹の間に飛び交った雑言が、しん、と静まり返った。

「休む、というのも、ここで駄弁ってる理由のうちの一つだ」

 黙って見ていればこのザマか、なんて呆れながらも、暴力による行使が入らない分ドンフリオというポケモンはわりかし面倒見の良い性格なのかもしれない。
 早速調子付こうとするクライに被せるように、「が」と注釈を挟む。

「一番の目的は『何も起こさない』ことだ。ここまで散々やりたくもないネコ被っときながら、出発直前で悪事がバレたら元も子もねえ。だから今日は、黙ってやり過ごす」
「流石はアニキ! んなこと考えもつかなかったぜ!」
「フッ、やはり冷静に判断できるアニキは他とは違うな」
「ククク。いやなにも難しいことではない」

 謙遜でもなんでもなく本当に大したことを言ったつもりはなかったのだが、こうも遠慮なく褒められるとドンフリオとてまんざらでもない。思わず似つかわしくもない柔らかな笑みを見せた。
 和やかな空気が流れていく。どんな悪党にだって休息は必要なのだ。どれだけ恨まれようと、その根がいちポケモンであることには変わりない。安らぎの感受が正当なのはなんら不思議でもなかった。
 しかし、つかの間の平穏は、部屋の外から飛び込んできた一声に崩される。

「ええーーーッ!? それほん……」
「おい、ばっ……声がデカい! いやもっと小さくても……」

 頭上の尻尾が縦に揺れる。ロスとクライも振り返って、同じく廊下へ目をやった。
 広場の方からだ。徹底的に信用を落とした今では歯牙に掛ける価値すらない、敗者の驚愕する声がしたのは。部屋から顔を出して覗こうとする部下を制し、まずはリーダーが直々に様子を見に行く。ギリギリ身体が視界に映らない死角を取ってから耳を澄ましてみる。密やかを意識しているようだったが、十分聞き取れる音量だった。ドンフリオは二匹に視線でサインを出す。サッと浮かび上がって真上を陣取り、聞き耳の態勢に入った。
 面白いネタが仕入れられるのならそれに越したことはない。なんの利益もないような情報であっても、他言できない内容を知れるだけで優越感に浸れるし、とりあえずの精神で、軽い気持ちで盗み聞こうと思ったのだ。
 ところが、その内容は彼ら『ドクローズ』にとってあまりに衝撃的なものだった。

「『リンゴの森』に、セカイイチが残ってるって?」
「らしい。自称情報通のクレーンでも知らなかったらしいがな」


「なに……?」

 面々の表情が、一気に険しくなった。




 遡ること数時間前  
 フォシルが依頼へ向かったことで残されたネイトら三匹。ダウンしているエキュゼは置いてけぼりに、アベルとネイトだけが知る計画が立ち上がろうとしていた。

「まずはヤツらをおびき出す」
「おお! まるで不良のやり口!」
「や……ヤツら? おびき出す?」

 少年の瞳の輝きでガッツポーズをするネイトとは対照的に、エキュゼは困り眉で主導者を見る。迷いもなければ疑問もない、普段通りの欠けた月のような反逆の目つきだった。間違いなく、何か悪いことが起きようとしている。それがわかっていても、こうなった幼馴染が言葉の一つ二つでは止められないことを彼女は知っていた。故にエキュゼは、諦め半分での傍聴をこの時点で既に決めていたのだった。

「誰かの目につくと止められる可能性がある。やるなら徹底的に、ならば場所は?」
「ギルド!!」
「そうか。お前に発言権を与えるべきではなかったな」

 えへへぇ、とネイトは頭を掻く。幸先不安しかない、という感想を抱いたのはアベルに限らず、加担するつもりのないエキュゼもそうだった。むしろ緊張感のなさが一周回って「大した話でもないのかな」なんて安堵すら生み出していた。
 落胆を表すような深いため息を一つして、話に戻る。

「……ダンジョンだ。どうにかダンジョンの奥地に誘導して、そこで叩く」
「なるほど? じゃああの三匹を引っ張って連れてくのが僕の仕事ってわけだね」
「だからおびき出すっつってんだろが」

 日頃から暴行する側であるアベルも、流石にこれだけ振り回されるところを見ると割とおあいこ様なのではないかと思えてしまう。
 いや、それよりも。
 今、「叩く」と言わなかったか?

「ちょ、ちょっと待って! いま……えっ? 三匹ってもしかして……」
「お前は気にしなくていい」
「モチのロンでブピビッピブボボバブリュたち!」
「言うなカス野郎。……いや、どのみち、か。だがお前が言うとなんかダメだ。あと汚ねえ。そして死ね」

 ブピビッピブボボバブリュ  通称『ピッピ』とは、スカタンクのこと、つまり『ドクローズ』を指していた。ああ、なんだってこんなにわかりづらい名前を。
 濁点と半濁点の奔流で考えていたことが色々吹っ飛ばされかけたが、この場で話されていることは『ドクローズ』に対する報復で、如何にして彼らに危害を加えようかという相談であることはなんとか飲み込めた。全力で阻止に入るであろうフォシルを抜きにして話す理由も納得できる。
 じゃあ、自分は?
 常識のフィルターが外れて暴走気味の仲間を、止められるとしたらエキュゼしかいない。そうするべきだ。
 なのに、言葉の一つも出なかったのは、どうせ何言おうと無理だとわかっていたからか。あるいは。

    アベルたちにやらせた方が、都合がいいって思ったんじゃないの?


「…………とまあ、軽く考えてみた結果」

 フ、と身体の力が抜けた。足が竦んで崩れそうになった。
 結局彼らの企てに異議を立てることは出来なかった。あまつさえ、汚らわしい推進すら願ってしまった。頭の中が気持ち悪かった。
 唯一の救いは、アベルがエキュゼを気にかけることなく淡々と会議を続けていたことか。ネイトからの視線は少し感じたが、何故かこういう時に限っては空気を読んでか言及してこない。普段からそうしてよ、そんなツッコミまでも見透かされている気がする。なんだか恐ろしくなって、エキュゼはそれきり、俯いて彼らの姿を視界の外へと追いやった。
 反して、アベルは得意げに言う。

「前と同じ、『リンゴの森』の奥でぶっ潰すことに決めた」
「『リンゴの森』まで引きずればいいの?」
「やれるもんならやってみやがれ」

 「わかった!」馬鹿正直すぎる快諾から早速外へ出ようとするネイトを、新緑色の光刃、“リーフブレード”を前腕部から生やした手で制止する。上目遣いでアベルの顔を覗いた。本気の殺意が隠れた『無』の表情が沈黙の内から威圧する。流石のネイトも「う」、と短く発して引き下がった。悲劇は免れた。

「……セカイイチを餌に誘導しやすく、なおかつ前とは真逆の構図でヤツらを見下ろせる。これ以上に好都合なことはない」
「あり? でもセカイイチって取られ……と、取られ、取られましたでしたよね?」

 同じヘマをして細切れにされることはなんとしても避けたかったのだろう、碌に使ったこともないような丁寧語は違和感バリバリで、却ってボケようとしている風にも捉えられなくはない。
 しかしまあ、今までに放った強烈なボケに比べれば多少は理解の意志を感じられたからか、アベルがそれらに対して難癖を付けることはなかった。それどころか、待ってましたとばかりに深く首肯した。

「そう。取られてしまった今、セカイイチは『リンゴの森』に残っていない」
「ダメぢゃん!!」
「だから一芝居打つのさ」

 珍しく憤慨気味にツッコんだネイトだったが、口角高めで言ったアベルの提案にピタリと動きを止め、上げた掌をゆっくりと下ろした。
 細めた目が笑う。

「偽の情報を流して、なんとしてでも『リンゴの森』に行かなくては、と誤認させる」




   そして、数刻を経た現在。

「つまり、えーっと……」
「持ち帰ってルーに渡せば遠征に行けるかもしれない、だろ? 簡単なことだ。やらない手はない」
「そう! それ!」

 とんでもないことになった、ドンフリオは苦虫に加えて若いチーゴの実を噛み潰したように顔を歪ませる。ついでに顔の横半分を少しだけ出して声の主の正体をチラと見てみた。間違いない。『ストリーム』のカラカラとキモリだった。
 そうだ、ヤツらの遠征メンバー入りが絶望的になった原因はあのリンゴ一個だ。そんなもののせいで散々な仕打ちを与えるのならば、逆もまた然り。アレさえ手に入ってしまえば、自分たちが悪知恵をこね回した努力も全て無に帰してしまう。
 だが、同時に『ドクローズ』は疑念も抱いていた。急だったとはいえ全てのセカイイチは回収し切ったはず。その証拠にアイツらは幼稚な親方から理不尽な仕打ちを受けそうになっていたのだから。
 あれほどのモノが、大した期間もなく生るものなのか?
 そんな胸中の疑りを見据えていたかのように、生意気そうなキモリは話を続けた。

「しかも確かな筋からの情報だからな。信憑性は高い」
「うんうん。で、えー……なんだっけ」
「迷うことなんかねえだろ。今すぐ行くぞ」
「あ、そうだった!」

 ……会話が、あまりにも不自然過ぎはしないか。どのポイントから首を傾げればいいのだろう、と、そうこう考えているうちに、二匹は梯子の方へ去っていった。
 半開きの口を閉じることを忘れたまま黙考に耽る。傍らではクライとロスがヒソヒソと焦燥のキャッチボールを繰り広げていた。一通り不安を語り尽くした後は慕う親分の動向を待つことになり、やがてドンフリオは、決心したような鋭い目付きで彼らへ向き直った。

「お前ら。予定変更だ」

 予定変更。それは、安定した詰めの手を切って、リスクある排除に出るという意向。みすみす逃すくらいなら確信がなくとも賭けに出るべきだと、そう判断したリーダーの号令だった。異論はなく、多くを語られずともクライは無論、ロスも何をすべきかをしっかりと察したらしい。へい! と二匹同時に了解の返事が来た。
 悪党は進む。その先に待ち受けているものが罠であったとしても。




 改修されて一部分だけが新鮮な黄金色の木となった門の下を、アベルとネイトは逃げ出すように駆け抜けた。昼下がりの、青春を謳歌する少年二匹の風景に見えなくもない。が、目の先にある階段でもスピードを緩めなかった馬鹿の方が数メートルはあろう段差を転げ落ち、短い断末魔を上から見下ろしていたもう片方が両手を横にしてやれやれと首を振る。青春継続記録は推定二コンマ八、一瞬で悲惨な大事故へと早変わりした。
 交差点に降り立った黄緑色が呼吸を軽く整えながら、仰向けで腹を上下させる黄土色へ何事もなかったかのような普段の低調で話す。

「演技下手すぎだ、お前」
「え?」
「さっきの」

 あくまで今の滑落事故には触れないつもりらしい。ボケの一端のつもりだったのか、ネイトは少しつまらなさそうに目を逸らした。シャレにならないコントが、一周回ってシャレにすらならなかった貴重な異例だった。
 肩の動きを呼吸と連動させながらアベルは空を見上げる。分厚く大きい雲が真っ白に陽光を遮り、水色は薄く広がった煙のようなおぼろ雲に覆われていた。ネイトもおもむろに立ち上がって、なんとなく並んで空を見た。
 冴えない先行きが、空模様に表れている。

「行くぞ」
「うん」

 何となしに戻した視線は、お互いにその時をわかっていたかのようにぴったりと繋がった。
 交わした言葉に含みはなく、ただ平坦に身体を吹き抜けてゆく。幸せになれない結末を知っていたから、そこに込める情が薄まるのも必然だった。
 季節外れの冷たさを帯びた東風を切って、アベルとネイトは再び走り出した。


■筆者メッセージ
 前回残り二話と書きましたが、長さの都合で三話に分けることになりそうです。約束の守れないダメ人間で申し訳ない……。
 最近のアベルの主人公感やばい。
アマヨシ ( 2019/12/16(月) 23:44 )